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執筆者の写真クレマチス

風信 沼のほとりから 第28号 令和四年水無月

「…私は毎週、松戸のオープンカレッジで源氏物語を受講していますが、教室が 14 階という高さで、窓からは江戸川の向こうに大兄の住む葛飾区が遠望できます。最近は東京も遠くなりましたが昔は金町の碁会所でよく打ったものです。柴又も道路拡張などで街の風景も変わると聞きますが、ブログの写真は貴重なものになるかも知れませんね。…」(クレマチス宛のメールから)



閲覧数:22回3件のコメント

3 comentários


hmdhonau
23 de jun. de 2022

あ、方言の話なら任せといてください(としゃしゃり出る)。先日、高知の方言である「だだくさな」という形容詞がインターネットで紹介されているかなと探してびっくり。出てきたのですが、それが「石川県の方言」となっているのです。意味は同じ、いい加減で、だらしなくて、粗雑なこと。京都を中心に同心円の輪の上にある地域は方言が似ている、と聞いていますが、当っていますね。あと高知では似たような意味で「だきな」という言葉も。


ちょっと気に入っている表現は「たれもつうちゅう」、垂れ縺れている、つまり混乱の極みで収拾がつかない、という意味で「お姑さんは認知症、親父さんは飲み過ぎで肝臓こわし、息子はギャンブルで借銭まみれ、あの家はもう、たれもつうちゅう」となります。


方言も変化するのでいつの間にか消える言葉もあり、そういう変化の中にいなければ昔の言葉が残るのは世界中同じで、例えばブラジルのサンタ・カタリナ州のBlumenau(ドイツ語の発音ではブルーメナオ)という町、ここは1850年以降にわが夫の故郷から大勢の移民が押し寄せたところなのですが、ここのドイツ系ブラジル人が夫の会社を訪ねて来た時、今ではほとんど聞くことなない方言を話すと夫は驚いていました。


私も45年ほど前にパラグアイからの研修生を世話したことがあるのですが、偶然にも彼の両親が高知からの移民で土佐弁しか話せない。一応日本語なのでその日本語で(かなり自信ありげに)企業の人に質問すると、それがほとんど通じず、私が土佐弁と標準語の通訳をしたことがありました。かくいう私も、帰国すると郷里の人たちに「そんな古い言葉、50年ぶりに聞いた」などと言われる始末です。


犀川――金沢のその川の近くに友人が住んでいます。室生犀星の名もこの川に因むとか。石川県の人は加賀百万石の昔が忘れられず、ものすごくプライドが高いそうで、土佐弁と似ているなんて言われると侮辱されたと感じるかもしれません。友人の住んでいるのは尾張町で、ここはかつて尾張のお姫様が前田家にお嫁入りした際、その家来や女中たちが住んだ場所だと説明されました。尾張は御三家の一つだけど、あまり上品な印象はありませんね。

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クレマチス
クレマチス
23 de jun. de 2022

今月はめずらしく春硯さんがメールに近況を漏らしてくださいましたので、コメント欄に感想を書かせていただきます。風信には方言の美しさ、表現の豊かさを実例で示していただきました。私も地方出身で東京生活のほうが長くなりましたが、最近とみに老化がすすんで、ボヤキや悪態の独り言が無意識のうちに口をついて出ます。それらはすべて関西弁になります。句帖では、1句目の翡翠の句が、目に見えるような美しい鳥の魚取りの光景を表現していて、俳句の面白さを感じることができました。茶の2句もこの季節の茶の甘さが伝わってきます。

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繁 大村
繁 大村
23 de jun. de 2022

遠き日にわれも上野へ啄木忌 ふるさとの訛なつかし/停車場の人ごみの中に/そを聞きにゆく」という歌が春硯さんの俳句となると…一段と昇華され、ダイレクトに時空を超えて、お気持ちを共有した気になれます。 友人と立ち上げた会社で仙台に少しの期間暮らした時、仙台弁丸出しの人に会いました(40年位昔ですがその時でも周りは標準語が多かったような気がします)。一瞬でまわりが仙台色?に染まりました。僕もお得意さんでふざけて仙台弁を真似して、大笑いされましたが山盛りのつけものでその後の話がなごやかになった記憶があります。言葉をつなげていくときに方言はその土地の空気感を反映しているものだと思いました。どこにいてもその言葉を使えば空気が変わる。

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