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執筆者の写真クレマチス

風信 沼のほとりから 第50号 令和六年卯月

「沼のほとりから」も50号となりました。風信は何かと話題を提供した静岡県の川勝平太知事の記事ですが、1948年大阪生まれで、アカデミズムの世界から政治家となった軌跡は私にとっても、同時代の著名人のなかでも最も身近に感じる人物の一人でした。今回の失言問題の経緯については、辞職時の心境について細川ガラシヤの辞世の句「散りぬべき 時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ」を引いたとウィキペディアに詳しく紹介されています。

春硯句帖は春の花と彼岸を遠望する色彩豊かな句が目立っています。




閲覧数:47回2件のコメント

2 Comments


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Apr 24

50号というのは一つの節目ですね。さらに100号まで(もちろんその後も)どうぞお元気で。

そういえば、先ごろ目にした小林一茶の俳句に

・是からも未だ幾かへりまつの花

と言うのがあって、驚きました。誰かの米寿記念に詠んだ句のようですが、なるほど、英語で「お誕生日おめでとう」というのをMany happy returnsと言うけど、日本語でそれが「幾かへり」なのかと、全くの偶然の一致に感興を覚えました。


川勝平太氏の失言の件ですが、私は今に至るまで「野菜を売ったり牛の世話をしたり物を造る」人々の中で暮らしていますので、憤慨はひとしおでした。しかも「・・・と違って」と言う言葉に差別(蔑視を込めた)は明らかなのに、それを差別ではないと言い張る頑迷さ。


ドイツ語にはSchöngeist(シェーンガイスト)という言葉があります。文字通りには「美しい精神」ということになりますが、実際は、日々の現実に目を向けず、文芸だの論理だの一見高尚そうなことばかりに関心を持つ人間、という意味のやや侮蔑的な言葉で「ディレッタント」とされることも。ドイツの昨今の政治家も「美しさ」に憧れる点は同じで、シェーンガイストでは政治家商売は張っていけない、と言うことを忘れているらしい。


こちらはサクラはもちろん菜の花も終わりタンポポも大部分しおれて、暮れの春、というのは早春と違ってなんとなく力がないような。それだけに老齢の身には親近感を誘います。日本はそろそろゴールデンウィーク、こちらも5月はキリスト教の祭日その他で連休の多い月です。


以前その連休時に、建設現場を通りかかって浮かんだ句があります。むろん建設作業もお休みで、現場のそばのプレハブの家で、バルカン諸国からと思われる労働者が所在なさげにしていました。


・時淀む仮の住まいの三連休

(三連休は秋にもあるので季語にはならないでしょうけれど。)


自然災害に見舞われ仮設住宅での暮らしを余儀なくされている日本の人々も、長いお休みには同じ気持ちなのではないかと思いました。


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※紙花に菜の花添へて彼岸かな 菜の花が柔らかな紙の花に寄りそえば故人もまたその仕草を喜んでくれましょう ※春の沼越えて地平へ着陸機 遥かな地平は巨大な翼をも点景に収束してくれます、立ち会えた気分を味わえました ※安達太良に石楠花咲くやわが庭も 遠く近くの石楠花がなじみの山の風景とともに庭にも咲いている幸せを感じます ※春疾風恩師のごとく叱咤せり 春なのに吹き飛ばされそうな強風に身を固くして、はっと我に返ってよぎるのは恩師の面影、我が身への応援の声がする ※わが墓地の眼下に花の大古墳 地続きの安息地ですか…眠っていても花が季節を教えてくれますね ※ひとの世は無数の別れ桜散る 別れて始まるつながりもありますね、、無情もあればそれを補う有情もある、まるで地層のようです 今回は供養をおろそかにしている僕はちょっとおろおろしましたが、いろいろなつながり方があって良い、、と強引に収めることにします。 春硯さん春に50号!ですよ 次号のスタートの号砲に聞こえました、元気が出ました…ありがとうございました❣️

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