一昨年・昨年と中止になっていたカーニバルの行事が今年は解禁となって、多くの会社が「どうせみんなお祭り気分で仕事にならないから」と 2 月 17 日の金曜日から翌週の火曜日(マルディグラ、謝肉祭の最終日)まで 5 連休とした。
スイスかフランスで休暇を過ごしたいかと夫に訊かれたが、二月にバカンスなんてあまり意味がないし、来月には帰国してしばらく日本で過ごすからお金も節約せねばと(航空運賃はほぼ倍に膨らんでいる)、夫の田舎の小屋でのんびりする方がいい、と答えた。
私ののんびりした暮らしは自宅でも同じことであるが、義姉がここ数年は発作の後遺症もあって家にこもっているので、その様子を見ようという意図もあった。彼女の夫は相当の資産を残したので、週日のお手伝いさんのほか 24 時間介護のためにポーランド人の女性二人を交互に雇っていて、彼女たちはよくやってくれているのだけれど、配偶者に先立たれ子供もいない身では森の中の大きな家で暮らす寂しさを紛らわす術も限られている。
近隣に住む親戚がときどき訪問して土日はいつも誰かと食事に行くようだが、親身になって話し相手を務めてくれるのは下の弟、つまりわが夫だけなので私たちの来訪を楽しみにしており、別れるときはいつも泣かれてしまう。姉弟喧嘩もよくしたが、何と言っても自分の姉だし今は全くの弱者だからと夫は優しい。
私の方も花屋で買った薔薇やフリージャを活けて持って行ったり、懐いてくれている彼女の愛犬と遊んだり、それだけで喜んでくれるなら時折の慰問もお安い御用である。
そんな中で、同じ森の中にあって以前は夫の母が住んでいた本当に小さな小屋で自宅から持ってきた週末の新聞を読んでいたら、「欧州で最高のインフレ率」という見出しの記事があり、それはバルト三国の目下の経済状況についてであった。
ウクライナ紛争による食糧・エネルギーの高騰は欧州全体に影響を及ぼしていて、ドイツも 5 ~ 10 % のインフレというが、幸い今年の冬は穏やかなので燃料や電気代をめぐってのストなどは起きていない。どころか、多くの人はそんな紛争もインフレも他所の話とばかり、贅沢な休暇を楽しみカーニバルの仮装行列に身をやつしている。親戚のカップルなど、超大型遊覧船でのペルシア湾のクルーズから帰ったばかりだと言っていた。そんな船旅で毎日何をするのかと訊くと、船は一つの町みたいなものでいろんな娯楽・スポーツ施設も整っているしレストランなら 17 軒もあるのよ、と言うので呆れてしまった。
他人の嗜好や娯楽に口出しする気はないが、これだけの船旅で消費(浪費というべき)されるエネルギーや食糧の規模と、そこから排出されるごみの量を考えると、環境意識の高いドイツ人なんてどこの話だろうと思ってしまう。そしてこういうリッチな中流階級のドイツ人の多くが、世界情勢はおろか同じ欧州内の政情や経済にとんと無関心なのである。
日曜日の昼に義姉の要望で親戚・知人が集まって食事していたとき、私がその朝スマフォで見たニュース(小屋にはテレビもパソコンもない)から「バイデンがキエフに着いたそうよ」というと、一人を除いて誰もそのことを知らず、例外の一人というのはポーランド人の介護士であった。彼女は私が昨年 6 月末のブログ「それぞれのケーニヒスベルク」で取りあげたロシア領カリーニングラードから 100 キロと離れていない町の出身なので、当然ながらロシアの動きとウクライナ情勢に敏感なのである。
ついでに、その席にいたのは 9 人で、夫とその姉及び彼らの従弟夫婦がドイツ人、他には夫の土地を含む D 家の敷地管理に雇われているルーマニア人(とても働き者)、何か特殊な手術をするためドイツに来てお金持ちの従弟夫婦の家に泊めてもらっているケニア人の娘さんとその母親、ポーランドからの女性、そして日本人の私、という構成だったので、食事のあとで私は夫に「ねえ、気がついた? あのときドイツ人はたった 4 人で外国人の方が多かったのよ」と言って笑った。
食事しながらポーランド人女性と私がキエフに続くバイデンのワルシャワ訪問の話をしていると、夫の従弟の妻が「まあ、よく知っているわねえ」という。「だって新聞に出てるでしょ」と答えると、私、新聞読まないの、と平然というのにはすっかり驚いた。ゴルフと旅行と孫の世話で大忙しだって。
さて、バルト三国の話だが、欧州の特にドイツ人にとって、ここは地理的にも文化的にも遠い国ではない。しかし日本人の私にはいわば terra incognita(未知の国)で、それだけに異国の雰囲気を味わえておまけに物価が安いので近年はここに旅する日本人も多いようだが、私自身はオリバー・カーンの父親(同じくサッカー選手だった)がラトヴィアからの移民と聞いて「道理でヴァイキングみたいな風貌だわ」と納得した程度の興味しかなかった。それが 2004 年に EU に加盟しその 10 年後にユーロ通貨を導入して以来、少しばかりまともな関心を抱くようになった。
一番の関心事というのは、三国合わせて 6 百万人に満たない人口でどうしてチマチマと別れて暮らしているのだろう、という疑問だった。欧州に人口小国は多く、スイスやオーストリアなら約八百万人が住む。なぜまとめてバルト共和国とならないのだろう、現在の国態はその中の州扱いにすればいいではないか、などと考えた(地図参照)。
しかしちょっと調べただけで、これはチマチマ別居の方が正しい、という結論に達した(妙に偉そうな物言いでごめんなさい、調べたと言ってもほんのちょっぴり、結論などといえるシロモノじゃないのだけれど)。まず、伝統・文化(ということはご先祖様)も、歴史に因る欧州の他の国との国際関係も、もちろん宗教や言語も、異なるのである。
最北端のエストニアにはフィンランド系民族が多く、言葉も大多数がエストニア語のほかにフィン語を話す。宗教に関しては北欧のお隣さんに似て無宗派が多い。真ん中のラトヴィアはキリスト教徒がまだ多数派で、それもカトリックとプロテスタントに分かれるが、数においてはルター派のプロテスタントが勝ることが示すように歴史的に北ドイツとの繋がりが顕著である。一番下のリトアニアは大半がカトリック教徒で、同じくカトリック国のポーランドとの親和度が高い。
もっともそれで「統合は無理」という結論を出すのは尚早というもので、スイスなど三言語(絶滅の危機に瀕しているロマンシュ語は除く)・二宗派を崩すことなく数百年来一つの共和国として存続しており、今ではトップクラスの先進国である。しかしこの数百年にスイスが直面し克服してきた困難を繰り返してでも今日のバルト三国の統合を推進するのは、現在の国際情勢と各々の国内状況からして当分は無理であろう。
といって、この三国は別に仲が悪いわけではなく、差異はいわば多様性として保ちつつ各自の路線を歩んでいる。共にユーロを通貨としていることから(私は人工的なユーロ通貨への懐疑を捨てきれずにいるが)、経済協力においても障害はない。
鉄のカーテンが崩れたことで欧州の一角で分裂が進み小国同士の争いが今も絶えないのは、ここ 30 余年のバルカン諸国に見る通りであるが、バルト三国の方はライバル意識はあるにしても互いに憎しみや恨みを抱いているわけではない。逆にこの三国をしっかり結び付けている一つの要素があって、それはロシアへの積年の恨みと消えない恐怖である。だからこぞってウクライナを支持することは自国の防衛でもあると自覚している。
バルカン半島のボスニア・ヘルツェゴヴィナやセルビアやアルバニアの場合には、共通の敵などはない。もともとこの辺りは民族も宗教も言語も異なっていて、「敵の敵は味方」ですらなく、てんでバラバラの地域を第二次大戦後に無理やりくっつけてモザイク国家としたのはチトーの社会主義であった。だからチトーが消え社会主義が機能しなくなれば、もと通りモザイクの欠片となるのは当然の成り行きである。
田舎の小屋で私が読んだ新聞では、EU の中でも未だにかなり貧しいバルト三国の共通点として、「危機への耐性」が強調されていて、その点が私には興味深かった。
その前に、貧しさの程度であるが、調べると三国の経済レベルは似たようなもので一人当たりの GDP は世界で 40 位前後だから日本や韓国に比べて特に貧乏なわけではない(但し日本や韓国の場合はドルとの交換レートに大きく左右されるので、円安の現在その GDP が大きく下がっても不思議ではなく、これらの数字で一喜一憂するのは無意味である)。
バルト海沿岸のどの国もかつてはロシア(その前は一部ドイツやポーランド)の直接間接の支配下に置かれていたが、遠い昔の話はともかく大戦後 45 年に亙るロシアの強権はどの国民の胸にも深く刻まれ、その点では、あんなに苦しめられたのに今も親露派が残る旧東独や、ロシア崇拝のバルカン半島の国々とは大きく異なる。
1990 年にロシアからの独立を果たした時はバルト三国の誰もが狂喜した。ただし、その歴史的経緯からここには多くのロシア人が住んでいてソ連崩壊後も国には帰らずに元の宗主国の人間として居座っていたことから、現在もこれらのロシア人との軋轢が続いていて、そのロシア人たちがロシア政府に「不当な扱い」を訴えるので、プーチンはいずれウクライナを再び属国としたらこれらの国も「奪回」しようと目論んでいるらしい。
ともかく現在のエストニア、ラトヴィア、リトアニアは立派な独立国でロシアの枷からは逃れている。だが 30 数年前に市場経済への移行を余儀なくされたときの人々の戸惑いと混乱は一通りではなかった。それでも、二度とロシアの支配下には入らないという決意で一丸となって奮闘したが、経済システムの改革がようやく一段落したかに見えた 1998 年に起きたルーブル危機がこれら三国を揺すぶった。
政治的独立は達成したものの、市場経済を採用してからは逆にロシア経済に依存する部分が大きくなっていた。国内製品の最大の輸出先はロシアだったからである。ルーブルの暴落を目にして輸出先の多角化と市場の拡大が急がれ、そのことが EU への加盟を喫緊の課題とした。
まだ非 EU 加盟国だった時期には、これは私の個人的な印象だが、EU 圏への出稼ぎも外貨取得の重要な手段となっていた。なぜ個人的にそう思ったかというと、それまでサービス業界でバルト人就労者を見かけることが増えていたためである。特に英国。2003 年に押しかけ日本人を連れてロンドンに行ったとき、ちょうどウィンブルドンの試合で普通のホテルはいずれも満員だったので、仕方なしにかつてダイアナ妃が住んでいたという高級街の高級ホテルに滞在することになった。かつての貴族のタウンハウスとやらを改造したホテルとあって、大きくはないが隅々まで大英帝国の歴史と名声が宿っているかのような館で、従業員が「え?ここに日本人が泊まるの?」と目を剥くようにしてわれわれを迎え入れたことが忘れられない。
そこのロビーで客にアフタヌーンティーなどのサービスに回っている女性たちが、いずれも背高く金髪碧眼の素晴らしい美女だった。英語のなまりから外国人であることは明らかで、私が「お国はどちらですか」と訊くと「リトアニアから」「私はラトヴィア」とのことだった。容姿も目立つが、その挙措がよく言えば慎ましく、悪く言えばおずおずという感じで、明らかに通常の欧州人とは異なっている。
そのあと迎えに来た英国人の親戚にどのウェイトレスもバルト海沿岸の出身らしいと話したら、「ええ、このところ高級ホテルはどこも競ってエストニアやラトビアの人を雇うのよ。彼女たち、金髪でしょ、すらりとして美人でしょ、おまけに賃金は安いし」と説明された。
それらのブロンド女性に何かを頼むときの、アメリカ人たちの横柄な態度も記憶に残っている。給仕する一人が何かを間違えたらしく、派手に着飾ったアメリカ人のオバハンが嘲るように「もういいわ、ろくに英語もできないのね」と下品なアメリカ英語で彼女を追い払った。
こうして 2004 年に加盟申請が受け入れられるまで、ブリュッセルの EU 委員会が課した諸条件(国家債務の縮小、経済改革、汚職追放等)を満たすための地道な努力を重ね、出稼ぎ美女にも支えられて、やれやれと安堵したのも束の間、2008 年のリーマンショックに端を発する金融危機でこの地域も激震にさらされることになる。
せっかく市場を西欧・中欧に広げたのに、その地域の景気が大幅に後退したのでは救いようがない。しかし EU 本部が突き付けたユーロ通貨導入の条件を満たすためには、四の五の言っている余裕はなかった。ロシアのクリミア半島侵攻や露・ウクライナの関係悪化の中で、彼らの間ではロシアへの警戒感が一層増強され、何とか EU の一員として西側から認めてもらわねば、という目的意識が高まっていった。その一方で、他の欧州諸国からの警告を無視してロシアとの関係深化によりエネルギー資源を確保しようとするメルケル政権のノルドストリーム・プロジェクトなどが彼らを不安にしていた。
バルト三国の懸念は的中し、ついにロシアがウクライナに攻め込む。独立して日が浅く経済状況も国民の生活レベルも未だ危うい国を激しいインフレが襲った。エストニアのインフレ率は 25 % にまで上り、他の二国も 20 % 前後の物価高に見舞われる。食料品の方は何とか凌げる、と彼らは言う。だがインフラが整わず失業率も高い北の国で、選択の余地のないエネルギー費の高騰は国民の暮らしを直撃した。
しかし国民は、だからと言ってフランス人のように政府に怒りの拳を振り上げるようなことはない。ほぼ全員が、政府だって苦労しているのだということを認識しており、この程度で音を上げたら今までの努力が水泡に帰す、と懸命に耐えている。
インフレという苦境によってロシアに妥協すれば、金銭面だけでなく精神的にも不自由な時代に戻らねばならない、という恐れから、苦しい暮らしも甘受している。エストニアの首都タリンの或る青年にインタビューしたら、「苦しいと言ったって、自分の世代が享受できている今の生活は、両親や祖父母が夢見ることさえもできなかったレベルです。これを手放してはなりません」と答えていた。
昨年の 12 月、クリスマスを 2 日後に控えたワシントンの議会での演説で、ゼレンスキー大統領はアメリカの支援に感謝しつつ「皆さんからのお金は慈善ではありません。それは世界の安全保障と民主主義への投資です」と述べたが、バルト三国の人々はその安全と民主主義を守るためなら少々の物質的な窮乏も厭わない。
戦時中の日本でモットーとされた「欲しがりません、勝つまでは」が現代の欧州の片隅で営々と実行されているのである。
(新聞に掲載されていた写真は昨年秋のもので、リトアニアの首都ヴィリニュスで野菜やキノコを売っている年金生活者。この程度のことは日本の地方都市でもやっていて、別に気の毒がるような状況でもないはずだ。)
日本人が欧州事情を報告と言うのは、言葉その他の問題で不十分な箇所もあるはずですが、偏見や先入観がないので公平な伝え方になると思います。日本の通信員が現地の新聞・テレビの報道の焼き直ししか伝えてないことをいつも残念に思っています。でも彼らも、上から「それでいい、主観を挟むな」と言われていて、欧州の主観だらけの報道をコピーしているのでしょう。その方が、何かあったとき言い逃れもできますしね。
いつもながら欧州滞在の日本人特派員が逆立ちしても書けない記事ですね、短い記述(内容の濃さに比べと言う意味です、つまり簡明な文章)で語られる文脈に導かれながらうなずいてしまいます。ヨーロッパの歴史を肌で感じることができました(この感想そのものが軽薄ですが、、ご勘弁)、いつも貴重な報告ありがとうございます😊