コロナが本当に終息したのかどうか、そもそも新型コロナに因る被害は人間界の災禍としてどの程度の規模のものだったのか、その客観的な評価が可能になるのはまだ数年先のことと思われ、今はとにかくコロナ以前に近い状況の中で暮らせることを有り難く受け止めるほかはない。
一方で、やっとノーマルな日常が再来したことに人々が安堵すると同時に、コロナ期に「大儲けした」特にドイツ国内のワクチン開発・製造者への皮肉めいた評や嫉妬やっかみの声もあるし、そのワクチンによる長期の副作用に苦しむ人々によって裁判が起こされているとも聞く。ただ、各国政府いや EU 全体がそのワクチンの確保を急ぎ、十分な治験が為されていないため不安も残るという製薬会社の逡巡に対して、接種によるどのような副作用・悪影響が生じてもその責任は一切問わない、と確約した手前、政府はその負の側面には口をつむりメディアもそれに協力しているので、訴状や裁判の成り行きなどは伝わって来ない。
また、エンデミックでホテル業・飲食業が一時的―といっても 2 年近くに及ぶが―閉鎖を余儀なくされたとき、ドイツ政府はかなり迅速に彼らへの補助金・救済金を支払って、そのことが日本などでも「さすがに豊かな先進国」という、ドイツの政情を知るものから見ると首をかしげたくなる称賛が新聞などで報道され、日本の友人の多くも二言目には「それに比べて日本は」などと言うのだった。
果たして、ホテルやレストラン・カフェなどは、今では普通に商売できて客も増えたというので、政府からもらった救済金の全額ではないまでもかなりの部分を返済するよう求められて腹を立てている。あれはいわば貸付の奨学金のようなもので、交付金や下賜金の類ではなかったわけだが、いくら何でも政府もそれは予め説明したはずなのにもらったものとして返済を渋る業者も多く、そのトラブルも結構ある中これまたメディアは報道しない。
コロナ危機の間に限り普通は 17 ~ 19 % の飲食税を 7 % にまで下げてテイクアウトで商売できるようにしたが、それも元の率に戻すというので、ならばいっそ店を畳もうという動きもあり、労働力不足と相まって飲食店の数も減少している。ドイツとて、日本が盲目的に褒めちぎる社会福祉国・人道主義国では立ちゆかないのである。一旦もらったものは返したくない、という国民の甘えも大いに問題だと思うのだが、甘やかしたことには政府にも責任がある。
コロナで欧州でもアジアでも一斉に国境の封鎖や施設の閉鎖が行われたころ、あれは 2020 年の四月だったと思うが、わが州の大学都市の変わり者名物市長が「そのまま普通の暮らしをさせておいても 2, 3 年で命が尽きるような超高齢者まで何とか生かそうと、感染防止にやたら税金を使うのはいかがなものか」と発言して大騒ぎになった。この人は「緑の党」の党員だったが、極めて実際的・実務的なものの見方をする人で向こう受けする耳触りの良い発言などしないので私は好きだったのに、この発言や難民政策への批判で所属の党を怒らせ今は党追放の処分になってしまった。にもかかわらず今年の市長選では第一回投票で過半数を得て再選され、市民も甘い言葉に騙される阿呆ばかりじゃないんだ、と私は安心した。
こちらの「人権派」の知人が、このパルマーという市長はひどい男だと憤慨するので、私は個人的な観点から言うと 90 歳以上の親を持つ人がそれでも何とか生きてほしいと願う気持ちはよく分かるが、為政となれば税金の使い道に慎重を期さねばならないし、100 歳近い人間の存命を優先するやり方に異論を唱えるのは公の立場にある政治家としては至極もっとも、と反駁して彼女を怒らせてしまった。まあいいや。
さて、そんなわけで今年の夏休みは 2019 年以前のそれに近い過ごし方が可能となり、かつてのように、8 月最初の週にはドイツ・スイス・オーストリア三国の国境を成すボーデン湖の東端の村の音楽会に出かけ、そこで三泊した後そこから 50 キロほどのスイスの村に移って一週間近くを過ごした。オーストリアでは友人たちがいろんなプログラムを用意してくれており、それはありがたかったものの、休暇は静かに読書などして過ごしたい私としては、周りに山と草原と牛と羊しか見えない村のホテルで荷をほどいてほっとした。
読書なら家にいてもできるではないか、どうしてバカンスに本など読む必要があるか、という疑問は、とにかく活発で動いてないと気が済まないドイツ人ならずとも当然だろうが、ホテル宿泊で掃除も洗濯もそして料理も一切しなくてもいいという毎日は極楽である。もっとも料理は別に嫌いというわけではないので、10 日ほどお休みをもらえば十分だ。
スイスでの最初の朝は、私はいつも通り簡単なコンチネンタル・ブレックファースト。亭主はフルーツヨーグルト、ミュースリ、チーズ、ビルネンブロート(干した梨を潰して餡子のように使ったパン)、黒パン、オレンジジュース、チーズ、コーヒーと、私の分まで食べてくれるリッチな朝食である。
そのあとしばらく部屋にいてニュースを見たり、ホテルの周囲をうろついたりしたあと、6, 7 キロ離れた町に行きそこのキオスクで新聞・雑誌を買って、馴染みのカフェでコーヒーを飲みながら新聞を広げる。午後はどこか近辺の村にドライブしたり、山の民宿で飼っている子山羊をからかったり。スイスにいる間、ほぼ毎日このパターンで過ごして、おかげで普段よりもしっかり時間をかけて世界のニュースを見聞きすることができた。
今回はそれらのニュースの一つ、K2 登山の記事について簡単に報告したい。
K2 という、エベレストに次ぎ世界で二番目に高い山のことは日本でもよく知られているはずで、スポーツにはからきし縁がなく登山や航海などの冒険にも無関心な私ですら、この山については聞いたことがある。エベレストよりも難度が高いそうで、ここを「征服」したことは登山家にとって最高の名誉になるらしい。
旅先で読んだスイスとドイツの新聞のスポーツ欄に掲載されていたのは、そこで起きた雪崩により、一般にはシェルパという呼び方で知られる荷物運びを兼ねた登山の案内役が死亡したというニュースであった。普通なら見向きもしない記事に目を留めたのは、見出しにある「K2」と「貧しいパキスタン人」という言葉に、はて何のことかと思ったためである。そのパキスタン人の登山ガイドは妻子と老齢の母を養うために危険この上ない厳しい仕事に従事してきたが、その彼が雪崩にあって宙づりになり、しばらくして登山者たちが何とかして地上に下ろしたものの虫の息に近かったらしい。つまりまだ息はあったという点ではその場にいた人たちの意見は一致しているが、どの程度絶望的だったかについては未だに見解の分かれるところである。いずれにせよ、山頂から遠くない狭く険しい場所での事故とあって敢えて麓まで運ぼうという動きもなく、その登山ガイドは間もなく息絶えた。
それだけなら不運な事故で終わったが、問題になったのは、たまたま登山者たちの中にオーストリア人のホテル経営者がいて、彼は自国の登山協会にも関与しており世界の山の写真撮影が趣味だったらしい。それで彼はパキスタン/中国の国境地帯までやってきて、ドローンを飛ばして人々の登山の様子を撮影していた。
その時のある集団の登山は世界的にかなり注目を浴びた企てで、ノルウェー人の女性登山家が 8 千メートル級の 8 つだか 9 つだかの山すべてに最短時間で登頂する試みに挑戦していた。一連の山の最期が K2 で、その日のうちに 8611 メートルの K2 の頂上に着いたら世界新記録になるというので、それを支える大勢の登山家グループや取材者の一行で事故のあったあたりは相当の賑わい(?)を見せていた。
事故は最初、そういうこともあるさ、仕方ないね、で片づけられるはずだった。ところが件のオーストリア人がドローンで撮った動画の仔細を調べると、宙づり状態から降ろされて雪の上に横たわるパキスタン人のそばを女性登山家クリスティン・ハリラの一行が平然と通り過ぎていく様子が見られた。中には彼の体を跨いでいく連中もいたという。
さらに、その写真ではパキスタン人は最初足をピクピクさせていたとのことで、つまりまだ生きていたということである。オーストリア人はこのことを自国の全国紙「スタンダード」に伝え、そこから話が広がって欧州中でちょっとした騒ぎになった。
特に SNS では、ハリラ女史とそのお付きの人たちが登頂に成功して祝杯を挙げたというので、人の遺体、あるいは命絶えようとしている人間の体を越えて登山して、世界記録を達成したことを喜び祝うとは、なんという冷酷な連中だという非難が集中した。中にはハリラ女史の世界記録は血塗られたもの、という憤怒の声もあった。
数日してハリラ女史は英国のメディアなどを通じて反撃に出た。まず、そのパキスタン人を雇ったのは自分たちではない。そして彼の雇い主はそのパキスタン人に十分な装備をさせていなかった。責任というならそちらにある。また自分たちはできるものなら救助をしたいと思い、実際最初は手を貸そうとしたのだが怪我人は到底助かる見込みがなく、ぐずぐずしていると(雪崩などで)二次遭難になる危険があるのでそのまま登山を続けた。
ハリラ女史への非難が激化したもう一つの理由は、彼女の世界記録達成のための企画にはスポンサーがついていて、それこそ金に糸目をつけぬ立派な装備や優秀な人員によって登山の安全が確保されていたという点である。スポンサーはオスプレイ・リュックとかいう登山者用リュックサックの製造販売で知られる会社だった。それで SNS ではまた、自分はそんな恵まれた条件で登山して、荷物運びのパキスタン人の装備がどうのとケチをつけるなど怪しからんという批判が殺到した。
それに対してハリラ女史は、いや自分は今回の費用のかかる登山のために自宅も売ったし、一般の支援者から寄付金も募った、などと弁明した。地元の貧しい人々からすれば、売る家があってよかったね、寄付金もしっかり集めて、それで成功した暁にはスポンサーから多額の謝礼ももらえて・・・と言いたいところだったろう。
この事故を冷静に分析する専門家たちも欧州にはもちろんいて、山岳遭難者の救助・治療に従事しているスイス人医師の投稿によると、ハリラ女史一行のしたこと(というより、しなかったこと)は全く許容できないが、登山家というのは生来が正真正銘のエゴイスト、いわば自分が全て、我こそは、と考える連中で、そうでなければ最高峰に挑戦しようなどという試みに手を出すはずがない、彼らに利他主義を求める方が無理だし矛盾している、とのことであった。
また私が今回の報道で知って驚いたのは、近年の登山ではかなり多くの人たちが、登山といっても麓から登り始めるのではなく、途中までヘリコプターで飛んで行きそこから歩き始める、というやり方だった。このことは登山家仲間でもよく議論になり、それを本物の登山にあらずとして批判する向きも多いそうだが、スポンサーの金だか寄付金だかで途中までヘリコプターを使う登山というのが今や主流になりつつあるという。ノルウェーの集団もそのやり方を採用しており、登山も今は商業化されているとの指摘もあって、それはその通りであろう。そうした中で、事態が鎮静化し始めた頃に、誰かが新聞記事に書いていた一文が心に残った。「厳しい条件と孤独に耐えながらひたすら黙々と頂上を目指す登山家は、今では過去のものになりつつある。」かつてのエリートスポーツマンに見られた高貴な姿は、この時勢ではもう期待できない、というわけである。
これで私なりの結論も出たようなものだが、この一件が自分の中に引き起こした波紋にはちょっとした「序」の部分が影響していて、それとの関連で深く考えさせられたのだった。
休暇直前に、何か軽く読めるような本はないかと例の「孝子蔵書」を探っていて、その中にアガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」という早川書房の文庫本を見つけた。さして長くはなく、パラパラとめくると翻訳も悪くはないようだったので(訳者は 70 年代頃までの映画字幕翻訳で知られる清水俊二氏)、さっそく読み始めた。
その前に、またもや前置きやら連想などで長くなってしまうのだが、この機会なのでアガサ・クリスティについてちょっと触れておこう。
この人の作品は私の場合は特に映画でよく知っており、ナイル殺人事件とか地中海殺人事件とか、当時は庶民にとって夢に近かった世界旅行の疑似体験ができるようなお話なので気に入っていたが、さらにそのあとでエルキュール・ポワロの TV シリーズが始まり、こっちのポワロは映画でその役を演じたピーター・ユスチノフなんかよりイメージによほど近く、私はファンだった。
それでアガサ・クリスティの推理小説の方だが、こちらはわりと若いときから英語で読んだものの方が多い。今はほとんど覚えていない中で、ABC 殺人事件などはとても面白く、すごい作家だと思った。原文で読んだわけは、翻訳はできるだけ避けるというモットーのせいではなくて、ある英国人批評家が「クリスティの探偵小説作家としての技量はともかく、彼女の文章は女学生のそれのように単純である」と書いていたので、それなら外国人にとっては読みやすいだろうと取り寄せたためだった。批評家のいう通りでむずかしい言い回しや凝った表現はないので、英語の勉強には最適の教科書の一つともいえる。推理小説だから、次はどうなる、というサスペンスで読み進めるという利点もある。高校の英文講読などにはお勧めだ(そういう授業が今もあるかどうかは知らないが)。
ところで、また少し話がずれるが、私がそもそもクリスティに興味を抱いたのは、当初読んだ彼女の初期の作品に、後に読んだ本格的推理小説とは異なる神秘主義的な雰囲気があって、そこにペルシア人の詩人のオマール・ハイヨームの詩が引用されていたことによる。私は二十代半ばでイラン人のボーイフレンドがいたからペルシアの詩人には関心があった。パハレビ王朝のシャーが権勢を誇っていた革命前の時期のことで、後に交際し始めた彼もイランで当時三大エリート大とされた大学を卒業したエンジニアとして来日し、工学系であるにもかかわらず文学好きであった。
さらに、彼はイスラム教徒ではなくバハイ教の信者だったから、バハイ教徒をひそかに支援していたシャーがいなくなるとこの宗教への弾圧も強化されて、信者たちは嘗てのユダヤ人のように世界中に離散した。(バハイ教の本殿が現在イスラエルのハイファにある理由を詮索したら面白そう。)
クリスティが引用しているオマール・ハイヨームの詩については、その詩集ルバイヤートを訳したのは 19 世紀の英国詩人エドワード・フィッツジェラルドで、ゲーテなどもその詩に感動したというが、一説では翻訳の方が遥かに優れており原詩の方はさほどでもないという声もあり、これは前のブログで私が扱った上田敏の訳詩と似たような展開だったのかもしれない。
いや、こんな風に話を持っていくと「我田引水」になってしまい、また大方には関心のないハイヨームの詩やバハイ教なるものについて自分の興味でだらだら語るのも憚られるのでこの程度に納めて(アガサ・クリスティの研究者にとってその初期の頃の神秘主義的傾向は無視できないと思うので、つい言及してしまった)、さて「そして誰もいなくなった」の内容であるが、舞台は南イングランドの沖の小さな島、登場人物は計 10 人である。そのプロットを私が苦労して要約するより、この場合はウィキの力を借りた方が早いので、それを引用する。物語を知っている人はもちろん飛ばしてください。
『デボン州沖の小さな孤島に、招待状を受け取った8人が到着した。執事と料理人兼家政婦のトーマス・ロジャースとエセル・ロジャースが出迎える。彼らのホストであるユリック・ノーマン・オーエン(Ulick Norman Owen)とユナ・ナンシー・オーエン (Una Nancy Owen) は到着していない。
各客室には古い童謡が飾られており、皆が集まるダイニングテーブルには 10 体の人形の置物があった。夕食後、蓄音機のレコードが流される。そのレコードは、来客とロジャース夫妻 10人が殺人の加害者もしくはその原因となったと告発する。
客は誰もオーエン夫妻を知らなかった。ウォーグレイヴ元裁判官は "U N Owen" という名前が "Unknown" をもじったものではないか?と推測した。その後、青年マーストンは飲み物を飲み干すと、すぐに青酸カリによる中毒死をしてしまう。アームストロング医師は、他の飲み物にシアン化合物が含まれていないことを確認する。
翌朝、ロジャース夫人がベッドで死んでいるのが発見され、さらに昼食時にはマッカーサー将軍も撲殺されて死んでいた。客たちは、死因が童謡の各行と一致していること、置物のうち 3 つがなくなっていることに気づく。
客たちは、オーエンが組織的に自分たちを殺害しているのではないかと疑い、島を捜索するがオーエンは見つからない。この島を無人で行き来した者はいないのだから、残った 7 人のうちの誰かが犯人に違いないと結論づけざるを得なくなる。翌朝、ロジャースは薪小屋で、エミリー・ブレントは居間で、毒物を注射されて発見される。
ウォーグレイヴが全室を捜索するよう提案した後、ロンバートの銃がなくなっていることが判明する。ヴェラ・クレイソーンは自分の部屋に上がり、天井から海藻がぶら下がっているのを見つけて悲鳴を上げる。残った客のほとんどが 2 階に駆け上がる。戻ってみると、ウォーグレイヴはまだ 1 階におり、額に銃弾を受け、裁判官の服装で粗末な姿をしていた。アームストロング医師は彼の死亡を宣告する。
その夜、ロンバードの銃が戻ってくる。ウィリアム・ブロア探偵は誰かが家を出ていくのを目撃する。アームストロングは自室を不在にしている。ヴェラ、ブロア、ロンバードの 3 人は結束を固め、家を出ることにする。食料を取りに戻ったブロアは、窓辺から押し出された熊の形をした大理石の時計に殺されてしまう。ヴェラとロンバードは海岸に打ち上げられたアームストロングの遺体を発見し、それぞれが相手の犯行に違いないと考える。
ヴェラは敬意を表して遺体を海岸から移動させることを提案するが、それはロンバードの銃を手に入れるための口実であった。ロンバードが銃に突進すると、彼女は彼を射殺する。ヴェラは心的外傷の状態で屋内に戻る。自室には天井から首縄が吊られ、台となる椅子があった。もはや童謡の最後の行にしたがって首を吊ったのだ。
後日、警察が島に到着すると、皆死んでいることが判明する。島の所有者であるアイザック・モリスらが招待客を手配し、録音を依頼したことが判明する。しかし、彼は招待客が到着した夜にバルビツール酸の過剰摂取で死亡していた。警察は、被害者の日記と検視報告書をもとに、事件の顛末を再現していく。死亡時の状況や移動された物などから容疑者を絞り込むが、結局、犯人を特定することはできなかった。
しばらくして、トロール船の網に、告白文の入った瓶がかかる。ウォーグレイヴはその中で語る。刑事裁判官という職業を通じて殺人犯に死刑を宣告することで欲を満たしていた。しかし、退職後、末期の病気である今、私的な計画を実行に移すことを決意した。
島へ向かう前、消化不良のモリスにバルビツール酸を致死量投与した。そして、アームストロング医師の協力を得て、犯人の特定に役立つという口実で、銃で撃たれて死んだと偽った。アームストロングと他の客を殺し、警察を混乱させるために物を動かした後、最後に道具を使って自分の頭を撃ち、自分の本当の死が客の日記に記録された自分の死の演出と一致することを確認して自殺した。』
要するに、孤島で 10 人(当人を含む)を殺害したのはウォーグレイヴ元裁判官で、それは彼による私刑であった。彼は正義感というにはあまりに常軌を逸した動機から、法で罰せられることのない殺人に手を染めた人々を死刑に処したのである。
傲慢なスピード狂の青年マーストンは二人の子供を撥ねて死なせるが、子供の不注意によるとして特に罰せられることはなかった。医師アームストロングは泥酔した状態での手術で患者を死に至らせるが、医師も看護婦も仲間内の過失とてそのことに口を閉ざし、単に手術がうまく行かなかったケースとして処理される。ヴェラは家庭教師先の男の子が自分の恋人の遺産相続の妨げになっているとして、子供の危険な水泳に気づかぬふりをして溺死させる。敬虔なキリスト教徒を自認するエミリー・ブレントは下働きの娘が妊娠したことに激怒し、助けを求める彼女をすげなく拒否して自殺に追いやる。召使のロジャース夫妻の場合は、自分たちが長く仕えていて二人に小金を残す遺言を書いたことを知っている老婦人が発作を起こした時、薬を与えないことによって死亡させる、等々。
孤島で元判事に殺された、彼以外の 9 人の誰も、毒殺や絞殺や射殺などの直接の殺人は犯していない。しかし、例えばヴェラなどはこのまま子供を泳がせておいては命が危ないことを承知した上で、危ないがゆえに放置し、アリバイ造りに自分もその後を泳いで行って救助しようと試みたふりをする。警察はそれを全面的に信じる。部下が自分の妻を寝取ったことを知って死地に送り出す軍人も、自ら手を下してはいない。
休暇中の宿で K2 登山者の記事を読んだとき、この「そして誰もいなくなった」の記憶がまだ鮮明であったことから、殺人狂となった老判事なら、パキスタン人ガイドをいわば「見殺し」にした欧州からの登山者たちにどのように対処するだろうと考えずにはられなかった。いや、見殺しと断定するのは、彼らに酷すぎるかもしれない。みんな口をそろえて「できることはした」と主張しており、それはあながち嘘ともいえない。しかしそれで自分の良心を宥めることができるのであれば、彼らの人生自体なんと軽いことだろう。「スポンサーも待っていることだし、大変な費用がかかっているから」という卑しさ丸出しの言い訳をするメンバーもいた。
この日 K2 の頂上近くにいた人々の、誰も殺人を犯したわけではないばかりか、間接的な殺人とさえも言いかねる。ただ弁解の余地がないのは、彼らにとって、最短時間での記録樹立という目的の前にパキスタン人ガイドの救助など二の次であったという事実である。異常なまでに真の正義を求め不正を罰することに悦びを見出したウォーグレイヴ元裁判官なら、彼らをも許すことはないだろう。
加えて、絶命寸前の人間を跨いで登山を続けられる人々が、現代世界の文明国の中でも最高の国民と自他ともに誇る北欧人であったことに、私は未だ暗然たる思いを拭い切れずにいる。
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