クレマチス2023年1月21日読了時間: 1分風信 沼のほとりから 第35号 令和五年睦月新年最初の風信です。春硯さんの記事に触れられている食料自給率の向上のための昆虫食に対する関心の高まりで、私の近くのスーパーにもアサリやオキアミの佃煮と同じ棚にコオロギの佃煮が並んでいたので、暮れの年越用の保存食品として買ってみたら、白いご飯にはよく合うので梅干しやシイタケ昆布とともに食卓に置いて時々食べるようになりました。句帖は穏やかだった年始のお天気を反映して、手賀沼周辺の風物と日常を静かに詠み込んだ平易で心温まる 6 句です。最後の句は特に年頭の句として余韻が残りました。
新年最初の風信です。春硯さんの記事に触れられている食料自給率の向上のための昆虫食に対する関心の高まりで、私の近くのスーパーにもアサリやオキアミの佃煮と同じ棚にコオロギの佃煮が並んでいたので、暮れの年越用の保存食品として買ってみたら、白いご飯にはよく合うので梅干しやシイタケ昆布とともに食卓に置いて時々食べるようになりました。句帖は穏やかだった年始のお天気を反映して、手賀沼周辺の風物と日常を静かに詠み込んだ平易で心温まる 6 句です。最後の句は特に年頭の句として余韻が残りました。
先日こちらのテレビでロベルト・コッホとルイ・パスツールの細菌学者としてのライバル関係についての番組があり、二人が互いに競争意識を持って切磋琢磨したことが医学の進歩をもたらした、という話がありました。(私が見たのは最後の方でしたが。)
それで以前にパスツールと昆虫学者ジャン・アンリ・ファーブルとのエピソードみたいなのを読んだことを思い出してウィキを見てみると、蚕の病原体の研究を始めたパスツールが虫について教えを乞うためファーブルのもとを訪ねた話がありました。ということで、ファーブルの話になります。
この昆虫学者は自国ではさほど有名ではなく、今はその業績はもちろん名を知る人さえ稀だそうで、日本は例外なのだそうです。そういえば、子供の頃に父親がしきりにファーブルの話をしていて、息子に彼の伝記を買ってやろうと思ったのに無かったと言っていました(なぜ息子なのか、娘じゃダメなんでしょうか、と言いたいところ)。
一般に昆虫への関心は欧米ではさほどでもないようですね。まず種類が少ない。日本より寒いところが多いせいか、多様性に欠ける。中欧・西欧には蝉はいないので、本来はギリシアで蟻と蝉の話だった寓話がいつの間にか蟻とキリギリスになっている。蜻蛉も中・西欧には滅多にいませんし、いても何だか気持ちの悪い、国によっては不吉な昆虫とされたようです。蝶々も少なくて、私はドイツでもフランスでも揚羽蝶を見たことがありません。ファーブルは南仏の人なので、パリなどのフランス人と異なり、いろんな昆虫を目にする機会があったのだと思います。
日本や南仏にいろんな昆虫がいるのは、これは私の勝手な説ですが、植物の多様性とも関係していると思います。(そして植物の多様性は無論気候に左右され、ギリシア・南欧には昆虫の好む植物、というより植物の種類そのものが少なく、つまり緑があまりないので、昆虫も繁殖しないのではないでしょうか。)
日本の植生が欧米に比して遥かに豊かであることは、ガーデニングの好きな英国人やドイツ人から聞かされています。その昆虫を装飾のモチーフにしているのが日本人で、アールヌーボーの有機的な模様に虫が使われ始めたのは日本の工芸からの影響だと思われます。
なんたって、日本は秋津洲、蜻蛉の国ですから。
春を待つ沼の葦原群れ雀 雀が少なくなったなぁと最近感じています、もともと小さな雀が冬はもっと小さく見えます、見守るまなざし伝わって参ります。 鳥籠にインコまどろみ冬日和 インコのまどろみに、この季節の陽射しのありがたみおすそ分けしていただきました、、今年最初の春硯さんのお便り、楽しませていただきましたありがとうございます。
田辺聖子さんの書いた本に、長野県戸隠近辺の宿で佃煮風に煮たザザムシが夕食に出た話があります。おかみさんが清流に住む生物だからきれいだと説明したそうで、ウィキを見ると「清流に住むカワゲラ、トビケラ等の水生昆虫の幼虫を食用とする(昆虫食)時の総称」とありました。ご馳走の中にハチの子もあったようです。長野県は内陸なので、これらは重要な蛋白源だったのでしょう。
今日いちまるさんと蜆の話もしましたが、私の子供の頃は小川で蜆を採って売っている子もいました。貧しい時代だったので、少しでも家計の足しに、という健気な思いからでしょう。タニシもいましたっけ。これはよく茹でれば大丈夫。
我が家の前の水路ではウナギも採れました。これ、ウナギ筒と呼ばれる、竹で作った昔の蛇籠を細長くしたようなものを川底に沈めたり、川岸の石の間に差し込んでおくと、ウナギが入って出られなくなる。自分ではやりませんが、いたずら小僧たちの様子を見ていました。
鳥籠とインコの話。一昨年夏に急死した夫の会社の従業員の未亡人を年明けに訪ねました。年末に会社のクリスマスプレゼントを届けたかったのですが、彼女も忙しくなかなか時間が取れなかったので。一昨年末に続き二度目の訪問で、部屋の隅で緑の小鳥2羽(姉妹)が今回も元気に暮らしていました。子供のない夫婦だったので「彼女たちが私の子供です」と言っていました。Katharinasittich(カタリナジッティヒ)というそうで、調べたら日本語でサザナミインコとありました。穏やかな性格で二羽が仲良く寄り添って、妹を亡くした私には羨ましい光景でした。