「年々酷暑の度が上がって、今年は梅雨明けが早く、その頃から炎帝威高々で真夏日続きでした。小生など足の衰えも加わって炎熱を恐れ連日籠居の有様です。…
たまには神田方面にも出かけますか。神保町も三省堂が改築とか、我々の息した町とは大きく変わることでしょう。気象も時代も街も変わりゆくのは必然なのに感慨を禁じ得ないのは個々の思い出が密着している故でありましょう。
昔の筑摩書房と神田界隈が思い浮かびます。自分が過ぎ去った時代と世界の住人であることをしみじみ実感します。まだまだ酷暑は続きます。どうかくれぐれも御自愛を。…
どうぞ大村さんとびすこさんによろしく御鶴声ください。」(メールから)
今月の句帖はすべて、挽歌1首を含む、霊魂にかかわりのある句ばかりです。ほおずきに「鬼灯」の字を当てるのは、「日本の仏教習俗であるお盆では、ガクに包まれたホオズキの果実を死者の霊を導く提灯に見立て、枝付きで精霊棚に飾る。」(ウィキペディア)
漢字表記を減らすのは韓国の国の方針なんでしょうけれども…漢字に親しんだ高齢者の方たちは迷惑しているだろうと思いました。ハングルは子音の数が多いから聞き間違いは少ないのかもしれませんが…春硯さんのご指摘で気がついたのですが…日本語の文字の豊かさに今更ながらびっくりしますね、俳句のかな文字の優美なこと、外来語なんてカタカナ表示でお茶の子さいさい、漢字の造語力応用し概念を言い表す言葉を発明し本家本元へ逆輸出、極め付けは、千年前!の女性文学に見られる日本語の一貫性をしみじみ感じました。 魂の長蛇の列や走馬灯 送り火の消えて静寂に虫の声 お盆も墓参りも、おろそかにしがちな僕ですが…しみじみと身に染みる俳句を拝見しながら送り火につながる長蛇の列が目に浮かんだところを見ると…やはり日本人なのかなぁと思いました、実際に神様や仏様には苦しいときの神仏頼み以外親しみはありませんが祖先への連なりは今更ながら身近なのにはっとします 30号!毎回楽しみにさせていただいてます♪
八月もあと1日を残すところとなりました。日本の国民の多くが亡き人を思う月ですね。
もう10年ほども前ですが、インターネットで
・ラジオより「黙祷」の声は流れ 死者との距離の近き八月
という歌を見て胸を突かれました。作者は多分一般にはほとんど知られてない女性で、調べたところ地方新聞の記者とのことでした。
盆という行事に関わる様々な風習を私は美しいと思います。この感慨は外国に長く住めば住むほど深まります。ときどき外国の知識人が哲学的あるいはキリスト教という宗教的な観点から、何となく日本人の死生観を小馬鹿にするような発言をしたり、死後の世界や先祖に思いを馳せる人々の思考形式に批判がましいコメントをしたりしますが、私は欧米の白人文化にない「追悼」とか「哀惜」の念を日本文化の宝だと思っています。
「使い捨て文化」の発祥の地(?)である欧米では、物でも人でも、ある程度付き合ったらお終いで、「はい次、はい次」という生き方を見るにつけても、ちょっと罰が当たればいいとすら思う昨今です。
目下の戦争や疫病はそれを根本的に見直す機会だと思うのですが、こちらの人々には「省察」とか「内省」なんてカビの生えた言葉のようで、好きなのは派手な「闘争」(これ、ヒトラーも好きでしたよね)。結局何度争っても、疫病が何年続いても、人々の精神構造は変わることがないように思えます。