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執筆者の写真クレマチス

時代は変わって―家業の危機 Ⅱ――ドイツの黒い森から 9-2(びすこ)

今月の初めのこと、夕方居間から外を見ていて、社員の車が消えた駐車場で夫が白髪の婦人と話をしているのが目にとまった。彼女は夫を訪問して今帰るところらしく、開けた自分の車のドアのそばで夫のお喋りを聞いている。夫はとにかく話が長くて来客を見送るときもダラダラと話し続け、さっさと立ち去るわけに行かない来訪者が閉口していることもある。

しばらくして上がって来た夫に、お客様はどなただったの、と尋ねるとベッカー夫人とのことで、これは意外だった。ベッカーさんは企業主で、会社はここから1キロと離れていないところにある。規模はウチよりやや小さく、黒い森に多くある典型的な中小企業の一つで、それは彼女が父親から受け継いだものである。配偶者はいるが公認会計士で妻の仕事に直接関与してはいない。

堅実な人柄という評判通り見たところ品があって知的な印象で、夫は彼女のことを評価しているのだが、同じ製造業でも分野が違うので情報交換などもなく、道で会えば世間話をする程度の仲である。

ベッカーさんが何の用で来られたのかと訊いたら、ウチと同じ問題を抱えており、将来どうすべきか相談に来たのだという。同じ問題とは、後継者のことである。夫が81歳で未だに経営から手を引かないことについて、地元の人は呆れているらしい。

その年で倒れて後継者がないとなると部品の供給に支障が生じるとして、いろんな顧客から早く次期社長を見つけるように言われており、80歳までにはと言っていたら Covid-19 の災禍で産業界はてんやわんやとなって、こんな状況下で他の人間にバトンを渡すことはできないとそれを口実に今も第一線で踏ん張っている。

顧客の方も不安がりつつも、昨今はそれでなくても信頼度の低い中国からの納入がコンテナ不足で遅れたりキャンセルになったりで国内企業が頼みの綱だから、「そんな老人(しかも正真正銘の)が経営する会社とは取引できない」などと言えるような立場にはないのである。

しかしいざとなれば夫にも策がないわけではない。企業文化の異なるロシア人と中国人は厭だが、まともな企業が買いたいと言ってきたら、いくつかの条件(社員の給与を下げない、福利厚生のレベルを落とさないなど)を満たしさえすれば売却してもいいと考えているようだ。諸般の事情から、企業経営の適性が全くない息子を後継者とすることはとうの昔に諦めており、そのことは周りも知っている。

それでベッカー夫人が訪ねて来たわけである。こちらは一人息子に適性がないというのでなく、秀才すぎてこんな田舎で中小企業の社長などやっていられない、ということらしい。

わが家から半径数キロの範囲には、従業員が十人に満たない土建業者や家具メーカーもあれば、数百人を抱えた大きめの会社もあり、また小さいながらある分野に特化した世界的企業も存在する。ほとんどが三代目か四代目で、その中で40年前に他所からやってきて新規に事業を始めた夫は例外である。他はだいたい古参だけあって、その子どもたちも小さいときからいずれ会社を継ぐものとされており、高校を出るとたいていドイツ南部の工科大学で学んで、少し別の会社で研修したあと父親のもとに戻る。躾もいき届いてなかなか出来のいい若者が多く、親は安心して引退できる。

ベッカー夫人もその息子さんに同じことを期待していた。学業優秀だった彼は、州内の、工学系としては全国でも指折りの名門大学で学び、そのあと博士学位論文のためにローザンヌのスイス連邦工科大学に進んだ。教授資格試験にも合格したという。


ここで話が逸れるが、ベッカー君が学んだこの大学のラーニング・センターと呼ばれるユニークな建物は、日本のSANAAという建築事務所が設計したもので、10年ほど前の竣工時にはスイス・ドイツの新聞で華々しく取り上げられ、それで私もフランス語圏にあるこの大学のことを知ったのだった。


さて、スイスの有名大学で博士号取得というだけでも中小企業の社長としてはオーバー・クオリフィケーションもいいところなのに、そのあと彼は数学の勉強をすると言ってロシアに行ってしまい、今はモスクワ大学で学んでいるという。

これでもう、息子に帰ってもらうことは諦めました、とベッカー夫人は言っているそうな。昔々、アレキサンダー大王の父フィリップ2世は息子の比類なき資質を見抜いて「行け、わが子よ、マケドニアはお前には小さすぎる」と送りだしたというが、ベッカー・ジュニアにとって「黒い森は小さすぎる」のである。

(ここで土佐弁を使わせていただくと、彼は「黒い森にあだたん男」ということになる。あだたん-あだたない。収まり切らないという意味である。一言でうまく表現できているでしょう。)


高学歴のため家業を継がせることができない、という話で、私は少し前にインターネットで読んだ鹿島茂(仏文学者)と井上章一(国際日本文化センター教授)の対談を思い出した。題名は「京都市民が<長男の京大進学>を喜ばない事情」となっている。鹿島茂は横浜出身だが、井上章一は京都の生まれで京都人の「いけず」な面を知り尽くしているらしい。

京大生の中で京都市民は1割ほどしかいないが、そこに合格できた、特に老舗のボンは、「これで親父は俺のことを諦めてくれる」と喜ぶという。大学院まで行くと、これが「合法的な家出のコース」になる由。

京大卒の建築史家である井上氏は町屋の建築調査をしているとき、ある旦那から次のように言われたそうだ。

「われわれのところでは、子どもが京大に入ったら、近所から同情されるんや。『もうあそこ、跡継いでくれへんわ』と。賢いことが悪いわけやない。だけど、同志社くらいが頃合いなんや」

「同志社くらいが頃合い」などという言い草には、新島襄もその妻の八重も冥界で気を悪くしているだろう。

鹿島茂に関しては、実はずっと以前に丸谷才一の本を読んで知り、文壇では先輩格の彼がえらく褒めていてその著書「渋沢栄一・上下巻」を推薦している。それで自分も読もうと決めたのは、渋沢がお札になったりその生涯がドラマ化されたりの話を聞くずっと前で、しかし日本でそれをけろりと忘れていたため離日直前に親戚に注文してくれるよう頼んだものだから、まだ手元にない。

(因みに渋沢栄一の「算盤と論語」を日本の伝統的経済の典型と考えたエコノミスト誌が何か論評を載せていて、「株主かステイクホルダーか」の議論に結び付けていたが、こういう話題になると海外誌は日本のやり方を前近代的と断定するのが常なので、というより初めにそういう結論があって書いているので、パスした。)

丸谷氏は最初この仏文学者が経済人の伝記を書いたことを意外に思ったらしいが、サン=シモン主義の経済思想との繋がりを知って納得したようだ。この上下巻を読んで、渋沢栄一こそ「明治の精神の代表者だと確信」するに至ったそうである。その鹿島氏、対談では歴史人口学者のエマニュエル・トッドの説に言及している。この学者の著作は3,4年前に何冊か読んでいたので、頷ける説明であった。

トッドは「世界の多様性」の中で家族タイプを7つ(ただし欧州に限れば鹿島氏の言う通り4つ)に分類し、日本とドイツとは長子相続の直系権威主義家族だと言っている。長男が家督のほとんどを受け継ぎ、両親と、ついでにいくらかは弟の面倒も見る、という制度である。一方フランスなどは平等主義核家族で兄弟は平等であり、財産も均等に分配される。

日本とドイツに同族経営の中小企業が多いのは、この長子家督相続制度に支えられてのことである。兄弟全員に分配していては富が蓄積されず資本が不足する。フランスやイタリアの一部、ポルトガルなどは、それを補うために国家が産業に介入しているのであろう。この点にはトッドも鹿島も触れてはいないが。

興味深いのは、フランスでも「南仏やドイツ国境には、直系家族の同族企業がかなりあります」と鹿島茂が言っていることで、ドイツ国境とはアルザス・ロレーヌのことであり、この地域は前にも述べた通りドイツ文化圏なのである。ドイツ企業がアルザスに工場をもっていることは珍しくない。またアルザス人はかなりの割合で越境通勤者としてドイツ側で働いているため、この地域の失業率はフランス中で最も低い。


話を元に戻して、かくて我らが隣人のベッカー家も超高学歴の息子を「どこへなりとも飛んで行け」と世界に向けて放たざるをえない状況に陥ったわけである。

上記のようにベッカーさんは一人娘だから親の企業を受け継いだので、兄弟姉妹はなく従って甥・姪もいない。その点は、自分の姉・兄に実子がないわが夫の場合も同じである。

こうなると、どこか良い条件で企業を引き取ってくれるところを探すしかない。夫の顧客を含め、サプライアーを見下しつつも現実その存在無しでは立ちゆかない欧州の大企業は多いし、ここ数年は相手の足元を見る中国企業(中国政府というべきか)のやり方に警戒感を募らせているので、ドイツ・オーストリアの中小企業存続には何らかの形で協力が得られるだろうと私は思っている。これは利他心や人道主義とは関係なく全面的に自社の利益のためだが、資本主義のメカニズムにおいてはその方が健全ともいえよう。

夫の同業者で私も仲良く付きあっているウィーン郊外の企業がある。ぶっちゃけ、何度も経営が傾いて投資がむずかしいので(もともと画家志望だったという社長はディレッタント風で、美術館の案内などは「まかしとき」であるが)、工場は汚く生産性も低い。しかし夫の会社とも取引のあるオーストリアのさる大手会社は、値段に惹かれてかなりの部品を中国から調達する一方で、自国内のオンボロ会社からも一定の割合を購入している。ドイツとオーストリアに供給業者がなくなったら、中国が価格を吊り上げることは目に見えているからだという。

ただ、企業の売却あるいは合併には交渉に時間がかかる。私は夫に言った。「ベッカーさん、しばらくは一人で頑張るのね。あなたの年になるまでにはまだ10年余りあるし。」それに対する夫の答えは「うん、だから相談に来たのさ。」


(写真はローザンヌのスイス連邦工科大学のラーニング・センター。設計はSANAAの妹島和世と西沢立衛。最初私はこの穴だらけの外観はスイスチーズを模したものかと思ったが、その他の建築物でも孔のあいた設計が多い。)



クレマチスさま
五月も半ばとなりました。日本のコロナ感染者はここ数日6000人台で推移しており、ドイツの1万人台よりは少ないもののこのままいくと日本も1万人になるのでは、と不安です。病床が足りないという話は、全く理解できません。豊田真由子氏が言うように、1年4か月過ぎての今の事態は人災だと思います。といって、欧州もワクチン接種の割にはかばかしくありません。英国などは劇的な減少にもかかわらず、依然としてリスク国とされています。世界の感染者が2億人を超える頃には落ちつくのでしょうか。
今日はフライブルクに買物にいきました。食料品には全く問題がないのですが、衣料品店の場合は店の前に「予約してから来店して下さい」とあり、予約してまで服を買いに行く人がいるのかと呆れました。政府の指示でしょうけど、何とも滑稽な気がします。政治家にすれば多分「ちゃんと言ってある」というアリバイ作りのレベルでしょう。予約しても買ってくれない客と、予約なしでも買ってくれる客と、どちらを選ぶかは分かり切った話。政府が商売のことを本気で考えているとは思えません。今の政権も末期症状を呈しています。どうせあと4か月ですしね。
・・・
びすこ


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2 Comments


hmdhonau
May 16, 2021

企業の後継者の問題は、近年ドイツで(おそらく日本でも)risk aversionの傾向が強く、大多数が安定志向になっていることと関係があると思います。寄らば大樹の影、という生き方。「鶏口となるとも牛後となるなかれ」なんて若い人はまっぴらのようです。黒い森では中小企業が比較的安定しているので、どこでも長男が継ぐことを厭がらないのはありがたいですね。

中小企業主の女将さんになって約20年、その間に何度か景気後退も経験しましたがやはりリーマンショックは大きかった。幸い1年経たずで回復したものの、その時期の夫の心労は見ていられませんでした。それまで、早朝5時から、夜は半シフトがあるためその人達が帰る10時近くまで事務所を離れない。土曜日の残業も結構あって、休めるのは週1日ちょっと。今でいうライフ・ワーク・バランスなど問題外で、さすがにいい加減にしてほしいと思いました。

でもリーマンショックで残業は全くなくなり、出荷のトラックも劇的に減り、土曜日には朝から買い物に行けるようになりましたが、それがとても寂しく、しばらくして、土曜日に金属を削る音が工場から聞こえてきたときはもう嬉しかったですね。

2年ほど前から出荷場所が少し変わったので、フォークリフトで部品を運んでトラックに積んでいる様子が台所の窓から見えるようになりました。朝7時半には既に一台目が来て、製品を積み込む光景を私がじっと見ているのを夫は不思議がり、「うちの嫁さん、出荷風景が好きらしい」なんて他の人に言ってますが、こうして工場から出て行く製品があることが本当にあり難いのです。

そして、これほど長年(60年)重労働に従事して精神的にも相当きつかったはずなのに、夫がまだ元気でいてくれることも、なんて運がよかったのかと思います。

そういう運にも大きく左右されますし精神力もよほど強くないと生き残れないので、若い人が経営を嫌がり、夫の息子のように「僕はパパのように働き詰めの一生は送らない、もっとスマートに生きる」と豪語するのも無理はないかもしれません。もっともその息子、今は失業保険で暮らしていますけど。

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繁 大村
繁 大村
May 16, 2021

事業承継もメーカーの生き残りも…今に始まったことではなくゴーイングコンサーン、企業は継続してなんぼの観点はヨーロッパにいまだ健在なんだなぁと思いました。中身の何を引き継いで何を引き継がないか、どういう人を育てどういう効率的な?試行錯誤をするのが良いのか、企業風土などと言うものどういう業界に残り、今もあるのか?そもそも第一線に立ったことない僕に想像つくわけもありませんが、メーカーであり続けることの難しさは社会に出て人生を始めた頃メーカーにいたので少しは想像がつきます。ちょっと古いですがシャープの液晶画面の失敗例、ソニーの絞り込みの甘い新製品開拓の失敗例、位までは僕も興味があり追っかけたことがありますが、、これからの世の中の企業の消長、皆目、想像がつきません。 びすこさんのこの通信は今を知る意味でほんとに貴重です。僕の近所に点在する工業製品を手がけているはずの小規模企業主は、寡黙で勤勉で皆さん一家言ある面構えをしていらっしゃいます。ロケット部品もたまに注文が来ると言う知り合いはポツリと…このコロナの受注減で潰れた人がいっぱいいる…と辛そうでした。厳しいなと思います。 自分の身に引き寄せてみれば…事業承継がないとは言え、その他大勢の僕らは…そろそろ自分の身の処し方に本気で取り組む時期が参りました。この指とまれとやる人、あっちをなだめ、こっちをおだてとにかく目標を定めて、例えば最終コーナーを、社会的負担を軽減するために、自主管理を含む住める家を作るなんて物語をこの間知り合いの人と、してみましたが言うのは簡単ですが何事も先達はあらまほしき者なりと探してみてもおいそれとは見つかりません。人を育てて一人前にすることが1番大変なことなのに手抜きしてきたその分これからつけがいっぺんに回ってくると思うと…途方に暮れるばかりです。優秀な官吏、後継者、それを「理解する」その他大勢、を含めて、「育てる」と言う視点の欠如を思い知らされていくのだと思いました。いつも刺激的な通信をありがとうございます。

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