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執筆者の写真クレマチス

春は来たけれど――ドイツの黒い森から 番外(びすこ)


〔高知 G高校関東支部 8期の同窓会幹事のOさんからの一斉メールにより、びすこさんが投稿した記事が高知新聞に掲載されているということがわかり、私とのメールのやりとりも整理して葛飾文芸クラブ向きのブログにまとめていただいた。〕


春は来たけれど

昨年の晩秋に13カ月ぶりで夫のいるドイツに戻った時、春になれば新型コロナ感染者も減ってまた帰国できると思っていたが、とんでもなく甘かった。

日本の現状はともかく、一日の感染者が時に1万人を超えるドイツからではワクチン接種なしの渡航はむずかしい。

その接種だが、こちらでは政府にも国民にも切迫感はあるもののEUの官僚主義に阻まれて出足が大幅に遅れ、結局この春はドイツで過ごすほかない。

春は日本でもドイツでも美しいからそれは構わないけれど、残念なのは日本で親しくしてきた高齢の友人・知人に会えないことである。「老いてこそ春の惜しさはまさりけれいまいくたびもあはじと思えば」こう詠んだ橘俊綱の享年をとっくに過ぎても、今の70 代ならめぐりくる春にまた会えると希望を持つこともできる。

故郷の桜は来年も花開く。だが、病の床にあったり介護施設に入っていたりで離日前の別れの挨拶も叶わなかった人々と、果たして次回の帰国時に再会できるのだろうか。誰もが不自由な思いをしていることに変わりはなくても、友達や同僚といずれ再び楽しい時を持てる若い人々と異なり、体力も気力も限界に近い高齢者が失う1年・2年はとり返しがつかない。それを思うと会えない無念さが募る。(高知新聞 3月27 日付)


クレマチスさま

どうしましょう、こんなに広がっちゃって。

ついでだから、この投稿の背景を少しお話しておきますね。

日本での13カ月間に多くの古い友人・知人と旧交を温める機会がありましたが、介護施設に入っている95歳の女性との面談は、19年末には可能でしたが翌1月以降禁止されました。ずっと独身を通し、そのことからイカズ(嫁かず)の私を何かと私を励まし力づけてくれた人でした。

また親戚の何人かを数十年ぶりに訪ねた中で、母の従弟にあたる92歳の男性は、退職後しばらくして宝塚市から生家に戻ったのですが、その配偶者は他県出身で知己がほとんどいなかったせいもあるのか認知症になりかけており、施設に入れたら途端に会えなくなった、と悔やんでいました。私としても彼女と言葉を交わす術はなく・・・施設の受付に手紙を残してきた人もいましたが、痴呆症ではその手段も使えません。

その他に、私が7歳のとき祖父母に連れられてその婚礼で会った女性(今年90歳)が、古い屋敷に一人住んでいました。その人の亡夫が私の父の従弟になります。光源氏が思い出して訪ねて来てくれるまで末摘花が姥と暮らしていたのもこんな家だったのでは、と思わせる暮らしぶりでした。

母方にせよ父方にせよ、血縁者はもうほとんど誰もいなくなった状態で、これほど長く日本にいることはないからこの機会に、とコロナのおかげで会えたともいえますが、同時にそのコロナのせいで会えなかった人も多くいました。

ドイツにはかつてナチスドイツにも利用された「Blut und Boden」というイデオロギーがありました。(「血と土」と訳されるようですが、ドイツ語がBという音の頭韻を踏んでいることから日本語も「血と地」にしてもよいのではと思います。ただ、あまり響きがよくないですね。)要するに血縁・地縁を重んじた思想で、引いてはそれが民族主義・国家主義につながりかねず、グローバリズムやコスモポリタニズムをそれこそ世界中が標榜する今の風潮にはまったく合いませんが、結局のところ人は、食べ飲み住まい傍らの人と言葉を交わし合いながら生きてゆく存在で、年をとればとるだけ抽象的な博愛主義より具体的な隣人愛によりかかることが多くなっていきます。

私の幼なじみ(5歳からの)の女性はずっと生まれた土地に住んで、今は2 組の息子夫婦と7人の孫、計13人の家族と暮らす身で、これはのほほんとした夫君ではなくほぼ全面的に彼女の力で築いた家庭ですが、そういう人なので民生委員などの仕事をして村中を駆け回っています。彼女の紹介で知り合った高齢者もかなりいて、どなたもが別れを惜しんで下さったとき、「またすぐ帰ってきますから」と約束したのにそれが果たせないことが無念でなりません。それでちょっと図々しいですが、新聞の投稿欄を借りて皆さんにその旨を伝えたいと考えたのでした。

昨年11月に故郷を離れたとき、その女性ともう一人の幼なじみが高知空港で見送ってくれ、成田空港には都ちゃんと、サープライズで本多君とが来てくれて、名残は尽きませんでした。その時、私は生まれて初めて「おや、私って幸運な人間かもしれない」と思いました。結婚した時はそう思わなかったのかって?思いませんでした。やれやれ、前途多難だな、って思いました。これまでのところ、恐れたほどのことはありませんでしたけれど。

びすこ


母の家

クレマチスさんからのリクエストに応えて、郷里の高知で過日新聞に掲載された投稿記事と、それが同窓生を通じて東京の仲間に広がった旨を教えてくれたクレマチスさんへのお恥ずかしメールとをここにアップします。

恥ずかしいついでに葛飾文芸クラブでも披露しては、とのご提案でしたので、毒食わば皿まで、とばかり受けてしまいました。ただ、そのメールで言及したように、私の育った環境と現状は今の時代ではやや特殊なものになっているらしいので、少し(いや、ちょっとくどいかも)補足しておきたいと思います。



写真は母の実家です。私の家からは1キロも離れていません。武家屋敷の典型ということで、伝統的建築物とやらに指定さなれているようですが、実は祖父は次男で N家の分家にあたり、本家はこの家のすぐ向こうの四つ辻を越えた左側にあります。クレマチスさんへのメールで触れた母の従弟が住んでいるのはこの家です。

武家屋敷と言っても、母の実家は下級武士で家も粗末なもの、贅を尽くしたしつらいなど何もありません。それでもきちんと維持されているならいいのですが、母の上の弟、つまりこの家の長男が甲斐性無しの根性無しの意気地無しだったため荒廃するばかりで、結局市当局にその維持を委ね、さらにその息子は父親に輪をかけて・・・ということで土地ごと市に売り渡してしまいました。市が買ったのは観光資源になるとふんだからでしょう。

何代も家督を維持し家の「威信」を守っていけるような家庭など今は例外で、N家(分家)の没落ぶりも特に恥というわけではありませんが、私が母の実家の尾羽打ち枯らした姿に複雑な感情を抱くのは、彼らがこの地域外に住む人々、つまり「旧士族」でない村民に対して示していた傲岸で侮蔑的な態度からです。

この侮蔑は母の嫁ぎ先である父の一家にも向けられていました。父母は同じ村の住民なのに、結婚前に会ったことはなかったそうです。父の代で戦争があって戦後の農地改革のためわが家の財産の大半は失われましたが、戦前に母が嫁いできたときは「素封家」でした。よくある話ですが、財産はないけれど由緒を誇る家と、お金はあるけれど身分は低い家とのマッチングです。

それが戦後父の家は身分も財産もない普通の家になり下がって、母はそのことがよほど恨めしかったとみえ,伯母・叔母たちと顔を合わせると父の一族のことを悪しざまに言い一緒に嘲笑していました。子どもの私は「成り上がりの百姓がまた無一文になって」という彼女たちの言葉に、どれほど悔しい思いをしたことでしょう

(といっても、父や祖父母の前でそれを言っては母はいられなくなるし、実家に戻られてもそちらも大いに困るので、母は父の前では「上品で貞淑な妻」を一生演じ続けました。生きるため、といえばそれまでですが。)

この子供時代の記憶が、私を母の実家 N家(分)の敵にしました。母の兄弟姉妹7人は全員が長寿で今も3人が残っていますが、私はN家 (分) に関わりの在る人間とは極力接触を避けてしています。

ただ、本家の方とは過去にそれほど深い付き合いはなく、従って確執もありません。また大きな問題を抱えていたそこの長男・次男が 40歳を前に亡くなってまっとうな三男が継いだことから、その家は家門としても建築物としても立派に保たれています。彼がN家の13 代当主というのも、時代がかっていて面白いでしょう。さらに、兵庫県に住むその長男も現役ながらしばしば両親を見に帰る孝行息子で、おそらく14 代目となる心構えはできており、放蕩息子たちに苦しんでいた大伯父夫婦も今は草葉の陰で「安寝なす」というところでしょうか。

実はこの武家屋敷地域の奥(写真の突き当り)に村の戦死者の忠霊塔があって、父とゆかりのある人々も祀られていることから私は時折そこに参ることがあります。その際にN家の本家の前を通るので、あるときちょっと挨拶に立ち寄ったのを契機に、上記の「13 代当主」とも親しく言葉を交わす仲になりました。そんなわけでN家(本)との関係は「めでたしめでたし」に近い結末といえます。

閲覧数:44回1件のコメント

1 Comment


繁 大村
繁 大村
Mar 28, 2021

今フォーラム欄でびすこさんのコメントにコメントして…ここに来ました。いやはや、あっと驚く急展開に口をあんぐりです。古いフィルムの早回しを見ているようで目が回りました。不思議な感じにとらわれています。だってこのほんの30秒前に15歳のびすこさんのエピソードをぜひお聞かせくださいとおねだりしたばかりだったからです。今日はクレマチスさんや葛飾文芸クラブの方と牛久へお花見に行くその出掛けです、これまた面白いご縁ですね。ちょっと中座しますね、というかこの続きはお花見から帰ってきた後で…

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