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風信 沼のほとりから 第62号 令和七年 卯月



「大阪・関西万博の傷だらけの開幕。前回はアジア初とか復活日本のデビューで国中で盛り上がったが今やワンオブゼムの国際イベントという感じ。それだけ成熟した大国に日本はなったと思いたいがアメリカ依存から脱却できないかぎりとても大国とはいえない。インディアンから略奪し黒人奴隷を搾取して建国したアメリカンスピリットの独善的本性をそのまま再現したかに見えるトランプ旋風の行方が気になる今日この頃、世界に五月晴れの到来が果たしてあるのか。ひょっとしたらトランプの蛮力が効を奏するかもという万一を期待する気もあったりして苦笑しています。・・・」

 
 
 

4 Comments


hm221002
Apr 21

鳥籠と新聞と「老」の句で思い出したこと。シンガポールに行った時、木の枝に鳥籠を吊るして囀りを聞きながらお茶を飲んでいるご老人たちの姿を見かけました。当時シンガポールに住んでいた親戚の話では、鳥を飼うのは年取った中国系の人たちの何よりの楽しみということでしたが、先ごろ「外地生まれ」の作家の古いエッセイを読んでいたら、満州でも吊るした鳥籠の下で集う老人は多く、その作家自身が老いの境地に差し掛かったとき昔の光景を思い出して、あんなふうに過ごしたいと懐かしむようになったとのことでした。


これら満州や台湾や朝鮮で生まれ、あるいは幼少時を過ごした経験を持つ人々は、その多くが1920年代の生まれで(これらの国が日本の植民地だった時代ですから)、今はもう直接に話を聞くこともむずかしくなってしまいました。当時の世界情勢を考えても日本という国の大恥を晒した時代とも言えますが、今は亡き作家や芸術家の外地での思い出話にノスタルジーを感じるのは、何よりもそこに登場する現地の人たちの優しさのためです。


さて、今回源氏物語や女性の作家たちの活躍に触れておられますが、ここでちょっと面白い例をご紹介したいと思います。


昨年の帰国時に東京から甥とその娘たちが郷里の私の家に遊びに来て、その娘の一人がもうひどいお転婆で勉強嫌い・本嫌いなので、「Sちゃん、文学の素養などゼロみたいね」と笑ったのですが、甥が「文学っていえば、あのイザベラが日本の古典についての本なんか出して、今や有名人なんだよ」というのでびっくり。


イタリア人のイザベラは甥の元カノで、彼女の最初の短期留学のときに知り合ってヨーロッパでデートしたりしていましたが、その後本格的に日本の大学院で勉強を始め、社会人となった甥と7,8年一緒に暮らしていました。自分の生活費は翻訳で稼いでおり、私が翻訳のエージェントを経営していたことから甥が会ってやってくれというので一緒に食事するなどして話してみると、イタリア人とは思えない(?)真面目で地に着いた勉強家でした。


そのうち若い二人は長すぎた春(時代を感じさせる表現!)に終止符を打ち、甥は別の女性と結婚して父親になりましたが、今でも交信はあるらしく、別れたガールフレンドの自慢というのもいかにも現代的で面白いと話に耳を傾けていました。


そのあとネットでもっと詳しく知ろうとして、苗字を覚えていなかったので「イザベラ源氏物語」と入力するとすぐ出てきて、あらまあ、本当に有名人なんだ、ともう一度びっくり。


外国人の若い女性が解説する日本の古典・・・そういう時代になったのですね

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大村繁
Apr 28
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イタリア人が解説してくれる平安時代の女性群像なんですね、、美人で才女、恐れ入りました❣️

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大村繁
Apr 20

※どの花も日差しに微笑春の庭


黄色いたんぽぽは、日を浴びて微笑んでいるとしか見えません。ところを得て花開けた喜び、、そういえばどの花も微笑んでいたっけ。


※鳥籠と新聞を読む老いの春

時間が来れば食事を給餌してくれるお人は彼または彼女にとっても安住の風景


※日曜日無人の校庭花吹雪

人の気配のない殺風景な校庭は無人ゆえにめくるめく花びらの舞い際立ちますね


※枝垂れ桃傘に見立てて野点かな

偶然の借景に寄り添うように我が身をおけばその長閑さこそおもてなし。


※春場所勝って大関仁王立ち

有無を言わさぬ仁王様が宿った瞬間ですね


※大仏と筑波をへだて遠霞

俗世間を見守るが如き大仏と筑波、遠霞は

ため息か


今回も僕の勝手な想像でたっぷり楽しませていただきました。

知ってるはずの春なのに、やはり去年の春とは違う感懐あります。年々日々新しい春硯さんの俳句また楽しみにお待ちしています。よろしくお願いいたします。


 

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