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執筆者の写真クレマチス

水無月と七月――ドイツの黒い森から 53(びすこ)


コロナ禍で日本を出られなくなった 3 年前の春、東京の同世代の友人(自由業者)と電話で話していたとき、コロナの大流行で仕事が激減した上に生まれつきの股関節症が悪化して、ほとんど外出もできず人にも会えない日が続いているので、ボケ防止に上田敏の「海潮音」の詩を音読していると彼女が言った。

それはいい方法だと私は思い、もしかして父の蔵書に「海潮音」があるかもしれないと探したらすぐに見つかった。父は本の内容もだが装丁や外観を大事にする人だったので圧倒的にハードカバーの書物が多い中、これはソフトカバーいわゆるペーパーバックで、装丁などにあまり関心のない私にとっては親しみを感じさせるものだったが、いかんせん、この詩集は相当古く(多分戦前のもの)分厚いため表紙が薄く脆くなり、反り返ったページもかなりあった。


それらのページをパラパラとめくっていて、私は思わず「あった!」と声をあげてしまった。そこにあったのは、あいにく今ここで詩人の名前を思い出せないのだが、だいぶ前に志村ふくみの「語りかける花」(ちくま文庫)に見た冬青(ソヨゴ)に関するものだった。その章はとても短くて、

〈今日も山に冬青を採りに行く・・・十月の終わりからその年の暮れにかけて、真紅の実を身一杯に飾って風にそよぐ冬青を何度か採りにでかける。「シモオヌよ、柊(ひいらぎ)冬青に日が照って、四月は遊(あそび)にやって来た」と詩人にも歌われているように、姿美しく、愛くるしい冬青の、寒風の中に凛としてそよぐさまが好きである。〉

と、詩の引用もわずか 2 行なのだが、短いだけにその響きが一層気に入って、これはどこの誰の詩だろうとずっと思っていた。シモオヌとあるところから、フランスの詩と推察されたが(ドイツ語ではジモーネ)、この行を入力しても原詩は出て来ない。

ところが期せずして、それが「海潮音」の中に見つかったのだ。確かにあまり知られることのない詩だったらしく、上田敏の翻訳詩の中でも補遺のように後ろの方に付け足されている感じだった。

そのときに詩人の名と原題をメモした紙を当該ページに挟んできたので前回帰国したときにそれはすぐ見つかり、ちょっと安心して名前を覚えようとはしなかったのが今になって悔やまれる。

以来、上田敏への尊敬の念が深まったことは言うまでもない。この人が英・仏・独など多言語の詩を自由自在に美しい日本語に訳していることは、今の若い人でもいくらかは―その片鱗くらいは―知っているだろう。カール・ブッセの「山のあなた」とか、ロバート・ブラウニングの「春の朝」とか。秋の日のヴィオロンのためいきの・・・という出だしで有名なヴェルレーヌの作品も。


ドイツに来て最初の春、野の一隅に楚々と咲く勿忘草を見たときには、「流れの岸のひともとは みそらの色のみずあさぎ」というくだりが自然に頭に浮かんだ。調べるとそれはヴィルヘルム・アーレントという詩人の 4 行詩だったが、その原詩は Wilhelm Arent という名前と Vergissmeinnicht(forget-me-not)という題名を入れても見つからず(アーレントその人はウィキペディアで紹介されているが)諦めていたところ、最近になって YouTube の勿忘草のコメントにその詩があった。


Ein Bluemchen steht am Strom

Blau wie des Himmels Dom

Und jede Welle kuesst es,

Und jede auch vergisst es.


人口に膾炙した「山のあなたの空遠く」の方は、だいぶ前に簡単に見つかった。しかしカール・ブッセの名を知る人はドイツではほとんどいないらしく、義兄にそれを暗唱して聞かせたら(短いからすぐ覚えられる)、「へええ、初めて聞いたなあ、だけどいい詩じゃないか」などと言っていた。

と、以上はいつも通り(それにしては弥生三月以来ひどく無沙汰を重ねたが)前置きのようなもの、つまり今回のブログの導入部なのであります。


数日前のこと、口ずさんでいた歌詞からの連想で上田敏についてウィキペディアで調べていて、「海潮音」は青空文庫でも読めると分かり早速覗いてみると、私が日本に置いてきた古い本に比べてそこで紹介されている詩はかなり限られるのだが、その中にシュトルムの詩があったのは嬉しい発見だった。

テオドール・シュトルム。この作家・詩人について、名前だけは昔から知っていた。若い頃よく読んだ岩波文庫の本の最後に、文庫本として岩波から出版されている書籍の題名がずらりと並んでいる。歴史・地理、法律・政治などの分野もあるが、圧倒的に多いのは「文学」で、その文学の中でもドイツ文学はフランスやイギリスのそれと並んで中心的な存在である。そしてドイツ文学となると、無論ゲーテやトーマス・マンは外せないけれど、作品は少ないながら必ずシュトルムの名前も見られた。

有名なのは「みずうみ」だが、この人の短編は何となくロマンチックなお話のように思え、読んでみようという気にならなかった。ドイツに来てから調べると「みずうみ」の内容はやはり抒情的な物語とあって、どうも詰まらなさそうな気がしたので手にとることもなかった。


ところがあるとき、この作家の生誕地である北の果てのシュレスヴィヒ・ホルシュタイン州のフーズムという風の町で風力発電に関する見本市が開催され、そこに出張する夫に付いていくことになった。私は単にその前後にハンブルクに宿泊できるのが楽しみだっただけなのだが、このときフーズムとその周辺の景色や風物に接し、話に聞いていたドイツ南北の差を目の当たりにしたことから、ふいにシュトルムへの関心が湧いた。

また、これは 7 年ほど前のことになるが、当時「ひょこむ」という地域 SNS で知り合った撮り鉄おじさんがフーズムの沖合の小島の宿を予約できずに困っていたのでその手伝いをしたことから、この辺りの地理や風景を知って興をそそられた。

そこで、ドイツ版「青空文庫」でシュトルムの作品を探すと、Schimmelreiter(白馬の騎手)という中編が見つかり、あらすじを調べたらいかにも北ドイツらしい厳しい自然を背景とした暗い物語なので読む気になった。とはいえこの作品は私にはかなり難解でとてもスラスラとは読み進めなかったのだが、それというのも北欧に近い北海沿岸の方言らしきものが多く使われており、辞書にはすぐ見つからない語彙や表現と苦闘せねばならなかったからだ。

そういえば、日本から持ってきた独和辞書を引くとよく「主に南ドイツ/オーストリア/スイスで使われる」という説明を見る一方で、見出し語の中に「北ドイツ特有」とされる語彙はほとんどない。そこの言葉を使う人口が現在では限られているためだろうか。ドイツ南部、オーストリア、スイスなどは産業・経済も順調で豊かな地域だし総人口は 4 千 3 百万人前後なので、中・北部の人が聞くとおかしな方言であっても無視できないのだろう。(ちなみに、最も標準的で耳に心地よいドイツ語は北のハノーファー近辺の言葉とされ、これには無知なガイジンの私も同意する。)

とにかく苦労はしたものの、通常は悲劇が嫌いな私にも、堤防を守りその決壊を防ぐために命を賭けた「白馬の騎手」の話は大いに気に入って、たった一冊読んだだけなのに以来自分はシュトルムのファンと言って憚らない無恥ぶりである。


というわけで、「海潮音」にシュトルムの詩(しかも短い!)に出会えて大いに喜び、その題が「水無月」とあることから、ははん、原題は「Juni(英語の June に当たる)」だな、と思って元の詩を探した。

ところが見つからない。水無月なら六月、六月なら Juni に決まってるだろ!なんでや!

といじくりまわしているうち、最近の PC は賢くなったのか「もしや、あなた、七月の間違いではございませんか?」てな調子で Juli(英語の July に当たる)という題の詩を出してきた。訝りつつ読んでみると、これがほぼ完全に日本語訳と一致する。

原詩:

Juli

Klingt im Wind ein Wiegenlied,

Sonne warm hernieder sieht,

Seine Ähren senkt das Korn,

Rote Beere schwillt am Dorn,

Schwer von Segen ist die Flur

Junge Frau, was sinnst du nur?


和訳:

水無月

子守歌風に浮かびて

暖かに日は照りわたり

田の麦は足穂(たりほ)うなだれ

茨には紅き果熟し

野面(のもせ)には木の葉みちたり。

いかにおもふ、わかきをみなよ。


上で「ほぼ完全に」と言った理由は、まず 5 行目の訳にちょっと異議があるからだ。Schwer von Segen ist die Flur の die Flur は古語だか雅語だかで「耕された土地」つまり農地とか耕地という意味のほかに、野原あるいは単に野を指すこともあるそうだから、それを野面と訳したのはいいとして、Segen をなぜ木の葉としたのか不可解である。Segen は一般に「祝福」という意味だが、多分そこから派生したのだろう、収穫や実りのことでもある。野がその実りで重い(schwer)というのは、要するに「野は実りに満ち満ちている」ということらしい。だからここは「野面には実りみちたり」とする方が原文の意味に近いのではないか。天下の上田敏様の訳に物知らずの婆さんがイチャモンつけるなど、まさに「天使も踏むを怖るるところ、愚者なればこそ」と言われても仕方ないが、罵られ嘲笑されてもやっぱりここの訳は変だと思う。第一、野の面に木の葉って何よ。

さらに(ついでだから、毒食わば皿までで、全部言わせてもらおう)、最後の「いかにおもふ、わかきをみなよ」についても、原文の Junge Frau, was sinnst du nur? は、英語に直訳すると Young lady, what are you thinking now? となり(ドイツ語には英語のような進行形はなく文脈で解釈する。また sinnen の英語は「思いに耽る」という意味の muse かponder だが、ここはまあ「思う」でよかろう)、そこで湧く疑問は「いかにおもふ」ではなく「なにをおもふ」とすべきではないか、という点である。「いかにおもふ、わかきをみなよ」の代わりに「なにおもふや、わかきをみなよ」でもちっとも構わないとはお思いになりませんか。ついでに、三行目の「足り穂」も「垂り穂」とした方が分かりやすいような。あ、そうすると「垂り穂うなだれ」で似たような言葉を繰り返す「重言」ぽくなるので避けたのかな。

それから、ここまで言うと「重箱の隅つつき」(それもとんでもない素人の)になるが、麦栽培するのは通常は田ではなく畑です。ほら、「人は畑に麦を踏む」という歌詞(冬景色)があるでしょう。だけどこれも、田の代わりに畑とすると五七調が崩れますね。だったら、「畑(はた)の麦足穂(たりほ)うなだれ」としても、ね?(なにが「ね?」だか。すみません。)


いやあ、これだけ厚顔無恥ぶりをフルに発揮した後は穴を見つけてさっさと隠れるべきなのだが、まあ、そう急がずに。このブログを書き始めた本当のわけは、上田敏先生の天才ぶりに脱帽しそれを寿ぎ祀りたかったからで、そのことを私に教えてくれたのが「水無月」という題であった。

最初私は、Juli という題の詩を「文月」にしなかったのは、「水無月」の方が詩的に響くからだろうか、などと思った。一方、ドイツや英国などでは July よりも June の方が好ましい月とされ(June bride という言葉があるように)、私も欧州の六月は 1 年で一番素晴らしい月だと思っている。だから上田敏先生も、この詩はむしろ June としてほしかったなあ、という思いから「水無月」としたのかもしれない、などとも考えた。

しかし考えてみるとシュトルムの故郷は北の地で、麦秋も多分ドイツ中南部よりだいぶ遅いであろう。昨今は季節の歩みの加速化を感じることが多いけれど、1817 年に生まれ 1888 年に没した彼の一生に於いては、初夏の訪れも緩慢で 7 月になってようやく「暖かに日は照りわた」ったのではないか。

何よりも私が、ああ、これは 7 月の詩だ、と実感するのは、4 行目の「茨には紅き果熟し」という表現である。日本でも最近はブルーベリーやキイチゴが市場に出回るらしいが、22 年前に私がドイツで暮らし始めたのが 6 月半ばでそれから 2,3 週間たった頃に夫がいろんな果物を私のもとにもってきた。一番印象的だったのはそれまで全く知らなかったスグリで、そのルビーのような紅に暫く見とれたほどだ。


そしてこの季節を「水無月」と名付けた上田先生は正しい。なぜなら水無月は今の 6 月ではないからである。梅雨時の雨を五月雨と呼んだように、新暦の 6 月に降る雨は嘗ては皐月の雨だった。また「夏は来ぬ」の歌詞にある通り、蛍が飛び交うのは「皐月闇」で、これは現在なら 6 月の夜である。

旧暦ではすべてが現在の暦より一か月ほど遅く、私が子供の頃には 7 月 7 日の七夕も 8 月に飾った。笹の葉サラサラを歌うのはいつも夏休み中だった。調べると、水無月つまり旧暦の 6 月というのは、年によりその時期はいくらか異なるものの、6 月末から 8 月上旬までの期間のどこかに嵌まる 29 日か 30 日である。なるほどこれでは Juli を文月とするわけにはいかない。

上田敏は 1908 年に欧州に留学しているが、その経歴からしてほんの 1 年かそこらのことと思われ、それだけの外国暮らしで得た洞察力・観察眼にはただ驚嘆するほかなく、20 数年を無為徒食に明け暮れたこの身の恥ずかしさをどう形容したらいいのやら。


(写真 1 は、白馬の騎手の挿絵、写真 2 は、スグリの実。)

三枚目の写真はスイスの 7 月の景色。山の雪が全部解けてなくなり、白っぽい山肌が晒されるのが 7 月で、ここでは「雪無月」と呼んだほうがいいかもしれない。

閲覧数:53回4件のコメント

4 comentários


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26 de jul. de 2023

私が空き家について心配するのは、四国4県の空き家率がいずれもトップ10に入っているためでもあります。誰も住まなくなった家のそばに、今風の一見洒落た便利そうな家が建ったりしますが、大工さんたちに言わせると、メンテナンスに気を付けない限りせいぜい20~30年の寿命ですって。いずれはそれらがまた空き家になるのでしょうか。


欧州、特に南欧ではこのところ大規模な森林火災が頻発しています。乾燥が甚だしいので、一旦火が着くと瞬く間に燃え上がり、数百ヘクタールが灰となることも。日本でその種の家事が少ないのは、雷などで発火しても湿度が高いので自然消火になるためとか。日本列島の蒸し暑さに感謝、というところです。

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繁 大村
繁 大村
26 de jul. de 2023

ちょっと一言…体をまめに動かしていると多少の怪我はするかもしれませんけれども大怪我はしない、僕はそうしています…ちょっとヘマすると…廃用症候群、と認識してつぶしていきます。つまり気をつけるようになる。御身お大切に😌 提灯に釣鐘の例えのごとく(ちょうちんとはぼくのこと)ほとんど顧みられない僕の正真正銘の駄文のいくつかにびすこさんのコメントが付くとたちまち賑やかになる現象、つまり本文とコメントの非対称は大きな楽しみではございますが、どうぞお気ままになさってくださいませ 極小住宅転がし?のカラクリは以前お話ししたと存じますが、、しょうもない家(ここがポイント、誰も資産と思わない)を手入れして利用していただき、現行の固定資産税が安いことを利用していくばくかの収入を得る趣味と実益を兼ねたセコいスモールビジネスと呼んで下さると少しは格好がつきます。皆さんにお勧めしたいのですが最近では不動産屋さんが同じ手口で客を募っているようですので要注意です。 我が兄はすでに秋が待ち遠しいと言っています、こちらの蒸し暑さを輸出できるものならお願いしたいところですが…じっとりとした蒸し暑さが僕らの気性を育んできた、思えば…というかそうでも思わないことにはやり切れないのでそう思うことにしています、、そちらの爽やかな風、そうとも言えない風?合わせて、森の通信楽しみにしています、どうぞよろしくお願いいたします😌

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繁 大村
繁 大村
25 de jul. de 2023

20数年の無為徒食… と言ってのける潔さと選んだ環境に乾杯ですね、久しぶりのお便りいつものように安心して楽しめました、ありがとうございました。東京のうだるような酷暑の中に暮らしている者には別天地の自然が天国のようですね、上田敏、海潮音にまつわるお話もうんうんと頷きながら耳に転がして快く、今日は37度になるという天気予報の朝ですが、すこぶる元気をいただけました、今日もよい1日でありますように😊

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26 de jul. de 2023
Respondendo a

お久しぶりです。日本で5月25日に転んで捩じった手首が未だに痛むので、タイプ打ちは最低限に抑えていました。昨年秋の足首の捻挫は一か月足らずで全快したのに。やはり手を使うことの方が多いせいでしょう。特に女性は。いや、いちまるさんだってそうですね。もう2週間ほどしたら、フォーラムにも本格的にコメントさせていただきます。昨日ラインを拝見しましたが、そこで言及されている空き家の件、私も考える所が多々あります。


いちまるさん、持ち家が5軒ですって?すごい。これも20年余りが過ぎて最近こちらの日本人女性とのお付き合いが増えたのですが、多くの人は日本に帰国しても実家がない、あっても兄弟たちが居座って「小姑」を嫌がる、という事情で長期滞在するところもなく困っています。それで今春の帰国時には、これ幸いと高知の私のところまできて滞在して行った女性もいました。


私は秋生まれの「竜田姫」ですが、ドイツでは春に生まれた「佐保姫」の方が断然分がいいです。でも日本では何たって秋!それも苦しい夏を乗り越えての清涼な季節。同じ理由で、暗く厳しい冬を凌いだ後の春の美しさは、胸が震えるほどです。苦あれば楽あり?メリハリって大事ですよね。夏の汗も冬の震えも、暮らしのスパイスと思えば。

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