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執筆者の写真クレマチス

風信 沼のほとりから 第55号 令和六年長月

「・・・炎暑は山を越したようですが残暑は厳しいとの予報にゲンナリしています。しかし熱砂の地中海東岸の無惨な戦禍を思えば天災はあるが平和な日本に住む有り難さを感謝すべきでしょう。それにしても世界も国内も何処を向いても我利我利亡者とダブルスタンダードの横行には腹が立ちます。無惨な人新世の序幕ですが我が余生の残り少ないことを幸いとすべきかも。しかし子孫を思うとそうもいえません。・・・」



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※雲高き沖へ出船や浦の秋 高い雲に誘われるように導かれる船と浦を望む視点が清澄な季節に収束していくような好い気分です ※月見客雲影切れてハイタッチ 年中行事のイベントを今更思い出したように名月を望むにわか風流人にはハイタッチが確かに似合います😉 ※石垣の狭間に葉群茗荷摘む 葉群に紛れて目立たぬ茗荷の自然の恵みのさりげなさにほっとしました ※学らんとセーラー服の夏昭和かな これは確かな昭和ですね、、でもなんでだろう、、夏でも乱れない規律を旨として選んだセーラー服と学生服がしっかり定着したのが昭和だった、、当てずっぽうです ※稲の香や谷津田の風道息吹く夜 稲の香と聞けばその息吹が風に乗って嗅覚の鈍い僕にも伝わって参りました ※恙なく老いて今年の秋刀魚焼く 恙なく歳を重ねる、結構力仕事だなぁと思っています。ここに至るご心境にぴったりのめでたき秋刀魚、秋刀魚も面目躍如といったところではないでしょうか 名画を一覧したようなぜいたくな気分味わえました、、春硯さんには誠に誠に失礼な押しかけひいき客ですが、、堪能させていただきました…今月も楽しみにしております、どうぞよろしくお願いいたします😌

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今月の風信では6月に逝去された野口武彦さんのことに触れられていて、出版社時代の春硯さんの懐かしいエピソードが披露されています。私は部署がちがっていたので初耳ですが、あまりに同時代の野口さんからすれば周辺ですが身近に感じていた存在でしたから、一挙に1980年頃にタイムスリップして当時の記憶がよみがえりました。一つは春硯さんが飲み明かしたという新宿の呑み屋で、番衆町の風紋近くのたぶん今はなくなった H という小さな店のことだと思いますが、この店は文学好きの女将の贔屓の C 書房やK書房など出版関係者のたまり場で、野口さんは女将のお気に入りで話題が盛り上がったときによく評判を耳にしました。

もう一つは『江戸の歴史家』でサントリー学芸賞を受賞した1980年ころだと思いますが、当時私はプルーストの「失われた時を求めて」の個人全訳に取り組んでおられた井上究一郎先生の成城学園のお宅をお訪ねしたとき、ふと野口武彦さんの話題になって、「よくできる方でしたよ」と東大大学院時代の思い出を語っておられたのを鮮明に覚えています。年譜を調べてみると井上先生が東大仏文科の主任教授に就任されたのが 1964 年ですから、野口さんが東大に入学しなおして井上先生のフランス文学を受講していた頃の回想だと思います。井上先生は苦労して東大の主任教授に就いた方で、学術上の仕事には厳しく東大の後輩やアカデミズムの関係者の業績でほめることの滅多にない先生だったので記憶に残ったのだと思います。

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