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「大地」再び―ドイツの黒い森から 71(びすこ)

と言ってもこれは水泳選手の鈴木大地のことではなく、女優の大地真央を指すのでもなく、またかの山崎豊子氏の大作「大地の子」の話でもありません。大地と言えば、私の世代ではなんたってパール・バックの小説「大地」のことになる。

最近、ほんの 4 , 5 日前にこの懐かしの「大地」を読み終えた。なぜ懐かしいかというと、これを最初に読んだのは私が間もなく中学 2 年に進級しようという春休みのことで、だから満 13 歳の時だったのをよく覚えているからである。


この本を私は学校の図書館で借りた。一体に中学生時代の読書というのは半端なもので、少年少女文学集はもう幼すぎ、大人のための本格的な文学はまだ難しいという時期である。そして 1960 年代に入ったばかりの当時は村の学校の図書室も極めて貧相で、団塊の世代なのに全校合わせても 130 人かそこらの小さな学校とあれば、読書欲をそそるような蔵書はほとんどなかった。それだけに、本の貸し借りも大らかというか雑というか、制限なしに借りられたのだった。


うららかな弥生の日差しを浴びながら縁側で読書する私のそばには、自分で念入りに皮をむいた「うちむらさき」(通称ザボン、文旦の一種ともされる)の実があった。当時の我が家には裏庭に大きなザボンの木があり、春先にはたわわに大きな実をつけるのだが、家の誰もそれには見向きもしない中、なぜか私だけがこの柑橘を好み、一人で採ってきては皮をむき実を皿に盛って舌鼓を打つのであった。


大体私は読書の内容はさほど覚えていなくても、それを読んだ場所や状況はかなり鮮やかに記憶している癖があって、例えばユルスナールの「ハドリアヌス帝の回想」などは、何もかもが思い通りにならず失意のどん底にあった頃に英国への旅の途上で読み、記憶にあるのはそのときの陰鬱な気持ちだけである。またシドニー・シェルダンの Master of the Game はイランでイスファハン行きの便が 5 時間も遅れたとき、戦災を逃れた大きな倉庫といった風情のテヘラン空港で時間をつぶすのにもってこいの娯楽本だった。


最も memorable なケースは加賀乙彦の「フランドルの冬」で、これを私はフィリピンのレイテ島にある肥料会社のゲストハウスで読んだ。ホテルも民宿もない村なのでゲストハウスで宿泊せざるを得なかったのだが、最初は立派な普請だったはずのこの建物もすっかり荒れて、シャワーも水よりちょっと温かい液体が出るだけ。一番ヒエーとなったのは壁や天井に張り付いたイモリかヤモリの繁殖ぶりで、そこここにカタカナのキという字が書き散らされているごとくだった。幸い蚊帳らしきものがベッドを囲んでいたので夜中に寝ている私の上にそれらが落ちてくる心配はなかったものの、心静かに読書、などという雰囲気ではなく、しかし他に読み物を持ってきていなかったので、なんと索莫たる熱帯の島で北フランスの精神病院を舞台にした「フランドルの冬」を読むはめになったのだった。


ついでに(話が長くなるが)、朝の弱い私もここでは目覚まし時計は要らなかった。早朝に耳をつんざくようなものすごい声で数羽の鶏が時を告げるのである。会社の人にその声のすさまじさに驚いた旨を話すと、ええ、あれは闘鶏ですから、という。島にはこれという娯楽がなく、闘鶏が唯一のリクリエーションとのことだった。


当初出張先がレイテと聞いて、もちろんレイテ島での戦いのことは知っていたものの、それよりここは例のイメルダ・マルコス夫人の故郷という点が頭にあって、その恩恵でいくらか開発の進んだ地だと思っていたら、とんでもない、その島への空便はなく船便も不定期で、私たちはセブ島からヘリコプターで運ばれたのだった。


そんな劇的な状況で読んだ小説さえもその内容を覚えていないのだから、今を去る 65 年ほども前にのんびりと読んだ「大地」の中身など記憶にあるはずはない。

しかしそれだけに虚心坦懐に、というのも言葉の使い方が可笑しいが、つまり変な先入観は持たずにこの作品に向かい合うことができたのだった。

そもそも、どうして「大地」なのか、それを言いたくてこのブログを書き始めたのに、すっかり話がそれてしまった。


きっかけは四月に読んだ Eric Jones という英・豪の経済学・歴史学の専門家の手になるThe European Miracle(欧州の奇跡)で、その初刊は 80 年代の初めである。(ジョーンズ氏は英国生まれだが、オックスフォードで教えた後に長くオーストラリアの大学で教鞭をとった。)このジョーンズのことを知ったのは、山崎正和の「世界文明史の試み」の中であった。


こちらを読んだのはコロナで日本にいた時期で、その後ドイツに戻ってから「欧州の奇跡」を取り寄せたのだったが、数ページめくっただけでこれまた字の小ささに恐れをなして本棚の隅で埃をかぶっていた。それが、昨年から今年にかけて流離譚とかブッデンブローク家とか、かなり小さな字の分厚い本を読んでも頭痛や眼通に悩まされずに済んだので、それでは、と漸くこのジョーンズの著書を手にとったのである。


英語ならドイツ語よりずっと楽だし、私は愚かにも自分の語彙力はさほど貧しくないと思い込んでいたので、軽い気持ちで読み始めたら、これがもう、むずかしいのなんのって。題名には「欧州の・・・」とあるが、副題は「欧州とアジアの歴史における環境と経済と地政学」となっていて、要するに、当然ながら欧州の歴史を論じようとすればユーラシア大陸(つまり旧大陸)全体に言及せざるをえない。それで構成も 1. ユーラシア、2. ヨーロッパ、3. 世界、4. アジア、5. (再び)ユーラシアと 5 章から成っており、そこから得られる知識も大部分が私には新出で、ということは使われる言葉も未知のものが多く、私の語彙力で太刀打ちできるはずはなかったのである。もう何十年ぶりかに、これはいけない、単語帳を作って覚えなければ、と思ったほどだった。


しかし「欧州の奇跡」が読みづらかった理由はもう一つあって、これはある程度読み進んでから気づいたのだが、ジョーンズさんの文章は長いのにコンマを滅多に使わないのである。さすがにピリオドは普通にある。ところがコンマが無いのでどこで一区切りなのか分からない。それで思い出したのは、丸谷才一の「テンとマル」というエッセイで、この碩学の説によれば昔の日本では句読点は使われなかったそうである。確かに、源氏物語にせよ種々の日記にせよ、タラタラタラと果てもなく書いてゆき、それを読む方が勝手にどこかで一息つく、それが読点だったわけである。明治以降になって「国語」ができたあと句読点を用いるようになったのは、いわば書き手による読み手へのサービスということになる。


どの言語であれ静止していることはあり得ず時代とともに変化するものだが、英語の場合は近年グローバル化や IT の進歩で世界共通語として使われることが劇的に増え、それだけに分かりやすさが第一で、正統な英語に拘る人間はスノッブなどと非難されるという。(まだ英国が EU のメンバーだったころ、ブリュッセルで使われる英語がいつも変なので、英国人が注意するとひどい反感を買ったそうである。その英国が外れて英語圏に属する国はどこもなくなったのに、相変わらず英語は EU の共通語、いわゆるリンガ・フランカで、ますますおかしな英語が幅を利かせているらしい。)


そんなわけで昨今の新聞雑誌の英語など単語は結構難しいこともあるが、文章はあまり長くなく、そして読者へのサービスでコンマやコロンやピリオドはふんだんに使われる。知らないうちに私もそういう英語に慣れてしまっていたらしく、「分からなきゃ読まんでよろしい」風の不親切・不愛想なジョーンズ式英語に手を焼いたわけである。


それにも次第に慣れたが、もう一つこの本の特徴は引用が非常に多い点で、それも昨日今日の学者ばかりでなく古往今来、さらに名前からして中東・アジア出身と分かる専門家に拠っているところも少なくなく、当然日本人の名も出てくる。(この本で、日本が一種特殊な国と見なされている理由は、例のハンティントンの「文明の衝突」の中で「日本文明」がアジアにおいて別途に扱われている根拠と似ている。)


ジョーンズが引用した各国・各時代の専門家の中に Buck という名前があり、これは中国の19 世紀から 20 世紀初め、清朝末期の農村の実態について述べた箇所だった。バック、中国、農村、となると、当然頭に浮かぶのは、かのパール・バックの「大地」である。

調べるとやはり、このバック博士はパール・バックの最初の夫であった(彼女は生涯に三度結婚している)。そしてパールの旧姓が Sydenstricker であることから、ドイツ系アメリカ人と分かり( Sydenstricker は英語風に少し変えられているが、絹の編み物、つまりシルクニットという意味)、夫にその話をすると、パール・バックについても「大地」という小説のことも聞いたことはあるが未だ読んでいないということで、早速注文していた。それはいいが、どうせその本を読むのは私が先になるだろうけれど、しかし原語が英語である小説をドイツ語で読むのも何だかなあ、と思っていたら、英・独の両方が届いたので、大喜びで読み始めたというわけである。(写真は「大地」の原語版で、題は The Good Earth とある。)


こちらは物語なので、英語はやや古い感があったものの 350 頁を 4 日ほどで読み終えた。おお、やればできるじゃないか、とジョーンズ氏の英語で劣等感に打ち沈んでいたのが少し回復したから、我ながらその単純さに呆れてしまう。


上に、65 年近く昔に読んだ本の内容は全く記憶していない、と書いたが、実は一か所だけ、覚えていてそれを英語でどういうのか知りたいと思っていた。まだかなり初めの方で、王龍と結婚した黄家の元奴隷(買われた召使なので日本語の卑女よりも格が下である)のオーランが、ある夕べ、野良仕事を終えて静かに何事でもないような口調で夫に「子供ができました」という。そのシーンが好きだったので、読み始めてすぐそこを探したら、英語は I am with child となっていた。


しかしとにかく大部分は初めて読んだかのように新鮮で、これだけの物語をろくに記憶していないなんて、なんという勿体ないことをしたのだろう、と自分が情けないほどだった。(またもや劣等感である。)


もう一つ、やはり読んでよかったと思ったのは、貧しい農家の風習や中国の暮らしの中に私の子供時代を思い出させる習わしがあったことだ。正月になると、まじないを書いたお札のようなものを竈や農機具や住まいのあちこちに貼るのだが、これは我が家でも母や祖母がやっていたことである。また、元主人の黄家を去るときに、女主人がオーランに「子供が生まれたら連れてくるように」と言い、それをオーランは正月二日に実行する。正月二日は里帰りの日で、本来なら実家に戻るのだが親の無いオーランには実家はないので、主家に子供を見せに行くのである。私が子供の頃も、母やその姉妹は新年の二日に集まるのだった。そしてその集まりは、その低俗さから私にとっては毎年ある種の苦役だった。それに比べれば、オーランの里帰りはよほどすっきりしている。


さらに、生まれた子が男児か女児かによる甚だしい差別も、私の田舎では当たり前のように思われていた。私もそれが当然と思わされ、疑問を呈することは許されなかった。「家」というのは長い間、中国でも日本でも紛れもなく功利的な目的集団だったのだ。その目的に敵わぬ病弱な子や、いずれ他家に「くれてやる」女子など、ほぼ無価値であった。嫁がぬ娘などはもう問題外である。これは全くの個人的感想だが、現在の深刻な少子化は、厭わしいあの時代の復讐のような気がすることがある。近年出産率が世界最低といわれる韓国の、私と同時代の女性たちも、同じように感じているのではないか。


オーランは五度妊娠し、一回は死産だったが、最後に双子を生むので五人の子持ちとなる。そのうち、三度目の妊娠で生まれた子は知的障害を持ち、ところが父親の王龍はこの少女を誰よりも可愛がって、言語に絶する困窮の時期にも、豊かになり老いてのちも、日々の慰めとする。これには感銘を受けると同時に、旱魃・洪水・蝗の大群と天災の頻発するあの貧しい中国で果たして本当にこうだったのだろうか、と訝しかった。というのは私の村では、そういう子どもが生まれるとまるで天の呪いのように言い、生んだ母親の前世の罪に帰されることもあって、その子が死んだときに大人たちが「助かった」「良かったわね」と言っているのを何度か耳にしたことがあるからだ。


福祉制度など皆無で(そもそもまともな国家すらなくて)、どんな重荷も家族だけで耐えるしかなかった時代には、障害児へのその種の反応も無理はなかったかもしれない、と思うものの、そのときに感じた大人たちへの嫌悪感は今も消えない。「母性本能」などというもののうさん臭さも 10 代半ばで思い知らされた。


パール・バック自身が生んだただ一人の子供はやはり障碍児だった。一説には、彼女がバック氏と離婚したのは、彼が子供に愛情を寄せなかったからだというが、本当のところは分からない。結婚歴を見るとそんな単純な話とも思えない。ただ、この点に関して王龍は明らかにパール・バックの理想とする父親像であったろう。最後にオーランに先立たれ第二夫人への関心もなくした王龍が、ひょんなことから愛人とした孫のような年齢の梨花という女性に、自分が死んだら白痴の娘に与えてくれと毒薬を手渡す場面には、「これはあり得る」と納得した。そういう時代だった。


思うことは多々あったが、感想文はこの程度にする。一つ今回の読書から学んだこととして、たとえ 50 年・60 年の昔に読んだものでも、経験を重ね甲羅を経て理解力や感性が深まった老齢期に改めて読み直してみれば、かつてとは比較にならない感慨・感銘が得られるということで、おかげで自分の晩年の楽しみが増えたような気がしている。


 
 
 

2 Comments


hm221002
May 24

「大地」の中で一番印象が強かったのは、おっしゃるように主人公の王龍の土地への愛着でした。


飢饉で村中が飢餓に苦しみ、ついに南へと脱出するのですが、一旦そこから戻ると前にもまして所有地を増やすことに必死になる。言い分は、金や宝石は泥棒に盗まれたりいつの間にか誰かに奪われてしまったりするが、土地は決して盗まれないから、というものでした。


日本でも最近まで土地への執着は強かったと思います。土地持ち=金持ち。そして倫理道徳の上でも、土地に拘り土地を大切にすることは美徳とされた。一生懸命というのは、実は一所懸命が正しい、と教わったことがあります。一つの場所に懸命にすがりつく、他の地には目もくれない。それがまともな生き方のように言われていました。


時代が変わって、田舎でも水田を持っていても何の役にも立たず、耕作することを制限されたりする。米を作ろうなどという人はもういなくて、小作など地主がタダで土地を使ってくれと言っても誰も集まらない。このところ日本では米の値段の高騰が大きな関心事になっているようですが、これは田舎の農業を知っている人から見ると、完全に日本国の農業政策の失敗です。米を買ったことのない人が農林水産大臣になる時代だから、元お百姓さんは誰も驚かないでしょう。


それにしても、人類の誕生以来、農業従事者が恵まれていた時代はどこでもどの時代でも皆無なんですよね。人の命を支える仕事なのに、富とも名声とも、楽な暮らしとも教養・知性とも無縁。今の世の中で穀物を育て野菜を栽培することを自分の職業としよう、などという人がいたら、それこそ特別の報酬・褒賞を与えたいくらい。


これでよいはずはない、本格的な農業改革が必要ではないかとずっと思っていました。


「大地」の第一巻の終わり(これは三部作なので)では、長男と次男が土地を売る相談をしているのを耳にした王龍が狂ったように「それはどうか、止めてくれ」と叫ぶ。息子たちは驚いて、「そんなことはしませんよ、お父さん」と言いながら、互いににやりと笑う。

他に身過ぎ世過ぎの道がみつかれば、真っ先に止めたいのが農業、それは日本でも中国でも、他の国でも同じです。


それにしても、どうなるんでしょうねえ、コメ不足。ここで米作りのための八十八の手間を子供らに教えても、分かってもらえるかどうか。

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大村繁
May 23

何億年と積み重なった地層は表面に近くなるほど生物の死骸が多いわけで、肥沃なんだろうなとぼんやり考えています。


土地に対する思い込みも、土壌とは遠く離れて平らな地面としての価値にしか興味がなくなってますね、都市に住む人間、、というか僕。


頑張ってイメージを膨らませても、用途としての耕作地。


そんなふうにしか土地を捉えられない僕の土地に対するイメージの貧困さに我ながら呆れてしまいます。


地表に張り付いて、皮相的に生息するキ印のヤモリのような気がしてきました。根無し草の気分。


ご見聞の広さが時代をも掘り下げて比較できるびすこさん、、読書の深読みの興味は尽きませんね…うらやましいです。

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