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執筆者の写真クレマチス

子供の頃に食べた物――ドイツの黒い森から 21(びすこ)

食べ物というのは人間誰でも毎日関わらざるを得ないので、近年人々の食品への関心も高まっており、しかもこの意識の高さにおいて日本人は世界一ではないかと私は思う。無論欧米や東アジアにも食の重要性に目を向ける人は多いが、一般市民の関心という点では、貧富の差が相対的に少ないこと、教育レベルが平均して高いことなどから、世界のトップクラスといってもよい。

こういうと日本にも富豪と極貧層の大差はあるという異論が必ず出るだろうが、いやいや、日本の富裕層というのは米国や欧州に比べると全く大したことはない。例えば大企業の社長や取締役の所得水準が全く異なる。以前にこちらで、ルノーやベンツなどの社長の年収はトヨタの取締役(社長を含む)20人~ 30 人分に相当するというニュースがあった。今はほとんど話題にならないGMなど、かつては凄い額をトップに払っていたようである。それで会社が潰れても知ったことか、というのがアメリカ式。(実際クライスラーも潰れた。)

貧しい人も日本には多いが、それも保険のない米国の貧民層よりはマシだろう。完全に平等な社会というのは地球上のどこでも実現していないので、いずれも比較の問題でいうと、富者・貧者の間に横たわる溝の深さと教育水準の格差とに関しては、日本社会は他国から批判される筋合いはない。無論改善の余地はあるが、それと現状の国際比較とは話が別である。


というわけで、私のような者でも食品の栄養分やそこに含まれる可能性のある危険物質には留意している。この意識は必ずしも経済水準には比例せず、常識的で極端を嫌う日本人の資質にもよるので、食べるものに関しては、少なくとも一般庶民の間では金の有る無しは余り関係ないと思う。

そしてこれは私の身内や親戚の病歴・寿命を観察していて感じること、いやほとんど確信しているともいえることなのだが、幼児から思春期にかけての食生活はその後の健康状態に大きな影響を与えるようだ。

それを証明するために、ここで私の父方と母方の食生活の違いを挙げる。


父方の家庭については 1860 年代初め、明治維新の少し前の慶応の頃に生まれた曽祖父から始めなければならない。この人はもう桁外れの吝嗇であった。同時にカネ儲けの才もあって高利貸しで蓄財に励み、それで息子たちの暮らしもしばらくは――終戦までは――安泰であった。

倹約一筋の彼は子や孫ができるだけ白米を食べないよう、食事前にみんなにサツマイモを与えたという。これは腹持ちがよく、ご飯を何杯もお代わりすることがなくなる。サツマイモは栄養価が高いので白米よりも好ましいが、曽祖父には栄養など二の次だった。

彼のもう一つの課題は惣菜をできるだけ減らすことで、そのため父方の代々の嫁は、それさえあれば結構ご飯が食べられる沢庵を幾樽も漬ける義務があった。(私の母も、漬物だけは評判になるほど上手だった。)

曽祖父は脳梗塞か脳内出血で古希の齢に亡くなった。父が 20 歳の時で、学生の彼は遠くの町にいて葬式には間に合わなかったと聞いており、それで曽祖父の生年も計算できるわけである。曽祖母は戦時中、確か 74,5 歳で世を去ったが死因は分からない。

いずれにせよ、明治維新前後に生まれた人間なら 70 歳とか 75 歳という寿命は別に短くはなかった。食生活は豊かではなかったものの(それも貧困のためではなくケチだったせいで)、ご馳走が供される機会もあり、当時の社会の水準からすれば中、または中のやや上というところ。聞いた話では、戦前には我が家はサトウキビ畑を所有していて村には砂糖精製の工場もあったので、甘いものといえば黒砂糖がよく使われたそうだ。


その息子で 1884 年生まれの祖父は 79 歳で他界した。苦労知らずの彼は結構な美食家でもあり、お膳には毎回刺身が乗っていたのを私も覚えている。それから、ヌタが好物だったらしく祖母が葱や大蒜の葉でよく作っていた。また煮豆が好きで甘党でもあった。

彼の一番の問題は運動不足で、趣味は謡と仕舞と鼓、仕舞は体を動かすといっても運動量など知れている。そのため今でいう生活習慣病になることは免れず、晩年は糖尿病に悩んだが結局脳梗塞で倒れてから4,5日後に亡くなった。無論自宅で。

祖母の方は 88 歳まで生きたから、1970 年代当時としては相当長寿だった。彼女は 40 代でバセドー氏病になり、嫁を虐めたのはその病気で感情のコントロールができなかったためと母は言うが、私は母の薄情・自己中にも原因があったと思っている。

それはともかくバセドー氏病以外には医者にかかったことがなく、私も彼女が病院に行ったり薬を飲んだりするのを見たことがない。倒れてから町医者を呼ぶと、臓器全てが機能不全になっているので治しようがないとのことで、こちらも数日して自宅で亡くなった。嫁にはありがたい舅・姑の最期だった。

父方の一族:曽祖父母、三男二女とそれぞれの配偶者、計12人

(後列真ん中が曽祖父、後列左から二番目が祖父)1919年

写真は故意にぼかしてあります。


さて、ここからがポイント。祖父と祖母の 6 人の子供たちは、昨年 90 歳で亡くなった四女を除き全員が癌で死んでいるのである。長女は胃癌、長男(父)は胆管癌、次女も胃癌、三女は直腸癌、次男は甲状腺癌のあとで膵臓癌。うち三女が最も短命で 58 歳で逝き、次男は61 歳。彼の場合は次男を溺愛していた祖母の他界を待つようにして病が発覚した。あとは長女が 85 歳、父が 82 歳、次女が 78 歳とまずまずの寿命である。

よく癌の家系という事が言われるけれど、祖父母とも癌の気はまるでなかったのに子どもたちは 6 人中 5 人までが癌になった。長女と次女が続いて逝ったとき、父が「あの二人は一体何を食べていたのだろう」とやや見下すように言った。

私の世代より 30 ~ 40 歳上の人だから今ほど栄養には配慮しなかったろうし、すぐ下の妹が 78 歳というのは平均寿命より短かったかもしれないが、その言い方は不快だった。果たしてその叔母の死から半年ほどして食欲がなくなった父が病院に行くと、胆管癌で手の施しようがないと分かった(無論本人には告知されず)。「あんたは何を食べていたの」である。

それにしても三女と次男の死は早すぎた。三女の場合、医師から直腸癌で人工肛門が必要と言われ、それを嫌がって手術を拒み続けているうちに亡くなったというから、助かる余地は大いにあったのに。次男の場合は・・・彼こそは子供時代からの食生活が大きく影響していると私は考える。

彼は漬物が大好物だった。それも塩分が半端でない古漬。母が嫁いで来た時、まだ 10 代半ばだった彼が毎食山盛りの白米に漬物を載せ、しかもそれに醤油をかけてモリモリ食べるのを母は呆れて眺めていたという。聞けば幼い頃からずっとそんな食事だったが、祖母はその食習慣を改めさせようとはしなかった。

しかも不運なことに、彼が結婚した相手は家事が嫌いで出かけてばかりで、料理などまるでしない人だった(漬物があるし)。その彼女は 41 歳にして心臓発作で急死し、後妻に迎えたのは幸いまめな女性だったが叔父の体質を変えるには遅すぎた。さらに、前妻による食生活の偏りは娘たちに現れ、三人ともかなりの高血圧で孫のうち二人は 20 代にして蜘蛛膜下出血で倒れている。

このように父方の家族はわずかな例外はあったものの、特に短命・病弱というわけではなかったが、平均的日本人より健康に恵まれていたともいえない。


それに比して母方の一族は模範的であった。もっともそちらの祖父母は二人して胃癌で亡くなり、祖父は 69 歳(酒の飲み過ぎ)、祖母は 80 歳だったので、父方に比べるとずっと短命だったが、その子どもたちがいずれも健康優良児だったのだ。

母の兄弟姉妹は全部で 7 人、そのうちの誰一人として欠けることなく成人し、病気をしたという話も聞いたことがない。長女は 87 歳まで生き、次女の母は 86 歳、彼女の場合には転倒して脳内出血を起こすことがなければ後 2,3 年は生きただろう。すぐ下の弟つまり長男は 85 歳(彼も酒好き)、そしてその下の三女もやはり 85 歳、彼女だけ少し早かったがいずれも癌とは無縁だった。

残る四女と五女と次男は現在それぞれ 90 歳、87 歳、84 歳と存命で、すこぶる元気だというから共に 94,5 歳まで生きる可能性は大いにある。そして驚くのは、この三人に虫歯がないことである!!

母方の一族〈男子のみ〉:曽祖父とその六男と二人の孫

(前列右から二番目が祖父)1930年代

写真は故意にぼかしてあります。


それでいったいどんな食生活だったかというと、家庭は特に貧乏というのでもなかったが余裕はなく、したがって食べるものもつましかった。おやつなど買うのはもったいないので家にあるもので間に合わせた。母の実家は敷地が広く、家の北側に蜜柑畑と普通の畑があって10 本ほどの蜜柑の木は各々の子供に一本ずつ割り当てられ、彼らは空腹になると自分の木に生った蜜柑をもぐ。また畑にはサツマイモが植えられてフカシ芋や焼き芋がおやつになり、干し芋もたくさん作って年中芋だらけだったそうだ。

それだけでは飽きるので、もう一つ漁師が売りにくる煮干しがおやつになった。煮干しと言っても土佐ではちょっと違って鯵の子が使われる。これは出汁もよくでるが、そのまま食べてもおいしい。というわけで、おやつはビタミンCの豊富な蜜柑と、ビタミンBなど栄養価が高く整腸作用もあるサツマイモと、カルシウムの多い鯵雑魚。

三度の食事については、これも贅沢な品は買えないから豆腐やオカラに加えて魚といえば鰯と鯖がほとんどだったと、これはどの叔母も後年文句たらたらで語っていた。野菜は自宅の畑でほうれん草や大根、里芋などを栽培していて買う必要はなく、鶏も飼っていた。

よく粗食がいいとか和風の食事にせよと専門家が勧めているが、母の実家は全面的にそれに近い食生活だった。もちろん手元不如意気味だったためだが、結果としてほぼ非の打ちどころのない食事をしていたことになる。

おかげで全員が生涯健康に恵まれ、四女の叔母など 10 代後半には元気な丸ぽちゃになり「栄養満点」というあだ名がつけられたそうだ。ただそのぽっちゃりも一時的で、曽祖父母以降の遺伝子によるのか中年太りはいなかった。

この事実を見ても、癌の体質を子が受け継ぐというのは必ずしも当たらない一方で、昔ながらの日本の食生活が健康的であること、鯖・鰯に代表される青魚が体によいことなどは十分に証明されている。


以上は私が叔父・叔母から昔の恨みを聞かされて後の結論だが、残念なのはそういう暮らしから彼らが学ぶことはなかった点で、特に上の 4 人は「鯖は二度と食べたくない」とか「南瓜は見るのも厭」などと言い、長男の一人息子など洋風の食事に偏った結果ひどい肥満体である。私の母も子供時代の反動からか魚といえば鯛、ホウボウ、太刀魚、カマスなど白身魚ばかりで (私が初めてサンマを食べたのは 3,4 年前のことだ) 、また父が湯豆腐を所望しても、ふん、あんな味も素っ気もないもの、といって滅多に食卓には出さなかった。

自身の育ちに貴重な教訓があったのに、彼らは健康ではあってもあまり賢くはなかったので、次の世代にそれが受け継がれていないことを残念に思う。「豊かになった社会」の弊害とも言えよう。

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4 Comments


繁 大村
繁 大村
Sep 14, 2021

これはまた1世紀にわたる食と病の貴重な記録ですね。いつもながらのこちらの興味を喚起しつつのお手並み恐れ入りましてございます。麦飯とか外米、高粱米?思い出しました。 今日細いサツマイモを輪切りにしてレンジでチンして少しずつ食べています。最近はお腹が空かないと食べないので時間調整用です。ガラ空きになった2階の本立てに「食」のコーナーをさっき作り、図書館に出てたリサイクルの本を飾りました。いずれにしてもびすこさんが概括くださったように最近の日本人の食生活は種類の多さから、品質の差(前のスーパーのお寿司400円位なんですが乗っかっている具の厚みが通常の3分の1位なのです!芸術的)はあるにしてもおしなべて豊かと言って良いのではないでしょうか、これからの日本人の資質にも影響するほどに。 ひところ騒がれていた遺伝子組み換え食品も気にせず、つまり多品種食べていればリスクも分散されるとの風説に乗って、ま、塩分控えめは身に付いてますので、適当に食べて飽きない組み合わせを考えながら生活して参ります😋良い振り返りになりました…ありがとうございました。

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hmdhonau
Sep 14, 2021
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そうなんですよ、そういう企業の悪辣さにどうして誰も文句を言わないのだろう。CO2の問題なんかよりも、私たちの命を支えている穀物・食物をこんな風に商売道具とすることに、世界の人類は怒って当然ではありませんか。私は資本主義自体は悪とは思いませんが、それを一部の頭の良い、しかし性格はとてつもなく悪い、人間たちに任せておくと、バイエルみたいな怪物集団が生まれてしまうことは何とかしなくてはと思います。物には限度があると、カネ儲けの最高額を設定しようとすると、自由の侵害とい言われるし、もうどっちを向いても理不尽なことばかり。でもこういう憤怒の炎も、金という悪魔に魅入られた連中の前には、春硯さんの言われる「蟷螂の斧」ですわ。

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