風信 沼のほとりから 第65号 令和七年七月 文月
- クレマチス
- 3 日前
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「お元気ですか。連日猛暑で終日篭居です。気がつくと七月もあと数日で終わりです。参院選も大相撲もトランプとの関税交渉まで終幕になろうとしています。どれもが役者交代や風景変化を伴って新たな書き割りでどんなドラマが次に展開するのやら予想がつきません。SNSという全地球的言論空間の影響力の巨大さとプラスマイナス二面の乖離に茫然たる思いです。地球という眇たる小さな天体に最大でも百年ほどの寿命の生物が殺し合っているのを宇宙的視点からどう解釈されるか。あと一万年も経てば氷河期になって人類は衰亡するやも。可愛いい孫たちを思うとそれではならじと強く思ったりしています。人間という限りなく知的でかぎりなく愚かな存在に限界点が迫っている気がしてなりません。炎暑ゆえの妄想であって欲しいのですが。・・・」
※稚魚嬉々と水際を走り沼は夏
見逃しませんね、、ぴちぴちと小さいくせして、新しい世界に登場した稚魚1匹1匹がすばしっこく弾けてみせる、、それを見つめる目は微風にそよぐ綿毛のように敏感、、妬ける。
※吟行や花より蛇にぞめきけり
野の花に、さて、心を寄せようと空模様を眺め、自分自身の気持ちに寄り添って、気を鎮める、、やおら冷血の蛇に出くわしてあたりの風景は、たった1匹の蛇に占領されるその瞬間…さらりと吟じて見せてくださいました。なぜ
かぬっと、登場してくれた蛇にありがとう。
※谷津抜けて沼へ吹き捲く青嵐
青嵐、、夏の季語…流行らせたのは誰だろう。見逃さなかったのは誰だろう。、一瞬にして、木々をざわつかせる風が俳句をキリリと緊張させる、立ち会った、証人の気持ち、僕も味わえました。
※青蛙今年は何処へ行ったやら
青蛙今年はまだ見ていない、、たまたままだ見ていない、出会っていないだけで、どこかで愛嬌を振りまいているだろう。きっとそうだ。生き延びろ。出会えなかった僕までちょっと寂しい。
※水郷や紫陽花くぐり屋形船
広重の江戸情緒、紫陽花の少しボケた色の具合のいい塩梅に屋形船がくっきり浮かぶ。春硯さんの配置できっちり納まりました❣️
※青蘆原塒に雛の紅き口
餌の入り口はここですよと親に教える紅き目印が蘆原の陰に見えるのですね。小さきものの命の長きにわたる引き継ぎ、、そのこともなげさが、心を占有するか、、なんと若々しい感性、、春硯さんの世界、やっと少し荒川の川風が届いてくる夕方、満喫させていただきました…ありがとうございました。
欧州といっても広くて南欧は42度の酷暑・極暑だそうですが、ドイツ内でも東西南北にかなりの差があり、オランダやベルギーに近いライン川沿いの町では多少湿度もある夏らしい気候なのに対し、我が家のある南西ドイツは目下朝12度、昼までも20度がやっとという涼しい日が続いています。首都圏の友人たちから「呪いたい暑さ」を耳にするたび、そういう暑さをちょっとばかり羨ましく思うことも。
この季節私が思い出して独りしみじみしてしまう句は、富安風生の「一生の楽しきころのソーダ水」。私自身は炭酸水を好んで飲んだ記憶はないけれど、子供時代に接した周りの元気な少年たちを思い出し、彼らの老境に思いを馳せる今日この頃です。
富安風生という俳人は、ウィキペディアによれば、秋櫻子、山口誓子、中村草田男などの俳句への打ち込みが「余技の域を脱していた」のに対し、富安のそれは「どこまで行っても、余技としてたしなむ遊俳の感じがつきまとう」と山本健吉が評したそうですが、余技として楽しんでナニ悪かろうと言いたいところです。
自分たちの孫・曾孫の世代を見るにつけても
・成人に未だ遠き幸夏祭り びすこ
(伊東市については、私が幼少時から「里の秋」と並んで大好きだった童謡「みかんの花咲く丘」の生まれた地だと聞いたことがあり、念のために調べたところ、この二つの童謡の作曲家が同じ海沼實という人だと知りました。)