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執筆者の写真クレマチス

風信 沼のほとりから 第47号 睦月

新年も早や中旬、冬至から数えて三週になり日脚の伸びを愛するインコと日向ぼっこしながら実感しています。我が狭庭に土竜が跳梁し折角植えたチューリップの球根が食べられたとの愚妻の嘆きに、土竜忌避剤を購入して対処しましたが、はたして効果は如何に? 

今臘梅、冬椿、水仙、千両などが蕭条たる景色に色を添えていますが、大兄の庭にも春色が兆していることと思います。でも厳冬はこれから。如月の烈寒を乗り切ってこその春色と気を引き締めています。・・・」(メールから)

元旦に襲った能登大地震とそれに関連した羽田の飛行機事故、東京は穏やかな晴天でしたが、被災地も事故の実態もなかなか伝わってこない不安に覆われた辰年らしい年明けでした。春硯さんからの風信は、森澄雄の句を材料に、今在ることの奇跡と幸運を、また俳句の面白さについて、深い内容を法話のように平易に語っておられます。

句帖はすべてお正月の句で、淑気、初茜、初鴉、末枯れてと、新春を身近なものと結び合わせて寿ぐ日本語の美しさ、過不足なく17語に凝縮する俳句の面白さをおしえていただきました。



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3 Comments


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Jan 18

震度7という大地震で明けた波乱万丈の1年を予想させる日本のお正月でしたが、私の方も、年末から不調を訴えていた義兄が松の内の5日に肺炎で帰らぬ人となり、今週初めの葬儀まで田舎と自宅を往復することが重なってコメントが遅れました。今年もどうぞよろしくお願い致します。


夫は辰年生まれ、年男です。彼の父親がウクライナの戦場で斃れた時、長女は6歳、長男は4歳、次男2歳でした。三人の子を独りで育てた母親が51年前に逝ったときには、子供たちは全員が30代。親との縁が薄かった分、兄弟姉妹の仲は密でしょっちゅう喧嘩したり愚痴ったりときには罵ったりしながら、全員が何とか八十路に辿り着いたあと、義姉が脳梗塞を経験するなどそれなりの老後となりましたが、末っ子の夫がよく面倒を見ていました。


今回の風信でご紹介くださった森澄雄という俳人について、私は皆目知識がありませんでした。実南天が季語の句。日本の家では南天はありふれた植物で、種が飛んでどんどん繁殖するのでその苗を引くのが面倒なのですが、欧州にはないので懐かしく思っていたら、昨今はこれを庭に植える欧州人が増えガーデンセンターでも人気を呼んでいます。一方で俳句への西洋人の関心も高まっているのですが、彼らが南天を詠んだ句を生むまでにどれほどの歳月が必要だろう、などと考えてしまいました。


新年の風物詩といえば初釜もその一つ、若いお嬢さんから中高年までの女性が一同に会して妍を競う風景が思い浮かびます。でも私はときに互いの着ている物を品定めするような同性の眼差しが嫌いで、着物に対して強い反感がありました。それで成人式や謝恩会の振袖も固く拒んで、呉服屋を呼んで母が誂えた和服を敢えて無視し続けていました。その母が逝ってのち、箪笥からそれらを取り出して眺めた時の感懐です。


・畳紙(たとうし)に母が記せし我が名まえ袖通されず衣は古りぬ

・ひんやりと糸も取られぬ晴れ着手に頑ななりし若き日を思ふ


写真は、農業専門学校の生物学の教師だった義兄が丹精していた庭の灌木の一つです。ドイツ語ではKolkwitzieと言い英語ではbeauty bushと呼ばれますが、日本語は分かりません。ただ、花はタニウツギによく似ていますので日本にもあるはずです。惜しむらくは、義兄の妻が情緒も審美眼もなく金品にしか興味を示さない人なので、主亡きあとこの木が庭から消えるのも時間の問題と思われます。



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ビューティーブッシュ、、偉そうの名前ですが写真を見れば納得できますねその一方で簡単には味わえない歌、、あ、これ和服の気持ちです 春硯さんが、俳句は引き算の文学だ、と今回の風信で触れられていますが、、図らずも、たたみ込む歌と対比することになり、勉強になりました 袖を通されない和服の想い、、ご本人はもとよりご家族の想いもそれぞれのままに流れた歳月、まっさらなままに今もたとう紙に包まれた、しつけ糸のままの和服がお歌になった、、と思えばそれは長い長い物語り。

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天の原静もる沼に淑気満つ 淑気、新春の季語なんですね、うーん、、淑気かぁ、、 新春は他の季節の変わり目とは違う、誰だってきっとその日までの来しかたに上書きできるものならしたいその日、その日から366日目にまた出会えることを夢見て目標にする、みんなきっとそうしてきたんですね。 卒寿の苔むす身にも初湯かな 初湯が、刻まれた心身の襞をくまなく満たし癒してくれますね、初湯が嬉しいのは産湯を思い出すからかな、なんちゃって。 悪声のどこか愛らし初烏 漆黒の烏が美声であったらそれこそ意外、あばたもえくぼ、春硯さんの見守りにきっと烏なりの応答に違いない 初茜起きし気配の河童たち あたりを払う年の初めの茜の光に背を向けるわけにはいかぬ、河童といえどもバチ当たる、いやいや目覚める河童かな 眼裏に面影浮かべひとり屠蘇 送る人も送られる人も一緒に屠蘇を味わう気分に彼岸此岸陶然、送られる人の幸せを感じます 松過ぎぬ雑煮の水菜末枯れて 松が取れた一抹の寂しさ、一抹の寂しさでは済まない想い、それぞれの複雑な想いのままに日常をこなしていく、ときには何もなかったような顔をして…人の世の常、、生意気言ってすいません。 前号の風信からあっという間の47号、個人的にはそんな1ヵ月でした、そのように感じられるのも風信は僕にとって確かな里程標となっているからだと思います…ありがとうございます♪

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