今年 10 月末から 11 月初めにかけての万聖節を含む 4 連休は夫の郷里で過ごした。そこはドイツ西南部のライン川とモーゼル川とに挟まれた地域で、夫の実家の後ろにはフンスリュックと呼ばれる森林が広がり、針葉樹が優勢なここシュヴァルトヴァルトと違って広葉樹が多いので、春の新緑と秋の黄葉の美しさは格別である。
欧州全体、いやおそらくは世界の大半の工業国に寄せくる景気後退の波を考慮して、できるだけ安手の休暇を、と私が望んだためもあるが、今年の 8 月の旱魃・9 月の多雨に続き 10 月は晴れた穏やかな日が多かったので自然が見事に蘇り、ライン、フンスリュック、モーゼルにかけては今なら逝く秋の美しさを楽しむ絶好の地と期待しての帰省だった。
樹木の種類や植生に違いはあるものの、私たちが住むバーデン・ヴュルテンベルク(BW)州と夫の出身地ラインラント・プファルツ(RP)州との森林地帯はかつてはともに貧しく、どちらも 19 世紀以降大量の移民を南北アメリカ大陸に送り出している。ブラジルではドイツ系はエリートとされているが、その多くはドイツ西南部の出身で彼らの間では現在も古いドイツ語の方言が使われているという。
しかし共通点はそこまでで、20 世紀、特に第二次世界大戦以降はBW州の方がまたたく間に工業化を達成したのに対し、RP州の産業は少数の化学薬品製造業を除けば一貫して沈滞ムードであった。住民は貧しいとどうしても彼らを保護する社会党・左派を選び、すると労組が強くなって企業は厄介なので投資を避けたり撤退したりで、産業のさらなる衰退は避けられない。結果として州の財政はますます悪化する、という堂々巡りになるのである。
ところが近頃そのビンボー州に奇跡が起きた。新型コロナ COVID-19 に喘ぐ世界にとっての救世主とされるワクチンの中でも最も効果が高いというビオンテックの製品は、RP州にある会社で生産される。この企業がトルコからの移民夫婦によって設立され、その夫妻が疫病のおかげで今やドイツ有数の富豪になったことに複雑な感想を抱くドイツ人は少なくないが、ともあれRP州は積年の赤字から突然解放されたわけである。
と思ったら好事魔多し。ウクライナ紛争でロシアからの安価なガスの調達が難しくなり、それに頼り切りだったライン地方の総合化学メーカーBASFは、赤字転落とまではいかぬまでも利益の急減に苦しんでいる。世界全体で従業員 11 万人と世界最大の化学会社の危機はRP州にとっても由々しき事態である。目下のところは大儲けのビオンテックからの法人税でBASFからのそれの減少を補って余りあるというから、ビオンテックの勢いのほどが察せられる。
ただし、ワクチン販売、というか国からの買い上げの利益がいつまで続くかといえばそれは保証の限りでなく、一方でロシアからのガスその他の天然資源の輸入は最低でも向こう十年は途絶えるだろうから、RP州は息を抜けない。しかしこの州の住民はBW州と異なり企業家精神が乏しく、よく言えばのんびりしているが(といっておっとり・穏やかというわけではない)、親方日の丸の他力本願が幅を効かせている。
この気概の無さは、一つにはこの地域がかつては観光業で栄えた歴史に由来するのかもしれない。観光業というのはとくに勤勉さや創意工夫が求められる分野ではなく、現在の人間が苦労して手に入れたわけでもない自然の景観や歴史的な遺物におんぶして、黙っていてもやって来る観光客を適当にさばいていればいい、という側面がある。ということは、逆境において打つ手は限られているわけだから、ドイツでもコロナで人の行き来が途絶えた 2020 年からこの 3 年近くはホテル・飲食店業者にはさぞ大きな痛手であったろう。
もっともドイツその他の欧州国政府は、打出の小槌でもあるのかと思うほどの気前良さでかたっぱしから救済金をばら撒いてきたため、幸いにもかなりの部分が生き残って目下は再開に向けて歩を速めており、また長く閉じ込められていた一般市民がどっと駆けつけて観光業の復興に寄与している。同時に、政府のこの大盤振る舞いがここへ来てマイナスに作用し始めているのだが、それについては後ほど触れる。
さて、4 連休中に田舎で何をしたいかと夫に訊かれたので、モーゼル川周辺の地域をドライブしたいと私は答えた。河畔の有名な町でも夫の実家からは 60 キロ足らずの距離だし、そこまでの森や野原の景色も私の好みだし、82 歳(と半年)になっても車の運転が好きな夫は喜んで連れて行ってくれた。(写真 1 はその途中の村の風景)
川の両岸の斜面にブドウ畑が広がり、レストランやカフェ、ホテルが林立するツェルという町に着いて驚いた。川沿いにぎっしりと車が並び、どこかに駐車してのんびり散策しようという目論見は見事に外れ、行けども行けども幅 50 センチの隙間さえないのである。街はずれでもいいか、と車を進めたが、川が続く限り停めた車の列も途切れない。
仕方ないので、川の反対側に回って車がビュンビュン走っているあたり、つまり駐車禁止区の路肩に数分だけ車を止めて向こう岸のブドウ畑を眺めた(写真 2 )。畑の入り口には看板のようなものが立っていて、ブドウ園の持主/組合、ワインのブランドなどが記されている。ここのブドウから産するワインは ECOVIN というらしい(ドイツ人はエコという言葉に恐ろしく弱い)。
対岸のブドウ園は収穫が終わって黄葉している。ここには見えないがブドウの木の種類によっては紅くなる葉もある。問題は黄でも赤でもない緑と茶色の部分で、以前はそこにもブドウが植えられていたのだが、持主が放棄するか、畑を縮小して、今は草地または灌木の茂る荒地になっている。
写真に見るように、ブドウ畑はほとんどがよく日の当たる丘陵地にある。ブドウ栽培の条件はアルカリ性の土地と穏やかな気候と豊富な日光である。ドイツ西南にはその条件を満たす場所が他にもいくつかあって、わが家から 20 分ほども谷間に降りていけばバーデン・ワインのブドウ畑が広がっている。ただ、ここRP州ではそれが風光明媚の河畔にあることから、古くからワインの生産に加え観光業で賑わってきたのだった。
そしてワイン農家とワイン商人はいずれも富裕者であった。今でもブドウ畑を所有して有名なワインを醸造する農家は豊かで、川面にその白い姿を映している家々はどれも堂々たる佇まいである。(ついでに、ツェルよりもモーゼルのだいぶ上流でフランスの源流に近いトリア(トリール)という町の出身のカール・マルクスは、ユダヤ人の裕福なワイン商家に生まれた。)
近年はワインもグローバルなビジネスとなり、南アやチリなど南半球の品が手ごろな値段で世界中に出回っていて、この国でもそれは同様だが、ただワインに関しては欧州ではフランスにせよイタリアにせよ、またドイツでも、国産品への愛着が強い。ましてワインの産地となれば優先して地元のものを求める。だから外国産のワインに市場を奪われて衰退、という懸念はほとんどない。
うちの亭主など、日本でもドイツの白ワインを望むので、私は三越の地下の売場で彼のために何本か買うが(もちろん倍近い値段)、亭主から言われているのはドイツ産であること、品薄であれば妥協してドイツ語圏の産ならいいということで、オーストリアのワインはOK(スイス産は高すぎて輸出不可能、日本では多分大使館・領事館でしか飲めない),アルザスも本当はドイツの領土だから(彼の弁)、まあ、いいか、となっている。これは国産米に対する日本人の執着を考えれば理解できるだろう。まして米国や欧州で産する日本酒なんか、どんなに安くても普通の日本人なら敬遠するはず。
だから値段で太刀打ちできなくて家業を縮小ということはないのだが、写真で分かる通り次第にブドウの栽培面積が減っているのは、その手入れと収穫のための人手が足りず、労働力の不足は年々ひどくなる一方だからである。
当初は外国人、といってもEU内の労働者を使うことで何とか対処できた。東欧がEUに加盟してからはハンガリーやチェコの人たちがやってきて、斜面でのブドウ摘みを手伝った。そのうちこれらの東欧諸国の経済が上向くと、そんなきつい仕事はやってられない、と嫌がるようになって、次はブルガリアやルーマニアの季節労働者に頼った。彼らもまた数年後には「やだね」と言い出し、近年はEU加盟国ではないアルバニアや北マセドニアや欧州(狭義の)最貧国とされるモルダウ等から雇わねばならなくなっている。彼らも拒否するようになったら、中近東やアフリカから?
いや、それはないだろう。この 7 年間にドイツが受け入れた数百万の難民のうち、まともに働いているのは 3 割にも満たない。残りの 7 割のうち半分は難民資格の無い人たちだが、強制送還しようとすると左派が猛り狂うので、政府は見ぬふりをして「人道的見地」から生活費を与えており、暮らしのために働く必要もないから恒久的な無為徒食の民と化している。
しかし私が絶望的な気持ちになるのは、ドイツ人の労働に対する軽侮の念である。高学歴化が進めば進むほど、体や手を使う仕事は馬鹿にされ現場作業に従事する人材の確保がむずかしくなり、モダンな花型産業や小ぎれいな金融業などを除けば人が集まらない。2015 年に移民歓迎政策がとられたときには多くの企業がこれで労働力不足が緩和されると喜んだが、ふたを開けてみると自称難民のほとんどは使い物にならなかった。技術・能力以前に、働く気がさらさらないのである。
ドイツ人労働者は手厚く保護されていて権利を謳歌でき、自分が受けた教育や経験や資格に合わない仕事なら、どれほど長く失業していても拒否することが許され、保険の受給期間は長い上に「精神的な疾患」やら神経症やらバーンアウトやらを理由にほぼ無限に延期できるので、実際の数字よりも遥かに多い人間が無職なのである。
産業界はあまりに優しい福祉政策に起因する人手不足を嘆くが、選挙で選ばれる政治家にしてみれば人数では経営者とは比較にならないほど勝っている従業員の方が重要なので、国の経済を左右するような大企業を除き、一般の企業の声はほぼ無視されたままである。これをポピュリズム〈大衆迎合主義〉と呼ばずして何と言おう。
この政府の冷淡さは事業の規模が小さくなればなるほど著しく、それでいて法律大好きの政治家・官僚が次々に拘束的なルールを発明してくれるため、自営業の職人たちは追い詰められて特にここ数年は零細工場の閉鎖が相次いでいる。過去 2 年の間に、従業員になる方が楽と見たこれらの電気工や機械工が夫の会社に使ってくれと言ってきて、思わぬ形で人材が確保できた。しかも自営業経験者は総じて勤勉である。
ライン、モーゼルのブドウ園の姿がこんなにボロボロになっても、農場主たちは国内のファンに支えられて何とか事業を継続しているが、いつまで持つかと私ですら不安に駆られる。
まだ厳しい陽射しの残る初秋に、傾斜の急な丘の中腹で日を浴びながらブドウを摘む作業は確かにきついであろう。だけど、と私は夫に噛みつくように言った。「登山だのクライミングだのって、ドイツの若者はみんな危険できついスポーツには熱心に取り組んでいるじゃないの、それだけの体力と技量があるなら、どうしてそれを世の中のために使おうとしないの!!」
この傾向は今やすっかり「グローバル化」してしまって、みんな面白いこと・楽しいことしかやりたくない。特にコロナの蔓延で政府がいくらでも金を出してくれると知った人々は、それをせしめるための諸条件をアッという間に学び、その手当で格安航空券を購入してあちこちに旅している。どこの空港も「無職者」で溢れかえり、空港労働者は「なぜ俺だけ働かなきゃならないんだ」とふてくされ、乗客の荷物を航空機に積み込む作業をうっちゃって帰ってしまう。
ホテルもレストランもせっかくコロナ禍を生き延びたのに、福祉制度とやらのおかげで働かずとも暮らせることを国民の大部分が実感したため、求人広告を出しても誰も応募せず、規模の小さなところから順番に廃業しているというのが現状である。
敗戦のあとの復興・再建の苦しい時期を経て豊かさのために人々がともに励んだ挙句が、今日のブドウ園に象徴される国土と国民の心の荒廃だとしたら、余りに虚しい。だが、河畔で見たもう一つのブドウ畑(写真 3 )は整然と手入れされていて、こんな逆境でもなお諦めない人達がいることに微かな救いを見た思いだった。
今起き抜けにお手洗いに行くのも我慢して写真からわかる空気感(どの1枚も緻密に計画された絵画のようです)楽しみながら一気に読ませていただきました、ありがとうございます❣️ 昔周りの友人たちに…ランニングで汗を流す人たちを見て…もったいないあの体力を労働に使うべき…と会う人ごとに言っていたことを思い出しました。今もプールで泳ぐ人たちに…リハビリに来ています…これは仕事なのです…これが口癖です。そう思うと淡々とこなせる仕事であり楽しみです、習い、性(ならいしょう)となる。