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執筆者の写真クレマチス

欧州の不潔な暮らし――ドイツの黒い森から 20(びすこ)

子供の時の体験から、私は新聞記者というものが信用できない職業だという先入観をもっているのだが(もっとも実体験に基づく以上、先入観とは言えないが)、それでも新聞は読む。どの新聞も公平というわけにはいかないのは、商売なら当然だと思う。英語の新聞では自社の記事について自画自賛で Without Fear and Favor という決まり文句が繰り返される。これもどうだか、怪しいものだ。Fear (怖れ) はあるんじゃないですか。読者離れが一番怖い。Favor(贔屓、好み)だって多いにあるでしょうよ。あるいはしがらみというか。

そのことは世の常と大目に見ることにして(厭なら読まなきゃいいんだし)、私が今でも腹を立てるのは、海外特派員などが、嘘を書くのでなく、事実の一部をそれも意図して選択的に報道することである。以前に書いた記事の内容を覆すような事象が起きたときには、それを発表しない。

いや、もちろん、最も明白に悪いのは嘘偽りを書くことで、ただこの種の間違いは、近年は少なくなったが軽めの雑感風記事に多い。だからさほど騒ぎにはならない。今日はその例をひとつ紹介しようと思う。


あれは学生時代だったが、私は下宿の隣部屋の女性と共同で新聞を取っており、彼女の好みに任せていたので多分 A 新聞だった。ある日、そこに日本人の公共心の欠如と欧州人の徳の高さを比較した記事が掲載された。

その記者がいうには、日本人は町の共同水飲み場にぶら下がっているコップで水を飲むとき、かならず最初にそのコップをすすぐ。ところがヨーロッパでは誰もすすぐことをせず、直ちに水を汲んで飲む。なぜまずすすぐことをしないか。それは前に飲んだ人間が、既にコップをすすいでくれているという信頼があるからだ、と記者はいう。

日本人は後の人のことを考えて自分が使ったものをきれいにするなんてことはしない。自分のことしか考えない。欧州人はその点他人に配慮するのが当然になっていて、互いに信頼しあっているのだ、つまり公共心が発達しているのだ、というのが記者の「発見」らしい。

そのときにはふーん、と思った程度だったが、その後欧州に何度か行っているうちに、彼らが日本人に比べて公徳心において勝るなどとんでもないでっち上げだと分かった。一般に愛想だけいいラテン系は実は無神経だが、実直そうな英国人やドイツ人にしても他人さまの都合をあれこれ考えるなんて芸当は苦手である。(但しドイツ人は、列を作って順番を待つというルールの順守に関しては欧州でトップである。腐ってもドイツ人。しかしこれだって、日本人に勝るわけではない。)


そういう確信を抱かせるエピソードには事欠かなかったものの、1970 年頃に読んだ記事の真偽のほどについては確認する機会がなかった。そもそも私は用心深いので、外では極力トイレには行かず共同井戸の水も飲まないのである。

今はペットボトルの水を買うのが普通になっていて、そのため欧州でも市民が共同で使う水飲み場は減っている。ただし、どの町村にもなかなか風情を感じさせる井戸がある。これをドイツ人やスイス人はブルネンと呼ぶ。正確には噴水のことであるが、泉ということもある。

そう、シューベルトの「菩提樹」に出てくる泉というのは、森の中の湧水ではなくこの噴水のような井戸のことなのである。しかし「井戸に沿いて茂る菩提樹」ではどうも締まらないから「泉」としたわけで、まあ間違いというほどではない。

町中のブルネンにはたいてい複数の蛇口があって、数人が同時に水を飲むことができるようになっている。周りが水盤のようになっているが、かつてはそこで馬に水を飲ませた。今は夏なら幼い子供が水遊び。


それで 20 年前にドイツに住み始めてようやく、このブルネンでの光景を観察する機会が得られた。見ていると通りがかった人が水を飲みにくる。ぶら下がったアルミのコップからそのまま飲む。ふむ、30 年前に読んだ通り。ところがその後がいけない。次の人のためにすすぐ? とんでもない、さっさと行ってしまう。しばらくすると別の人が来て水を飲むが、誰もすすいだりせず前の人が飲んだコップで飲む。

要するに、知らない人が飲んだコップを洗わずに使うということに全く抵抗がないのである。これではチフスや赤痢が蔓延しても不思議はない。

そのあと語学学校で若い連中(スイス人、ブラジル人、イタリア人等)と学んでいた時期、彼らがジュースや水を瓶からラッパ飲みしてそれを隣の人に回しているのを見て、ああ、やっぱり、と思った。


それ以前に、仕事柄日本での同僚には帰国子女がかなりいたが、彼女たちは他の人間が齧ったリンゴをもらって平気で食べたりする。私がびっくりしていると、あら、アイスクリームだってみんなで舐めるわよ、などと自慢げに言う。どうやらそれがアメリカナイズのおしるし、あるいはヨーロッパ風カルチャーに馴染んだ証拠と思っているらしかった。

また会議などでは、資料を山積みして議論が進むごとに用済みのペーパーを片っ端から床に落とす。会議が終わるとそれらを拾ってまとめて鞄に入れる。これもキタナイ。床は靴で踏まれており、靴の裏にはいろんなものがくっついているではないか。犬の糞や人の唾もあるだろうし、トイレの床だって汚れている。ところがそういうことを気にするのは、閉鎖的で小うるさい日本人の特徴と半分馬鹿にされた。


そもそも欧米人には概してその種の衛生観念がない。日本でいう「上のもの(テーブルを拭く布巾など)」と「下のもの(床を拭く雑巾)」の区別もしない。あるときお手伝いのマリアさんが、私が犬の汚れた足を拭いた雑巾と、皿を拭く布巾とを一緒に洗っているのを見て仰天し、以来それらを隠して自分が分けて洗うようになった。

要するに、70 年前後に A 新聞の特派員が書いた「欧米人の公共心」の記事など、まったくの与太話なのである。それにしても、この人、10 分か 15 分水飲み場にとどまって様子を眺めていれば、「前の人がすすいでくれていると確信して」そのまま飲んでいるわけではないということは一発で分かるはずなのに、1 人だけ見て「あ、これを書こう」と決め、当時は欧米の事情を知る日本人など極々僅かだったので何を適当に書いても構うものか、と読者を侮っていたのではないか。

まして、そういう欧州の生活習慣や衛生観念が度重なる伝染病の大流行の根底にあるなどとは、思いもよらなかったであろう。


ということで思い出しては腹を立てていたのであるが、昨春コロナが世界中に蔓延して、最初は感染者が東アジアよりずっと少なかった欧州と米国でたちまち激増したときに、ほら、みたことか、というのが私の反応だった。その頃私は日本にいて、靴を脱いで家に入り、テーブル用、調理台・レンジ用、床用(それもスリッパで歩く)と分けた布を使い、床に置いた買い物袋を食卓に載せるなんてことはしない、日本人には当前の暮らし方だったので、欧米人に説教してやりたかった。

真面目な話、欧米の人達は日常生活の衛生ということについて、コロナを機に真剣に考えるべきだと思う。(欧米以外の地域の人々もだが、余裕がない暮らしで清潔・不潔にこだわっていられないところが多いので、そこまでは要求できない。)


人が土足で歩く床や舗道で赤ん坊がハイハイしていても親は何とも思わず、写真 1.のように、子供を道路に転がして親同士はお喋りに余念がない、という光景もしょっちゅう。(このブログが頭にあったので、ちょうどよかったとカメラを向け「よろしいでしょうか」と親御さんに訊くと、自分の子が可愛いからだと信じて「ええ、ええ、どうぞ」と言った。確かに可愛かったが、当方の意図を知る由もなし。)また駅などの階段でバゲットを地べたにおいてみんなで昼食をとり、その様子を「洋風」でかっこいいと思う日本人の若者がいるというのにも驚かされる。

写真1


さらに、私はよく村の青物市場で果物・野菜を買うのだが、サクランボやミラベルなど山積みになっていて自分で掴んで袋に入れ、レジに持っていく。ぎょっとするのは、誰もがそのサクランボをそのまま洗わずに食べること。いや、消毒薬の問題より、いろんな人が素手で触っている実を水洗いもせずに食べる神経が何とも。

あんな嘘っぱちを書いた記者め、私よりかなり年上のはずだから今頃は引退しているのはもちろん、頭の中身だってまともかどうか。この期に及んでもまだ、周りの人に欧州人の「公共心の高さ」を伝道し続けているのであろうか。花の欧羅巴を見習え、って? 欧米礼讃は今でも廃れてないから。

写真 2 は近くの町のブルネンであるが、近年これは水筒やペットボトルの水を補充するために使われ、その容器からラッパ飲みするので、アルミのコップなどをぶら下げているところは見当たらなくなった。その代わり、町の一隅にもっと近代的な飲料水提供の設備ができ、コップがなくても口を近づけると噴水のように水が出る様式になっている。こういうのが昔あったら、赤痢やコレラなど経口伝染病の流行も防げたであろうに。

写真 2


ペストはどうかというと、ごみ収集員が頻繁にストをするフランスやイタリアでは路上にゴミが山積みということが珍しくなく、鼠の数も近年急増しているそうだから (パリの町を走る鼠は有名) そのうち問題になるでしょう。笑ったのは先日の新聞に Sale comme Paris (パリのように汚い) と言う表現があったことだ。幸いにも、ドイツでごみ収集員のストというのは私は聞いたことがない。一般のストにも道端のゴミにも寛容なドイツ人でも、さすがにこれは容認しないらしい。

(ところで写真 2 のブルネン、蛇口の取り付けの部分がフクロウの飾りになっていますね。これ、7,8 年前にこの箇所がボロボロになったため、亭主が友人の会社の工芸部門で新しく作らせて寄贈したもの。亭主はフクロウ・フェチなので。)


閲覧数:40回6件のコメント

6 Comments


hmdhonau
Sep 03, 2021

この写真はスイスの田舎町での光景。バイカーがペットボトルに水を補充しようとやって来たので、あ、これ、と撮ったら、相手は気が付いて「勝手に人の写真を撮るもんじゃねえぞ!!」と喚いたけど知らん顔をしいていました。


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hmdhonau
Sep 03, 2021

このフクロウね、壊れてしまってどうしようかと悩んでいた町役場の人が、わが家と結構付き合いのある町の家具店の主にどうしたもんだろうと言ったらしいんですね。するとその店主が「Dさん(わが亭主)ならこの種のことに凝る人だから、何とかしてくれるよ」と(無責任にも)答えたらしい。田舎だから、誰もが住人の性格や趣向を知っていて、こういうことってすぐに広がるのです。ちょっと有名な人の記念碑がぼろっちくなって、これも新しく作り直させて寄付、ということがありました。お礼はありますよ。みんなで盛大に飲んで食っての集まりに招待される。体に悪い。

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karen1434
karen1434
Sep 03, 2021

へえ、そうなんですか、欧米人の衛生観念ってそうなんですね。びっくりしました。

テーブルの上を拭く布巾と床を拭く雑巾を一緒に洗濯なんて考えられませんね。

ベッガさん、昔の新聞記者の敵討ちにそちらの新聞の声欄にでも投稿してやってほしいくらいです。(もっとも、その国の悪口になってしまうと記事としてボツになる可能性はあるけど)あちらの方にも

ちゃんとと正しく衛生観念の違いを知ってほしいですね。コロナの感染状況にもはっきり表れていますよね。

世界のあちこちに住む日本人に自国との違いとか、日本の新聞に投稿してほしいです。


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hmdhonau
Sep 03, 2021
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もう慣れましたけど(さすがに20年もいると)、最初は「まさか!」と思うことがたくさん。昨夜は友人夫婦が泊まっている山のホテルに私たちも泊まり(亭主が好きなだけ飲めるように)、今朝がた帰宅したのですが、掃除に熱心な管理人の男性が、鬼のいない間にとばかり私の部屋を掃除している途中でどこかに行ったらしく、なんと私の部屋の来客用のちょっとばかし洒落た椅子の上に、雫の垂れる雑巾をつけたバケツを載せてありました。この人ももう一人のマリアさんも、文化が違うので日本人から見るとエッと思うことをやってくれて、花の鉢から水が漏れるので下に置く大きめで深めの皿を探していたのですが、彼女が帰ってから見ると、まあ、有田焼の上等の深皿を!!有田も九谷も1ユーロショップで買った皿と違いはないようです。

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繁 大村
繁 大村
Sep 02, 2021

大きな新聞社の高給取りの特派員がこんな素敵な特派員便り載せてくれたら僕だってもっと新聞読むと思います、今全然読んでません。 ふくろうの噴水口いいですね、物語があるから、この写真1枚で、そこに居合わせた気分、つまり、まるで旅行した気分です、空気まで感じます✈️ りんご…ちょっとひねって2つに割ってポンと出されて…おっと!とびっくりした記憶があります…それを食べたかどうかおそらく食べたと思いますがそんなことを思い出しました。 新聞記事は…偏ったなりに読むというのが僕の読み方です、あ、そういう生きかた、と言ってもいいかもしれません、あはは、あー楽しかった本当にありがとうございます、朝からいい気分😊

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繁 大村
繁 大村
Sep 02, 2021
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偏ったなりに読む→まず僕が色眼鏡をかけて…読む

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