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執筆者の写真クレマチス

風信 沼のほとりから 第56号 令和六年神無月

夜寒の季節になりました。相変わらずご多忙のことと思います。総選挙・米大統領選の行方も気がかりですが、北朝鮮兵士のロシア派遣の報は衝撃的でした。先のプーチン・金会談の内容の一つはロシアの人海戦術への派兵だった。独裁者の采配の一振りで本来無縁の戦争へ狩り出される青年達の苛酷な運命に心が痛みます。中国も同じ轍を履まないか心配です。ウクライナ、ガザといったん戦火が燃えると拡大への一途しかない現実にホモサピエンスの度しがたい暗愚を痛感します。選挙をまえに不戦の日本憲法の意味をあらためて思う近頃です。」


冒頭の印象的な句の作者はこの風信で初めて知りました。上村占魚(本名:武喜、1920-1996)は人吉出身の俳人、中学のときに俳句を始め、東京芸術大学の前身である東京美術学校で漆芸を学びつつ、「ホトトギス」へ投句をはじめ、高浜虚子や松本たかしに師事しました。俳号は球磨川の鮎に因んだということです。以下のウェブサイトを参照しました。


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1 Comment


朝明けを水鏡にして沼の秋 (おおらかに平かに厳かにやすやすと朝焼けを移しとって見せてくれる見慣れた沼の今年の秋ですね…僕もそこに立ち会えた気がします) 垣根越し声ありて庭の柿賜る (棚からぼたもちならぬ柿、甘い香り、ほっとするお互いの息災を柿がとりもつ) 秋さびし郵便受けに訃報あり (訃報は寒さとともにやってくる、それを秋に紛らすだれかのなにかのせめてもの慰めを感じます) 末枯れの庭に気を吐く彼岸花 (白昼の花火のような炎のような舌に見えてきました彼岸花、虚を突かれ目をひらかれた心地です) 敬老日杖の代わりにカート曳く (転ばぬ先の杖よりはカートの方が頼りになります。そこのけそこのけカートが通る、体の一部になるまで、街の風景になるまで) 苦瓜や命の果ての般若の面 (これは身につまされます。木炭で自画像を描くとき、自分の顔ではあるのですが他人の顔のように感じながら紙に少しずつ木炭を置くようにして形をとっていきます…それは尽きない興味です。古びてゆく、枯れてゆくことへの興味です。 母は言っていました…歳をとると怖い顔になるね…まさにさらりと春硯さんは時の流れを一句で言い切ってくださいました。 おかげさまで良い朝の目覚めとなりました…いつもありがとうございます♪

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