夏は来ぬ―ドイツの黒い森から 75(びすこ)
- クレマチス

- 5月5日
- 読了時間: 8分
今日五月五日は何の日? 言わずと知れた子供の日、もっと伝統的な言い方をすると「五節句」の一つ端午の節句ですが、今年はもう一つ、立夏でもあるのです。今年は、と言ったのは、毎年必ず 5 月 5 日と決まっている訳ではなく、6 日になることもあるから。
いずれにせよ暦の上では今日から夏ということになります。ドイツでは五月といえば春の真っ盛りなのですけどね。この国で今の季節によく歌われるのは 1791 年にモーツアルトが作曲したと言われる「五月の歌」で、元の題は「春への憧れ」、五月よ来ておくれ、そして木々をまた緑にしておくれ、という歌詞で始まります。メロデイーがちょっとだけ早春賦に似ています。
世界東西、多少の季節のずれは仕方ない。とにかく日本では今日から夏ですって。
上にモーツアルトのリートに触れましたが、日本で夏ときけば私は「夏は来ぬ」という唱歌を思い出し、その歌詞が(もちろん曲も)大好きなのでよく口ずさみます。作詞はかの佐々木信綱さま。それを知ったとき、うーむ、さすが、と唸ってしまいました。皆さま当然ご存じでしょうがここで後の話もあるので、少々長くなりますが 5 番までご紹介しておきます。
1.卯の花の匂う垣根に ほととぎすはやも来鳴きて 忍び音もらす夏は来ぬ
2.さみだれの注ぐ山田に 早乙女が裳裾ぬらして 玉苗植うる夏は来ぬ
3.橘の薫る軒端の 窓近く蛍飛び交い おこたり諫むる夏は来ぬ
4.楝ちる川辺の宿の 門遠く水鶏声して 夕月すずしき夏は来ぬ
5.さつきやみ蛍とびかい 水鶏なき卯の花さきて 早苗植えわたす夏は来ぬ
どうです、なんとまあ格調高い詩ではありませんか。ただし、2番の「早乙女」が原詩では「賤女(しずのめ)」となっていて、これはナンボ何でもというので改められたそうです。(戦前にはお手伝いさんのことを下卑と読んだりで、別に佐々木信綱が差別主義者だったわけではなさそう。)私が子供のときには既に早乙女となっており、当時は未だ女性の田植えの慣習が田舎には残っていたので、すんなり頭に入りました。
大人になってから改めて歌詞を吟味してみて、3 番の、窓の近くにホタルが飛んで「おこたり諫むる」というのは、なんとまあ古臭い、とちょっと呆れたのですが、いまでは「蛍雪の功」などと言う言葉を知る大学生・高校生も稀になっていることでしょう。いや、その前に橘の薫る軒端など想像すらできないかもしれない。そこへほいほいと蛍が飛んできて、怠けてないでしっかり勉強せい、と促す?
さらに楝(おうち)の花など目にしたこともない、という声も聞こえてきます。私は、しつこいですが、農村生れなのでここに出て来る風物にはだいたい馴染みがあります。楝(栴檀の木)は薄紫の花が優美な一方で(母の好きな色だったので、薄紫の着物が今も箪笥に眠っています)、この木はほったらかしでもぐんぐん伸びてよく廃屋に生えていたりするためイメージがよくありません。そもそもこの 4 番の光景はあまり田舎っぽくなくて、私はちょっと唐突ですけど、かつて人気を博したテレビドラマ「御宿かわせみ」の辺りの風景を目に浮かべました。はい、真野響子主演の方です(父親が彼女の大ファンで再放送も再々放送もしっかり見ていました)。5 番は 1 番以降の寄せ集めなので省略。
どの風物にも馴染みがあると言いましたが、実は肝心のホトトギス、これは見たことがありません。わが家の周りの山にもいないようです。カッコー時計で知られる現在の住まいのあるドイツの森にもこの鳥はいない。もしかして絶滅の危機に瀕している種か? それから水鶏(くいな)も知らない。雨の多いこの時期に田圃でよく見かけるのは白鷺です。餌になるおたまじゃくしがウヨウヨいますから。日本の家の近辺にホトトギスはいませんが、鶯はいます。そりゃ春の鳥じゃないかって。いえ、晩春以降は老鶯と呼ばれる鶯が里に出て来て元気に鳴きます。老いた鶯という意味ではなく、むしろ老練という感じで歌い、これは夏の季語です。佐々木信綱先生には無視されましたけど。だって先生は深窓のお育ちで、この歌に出て来るような光景とはあまり縁のないお暮しだったのでしょう。これは全て想像で作り上げた世界なのでしょう…と思っていました。
さてここで話は変わって、最近私は新古今集(の一部)を読みました。きっかけは、正岡子規について調べていて、この人が「歌読みに与ふる書」の中で古今集をもうボロクソにこき下ろし、新古今集はそれよりはちょっとだけマシと言い、どちらがどうか忘れましたが、一方を味噌汁、他方を澄まし汁に譬えているので、どっちの汁か知らないがちょっと読んでみようと思ったためです。古今集はハードカバーを持っていますが、なるほど、あまり面白くない。新古今集は次回の帰国時に買おうと思っていたら、ひょんなことで本棚の後ろのほうに岩波文庫のを見つけました。文庫本だから寝転んでも読めて、実際布団の中で読んでいたところ、読み始めてすぐ重大発見(?!)をしたのです。
この歌集に目を通したことの無い方でもすぐ想像できるように、歌はまず「春歌」から始まり、夏歌、秋歌、冬歌、賀歌と続くのですが、春は当然ながらさくら三昧、たまにちらほら山吹や藤がある程度。それが夏になると、たちまち卯の花が登場する。それと合わせて、まるで花札に見る猪鹿蝶の組み合わせの如くに郭公(ホトトギス)の歌も。
・卯の花のかきねならねど時鳥・・・
ふーむ、卯の花と垣根もセットらしいと分かりますね。卯の花、垣根、ホトトギス、とくれば「夏は来ぬ」の一番の歌詞そのまま。その後には「さみだれ」の歌が。「さみだれはをふの河原の真菰草・・・」とか、「さみだれの雲のたえまをながめつつ・・・」とか。ただし田植えの歌はありません。そもそも平安・鎌倉時代には、働く人に目を留める歌人なんかいなかし、彼らの目に貴族以外の人間は存在していなかったのだからしょうがない。と思う間もなく登場するのが橘でございます。「たちばなの花散る軒のしのぶ草…」橘と軒の組み合わせも昔からの約束事らしい。あ、その、前にあふち(楝)も出て来ます。「あふち咲くそともの木陰つゆおちて五月雨はるる風渉るなり」さらに、蛍も登場しますよ。「蛍飛ぶ野澤にしげるあしの根の・・・」
これだけ見ていると、佐々木信綱先生は、「夏は来ぬ」の作詞にあたり新古今集の夏歌から様々な風物をピックアップしてまとめあげることで、田園の自然を知らない不利を補おうとしたかのような印象を受けませんか。あ~、ずるい!!とは申しません。素材をこの歌集から取ったことはほぼ確かですが、材料さえ整えばいい詩が創れるというものでもない。その組み合わせの妙こそが詩人の真骨頂とも言える。その証拠に、子供時代から卯の花も橘も楝も蛍も見慣れた私には、一首・一句も作れないではありませんか。「忍び音」などという言葉も床しいし、農家の人が「玉苗」という表現を聞いたら何と思うだろう。しかし、なんだかすっきりしないなあ。
そもそも私が初めて佐々木信綱の歌に出会ったのは中学校の教科書の中の、
・ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なるひとひらの雲
だったような。子規の「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」のくだけた雰囲気に比べて、随分格調高い歌だなあと思った記憶があります。別の言い方をすると、よそゆきの歌。ちょっと調べたら、この方については歌人としてよりも国文学者としての評価の方が高いようでした。だから文部省あたりが三顧の礼で作詞を依頼したんじゃないでしょうか。知らんけど。生れは鈴鹿だそうで都会育ちとも言えないものの、御父上も国文学者だったというから、泥足で田圃を走ったり日が暮れて蛍を追いかけたりという子供時代を過ごしたわけではなく、日本の田舎をよく知らない分を古来の歌に頼ったのだろう…なんて言うとやっぱ失礼かしらん。
と思いつつ、この岩波文庫の「新古今和歌集」の表紙を改めて見てみて、まあ、と自分の迂闊さに呆れました。その表紙にはちゃんと「佐々木信綱校訂」とあるじゃない!!
これでは、ある意味「確信犯」と言えないこともないですけどね。だけどやっぱり好きです、「夏は来ぬ」の歌。それに、佐々木先生がいにしえの歌集から材料を拝借して作った、彼にとってはいわば半架空の世界が、今も一部実在しているのです。何となく「自然は芸術を模倣する」という格言を思い出してしまいました。
同時に頭に浮かんだのが poetic licence という言葉です。詩人としてのライセンス、それも功成り名遂げた文学者の特権をフルに使って美しい世界を造りあげた天才は芭蕉ではないかと、数か月前にドナルド・キーンの「百代の過客」を読んで思いました。
見知らぬ人の苫屋で一夜を過ごしたようなことを言うが、実際は富める商家で歓待されのだとか。明るい陽射しの中の若葉の景色を歌ったときは、実は小雨だったとか(旅の御付きの弟子が遺した日記があって、これがどうもまずい)。ところがそれについてもキーン氏は「芭蕉の作り話や事実からの乖離は、作品のさらに永続的な全体的真実感をかえって高めている」と書いています。(ちょっと贔屓の引き倒しみたいな気もするが。)
それに比べれば佐々木信綱氏などスケールがまだまだ小さい。この「詩人のライセンス」について取り上げるとまたまた長くなるから、今回はこの辺でお開きと致しまする。




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