風信 沼のほとりから 第71号 令和八年一月 睦月
- クレマチス

- 1月30日
- 読了時間: 1分
「寒中お見舞い申し上げます。
船橋の長男のところの小学1年生の男の子のクラスが風邪で学級閉鎖になり、1日その子と過ごす機会ができました。
共働きの夫婦で急だったので、まだ1人で留守番できないというので応援に出かけました。近所の公園でボール遊びなどしていたら近くのお宅の庭の側溝に水仙がもう咲いていました。」

「わが庭の水仙は例年より貧相な咲きぶりで主の現況そのままのようで苦笑しています。脚力が衰えて歩けず開講したオープンカレッジもやむなく欠席しています。源氏物語受講も宇治十帖で中断しそうで残念です。想起すれば大野晋先生に学び初めてより三十年近くになります。それだけの長い時間をかけても終わらない読書行為の個人的な意義を改めて考えています。大洋に浮かぶ大古典の巨大な船影の輪郭だけでもわが目で捕捉できたなら悔いは無いのですが。さて「沼のほとり」から」1月号を別紙ファイルで送ります。どうぞ宜しく。寒中くれぐれも御自愛ください。」




《びすこさんの代理投稿です》
正月も終わり、今日は立春です。クレマチスさん、さきほどはありがとうございました。ブログは昨年の夏以来何も書いておらず、種がないわけではないのですが、秋の帰国などで身辺が少し慌ただしかったものですから。
春硯さま、源氏物語に30年も親しんでこられたなんて、まことに羨ましく、同時に自分の無教養を恥ずかしく思っています。何も源氏物語だけが教養に繋がるわけではないでしょうが、実は昨年末来、日本から持ってきたドナルド・キーンの「百代の過客」を読んでおりまして(一回目は飛ばし読みでしたので今読み直している所です)、そこで紹介されている円仁から江戸時代(明治維新直前)の下田日記までの日記の大半は私が題名も著者も耳にしたことのないものが多く、無論時代背景にも疎くそのためしょっちゅう日本史を調べることになり、それも今回の読書が遅々として進まぬ理由です。
室町時代の日記について叙した「住吉詣」の章には次のように書かれています。
<川端康成は彼の小説「東海道」の中で、義詮の時代よりはもう少し後のことについて書きながら次のように言明している。「『源氏物語』を読まなくては、室町時代の文化はほとんど理解できないと言われるほどで、松月庵正徹も義政に源氏の講義をしたし、将軍義尚も実際に『源氏』の講義を指せたし、結局『源氏物語』が足利幕府を衰亡させたと思へぬこともないのだった。」>
幕府を滅ぼすほどの力のある文学!! いったいそんな文学が、ほかに世界のどこにあるでしょうか。そしてこの日本で、それに匹敵する文学作品が再び生まれる可能性はあるのでしょうか。
※輪飾りや井戸物置も玉の年
輪飾りが井戸や物置にちょいとかけられて新春を迎える気持ちめでたし
※実千両雨に洗われ色新た
濡れていよよ光るたくさんの紅の宝玉は見とれてしまいますよね
※青空がいちばん似合ふ花臘梅
寒いこの時期に、可憐ではあるけれど、しっかりしたつくりのこの花は青空をバックにしてこそ風景が収まりますね
※冬紅葉脱ぎ捨てるごと花芽かな
そう、芽吹きはひそやかなのに、あたりの空気を払いますね、芽吹きは冬紅葉の決断がふさわしい
※枯れ庭を花臘梅がひとり占め
目立つのに遠慮はいらない、、季節の先取りは早い者勝ち
※大寒やこらへかねて嚔でる
じっとしているから寒くなる…くしゃみをしてから当たり前のことに気がつく。体は正直、あはは
私事の身辺の急変も、この年になっては、静かに受け止めざるを得ません。観念したり、なにをと頑張って気を奮い立たせてみたりするものの…まぁなるようにしかなるまいと、いつもの結論に達します
春硯さんの新春のお気持ちのままの自然体が快いです、今回も楽しませていただきました。ありがとうございました。