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執筆者の写真クレマチス

マイ・ジョン――ドイツの黒い森から5(びすこ)

ずっと独身のつもりで老後の備えにせっせと働いていた頃、もう30年近くも昔になるが、よく外資系の会社で仕事をした。外資系だから社長や取締役には外国人が多く、彼らは一定期間日本に駐在したあとは本国に戻るか他の国に異動になる。一般に日本人駐在員の場合その妻はなかなか結構な身分で、アメリカなどでもお手伝いさん付きで立派なマンションに住めるが(ニューヨークで会ったS社の男性は「今度生まれてくるときは駐在員の妻」と言って私を笑わせた)、日本に 3~5 年滞在する英米仏等からの家族もそれは同じで、ただちょっと問題なのは最初の1年が過ぎるとかなり退屈してしまうことだった。

もちろん、海外の日本人妻が日本人会でいろいろな催しをやるのと同じく、東京や横浜にいる同国人が集まってパーティを開くこともよくあった。私の友人でスイス系の会社の社長秘書をしていた女性は、週末に奥さんをあちこちに案内したり、また日本の温泉に連れて行ってやってくれないかと頼まれたりすることが珍しくなかった。もちろん仕事だから、そのために使った時間に対しては報酬が払われる。

そうやって暮らしてもやはり退屈なのか、社長夫人はわりとしょっちゅう会社に顔を出す。日本人の駐在員妻の場合にはそれはあまりないと思う。第一、彼女らは夫の職場にあまり関心がなく、東南アジアの国々ではショッピングや食べ歩きが一番多いらしい。外国人の社長夫人がこれをあまりやらないのは、給料の管理をがっちりと行っているのは夫で、日本の女性のようにいったん給料をもらっておいてその中から夫に小遣いを渡す、などということはありえず、従って好きなようにお金を使えないためである。

もう一つ、社長夫人が会社に出入りするのは浮気防止のためでもあり、秘書や若い女性社員と懇ろになられては困るのでそれをチェックする目的もある。実際、上記の友人の場合も、その社長が不倫して挙句の果てに離婚、という騒ぎに間接的に巻き込まれたこともあった。妻を温泉に行かせておいて、自分は恋人とどこかへ?

それでこういう風に目を光らせている妻が事務所に現れると、秘書嬢にまず「私のジョンはいます?」と訊く。マイ・ジョンって、別に所有冠詞をつけなくてもいいんじゃないの、というのが当方の第一反応で、「ジョンは私のもの」などと強調せずとも誰も盗りゃしないわよ、と内心つぶやいていた。


しかしドイツに住むようになって、この私の反応は勘違いによる過剰なものだったと分かった。それに気づいたのは、町の奥さまがたとその夫連中を交えて雑談していたときである。ある中小企業の社長夫人がうちの亭主に彼の息子について質問してきた。息子の名はビョルンという。彼女は「あなたのビョルンはそろそろ学校を卒業するんでしょ?(このビョルンがもう7年ほど大学にいることをみんな知っていた。)わたしたちのビョルンは○○社の研修を済ませて夫の会社で働き始めたのよ」と言った。

日本と同じく名前には流行があって、70 年代から 80 年代にかけてはスカンジナビア系のビョルンという名が大流行だったらしい。ビョルンだらけなので、あなたのビョルン、私たちのビョルン、と区別しているのである。

夫の息子のことを「あなたの」といい自分の子は「私たちの」というのは、夫の子は先妻との間にできた長男で私の子供ではないからで、一方自分の子は傍らにいる夫との間の子だから「私たちの」としたわけである。こういうところは論理 (?) を貫く。

そもそも欧米では名前の種類が日本に比べてぐっと限られる。日本はゴマンとある漢字の中からちょっとかっこいい字を使って△太とか×平とか新しい名前を考え出すが、欧米の名は基本的に聖書の 12 使徒とその後の殉教者からとっているので、ペーター(ペテロ)、パウル(パウロ)、ヨハネス(ヨハネ、英語ではジョン)、ステファン(ステパノ)などが最も多く、わが亭主の「ハンス」もヨハネスのバリエーションである。女ならヨハネスがヨハナになり、ステファンはステファニーになる。男が「正夫」で女が「正子」になるのと同じことだ。

もっとも近年は起原不明のエキゾチックな名前をつけるのが大流行だし、また面白いことに宗教が抑圧されていた旧東独ではかつてフランス風の名前が好まれ、亭主の会社にもミッシェルとかジェロームなどという名の社員がいる。ただし、どちらもキリスト教に関係ある名前 (ミカエルとヒエロニムスのフランス版) であることに変わりはないが。

最近よくあるのはオーラフ。これも北欧系だ。近所の犬がオーラフなので私がそう呼んでいると、研修に来た日本の青年たちが顔を見合わせている。「え、どうして?」と訊いたら、ディズニーのアニメにその名前が出て来るそうで、それが雪だるまだというのに大笑いした。

また外国人の配偶者との間にできた子はダブルネームでその外国に固有の名をつけるので、純粋のドイツ人の名の子はそれがちょっと羨ましいらしい。日本人とのハーフの女の子で圧倒的に多いのは、なぜか「ユキ」である。

さてそういうわけで、あちらにもこちらにもハンスやペーターがいるので、どのペーターなの、という話になる。それで「私のヨハネスは」「あなたのミヒャエルは」と区別するわけだ。(夫を誰かと共有することはないから、あなた方の、とか、私たちの、はあり得ません。)

なるほど、昔「マイ・ジョン」と聞いて「あんたのジョンであろうとなかろうと、私は要りませんわよ」などと心中毒づいていたが、あれは単に「うちのダンナはいるかしら」程度の挨拶だったと納得した。ごめんなさいね。でも要らないのは本当よ。


* 今回のはごく軽い読み物ですが、何が言いたいの、と真面目に問われると困るので、もう少し関心を惹きそうな(といえばもちろん昨今はコロナですね)を添えておきます。・・・
コロナに関しては、先週のエコノミスト誌からグラフ(今年1月以降)と解説を借りました。この記事の焦点は、欧州諸国におけるワクチン接種の甚だしい遅れです。
グラフをご覧いただければ瞭然ですが、コロナ対策に関して世界は今3つに分かれていると言っています。その前に蛇足とは思いますが一応グラフの説明をすると、横軸は100人当たりの感染者数、縦軸は100人当たりの被接種者数です。
グラフの左下はインド、中国、日本。円のサイズは人口の大きさを示しています。その横にドイツ、イタリア、ブラジル、フランス、スペインと並んでおり、感染者数は0.9〜2.7人まで幅がありますが、せいぜい0.2人程度の日本とは大きな開きがあることが分かります。上方に英国と米国があって、感染者数は欧州で最悪とされるスペイン並みです。
エコノミスト誌の解説を待つまでもなく、第一のグループは日本、中国、オーストラリアなどワクチン接種は進んでないが懸念すべき感染者も少ない国々。二番目は英国と米国のように(これにイスラエルも加わりますが)感染者は多いものの強力にワクチン接種を推進することでそれに対処しようとしているグループ。そして第三が、感染者は増える一方なのにワクチン接種が一向に進まない欧州大陸の国々。この三番目のグループはパンデミックの最初のフェーズでは政府が比較的うまく対応していると思われたのに、どういうことだろう、と言っています。
うまく対応、といえば、私が日本にいた昨年の春から初夏にかけて、テレビの報道番組はいずれもドイツを絶賛していました。これは日本だけの現象ではなく、米国などでも特にCNNがドイツを世界の模範と褒めちぎっていたそうです(在米の友人の話)。
それが、先週末のこちらの新聞の見出しには「優等生から物笑いの種へ(Vom Primus zur Lachnummer)」とありました。束の間の栄光だったな、と思って読んでいくと「模範と言われてから1年にもならないが、もう遠い昔の話のような気がする」とあったのに苦笑してしまいました。
今となっては、私は昨春の英国のさる大臣の発言が一番まともだったと感じています。いえ、今となっては、ではなく、当時日本の検査数の少なさに怒る友人や、死者数を胡麻化しているのではないかと疑う知人たちにも、ネットで見たその発言を紹介しました。ハチの巣をつついたような騒ぎの中で彼が口にしたのは、「何が原因か、何が悪かったのか、何がうまくいくか、そんなことは今の段階では誰も確信をもっていうことはできない。いずれコロナが終息したのちに、初めて原因の真偽も対策の効果のほども判明する」という言葉でした。まったく当たり前の発言で、それだけにほとんど注目を浴びることはなかったのですが、冷静で常識あるコメントだと思いました。
例のクオモ・ニューヨーク知事のスキャンダルに関しては、かつてはコロナ時の英雄と言われたのが今や進退が問われる事態となっており、数字を操作することに躊躇する部下に「病院で死のうが介護施設で死のうが、死ぬことに変わりはない!」と怒鳴ったという証言には、ただもう唖然としました。
手に負えない新型コロナの蔓延は、特に政治家の本性とジャーナリストのレベルの低さを見せつけているように思われます。これからもまだ当分は収まる気配のないコロナ。報道陣はセンセーションばかりを求めないでほしいものです。日本もいい気になってはいけませんね。

閲覧数:45回2件のコメント

2 commentaires


hmdhonau
15 mars 2021

この比は、深く案じ、才覚をあらはさんとしたるやうに聞ゆる、 いとむつかし。人の名も、目慣れぬ文字を付かんとする、益なき事なり。

何事も、珍しき事を求め、異説を好むは、浅才の人の必ずある事なりとぞ。

これは徒然草の中の兼好法師のコメントです。いろいろ考えて賢そうな名をつけようとしているんだけど、妙な文字を使って人目を惹こうとしても、あまり意味がないよね。そういうの、知恵の足りない人間がすることだよ。今のキラキラネームを見たら、兼好法師は絶句しそうですね。

私たちが子供の頃には使える漢字がかなり限られていましたね。理由は不可解ですが、当時の文部省が決めたことで、さらに不可解なのは誰も異議を唱えなかったこと。典型が「美智子」の智という漢字。これを名前に使えなかったので、戦後生まれ(多分1970年頃まで)の女の子に「美智子」はいません。やんごとなきお方も、樺美智子さんも、1930年代の生まれですから。

今は自由過ぎて、幼稚園や学校の先生など困るのではないでしょうか。それから病院などでも。もっとも受付などは最近は番号で呼びますけど、問題はER。救急車で運ばれて来た人の名前を確認する作業に手間取る。読み方も正確に把握してローマ字表記ができないと手術に移れない、と聞いたことがあります。そういう名前を付ける親って・・・あ、やめとこ。

そうですよ、「子供を自分の所有物と思ってはいけません」と知識人たちは言うけど、「配偶者を自分の持ち物と思ってはならない」って誰もいいませんね。私たちより1世代上になると、「俺が食わせてやっている」って家畜かペットみたいな扱いをする人もいた。こういう発言は社会的地位や学歴とは全く無関係で、むしろいわゆるエライさんたちにその種の恥知らずが多かった。これは自分の経験から言えることです。

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繁 大村
繁 大村
15 mars 2021

旦那や奥さんは自分の持ち物、って感覚があるんでしょうか、欧米人。日本の奥さんは自分の旦那さんのことを自分の持ち物と思っているのかな。僕の友人が…奥さん方が旦那さんのネクタイの曲りを直したり服の埃をはらうマネをするところを見てそんな感想を言いたそうにしていたのを思い出しました。 ビョルン!何かビヨーンと活躍しそうな名前ですね、 名前についての面白いお話をうかがってて日本人の名前の面白さについてつい比較してしまいます。特に名前の多彩さについ笑っちゃいます。百代、進之介、遥(40年位前役所で使用可能名?になっていないので断られたそうです)、、、僕の友人たちの子供の名前です。今でこそ何とも感じませんが、当時は名前で遊んでるって感じがしました。宗教からの自由さも少し感じます。 載せていただいた出遅れているコロナのワクチン投与グラフからは「外敵」を思い浮かべました。コロナという今回の外敵により、政治家、官僚、国民があぶり出されました。日本が良いところを出せるかどうか、僕ら自身日本と日本人を考えるチャンスだと思いました。楽しい話題ありがとうございました♪

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