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利他主義の破綻――ドイツの黒い森から 48(びすこ)

今年の最後の四半期には、個人としても社会的にも、遺憾なあるいは不快極まりない出来事が相次いだ。

まず 10 月には、27 年前に私が夫に出会うきっかけを作ってくれて(それは意図せざる結果だったが)、その後も暖かく見守ってくれていた男性が 84 歳で世を去り、訃報は慎ましく控えめなことで知られる遺族からではなく故人の友人からであった。今の世界情勢では急には帰国できないので、ドイツから日独双方の関係者と連絡を取り合ってお悔やみを述べることと相なった。

それから約一か月たって、今度は 40 年来の同い年の友人が大動脈解離で急死した。ずっと独身を貫き両親の残した家で一人暮らしをしていた女性で、かなり偏屈なところもあったが、8 歳違いの長兄に当たる人と何とか身内の関係を保っていた。発見者は面倒見のいいご近所の奥さん、数日まったく姿を見かけず音もしないのでおかしいと思い何らかの手段で家に入ったらしい。

この年になれば、自分より年長の知人・友人の他界は特に驚くようなことではないかもしれぬが、同級生やかつての同僚の死はやはり自分の年齢を実感して気が滅入ってしまう。


そんなわけで鬱屈した気分を抱えていた 11 月に、その寂寥感をぶっ飛ばすような事件が欧州で続発した。といっても残念ながら嬉しくて悲しみを忘れたというのではなく、新たな事態の方がひどすぎて腹が立って、身辺のことで涙に咽んでなどいられないという、まったく有り難くない状況である。

まず、隣の国でマクロン大統領とアメリカのコンサルティング会社マッキンゼー&カンパニーとの黒い噂が出て来たが、このマッケンジーというのは世界規模の悪者だと私は思っていて(今日のグローバル企業ともなれば悪と無縁ではありえない)、別にフランスの政治家の醜聞をほじくり出さなくても、ドイツでも現EU委員会の議長であるフォン・デア・ライエンが防衛大臣だった時代に彼女とこのマッキンゼーとの癒着が一時話題になった。それが、どこかの誰かの魔法の力で今その煙はかき消されてしまっている。

ドイツでの事の次第というのは、国防省がこの米国の会社に桁外れの顧問料を払っているというもので、そんな大金払って助言をもらう必要があるのか、という批判の声が強かった。調べるとフォン・デア・ライエンの子供のうち二人の子息がそれぞれマッキンゼー及び同社の関連会社に勤務しているという。上品な顔をして、あんたもやるもんだね、である。


フォン・デア・ライエンはその後欧州委員会委員長になってブリュッセルに行き、メルケルのプードルと言われた女性が彼女の後任になったが、その時点でドイツの防衛システムは文字通りボロボロになっていた。飛ばない飛行機、錆びて使えない装甲車、やる気ゼロの兵士。幸いにもこの後継者の時代にはアフガニスタン引上げ程度の任務しかなく軍備の陳腐化には煙幕を張って凌いだが、2021 年末に今のショルツ政権に代わった直後にウクライナ紛争が勃発し、ドイツの支援が欧州で最も遅れたことに悲憤慷慨する NATO 加盟国が多かった。これは平和主義のドイツが戦争への介入に慎重なのだという弁解があった一方で、なに、介入しようにも兵器・武器が使い物にならないのさ、という冷静な現状分析もあって、この1年の状況を観るにこっちの方が事実らしい。

そういう情けない現状の根本原因はフォン・デア・ライエン国防大臣の時代にあり、マッキンゼーに巨額のコンサルタント料を払ってドイツの防衛力を潰してもらっていたことになる。


マクロンとマッキンゼーの癒着の疑いはひとまず落ち着いているが、これも再燃して手に負えなくなると、例のエプシュタインの「自殺」のように知りすぎた男は消されることになるのだろう。その前に、フォン・デア・ライエンが国防大臣だった時代に彼女の医学論文には剽窃箇所が多いと騒ぎ出したグループがあって調査会が設けられたが、調べると他人の論文を盗用した箇所は大してない、というので目こぼしになった。「大してない」のであって、天下晴れての無罪というのではなかったが、博士号を持つ今の政治家の論文を洗ったら盗用ゼロのケースはまず皆無なので、程度の問題ということらしい。

これがドイツの政治家の実態だから、日本の政界が特に腐敗しているわけではないことを日本人は知っていた方がいいと思う。程度の問題でも、日本の方がまだマシだと私は断言する。体格に相応して、やることなすこと規模が違うのである。


EUと言えば欧州議会の副議長でギリシア出身のエヴァ・カイリがカタールでのサッカー世界選手権開催を後押しした見返りとして、8 千万円の現金をカタールからもらっていたという収賄事件が発覚し、ここ数十年で最悪のEUの醜聞だと言われている。これにはエヴァのブリュッセル在住の父親と亭主が関係しており(というかむしろ発案者)、ズダ袋にいれた現金を父親のもとに置いておくのが少々ヤバクなったので娘の議員公舎に運んだところ、密告者から情報をつかんでいた警察がその様子を見ていて御用となったのだという。通常はEU議員なら外交特権が使えるが、この犯罪の流れでそれが無効になったのだそうな。たまたまバレてしまったけれど、こんなの氷山の一角だと誰もが思っている。

欧州の悪口ばかり並べていると肝心の今日のテーマに行きつかないのでもう止めるが、私が口を酸っぱくして言いたいのは、日本の政治家や公務員や国民が欧米に比べてモラルが低いとか無能とか規律を欠くなど、ゼッタイと言っていいほどないということで、無論他の国と比較せずとも日本が正すべきことは山ほどあるものの、日本人が欧米先進国を模範として日本を貶すのは容認できない。それは事実でないばかりでなく、無知に基づいて欧米に阿諛する卑屈な行為だからである。


さて、このようにいろいろあったが、秋以降に先進国社会を震撼させた事件として第一に挙げられるべきは、仮想通貨 FTX の倒産であろう。私もこれには絶句してしまった。

といって、このニュースが私の暮らしと何らかの関係があるというのではない。新聞やネットで見て驚いたものの、当初は「フン、だから言わんこっちゃない」という感想だった。第一に金融分野というのは自分の関心の外にあり、老人の常として貯蓄に頼っている部分もあるから金利その他には多少影響を受けるにしても、もうこの年で得した・損したという話はご免被りたい。

ましてそれが仮想通貨などという実態の甚だおぼつかない対象物であれば、話を持ち込まれたところでチンプンカンプン、どれほどこの灰色の脳細胞を馬鹿にされ痴呆寸前と嗤われたところで、残る力を振り絞って新しい時代の新しいシステムを理解せねば、などという殊勝な心掛けは小指の先ほども生じないのである。


仮想ナントカという言葉からして、甚だ怪しげではないか。英語では crypto となっているが、この語も本来は秘密とか隠し事という意味で、まっとうな人間の企てとは思えない。写真を見るとFTX 創設者で元 CEO のサム・バンクマン・フリード(以下SBF)の外見も陰の世界の人間にふさわしい異形で、お近づきにはなりたくない。

だから最初は、債権者への負債がいくらとかこの数年で FTX の資産が激減したとかのグラフを眺めて、これは 2008 年に逮捕され 150 年の禁固刑を課されたのちに最近獄死したハーバート・マードフにも劣らぬ詐欺師だな、などと思っていた。やり方は泥臭いネズミ講などでなく、現時点での最新技術を駆使した、超エリートにのみ理解可能な仕組みらしいのだが。

しかし面白半分、つまり好奇心に駆られて、フィナンシャル・タイムズやウォールストリート・ジャーナル、エコノミストなどの記事を読んでいくうち、いや、これは詐欺師というなら、現在の文明社会を相手にした恐るべき詐欺だという認識に至った。(もっともこれらの経済雑誌の多くが仮想通貨を革新的な試みとして囃し立てていたことを思うと、今になって批判する彼らも酷い鉄面皮だという気がするが。)


上記のSBFは、目下先進国のエリートの間で流行しているEAの運動に大きな影響を受けているという。EAとは Effective Altruism の略で、これは「効果的利他主義」と訳す。

この名称が生まれたのは 2011 年で、運動そのものはその数年前に始まっていたが、そもそもこの概念を打ち出したのはピーター・シンガーというオーストラリアの功利主義派の哲学者で、彼の両親はホロコーストを逃れてきたウィーンのユダヤ人である。功利主義者と自称するだけあって無心論者であり、このタイプの学者によくあるように採食主義者でもあって、動物倫理学などという新しい分野の先駆けだという。私の世代の人だが、年齢は近くても私のような凡の人間から見ると常人の域を超えているように思われる。いや、常人でないことこそが彼のウリで、いろいろ言ってみていろいろやってみたが常人であることなど実に詰まらないので、一つエキセントリックな前代未聞の説で世界を驚かせてやろうという野心が推進力になっているような人間とみた。

(FTX破綻のニュースからピーター・シンガーという名にでくわし、その写真を見たときの最初の印象は、あら、アメリカ民主党議員のバーニー・サンダースの弟みたい、というものだった。それで今回初めてサンダースのことを調べ、彼も同じユダヤ系であることを知ったが、極左のサンダースが功利主義者であることは確実な一方で、信仰については「私は私なりのやり方で神を信じる」と述べているのは、米国の政界では無神論者となると破門に近い処分を受けるからであろう。)


ピーター・シンガーに傾倒してEAの思想を広め、若者に影響力を行使してそれを実践させているのが、英国人、正確にはスコットランド人のウィリアム・マカスキルである。彼はオックスフォードとケンブリッジで哲学を学び、現在はオックスフォードで教鞭をとっている。彼がEAを推進する上で強調しているのが longtermism(長期主義)で、富裕者が貧者のために利他的に寄付をするにしても、それは最も効果的・効率的なやり方で行わなければならず、また長期的展望にたっての善意の履行でなければならないという。

利他主義という言葉そのものは近代の所産だというが、その概念は古くは新約聖書の善きサマリア人の逸話に始まる。すなわち自分の利害を顧みず、苦境にある眼の前の他人に手を差し伸べる行為で、ドイツ語ではNächstenliebeともいい、隣人・同胞への愛を意味する。つまり、自然に生じる人の心の動きである。それを考えると、利他という言葉に効率的とか効果的とか長期的などという形容詞を付けることに私はどうしても馴染めない。「効果的隣人愛」や「長期的人間愛」なんて、何とも奇妙で珍奇な響きの言葉ではないか、


マカスキルは当初EAを世界の貧者を救う運動としていたが、その伝道に当たってunusual な、つまり常ならぬやり方で推進すべきだと唱道した。従来の慈善では効果が薄いから、というより、現代の導師として彼は多くの若者、特にエリート層に大きなインパクトを与えようとしたのであろう。EAの批判者が「あれはカルトだ」というのも故のないことではない。

彼が学生たちに説いたのは earn to give、すなわち「与えるために稼げ」であった。与えることが目的だが、そのためには稼がなければならない。そして普通でないやり方で普通でない額を稼ぐのであれば、通常の職業では不可能である。そこで SBF や彼のライバルであったバイナンスのチャンポン・ジャオなど、数学・物理に秀でた若い世代がこのEAの看板となってカネ儲けの手段を開発し、EA教を実行に移して広く普及させる。

ジャオなどはいまだに自分の稼ぎの 99 %は寄付すると言っているそうである。仮想通貨の世界では SBFを含め数人の成功者が一時は 8 千億円とか、兆単位の財産を手にしていたから、8 千憶円の 1 %なら 80 億円が手元に残り、まあ、生活には困らないでしょうけど、などとアホな計算をしているバアサンがここにいる。


しかしこの EA は目下 FTX 破綻で甚大な打撃を受けている。哲学・思想そのものが破綻したわけだ。それはEA運動のスターだった SBF の凋落のせいではあるが、これが本当に利他的な動機から誠実に事業を展開してきた挙句の失敗であったなら、主義主張は正しかったが実践に誤ったと庇うこともできる。

しかしSBFのしたことは結局のところ詐欺であり窃盗であった。先に述べたように、利他とか隣人愛というのは人の心の動きである。シンガーやマカスキルの中ではそれは揺るぎない哲学だったかもしれないが、その実行を任された秀才人間が師の教え通りに「稼いで与える」という行為をいつまで従順に続けられるか考えてみるとよい。

SBFからの寄付は米国の民主党議員、コロナ対策機関、アフリカ支援、環境派NGOなど多岐にわたっており、寄付で潤った議員や政治家団体が、本来監視し取り締まるべきFTXの活動を放任あるいは先延ばししたことが事態を悪化させ犠牲者を増やしたといわれる。


巨万の富を手にして巨万の寄付をしていくうち、EA教の信者はゲームのようなその異常な面白さや、世の中から高く評価され崇められる快感に中毒症状を起こしてしまい、歯止めが効かなくなっていた。結局はSBFもジャオも名誉や追従に弱く自己顕示欲に抗しきれない普通の人間なのであって、マカスキルなどはそういう人間の本性を学んだこともなく、見聞きする機会があっても直視しようとはしない頭でっかちのボンボンに過ぎなかったのだ。

そして彼らの考える「長期」というものも現在の状況をベースにしていて、人知の及ばぬ未来が人類を待ち受けているかもしれない、などという謙虚さも洞察もない。向背を決する基準はすべて「今」「ここ」である。潤沢な寄付金を利用してやりたい放題の NGO についていえば、自分たちの行動が絶対善であると信じて疑わない一部の彼らの行為(かつての赤軍派を思わせる)が、一般人にどれほど迷惑なものかを推し量る普通の想像力すら、エリート教授や神童と言われた坊やたちには欠けている。新興宗教 EA の信者たちは精神の倒錯集団のようにも思われる。

EA のグルとその弟子たちは今回の事件に大きな衝撃を受け、裏切られたとか反省中などと言っているそうで、マカスキルに至っては「自己嫌悪に陥っている」と述べたそうである。


一年のこの時期になると、こちらのテレビでは慈善を勧めるクラシックな映画が放映される。小公子やクリスマス・キャロルは定番で、戦前から 90 年代までのいろんなバージョンがあり、私は小公子なら 1936 年の映画、クリスマス・キャロルはジョージ・スコット(アカデミー賞を拒んだつむじ曲がり)がスクルージを演じた 1984 年版が好きである。

それにしても、と私は考える。幽霊に導かれて改心し、貧しい従業員の家庭にご馳走を届けたり、甥の家に食事に行ったり、寄付をしたりというスクルージの行為で町中が幸せに包まれたヴィクトリア朝ロンドンの、なんと長閑だったことだろう。

全世界を愛すべきとか、利他行為は効果的でなければならないとか、長期的プランに基づいて寄付せよ、などと御託を並べる連中はおらず、普通の人間が出来ることを出来る範囲で行えば感謝された時代に SBF のようなペテン師が生まれる土壌はなかったことは確かである。


 
 
 

3 Comments


繁 大村
繁 大村
Dec 23, 2022

なるほどなるほどたがをはめる、結構難しいですね…いっこいっこのパーツがきちんとした角度に納まってないと桶も樽も締める事はできない、まさに分を知る、、勉強になりました❣️

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繁 大村
繁 大村
Dec 23, 2022

お金を生み出すことがゲームであり、ゲームは勝たなければ面白くないし、どのぐらい勝ったかは金額で示され(この辺が古典的)多額のお金を生み出すことが能力の証明であり、ことが成ったら、後ろ指をさされないように、ことのついでに寄付をする、相変わらずの世界のような気がします。 びすこさんが、種明かしをしてくださったおかげでちょっとだけ世間を知ることができました…ありがとうございました😊 政治家が卒業する時、悪事のもみ消しをドンダケうまくやるかでどんだけの政治家であったかがわかるような気がします、ちょっとへそまがりかもしれません、へそまがりでは、世の中の人に良い事は言われません、つまり素人ということだと思います、素人が1番気楽です、私は素人ですと威張っていればいいんですから…あはは。

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heute
Dec 23, 2022
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ええ、結局人間は人間でしかなくて、どんな教育を受けても、どれだけ高い地位に就いても、天使にはなれない。それでいい。


数年前にこちらで出た本にHybrisという題のがありました(まだ読んでないけど)。ヒュブリスってギリシア神話を起原とする言葉で、傲慢とか思い上がりと訳されるようですが「不遜」とするのが一番合っているように思います。死すべき運命にある人間の限界を自覚せず、天をも恐れぬ自らの言動に酔いしれる人達。


あるいは行きつくところまで行った人達のデカダンスとか。普通の人間の感覚でいえば、もうこの辺りで止めておこう、という歯止めや箍がないんですね。(箍って面白い字ですね。木製の桶や樽が消えたので、実生活でこの言葉を耳にすることは稀になりましたけど。)

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