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執筆者の写真クレマチス

私の提案――ドイツの黒い森から 62(びすこ)

会話が少なめの日常であることから、私は葛飾文芸クラブのフォーラムでほぼ毎日のいちまるさんとのやり取りを楽しみにしています。これは対話というより、いちまるさんが綴られた日々の出来事や述懐をベースにこちらが勝手に紙上でお喋りすることが多いのですが、自分の生活とは趣を異にする葛飾の路地奥の陋屋(と筆者は述べておられる)の佇まいに想いを馳せながら、ふとヒントのようなものを頂くことも少なくありません。

今日もその日記を拝見して、コメントに「大した変化もない日常を送っているのは当方も同じです」と書き始めたら思いのほか長くなってしまい、特に字数制限はないらしいものの、いくら何でもこれでは、と躊躇われ、それならいっそ今月のブログにしてしまおうと思いつきました。ということで、以下。


大した変化もない日常を送っているのは当方も同じです。わが家はもともと会社の管理棟の、木型倉庫だった最上階を住まいに改造したものなので、ごくシンプルな構造でスペースだけは十分にあります。昔夫の二人の子が使っていた部屋の一つは食料品置き場(風)になり、もう一つはウチに研修に来た日本人の男の子の寝起きに使っていたことも。今はそれが不要なので「奥さん、使ったら」と管理人が言うのですが、自分の部屋は別にあるから、と相手にせずにいました。

管理人さんはコロナで私が日本にいた時期に勝手にその部屋を整え、以前からの大きな長い机のほかに居間で不要になっていた肘掛け椅子や丸テーブルなども置き、なかなか居心地よさげです。それをみて、自分の部屋では主にデスクトップのパソコンを使うので机のスペースが十分でないことから、別途に読書室あるいは書き物をする部屋として此処を使うことにしました。(以前は居間で読書していましたが、夫の耳が遠くなってテレビやラジオが喧しいことから、ベッドで読むことが増えていたのです。)


この部屋は北側にあって、裏手は樹木・灌木の繁った斜面になっています。その上方には歩道があり、山歩きの人が通ることもありますが木が茂っているので声は聞こえるけれども姿はほとんど見えません。先日春硯さんのブログへのコメントで言及した「背戸の林」の一つです。

同じように木々が繁った場所は夫の田舎の家の裏手も同様なので、「お背戸の小藪」(歌を忘れたカナリアが捨てられそうな場所)はここだけではありません。そちらの林にはハシバミ、つまりヘーゼルナッツの木が多くて、これは晩冬に尾状花序と呼ばれる猫の尻尾のような花をつけます(写真1)。



普段暮らしている家では、以前は裏の斜面と私の(第二の)部屋の間に大きな木があり、それが倒れ掛かって枝が一部窓ガラスに触れていました。夫はそこの枝に鳥の餌を吊って特に冬季に小鳥が来るのを楽しんでいましたが、木がどんどん傾いてきて危なくなったのと、管理人のMさんが屋上に小鳥のためのスペースを作ってくれたこともあって、少し前にとうとうその樹を伐ってしまいました。


以来ずっと現在の状態だったと思うのですが、昨年は特に外の景色に注意を払うことはしませんでした。今年ふと気がつくと、もとは大きな樹木が生えていた場所に猫柳の花穂がいっぱいついた枝が出現しています。ああ、ようやく春になった、と心が弾み、毎日その猫柳を眺めて楽しむようになりました。

ウィキペディアには「ネコヤナギ(猫柳、学名Salix gracilistyla)は、ヤナギ科ヤナギ属の落葉低木。山間部の渓流から町中の小川まで、広く川辺に自生する、ヤナギ1種である」とあります。わが家の裏手に川などはないのですが、山の斜面と4 階建の管理棟との間では日照時間が短いため地面はいつも湿っていて、ヤナギの生育には適しているのでしょう。

そして、なんとこの年で初めて気づいたのですが、猫柳の明るい銀鼠色がだんだん黄色に変わっていくのです。どうやら蕊についた花粉のようです(写真2)。猫柳という植物の特色を語るのが今回のブログの趣旨ではありませんのでその点についてはすっ飛ばして、それにしても 2 月以来この木には随分慰められているなあ、と感じていました。



私は生来まったく活動的ではないので、お天気がよほどよくなっても、特に外出したいとかどこかへ遊びに行きたいとか思うこともなく、自宅での静かな(単調とも言う)暮しに満足しています。一番「欠けて困るもの」は、毎日の食べ物と眠る場所の他は読み物で、これと何かを書きつける紙さえあればどこかに閉じ込められてもあまり不平を言うことなしに暮らせます。


銀白色から黄色いふわふわした花序へと変化していく猫柳を見ながら、ふと、自分がもし禁固刑に処されて独房に入れられたとしても、読書が許されて、そして時々顔を挙げると窓の外に猫柳のような木が見え、その花穂の色が変わっていくさまを眺められるなら別に退屈しないだろう、と考えました。ということは、この私にとって禁固刑は何の罰にもならないということでもあります。

でも窓から猫柳が見える刑務所なんてないだろうな、と自分の想像に笑ったのですが、次の瞬間に「だけど、なぜないの? どうしてそういう刑務所があってはいけないの?」と自問してしまいました。どこでも刑務所の窓は多分少し高い所にあって、そして多分いずれも鉄格子が嵌められているはずです。それでも外が見られないわけではありません。

逆に、限られた景色しか見られないからこそ、まともな、と言って語弊があるなら、いくらかでも心を慰めるようなもの(特に植物)を窓外に置いて受刑者の励みや和みとすべきではないでしょうか。それとも刑罰の中には、罪を犯した人間には快いもの・きれいなものを見せない、という条項が含まれているのでしょうか。


刑務所の部屋から木々が見えて、それが春には芽吹き、夏には青々と茂って、秋になると毎日すこしずつ葉を落としていく。その様子を目にするだけでも、ちょっとした心の刺激になるはずです。あるいはすぐ外側に花咲く木を植えるのも一案だと思います。木蓮などはだいたいお正月にはもう白っぽい花芽をつけ、それが本当にゆっくりゆっくりと膨らんでいき、春分の日を迎えるこの時期には紫や白の大きな花を泰然と咲かせてくれます。

こんな思いつきを得たのは、一つには昔 20 年ほども前に見た映画の影響もあるかもしれません。映画のタイトルは Greenfingers(グリーンフィンガーズ)で 2000 年の制作。日本ではどうも公開になっていないらしく、私はこれをこちらのテレビで見たのですが、1998 年にニューヨーク・タイムズに発表された実話に基づくそうでとてもいい娯楽作品です(写真 3) 。



そのプロットを簡単に紹介しますと、舞台は英国の中央部よりちょっと下にあるコッツウォルズという丘陵地帯(「はちみつ色の町」と呼ばれて、日本人にも人気があるらしい)で、そこの刑務所に殺人罪で収監されたクライヴ・オーウェン演じる受刑者があるきっかけで草花を育てる喜びに目覚め、仲間とともに美しい庭園を造って英国のガーデニング・コンテストにも応募するという話。(まだあまり有名でなかったころのヘレン・ミレンが好演しています。)


日本の刑務所にお花畑を、と言っても呆れられるだけでなかなか受け付けてもらえないかもしれませんが、私としては、灰色の建物の周囲の、監房の窓から見える場所に受刑者自らが落葉樹や果樹・花木を植えその世話や剪定をする、というのであれば、さほど難しいプロジェクトではないと考えます。針葉樹は季節の移り変わりを明確には示さないので勧められませんが、地方によってはクリスマス用に樅などを植えるのもいいかもしれません。受刑者の中には元植木屋がいないとも限りませんし、いなければいないで指導してくれる植木屋さんや庭師のボランティアを募ればいいのです。

そうやってみんなで草木を植え育て、そしてその成長を眺めているうちに、服役中の人たちの胸に何か詩的なインスピレーションが湧き、あるいは発句や短歌のきっかけになる可能性もあります。かの角川春樹などもおそらく刑務所で過ごした数年間にいろんな句が浮かんだことでしょうが、もし閉じ込められた部屋の窓から、白いハナミズキの花が開いて散り、やがて赤い実が生って葉が見事に色づく、という小さな風景画を眺めていたら、

わが肩を蜘蛛に貸したる檻の中

というのとはちょっと違った作風の句が生まれていたかもしれません。


閲覧数:41回4件のコメント

4 Comments


いやぁー、今、今日の分の駄文をアップして、びすこさんのアップされたブログに気がついて、、そのまま、するする物語りに誘い込まれて、夢中で読んでしまいました、、 ふー、正統派でまっとうな小説を1冊丸ごとじゅんじゅんと読みきかされた、、?あぁ違うなぁ、、 繰り返し読みたくなる詩の言葉のようです。 さらに、、無骨な囚人たちの指が園芸上手な、とは言えないまでもいっぱしのグリーンサムに変わっていくさまが鮮明な画像として生き生きと目の前に繰り広げられた映画を1本まるまる見終わった気分、、 通り道に咲いているハクモクレンが徐々に膨らんで昨日気がついたらもう既にだらしなくへこたれていたのを見て思わずニンマリしてしまった僕も思い出したりして… ハートウォーミング! さぁ起きてしこたま飯を食うぞ、、馥郁/ふくいくたる物語りは腹に響きました……ありがとうございました😭 文芸クラブのみんなに読んでもらいたい😌

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Mar 21
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わが駄文をアップして(クレマチスさんを煩わせて)、いくつか頭に浮かんだことがありました。まず、獄中で文学・・・というのは時々聞くなあと。そして思い出したのが、四半世紀余り前に死刑に処された永山則夫の生涯です。1968年に逮捕されて1997年に死刑執行。重すぎる人生を生き、刑務所で小説や詩を書いています。その生き方にふさわしく、最期の日、おとなしく刑場に引かれていくことはしなかった。


どきりとしたのは、彼が収監されていたのが葛飾区小菅の刑務所とあったこと。そして、刑を前に激しく暴れたため遺体は無残なものとなり、死後すばやく荼毘に付されるのですが、その場所が四木斎場とあったこと。これらの施設は今も存在するのでしょうか。永山則夫は1949年生まれ、「団塊の世代」の一人だったことと合わせて、因縁のようなものを感じます。


もう一つは、多分日本人の多くが「知らな~い」というでしょうが、ジョニー・アプルシードという18世紀生まれのアメリカ人のことです。乞食みたいななりをしてアメリカのあちこちを歩いて回った。何のために?林檎の木を植えるために、いや植えるというよりは、どんどん増やすために彷徨しながら林檎の種を撒いていった。アプルシードというのはだから綽名なんですね。


この人の話を私は中学時代の英語の教科書で知りました。たいていの人は知らないだろうと書きましたが、教科書というのはほんの数校で使われるものではないから、私の世代で彼の話を読んだ人は決して少なくないと思うけど、なぜかジョニーについてそれ以上聞いたことはありません。私もその後思い出すことすらなかった。それなのにこのチンケなブログを書いたことで、60年以上も前に知った話が蘇ったのでした。

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アップしたあとでユーチューブを調べてみたら、1月ほど前にサミュエル・ゴールドウィンフィルムズ(アートハウス、独立系、海外の映画のライセンス、リリース、配給を行うアメリカの映画会社です。それは、ハリウッドの実業家/大物であるサミュエル・ゴールドウィンの息子であるサミュエル・ゴールドウィン・ジュニアによって設立されました。 ウィキペディア(英語))というところがアップしていましたのでご紹介しておきます。

Greenfingers | Full Movie | WATCH FOR FREE


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Mar 20
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情報ありがとうございます。ちょっとお騒がせしてしまいましたね(二人だけの話)。折角のフル・ムーヴィーなのにこちらでは見られないのですが、大丈夫、Youtubeで切れ切れに見られますので。(欧州でYahooが見られないこととか、EUがらみで何かと制約があります。)


宣伝文句にheartwarming(心暖まる)なんてあって陳腐な印象ですが、観て楽しめればいいんですよね。


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