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執筆者の写真クレマチス

プーチンの家来はかく語りき――ドイツの黒い森から 38(びすこ)

ドイツで発行されている週刊誌・月刊誌のうち日本でも知られているのは「シュピーゲル(鏡という意味)」くらいのものだろうが、その他にもフォークスとかシュテルン、ツァイト(英語のタイムにあたる)などいろいろある。それらに比べると知名度は低いものの、主に保守層から一定の支持を得ている月刊誌に Cicero がある。

Cicero とは言わずとしれた古代ローマの政治家・哲学者のキケロに因む名称であるが、ドイツ語ではこれをチチェロと読む。日本人が聞くとおかしいですよね。亭主が「先月のチチェロはどこにある」なんて言うと、こっそり笑ってしまう。

保守的と評されるのが不本意なのか、購読者層を広げたいのか、最近では「緑の党」のアナキストみたいな政治家との対談もあり、共産主義者たちの主張もしっかり紹介している。先月初めには目下ドイツで最も叩かれている女性国防大臣(社会民主党です、もちろん)の、事件前の言動が報道され、昔から彼女を毛嫌いしている亭主はその記事が肯定的なのに憤慨して「もうチチェロは読まん」と私に宣言した。(そう言われても。)


この国防大臣のスキャンダルは、彼女が重要度の極めて低い北方の基地を視察し、そのためのヘリコプターに息子を載せ、視察後に近くの有名なリゾートへ「しけ込んだ」ためだが、それが公けになったのは彼女の 22 歳のアホ息子(としか言いようがない)がヘリコプター内に得意気に座っている自分の写真をインスタグラムで派手にばら撒いたためだった。

この坊ちゃん、もうずっと以前からシングルマザーである大臣の出張に頻繁に同行し、政府専用機内でシャンペンを前にくつろいでいる姿や、パリやヘルシンキやブリュッセルの高級ホテルでの様子をこれまたインスタグラムで披露しており、ヘリ内での写真はその行状を不快に思った(あるいはやっかんだ)誰かが雑誌社に配信したらしい。

以来この女性大臣は「ヘリコプター・ママ」と呼ばれているが、私はそれより「マニキュア命の女」と呼びたい。ウクライナ戦争が勃発して関係者が省庁に慌ただしく駆けつける中、写真を撮られるだろうからとまずネイルサロンに出かけてマニキュアとペディキュアをしっかり施してもらった。その甲斐あって、どの写真にも赤紫の爪が艶やかに写っている。

亭主がチチェロの記事にむかっ腹を立てたのはこれらの暴露記事よりだいぶ前のことだったから、チチェロの記者よりはウチの亭主の方が人を見る目があったと言えるかもしれない。記者とわが夫との根本的な相違は、前者はこの種の政治家をいわば商品としているのに対し、夫の方は役立たずの連中を扶養するために酷税を支払わせられている点で、立場の違いを考えれば政治家を見る目が違ってくるのも当然である。


さて、このチチェロ、夫がいかに立腹しても数ある雑誌の中ではマシな方で、特に外国人の私などには有用な情報をまともなドイツ語で提供してくれるので、そのネット記事を私はわりとまめに読んでいる。四月末のことだが、そこに「ニューヨークタイムズ掲載のシュレーダーの記事への反応」と題したかなり長い記事があって、主に米国の、しかし豪州やカナダ、フランス、さらにドイツも含めた世界各地の読者からのコメントが紹介されていた。

ざっと小見出しだけ見ても、「ドイツのドクトリンとしての<通商による変革>」とか、「ドイツとロシアの歴史」、「アンゲラ・メルケルの責任」、「 KGB のネガティブキャンペーン」、「ドイツの大失策」、「経済重視のドイツ」など、フムフム、そりゃそやな、と思うような感想が並ぶ中、「アメリカへの恩を忘れたドイツ」としてドイツを責める声があり、あ、出たか、というのが私の反応であった。

私が個人的に嫌いな言葉はいろいろあるが、その中の最たるものが「恩知らず」である。恩知らず自体が嫌いなのではなく、そういう言葉を、特に自分に恩があるはずと見なしている相手に対して口にする人間が我慢できない。

卑近な例でいうと、「誰のおかげで飯が食えると思っているんだ」などという下品な台詞を妻に浴びせる男。しかし俗にいう匹夫の類ではなく社会的にそれなりの地位にある人間でも、平然とこんな聞き苦しい言葉を口にする輩は珍しくない。仕事で出会ったエライさんたちの中には、出世して自分に従順でなくなった元部下を指して「俺がいなきゃあいつは係長止まりだったんだ」などと罵る人もいて、私はそんな男を夫とする女性をしみじみ気の毒に思ったものだった。


アメリカ人がドイツを恩知らず呼ばわりしたのはこれが初めてではない。2003 年にアメリカがイラク進攻を決定したとき、選挙を翌年に控えたシュレーダーは、ブッシュのプードルと呼ばれたブレアなどと一線を画し、中東に軍隊を送ることはしないと宣言して国民から喝采された。そのとき米国のテレビのインタビューで、平凡な主婦に見える女性が「アメリカは戦後ドイツをあれだけ助けてやったのに、なんて恩知らずなんでしょう」と激した調子で語っていた。

確かにアメリカは終戦直後、焦土と化したドイツの復興に手を貸した。特にマーシャルプランの恩恵は大きかった。しかし、それは本当にドイツのためだったんですかね。最初はアメリカも、ドイツなんか世界地図から消してやると言ったチャーチルに同調していたはず(チャーチルの母親はアメリカ人です)。それがスターリンのソ連を見て、この怪物の欧州大陸での快進撃を止めるには英国とフランスだけでは到底無理と悟るに至り、ドイツの再工業化を支援し始めたのであって、ドイツは共産主義の西方拡大を阻止する防波堤になったわけだった。

ドイツ人からすれば、ふん、何を偉そうに、全部自国の利益のためじゃないか、と言いたいところだ。後に社会民主党が東欧・ロシアとの宥和政策に力を入れたのも、一つには、アメリカの思い通りになんかなるものか、という意地があったことは確かである。もっともそれで不用心かつ不必要なまでにロシアに接近して(要するに外交戦略がなっとらん)、今そのツケを払わされているわけだが。


チチェロのその記事はざっと見てもなかなか面白そうだったが、それはニューヨークタイムズ(以下 NYT )の記事へのコメント集だから、まずそちらを読まないことにはと探すとすぐに見つかった。記事の掲載年月日は 2022 年 4 月 22 日で、シュレーダー元首相にハノーファーの彼の自宅で直接会ってインタビューをしたのはカトリン・ベンホールドという記者である。

名前から「あら、ドイツ人じゃないの」と思ったら、その通り、ロンドン、パリでの駐在経験を経て今は NYT のベルリン事務所のチーフとか。そりゃそうよね、シュレーダーと差しで話すならやはりドイツ語を母国語とする人でないと。

それでこの「プーチンの家来になったドイツの元首相」という記事だが、ドイツ語でのインタビューを英語にして NYT に載せ、その記事への英語のコメントをドイツ語に訳してチチェロに掲載、というややこしいことをしているけれど、まあ分かれば何語でもいいでせう。

シュレーダーは生来傲岸で傍若無人な振舞を諒としているから、女性記者への態度もよく言えば率直、悪く言えば舐めているという感じ。それだけに倫理観で飾らない本音が聞けて、それは面白いけれど、やっぱり育ちの悪さは隠しようがない。(以前に彼の出自について、ブラント同様私生児と記したのは間違いで結婚した夫婦の間に生まれたものの、父親はホームレスの日雇労働者、それで子どもを育てたのであれば立派なものだが、ある意味非常に立派だが、いかんせん、この男は窃盗等で何度も逮捕されている。こういう場合に子供に大きな影響を及ぼすのは母親で、彼女の愛情を受けて育たなかったことがシュレーダーを今日のような人間にしたのかもしれない。)


今ではロシア国営・半国営のエネルギー企業(複数)から優に 1 億円を超える年俸を得ているシュレーダーがプーチンの下僕となった経緯は、NYT の記事の冒頭で説明されている。シュレーダーは 2005 年秋の国政選挙に敗れて首相の座をメルケル女史に渡し政界から引退するが、その 17 日後にプーチンから電話があって、露・独を直接つなぐガスパイプラインの敷設及びその運営に携わる「ノルドストリーム」の取締役会長にと請われる。

退陣の直前、彼は最後の仕事として議会でこのプロジェクトにゴーサインを出したところであった。そこへ、同プロジェクトの先導役にという誘いである。プーチンもシュレーダーも、その去就が政治的に見てもモラルの点でも後ろ暗いことは察していた。プーチンは「怖いかい」と尋ねたそうである。

しかしシュレーダーは躊躇することなくこの誘いに乗る。さすがにドイツ国内でも驚きの声が上がった。ところがこの胡散臭い友達付合いとシュレーダーへの非難はさほどでもなかった。私は主に言葉の問題で今ほどドイツの世情に注意を払っていなかったが、それでも、当時シュレーダーの社会民主党( SPD )はもちろん、与党に返り咲いたメルケルのキリスト教民主連合( CDU )からもほとんど指弾の声がないことが不可解であった。

考えてもみて下さい。日本の首相が北方領土の資源を管理するロシア企業に肩入れして、引退後直ちにそこの社長になったとしたら・・・上記のヘリコプター・ママのスキャンダルで国防大臣が「違法には当たらない」と反駁したとき、ある人が「世の中には法律に反するから為さないことと、法律は容認しても単に人として見苦しいから為さないこととがある。今回の件は後者に当たり、当事者の無神経さを示すもので政治家として失格である」とコメントしたが、シュレーダーの決断はまさに無神経そのものだった。

それを誰も公式に批判しなかったことについて、私は夫に「いずれ自分も議員を辞めたり年とったりしたら、そういう結構なポストをよその国からもらおうと思っているんだわ」と言い、どいつもこいつも物欲しげな奴ばかりだと一人で憤慨して周りから呆れられた。


しかし物欲しげだったのは政治家ばかりではない。このノルドストリームのパイプラインによって安価で安定したロシアからのガス供給が可能になるとみた産業界(の大部分)は、諸手を挙げて歓迎した。特に世界的な化学薬品会社 BASF やドイツ経済の柱である自動車企業の支持は強力で、SPD 以外の党も彼らを敵に回せば選挙で勝てなくなるという事情から、モラルの欠如など構っちゃいられないという風であった。

メルケルの 2011 年の原発廃止宣言はあまりに無思慮・無謀であったが、それを疑問視する産業家も一部いたものの廃止決定の撤回を求めることがなかったのは、やはりこのロシアからのエネルギー資源をすっかり当てにしていたからだ。ただ、経済・産業界と国を統制する政界とは別物で、別の規範・別の掟がある。名だたる大企業のリスク軽視と予測の甘さは経営者として失格ではあるが、その存在理由と「もっと利益を」という企業目的にはあくまでも忠実だったのだ。

シュレーダーは後にロシア石油国営企業ロスネフト(ロスネフチ)の取締役会長にもなり、それで報酬は倍以上に膨れ上がる。党派を問わず政治家の多くは、高笑いするこの男を指を銜えて見ているほかなかった。異論を唱えると嫉妬や羨望の所以とされ、またそれは大部分当たっていたから、黙っている方が賢いと考えたのであろう。

豪華な自宅兼事務所での NYT 記者とのインタビューで、シュレーダーは終始挑戦的で高飛車な姿勢を崩すことはなかった。「プーチンのオファーを受けたことを後悔しているかって? とんでもない。やましさを感じるなど自分の生き方ではない」とむしろ誇らし気に答えている。

自分の経歴を利用して、決して友好国とはいえない他の国の権益を増大させ、それで私腹を肥やし富豪になったという指摘に対しては、これも平然として「ああ、そうさ。だけど安いエネルギー資源のおかげでもっと儲かったのはドイツの産業界、つまりドイツという国の経済じゃないか」と反論している。悔しいが、これは事実である。


そもそもロシア産の天然ガスへのドイツの依存は古く、「東向き」のブラントの時代にまで遡る。それ以降ガスはウクライナとポーランドを経由してドイツに運ばれていたが、そのためにこれらの国に通過料を支払わねばならなかった。ロシアはこれを節約したかった。一方ウクライナやポーランドはそれを値上げしたかった。特にウクライナは貧しい国だから、通過料は重要な歳入源だったのだ。

もう一つ問題があって、ロシアの言うにはこれらの通過地でガスが盗まれており、しかも消える量が年々増えていくのだそうだ。盗水とか盗電というのは欧州でもよく聞くが(「流浪の民」のロマたちは英国でもフランスでも専らこれで暮らしている)、ガスなど気体も途中で盗まれるのである。

今回の戦争で犠牲者として世界中から同情が寄せられているウクライナ人の中には、非常に狡猾で不道徳な人間も多くいることを私は直接・間接の経験で知っている(騙された企業が夫の業界にもある)。ポーランドも含め、ウクライナ人、ロシア人、さらにはバルカンのセルビア人などにはスラブ系民族に特有の犯罪パターンがある。EU 拡大に伴い、それに対処してゆくにはブリュッセルやストラスブールのエリートはよほど賢くなくてはならない。


EU と言えばこの組織は米国と共に最初からドイツの親露政策には批判的で、ロシアへの依存度を深めていくドイツを懐疑と不安の目で見ており、幾度か警告も発したし、特に 2011 年開始のノルドストリームの第二フェーズには明確に反対したけれど、加盟国中で最大の経済力を誇るドイツの慢心が批判を封じた。

ウクライナのガス盗みの件は、しかし実はもっと複雑なのかもしれない。ロシアがドイツへの直接輸送ラインを敷設する口実の一つとして、むしろこれを助長しているとも考えられるからだ。案外、ロシアがウクライナの親露派にやらせているということもありうる。広大な欧州大陸のこのあたりは常に魑魅魍魎のゾーンだった。ここのロシア・マフィアとウクライナ・マフィアの結託については誰も言及せず、どこにも書かれていないが、欧州で暮らしていると迂遠でトロいこの私ですら単純素朴ではいられない。

NYT 記者カトリン嬢の単純な質問、「首相を辞めて、プーチンからの誘いを受ける前に、これから何をしようと思っていましたか」という問いに、シュレーダーは彼の真骨頂ともいうべき答えをしている。「カネ儲けさ。」

ドイツの政治家の多くは法科で学んで弁護士資格を持っており、そこから政界入りをしたケースが大半で、シュレーダーにも弁護士の経験がある。だから政界引退後にまた弁護士業に戻ることも可能だったが、「ワシは首相にまでなった人間だぞ。それが今さら家賃契約の相談なんかに乗れるわけがないだろ。」ドイツ人の 99 %はこの答えに納得するはずだ。では日本人なら?


シュレーダーの返事で、私はもうだいぶ昔のことだが、大学を退官したさる名誉教授が中学校で教え始めたというニュースを思い出した。すばらしい選択だと思った。大学で教えてきた専門知識を今度は中学生に惜しみなく与える。教わる生徒たちには相手が本物であることがすぐ分かるだろう。大学の物理学教授が中学でファラデーの法則を説明してくれていたら、私も物理の世界に美を見出したかもしれない。いや、教授でなくても、外務省の高官が引退後に中・高のクラスにきて外交というものの重要性について話してくれたなら、国際関係への洞察の小さな芽くらいは生じていたのではないか。

そんな第二・第三の人生を送れる日本人は少ないだろうけれど、その生き方にはほとんどの人が敬意を払う。「大学教授ともあろうものが」とか、「外務次官にまでなった人が」などとは思わない。その点が日本人と欧米人の大きな相違である。現代の欧州にはそういう人間を敬う土壌はなく、そして誰も―ここが重要なのだが―それがないことを遺憾には思わない。だからシュレーダーの「元首相である自分に庶民相手の仕事なんかできるか」という答えに反発する人は、この国にはいないだろう。

とはいえ、目下シュレーダーがゴウゴウたる非難に晒され、社会民主党が彼に離党を迫っていること、また最近になって元首相に与えられる数々の特権( 2 千万円近い年金に加え、事務所・複数の秘書・運転手付き公用車等)の剥奪が議会で決定されたことなどから、ドイツ人もまた彼を恥ずべき存在と見ていることは確かである。( EU は先週、ドイツの元首相も制裁の対象になると発表した。)

それにしても、2005 年末にシュレーダーがプーチンにスカウトされた時点で通常の神経の持ち主であれば察知していたはずの「どこかおかしい」事態を、なぜ、戦争が勃発し多くの人の命が奪われて初めて悟ったようなふりをするのだろう。戦争がなければシュレーダーはそのまま目こぼしされたのか。政治家も企業家もカネのためなら半永久的にロシアへの従属に甘んじたのか。ドイツはここまで落ちぶれてしまったというのが私の感想である。

最後にスイスの新聞に載った写真をお見せする。チューリッヒの反戦デモに参加したロシア人女性が「私はロシア人です。ごめんなさい」と書いたプラカードを掲げている。


閲覧数:31回2件のコメント

2 Yorum


hmdhonau
29 May 2022

いや、欧米の国々にとっては「正当化」ということが非常に大事なのです。アメリカがパールハーバー空撃の計画を予め掌握していたことは今では広く知られていますが、ルーズベルトは世界大戦に参戦する口実を待っていたので、愚かな日本が嵌められたと言えるでしょう。そうやって「義は我にあり」といえることが西側の国には非常に重要なのです。これがあれば半分勝ったようなものですが、こうした社会は間違いなく「偽善」の土壌になります。かつては「神」が、今は「民主主義」がマジックワードです。その一方で、誠実と狡猾、勇気と卑怯とを無意識に区別する本能は失われていきます。

Beğen

Bilinmeyen üye
27 May 2022

こんなに少ないボリュームでこんなにコンテンツの豊富な記事があるでしょうか。いつもわかりやすい興味のある記事をありがとうございます。


周りの反応を忖度せずに正直な自分の考えを表明して反対意見は気にしないという誠実、が受け入れられる国と、国民を風見鶏に見立てて自分の信じるところを…あの手この手を使って国民にドライブ、誘導をかけて思うところに近づけて着地する(そんなうまくは行かないにしても)。僕は日本の政治家はこんなことを考えているのかなあと思っています。テレビも見ない新聞も読まないくせに…偉そうにすいません。


ものを言う地獄の沙汰も金次第

金をばらまき黙っていてね:政治家


もの言わず寄らば大樹と無言の修行

右によろよろ左によろよろ:国民


なんて言われないように僕らもしっかりしませんと😅

Beğen
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