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執筆者の写真クレマチス

号外(洪水について)――ドイツの黒い森から 16(びすこ)


例によって、日本の大新聞の報道は大なり小なり偏っており、こちらでは水害に関連しての気候変動の話は政治的配慮から原則控えられています。既に、最近まで躍進していたエコ・環境党の「緑の党」が、現政権で次期も与党と予想されるキリスト教民主同盟(以下CDU)を攻撃して、この異常気象と災害とは彼らの無策・失政のゆえん、と弾劾したところ、「お前たちは国民の悲劇すら政争に利用するのか」と四方から叩かれ、ツイッターを削除した。


この緑の党、もしかしたら次期首相はその党首がなるのでは、とも一時は言われていたが、この方 40 代の女性ということで「若さ・女」をウリにして彗星のごとく、だったのが、まず、1)自分の履歴・学歴を偽っていたこと、2)コロナ・ボーナスとやらを数百万もらって(なんで政治家にボーナスが出るの?)その税金を払っていなかったこと、3)さらに選挙キャンペーン用に本を出したらその中の 50 か所がコピー&ペイストであることが判明、4)さらに有名な財団から博士論文を書くための奨学金(勉強していると稼げないとのことで)を 39 カ月にわたり計 4 万ユーロもらっており、つまり 3 年余りに亘って毎月13~14万円の支援を受けたにもかかわらず、党首候補になった途端その勉強を放棄、つまり奨学金を無駄にした、という批判も受けて、人気は彗星のごとく落下している。

かくて緑の党では自分のところから首相を出す望みがほぼ消えたということで、その焦りから他の党にインネンをつけまくっているのだが、9 月の選挙のための悪あがきとして左寄りの新聞の紙上ですらも評判がよろしくない。日本の新聞の多くは完全な左翼である「南ドイツ新聞」から記事をもらっていることが多く、だいたいジャーナリストの大半が緑の党支持なので、日本でこの種の実態・批判はあまり目にしないようだ。


その辺の事情はさておき、洪水と選挙は以前から切り離せない関係にある。私の記憶では、ドイツに移って間もない 2002 年に国政選挙があり、当時ドイツの失業率が上昇し続けていて、財政難にたまりかねた社会民主党(SPD)シュレーダー首相が失業者手当・生活保護費をカットしたことから、本来の票田である「労働者」から裏切り者と呼ばれ再選はむずかしいとされた。

ところがそこへ、ほぼ同じ今の時期に、その時は東側のエルベ川の氾濫でドレスデンを中心とするザクセン州の地域が広く浸水し死者も出た。私はその 3 年後に磁器・陶器で知られる同州のマイセンを訪れたが、そのときでさえ災害の生々しい傷が残っていた。

時の首相シュレーダーは、好機とばかり災害を利用して東部州への大々的な支援を約束、被災現場での派手なパフォーマンスで「ゴム長靴のシュレーダー」などとからかわれながら、選挙運動を展開。さらに前年の 9・11 以来くすぶっていたイラク問題で「ドイツは兵士を派遣しない」と発表し、これで人気を得て 2002 年 9 月の選挙に辛勝した。

2002年のドレスデン


こんな姑息なやり方で政権が長続きするはずはなく、4 年後の 2006 年秋を待たずして、2005 年 5 月に議会での不信任によりシュレーダーは辞任する。

その経験があるので、ドイツの政治家は災害や軍隊の派遣を選挙に利用することに慎重になっているのである。19 年前の SPD のなりふり構わぬ選挙運動をリアルタイムで知らない緑の党の若手が、連立与党 CDU・SPD の政策を災害の元凶として攻撃したことから、世間の顰蹙を買ったわけだ。


選挙と洪水の関係はともかく、私個人としてはなんでも気候変動のせいにする今の風潮に懐疑的である。また、その原因が二酸化炭素、というのも、ちょっと割り引いて考える必要があると思っている。仮に二酸化炭素にほぼすべての責任があるとしても、最近 EU 議会が決めたようにガソリン車を廃することで地球の空気がきれいになるとは思えない。まして地球の温度が下がるなんて。

EU の人口は約 5 億 5 千万、その中にはポーランドやスロバキアなど人口密度が低く自動車社会ともいえない国もあり、せいぜい 4 億人ほどが化石燃料自動車の使用を止めさせられるだろうが、地球の人口 70 億の 5~6 % のやることで世界的な救済が望めるかどうか。といって、中国経済におんぶしている欧州国は中国の空気の汚れには口をさしはさめない。

政治家というのは、とにかく何かしていないと何のために選ばれたのかと存在理由が問われるので必死で問題を探し出し、科学的には説得力に欠けようが、その効果のほどが疑われようが、コスパなどなんのその、とにかくイケイケになり、それだけならまだしもそのために巨額の支出を厭わず、結果として一般人の税金が上がるばかりである。

今回のドイツ西部の洪水を新聞・テレビは世紀の災害などと呼んでいるが、2002 年のエルベ氾濫は 20 年足らずの昔で、何を大げさな。さらにその間に、ドナウ河畔が水浸しになったことも数度あった。

私自身は実見していないが、ドイツで今も語り草になっているのは 1962 年 2 月のハンブルクの洪水である。エルベ川河口の町の水害はもう凄まじかったそうで、315 人の死者を出し15 万人が被害を受けた。私もテレビのドキュメンタリーで見て言葉が無かった。

1962年ハンブルク


このとき点稼ぎをしたのはヘルムート・シュミットだったが、実際の救い主はドイツの国防軍だった。戦後、日本と同じくドイツの軍隊は国民から白眼視され後ろ指をさされ続けていたけれど、兵士に抱きかかえられて助け出された老女が「国防軍は不要などと二度と言いません」と語っていたのが印象的だった。

今回もまた軍の出動となっている。軍不要論者がいてもいいが、それならそれでこういう大規模災害時に力を発揮できる強固な組織を設けないと、救済は進まず復興の道は遠い。目下の警察は不法移民の暴力・殺傷事件に追われ(これも日本では報道されないが、気の毒なのは若い女性たちで暴行事件が頻繁に起きているのに、警察は「命に別状なかったんだろ」と取りあわないそうである)災害救助訓練などやっている暇はない。消防は地域的には頑張っているが、何しろ大半がボランティアなので本格的な出動は無理である。

国防軍の出動


それで、「世紀の災禍」であるが、河川の氾濫にしても猛暑・旱魃にしても、昔からこの地球では何度も経験されており、人の命にかかわる熱波として有名なのは 1540 年の夏の暑さ、当時は 11カ月に渡って降雨なし。中世のことではあるけれど、間接的な餓死者も多かったであろう。当時は二酸化炭素などほとんどなかったんですがねえ。

中世というなら日本でも方丈記に見るような地震とか火山爆発が珍しくなかったようだ。それでも近年確かに世界規模で犠牲者の数が増えてているのは、一つはやはり急速な人口増加のせいではないかと思う。

旧約聖書に「生めよ増やせよ地に満ちよ」と記された当時の世界人口は 3 億以下。それから 2 千年余りの歳月が流れ、私たち団塊世代が小学生の頃には 30 億。同世代が後期高齢者になろうとしている現在 70 億。1 人の人間の一生にこれほどの人口増を見るという事態こそが、とてつもなく異常ではないか。

といって、まさか人々の死を願うわけにはいかないけれど、世界の政治家たちはこの人口問題にこそもっと真剣に取り組むべきだと思う。人口の急増、それに伴う食糧不足、失業・貧困、南から北に流れ込む人々の群れ。

太陽系のちょっとした異変でも大きく変わる気象にあれこれ無駄に騒ぐ以前に、もっと人間界の身近な問題に目を向けてほしい。人口問題は政治家にとってはタブーだといが、いつまで避けていられるのだろう。


私は今回のドイツ西部の惨状をテレビで見ながら、ほんの数週間前に熱海で起きた土石流の報道を思い出した。はっきり言って、それを報道するドイツ国営放送のアナウンサーの口調には日本という国への軽蔑が露わだった。これでも先進国なんですからねえ・・・というのである。バングラデシュやフィリピンでの災害にはそんな言い方はしない。一体どんな理由があって、最近のドイツのジャーナリストは日本を敵視するのか、にもかかわらず在独の日本人記者たちはなぜこうもドイツ人におもねるのだろうか。

「ひとの国の災害をあざけっていられる場合かよっ!!」というのが、このたびの私の反応。


河畔を走るドイツ鉄道

閲覧数:58回5件のコメント

5 Comments


hmdhonau
Jul 19, 2021

頂いたコメントへのレスを兼ねて続報です。西の二つの州が被害は大だったのですが、そのうちの南側のラインランド・プファルツ州(以下RP州)は実は夫の郷里です。ただ、生まれ育った町村はさらに南にあって、そのそばのモーゼル川などは氾濫していないので、今回は無傷でした。今も姑がいた小さな家があり、また義兄・義姉が近くに住んでいますが、武蔵野を思わせる森の中で、洪水の心配はありません。


夫の郷里なのでそこで過ごし北のボン、ケルン、デュッセルドルフにまで出かけることもありますが、途中で見る村や小さな町はいずれも貧しいです。産業がないからです。かつてはライン川に近くワインも採れて観光で賑わったものでした。しかし、自然の景観や古い名所で稼げる観光業は人を勤勉にはせず、進取の気性も奪い、一旦衰退すると再興がいかに難しいかをこの州は証明しています。


貧しさのせいか州政権はずっと社会民主党、すると組合が強くなり住民は社会福祉に頼り、企業は恐れをなして撤退してしまう。するとますます社会主義政策に走って失業者・生活保護者のための支出が増え続け、州の財政は破産するという悪循環です。この州は東独と同じく、南の豊かな3州からの財政支援がなければ存続できません。欧州連合(EU)では、助けるドイツ/ベネルクスと助けられるギリシア/南欧などの格差が話題になりますが、その格差がそっくりドイツ国内にあって、旧東独はドイツの中のギリシア、この辺りはポルトガルといったところでしょうか。


最大の被害を出したシュルドという自治体、ここの家はいずれも古く壊れかけている住まいも見られます。インフラが粗末であることは言を待ちません。何年か前にも洪水はあって、その時は水位が3.8メートルに達しました。それが今回は8メートル。想定外ですね。そう報道されていました。


しかし、東日本大震災のときの津波を「想定外」とする日本を最も嘲笑したのはドイツでした。不測の事態はいつでもどこでもありうる。それに備えることはできなかったのか。日本という国はその程度なのか。今そっくりそれらの言葉をドイツに返したい、規模は異なるとはいえ。馬鹿にされてエヘラエヘラ笑っていた日本人特派員を殴ってやりたいとすら思います。(何だか

私っていつも怒ってる。穏やかな老後を目指しているのに。)


写真は郷里の小屋がある森の風景です。門を出ると並木道。自然はきれいですがそれでは収入は得らせませんから、あくまでセカンドハウスです。


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繁 大村
繁 大村
Jul 19, 2021
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どこまでも森と共にある暮らし…森のやすらぎともにある健やかなお暮らしが伝わってきます。ドイツの自然の恵みが個人の想いに守られてある爽やかなストーリーですね。

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繁 大村
繁 大村
Jul 18, 2021

災害フレンドリーな?国民の1人として…ヨーロッパの人には想像もつきにくい奇跡の迷宮巨大都市東京に住む1人として…今はただ巨大災害と巨大災害の間に辛うじて生き延びている(人の受け売り)状態と思っています。我が立石駅前に予定している35階建てビルに水害を逃れるために駆け込んで何人が助かるだろうかとかそんなことも考えてます。江戸川が切れても荒川が切れても僕の住んでいるところは水浸しです。何もかも失って幸運にも命と土地だけ残ったら保険金でプレハブを建てて住みます。 あとは…我が母が存命中に大きな災害が来ませんようにといつも願っていたものでしたが、今度は自分のためだけに逃げる、そのために広げると4メートル位になる脚立、処分しないでとっておこうと思いました。何故かと言うと混んでいるところは苦手なので…近くの避難所へ避難せず、もはやこれまでとなったら、これをつたって屋根伝いに逃げる…下町ならではの作戦です。今回の記事を拝見していてそんなことを考えました。材木数本をあちらこちらに邪魔にならないように立て掛けておいていざとなったら筏を組むなんていうのも今考えました。今回もたくさんのヒントをいただきありがとうございました。日本の新聞記者が及び腰なのは単なる無知でなければ不勉強だと思います。

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