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執筆者の写真クレマチス

時代は変わって―家業の危機 I――ドイツの黒い森から 9-1(びすこ)

先週の水曜日、私たちがその常連であるガストハウスから「母の日のメニュー」がメール/ファックスで届いた。ガストハウスと言うのは宿屋であるがレストランも兼ねており、宿泊料はホテルよりかなり安い。泊まる必要のない地元の人は、もっぱらレストランを利用する。

母の日の特別メニューを知らせてきたガストハウスはシュタウデといい、400年もの昔から現在の場所にあるという。広々とした丘陵地に立っていてオーナーがシェフ、奥さんがサービス係。主人は腕がよく、奥さんは穏やかでテキパキして、どちらもすこぶる評判がいい。


私たちは時々ここで食事をするが、夫婦二人きりよりも業者・同業者や友人、親戚を伴うことが多い。通常わが社の顧客が宿泊して夫が接待で夕食をともにするのは、これもわが家からあまり遠くないホテルで、こちらはガストハウスに比べ高級っぽい。客層も都会から休暇を過ごしにきた中流層が多く、オートバイ乗りやハイカーが好んで利用するシュタウデとは雰囲気を異にする。

夫は同業者が訪ねて来た時はこのガストハウスを使い、マイスター校から10人前後の生徒が工場見学にやってきたときもここで昼食をご馳走する。また社員全員の夕食会を催すこともある。そんなわけで、わが亭主はこのシュタウデにとって「お得意さま」といえる。

数百年の歴史を誇るだけあって建物が古いのは、周りの牧歌的な雰囲気にマッチしていいのだが、内装も近年古びてきて「レトロ」な感じになった。「ださい」ともいえるがそれが親しみを感じさせくつろぎをもたらすというので、むしろ評価されていた。

しかしオマー・シャリフ似のシェフも70歳近くなり、レストランのサービスを甲斐甲斐しく手伝っていた彼の実姉も齢だと言って引退したし、そろそろ次世代のことを考える時期が来て、カタールのホテルで修業を積んで帰ってきた息子に、店を大部分任せることにした。

そしてこの機会にと、レストランや客室の内装をリフォーム(これ和製英語ですけど)し、かなりオシャレな印象になった。といっても「黒い森」の建築物らしく木材をふんだんに用いて温もりとやらはしっかり保ち、カーテンや椅子・ソファなどにも過度にモダンではない落ちついた柄を選んでいる。

この改装計画に着手したのは一昨年の11月で、この月にはドイツでは観光客がばったり途絶えることから全面休業するところもある。上記のホテルのオーナー夫婦はこの時期を地中海の島で過ごし、オマー・シャリフも2年に一度はチリに住む友人のところに行く。そのあと12月はクリスマス、1月には正月の客が来るので書き入れ時ではあるが、一昨年にはそんなことを言っているといつまでも作業にとりかかれないと、2019年からの年末年始は諦め2020年早春には新装なったガストハウスに客を迎えるのだと言っていた。

翌2月には予定通りリフォームが完了した。そして・・・とたんにコロナがドイツを覆った。店はしばらく休業を余儀なくされ、そのあと日本とほぼ同じく初夏には政府が各種制限を緩めたので、夏の休暇シーズンには「三密」を避けながら営業することができた。


やがて秋が来てウィルスは再び暴れ始め、私がドイツに戻ったときはガストハウスもホテルも全部閉まっており、食料品を扱う店とスーパーだけ営業が許可されていた。代々着実な商売をしてきたシュタウデには余裕があって、事態が落ちつくのをじっと待つことも可能だったのだが、そんな風に暮らすことは働き者の一家には耐えがたかった。

それで考えたのが、お持ち帰りサービスである。Staude to goと名付けて当ゲマインデ(自治体のこと)の常連客にメニューを送り、予約をとって週末に料理を取りに来てもらう。毎週ではなく月に二三度、また季節の行事がある土・日には必ず知らせが来る。今では一回に百食を越える注文があるという。私が帰独後初めて頼んだ料理を夫と取りに行ったのは、クリスマスの前の4週間のアドヴェント(待降節)の初日であった。

私たちが注文するときは、折角だから二人だけのためというのはもったいないし、それでは大した支援にならないからと、長年わが家の雑事を手伝ってくれている老婦人や、昨年春から庭や家の中の設備を管理してくれている50代男性とその妻、夫の秘書で私的な用事も厭わずにやってくれる中年女性とその夫のために、たいてい5人~7人分を注文して取りに行く。

何度か夫1人に行ってもらったこともあるが、四月初めの復活祭にお天気もいいからと付いていったら、ガストハウスの前に17,8台の車が既に並んでいて驚いた。料理を受け取るまでに少し時間があったので近くを歩き、散歩から戻ってみるとさらに車が増えている。待ち行列ができてその最後尾は建物内に納まらず、私たちはしばらく外で立って待った。これはもちろんソーシャルディスタンスのせいもあったが。

今の状況では外食は無理だが、たまにはプロの作った料理を食べたいと思う人は多く、妻の方は毎日のように昼・夜食事の支度をするのにうんざりしているから、秋以降のこのサービスを知って客が増えたとみえる。実はわが家の場合も、出張は減り顧客が来て食事に招くことも無くなったため、私は連日台所に立たねばならない。相手は食事にうるさい人ではなく、いくらでも手抜きできるので毎日でも苦にはならないけれど、どうやら「妻にも休みを与えなくては」と思っているらしい。

いずれコロナが今の勢いを失ってもう少し自由な生活ができるようになれば、このガストハウスもまた賑わうであろうが、それまで忘れないでほしいというメッセージも兼ねてこういうサービスを提供してくれるシェフと息子とに感謝である。

ここの再開を待っているのは地元のドイツ人ばかりではなく、国境まで1時間のフランスからも客が来る。何年か前に夫と昼食に行くと、長いテーブルで20人ほどの女性が食事をしている。聞こえてくる会話はフランス語だが、ウェイトレスに何か頼むときはドイツ語なので、アルザスの人と分かった。

「お誕生日会ですか」と尋ねると、「いいえ、今日はフランスの<母の日>だからみんなでご飯を食べに来たの」と言う。(フランスとドイツ・日本とは<母の日>が違う。)フランスのレストランは日曜日には閉まっているのでドイツに来たのだそうだ。フランス人は「休むために働く」というくらいだから、日曜日に仕事などまっぴら、その日は自分たちも家でゆっくりしたいと言って、店を閉じる。

ドイツの経済が急速に成長し始めた2007,8年頃、フランスは相変わらず不景気なままで、その理由はドイツが安い人件費と長い労働時間でフランスの仕事を奪っているせいだと噛みついたのは、当時のフランスの財務大臣で現在は欧州中央銀行総裁の任にあるクリスティナ・ラガルドであった。ドイツの財務相ショイブレ爺さんはラガルド女史の言いがかりを「ふん」と聞き流したが、ほとんどのドイツ人が、なぜフランス人をもっと働かせないのだ、と怒った。

フランスのお母さんたち、今年は無理でもいずれまた「黒い森」で食事会をしてくれるだろう。

そんなわけで将来は決して暗くなさそうなシュタウデだが、実は一つ問題がある。後継者である。

息子が継いでいるではないか、って? そうなんですが、そのあとが・・・

彼がカタールから帰ってきた時、傍らにそのパートナーがいた。結構な話に思えるけれど、そのパートナーが同性だったのである。どこか東南アジアの人らしく、少し茶色がかった肌をしていて細身でなかなかイケメンだ。そのまま同性婚をしたようで、一緒に暮らしている。

息子のそばに彼を見た時、昔かたぎの両親はどんなにか狼狽したことであろう。外国人の同性と結婚。欧州の中では保守的とされる南ドイツの、さらに保守的な黒い森地域で、この噂は瞬く間に広がった。

しかし時代の流れには逆らえないと悟った両親は、今は息子の望むようにさせている。最初は好奇心を隠せなかった客もいつのまにか慣れたようだ。

とはいえ私の方は、自分には関わりのない問題ながら少しばかり胸が痛んだ。というのも、同性婚で親子が争い、ついに子が家出して商売を畳んだ家族が同じ町にいるからである。これも私が贔屓にしていたカフェで、奥さんが70歳になったばかりで亡くなった。そのとき娘さんが一人いると聞いたが、この人がやはり同性愛者で、厳しい母親がそれを許さず娘は家を出るしかなかったという。

奥さんはやり手で彼女の腕で店がもっていたようなもので、良いカフェだった。葬式のとき慌ただしくやってきた娘の姿に、せめて母親が生きている間は同性のパートナーとの結婚は思いとどまってあげればよかったのに、と恨めしかった。

もちろん同性愛が悪いとは言わない。好みの問題はあるにせよ、今の世の中何でもありで、絶対の悪とか、どこからどうみても360度間違っていることなど、普段の暮らしの中では稀である。人はどんな嗜好も性癖も排除してはならない、というのがグローバルスタンダードというもの。

だがかつては「信仰」と「故郷」を重んじ、よそ者を嫌っていたこの田舎町で60年、70年と暮らして来た人達にとって、わが子の同性婚は大きな衝撃であったろう。自分自身が年とってみて、これまでの価値観を変えることがいかに難しいかよく分かるのだ。では昔のままの価値観ならいいのか、と言われるとそれも困る。同性愛嗜好を持って生まれた人に、それを禁じるのは残酷である。

そもそも昔は同性愛を大っぴらにすることなどできなかった(欧州では長く刑罰の対象だった)。だから親の命じるままに不承不承適当な異性と結婚し、親の家業をそのまま継ぎ、子供を成してその子に後を託して、という流れになった。

カミングアウトとやらが簡単にできる今の風潮は彼らには福音ではあるが、自分の故郷が突然どこかから吹いてきた近代化の嵐に巻き込まれてただもう困惑するばかり、という親の世代はまだまだ残っている。

ガストハウスの息子とそのパートナーは今の生活に満足しているようだし、親も現代社会の風潮に従うと決めたなら、孫がないことも諦めるしかない。いや、養子という手もあるぞ。ドイツでは親のある子を養子にもらうことは禁じられているが、アジアやアフリカの孤児を養子にすることは比較的簡単である。

いずれにしても、何百年と続いた直系の跡継ぎという風習はやがて絶える運命にあり、それに抗う親は時代錯誤との誹りを免れない。どの時代にも進歩とやらの陰で泣く人はいるということか。

*二枚目の写真は、一枚目にその外観を示したガストハウスの改装後の内部


閲覧数:39回5件のコメント

5 comentarios


繁 大村
繁 大村
13 may 2021

そういう状況ですかぁ、閑静で昔気質の方たちが多い地域でそのままの調子で時代が推移していくものと、さらには一生を終えられると思っていたのに…時代の波は(まさに大波)くまなく押し寄せるのですね。今ふと…時代感覚が否応もなく古くなっていく自分の役目…時代の重しかな、良い意味でも悪い意味でも…。天井の高い木の香りのする明るいレストランで…何を食べようかなぁ。あ、目覚めの通信ありがとうございました😊

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繁 大村
繁 大村
13 may 2021
Contestando a

あはは🤣

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