ようやく三月。二月生まれのろれちゃんが三月に生まれたかったと言うので理由を訊くと、女性としては弥生に生まれたという方がすてきに聞こえるからとのことだった。それで思い出したのが、むかしむかしの「三月生まれ」という映画。主演はジャクリーヌ・ササール、長いストレートな髪の毛で日本のファッション界にも影響を与えたイタリア人女優だが、なんと27歳で芸能界を引退したとか。まあ、もったいない。
この映画はまだ小学生の頃に看板を見て行きたいと思ったのだが、一人で映画館には行けない。それで映画好きの父親に頼んでみたけれど、恋愛物語なので教育パパはいい顔をしない。結局見逃したものの、ずっと気になっていた。
ろれちゃんの三月生まれ願望で、この映画の題の意味を調べたら、三月生まれの女子の特徴は気まぐれでいつも人と違ったことをしたがる天邪鬼なんだって。少なくともイタリアでは。そういう女性を恋人まして妻にするのはちと厄介だ。ちなみに原題は Nata di Marzo です。ナタデココではありません。こちらの Youtube で見られるので喜んだら、残念ながら私の知識ゼロのイタリア語のみだった。
以上は今回のテーマとあまり関係のない話でした。
さて本題、今日はオリンピック開催を巡る欧州の動きについて報告したい。出だしがまたもやオリンピックと関係ない話になるが、そのうち関連づけられるのでご辛抱を。
数週間前に日本の義弟からメールが来て、NHK (BS?) の名曲アルバムで「インスブルックよさようなら」という曲をやっていて、そこに映る景色にかつて妻(わが妹)と一緒に訪れたときのことを懐かしく思い出していると書いていた。
今をさかのぼる15年ほど前に妹夫婦がドイツに遊びに来た際、私たちは二人を南ドイツとオーストリアに案内しインスブルックもその旅程に含まれていた。二人ともオーストリアは夢のようにきれいな国だと喜び、インスブルックでは町の中の宮殿やイン川(町の名はこの川に由来する)、そして町の向こうに広がるアルプスの眺めに見入っていた。
その妹が昨夏突然に逝ってしまい、以来彼は気持ちの整理がつかなくてときどき昔のことを書いてくる。彼の妻に関しては、姉の私が一番共通の思い出を持つ人間ということもある。
さて、インスブルックよさようなら、という曲を私は全く知らなかったので聞いてみようとNHK 名曲アルバムを探したが、忌々しいことに「これは国外では見られません」という表示が出た。この種のことに関しては日本は実にけち臭い。日本でドイツの番組を見るのにこんな制限はない。大体において日本のサービスの方がはるかに優れているが、電波関係では日本はかなり閉鎖的だ。とくに NHK。欧州で放映して何か失うものがあるのだろうか。
しようがないので、ドイツ語で探すことにして、その日本語題名から直訳して「Aufwiedersehen, Innsbruck 」(アウフヴィーダーゼーエン、インスブルック) と入れてみた。
ところが音楽に関係のある記事は出て来ず、オリンピックがどうたらああたらという話ばかりである。インスブルックよさようなら、がどうしてオリンピックと関係があるのだ。
しかし目下の関心はその題の曲だからオリンピックはさておき、ならばと作曲家の名前で探すことにした。作曲家はイザークという人物だとメールにある。イザーク。これは多分英語ではアイザックだろう。そう、アイザック・ニュートンのアイザック。作曲家の方は苗字だが、綴りは同じだろうと作曲家イザークで探したら一発で見つかった。ハインリッヒ・イザークというそうだ。その代表的な曲は Innsbruck, ich muss dich lassen だとある。「インスブルックよ、私は君と別れなければならない」という意味なので、確かに「インスブルックよさようなら」とも言える。
さっそく聞いてみると、これがちょっとグレゴリオ聖歌みたいな何とも古風な曲で、歌詞を別とすればカトリック教会の聖堂で歌われてもおかしくない。妙に中世っぽいなあ、と思ってイザークについて調べて、1450年にフランダースで生まれたとあるのにびっくりした。15世紀半ばの生まれ・・・日本でいえば応仁の乱より前ではないか。室町時代中期に作られた曲が今でも歌われているなんて。
フランダース生まれのイザークがインスブルックに旅したというのは不思議ではない。当時フランダースは神聖ローマ帝国の一部だった。イザークはその帝国の皇帝マクシミリアン一世と同世代で、イザークの活躍した時期にはマクシミリアンがブルゴーニュの王女 (しかも唯一の後継者) と結婚したおかげで、ブルゴーニュ公の領地フランダースを始め現在のオランダ・ベルギーなどはハプスブルク家の所領になっていた。インスブルックの宮殿もむろんハプスブルク皇家のものである。
ということで、作曲者の時代的背景も分かり、そのゆったりしたアルカイックなメロデイーについても納得できた。
そこで最初の疑問に戻って、「インスブルックよさようなら」がオリンピックとの別れいうのはどういうことなんだろう。
ネットの記事を読んでみたら、早く言うと2026年の冬季オリンピックの誘致をしないということであった。22年までは決まっているがそれ以降については名乗りを上げる都市がない。いや、22年まででも IOC は相当苦労したはずである。ドイツもバイエルン州のガ―ミッシュパルテンキルヘンなどが何度か候補になったが、住民投票で拒絶された。ミュンヘンしかり。その他、オーストリアやドイツやスイスには雪の多い山岳地がたくさんあるので、これらの地でのオリンピックも可能なはずだがどこも受けたがらない。
ウィンタースポーツの世界選手権大会などはこれらの町村で毎年開催されているから、スポーツ大会に反対というのではない。しかしオリンピックはご免だと言う。まず環境上の問題がある。世界中から大勢が集まってうるさく騒ぎ町を汚くする。経済効果など、あったとしても1年も経たないうちにゼロになり、果ては高額の投資をした設備もロクに使われず維持費ばかりかかってお荷物になる。それから多分 IOC の要求するオモテナシが尋常でない物入り。(ノルウェーはこれに怒った。)
これらの問題は早くも70年代に指摘されており、実はインスブルックで1964年に開催された後、76年に再び開催地になったのは、予定のデンバーが住民の反対で開催地を返上したためであった。
もう一度お願い、と請われたインスブルック、その12年前のオリンピックで施設は整っていたから、さほどの出費もなしに再度の開催を受け入れることができた。IOC にとっては救いの神であったろう。しかし今では困った時のインスブルック頼み、というわけにはいかなくなっている。
私が最近インスブルックを訪れたのは4年前、2017年の一月で、バイエルン州 (インスブルックの北隣り) の夫の顧客会社がそこで OB 会をやるので来ないかと誘われ、ノーと言えない彼は真冬の凍った道路を時速150キロのスピードで飛ばして出かけた。
寒さが苦手な私は怒ったが、途中で居眠り運転などされたら大変と見張り役についていった。その時に、ああ、64年、76年のオリンピックはこういう雰囲気の中で行われたのか、と追体験することができ、それはそれで感慨深かった。町の中心から見上げるシャンツェなど壮観である。ジャンプ選手にとっては、急直下で町に吸い込まれていくような恐怖があるという。
しかしそれも、ジャンプの世界大会ならいいがオリンピックはご免被るというのが市民の声である。とにかく欧州でもアメリカでも、オリンピック誘致は完全に過去の時代の遺物になっているようだ。よその国でやるなら行ってやるよ、でもウチでやる気はない。パーティは準備からあと片づけまで大変だから。
冬季に限らず、夏季オリンピック開催もドイツはフランクフルト、ハンブルクと立て続けに断った。そんな中で IOC に誘致のための賄賂など渡している国がまだあることに呆れる。日本なんかほんまにええカモやわ。そもそも西欧にコンプレックスのある日本その他の東アジアの国は、欧米がとっくに飽きた流行にいつまでもしがみつき、いわば流行の最後端にぶらさがっているというわけだ。
思うに、2024年予定のパリも今は後悔しているのではないか。近年この国ではことに治安の悪化が深刻で、テロ防止の費用は日本などの比ではない。いい加減産業が衰退していたところへコロナで国家財政はさらに厳しくなり、頼みの隣国ドイツも難民歓迎の大盤振る舞い (難民の若者がもらう手当の方が旧東独の老人の年金より多い) でアッという間に黒字は消え、28 か国中拠出金がドイツに次いで二番目だった英国は「EUよさようなら」と逃げ出し、どこにも助けを求められない。エッフェル塔を何色に塗り変えるかなどと口論している場合じゃない。
IOCは開催国からカネをもらうどころか、カネを払ってお願いしなければならない立場にある。日本はどうしてそんな実態も分からないのだろう。この国の目は節穴か。森さんはいいタイミングでおさらばしたことになる。
ネアンデルタール博物館というのがあるみたいです。でも私は行きません。だって、ミュージアムショップで買い物をするのが大好きな亭主が、ネアンデルタール人の人形の置物などかったら
なるほどなるほど、ふんふんふんと読み進めるに従って事情も分からないのに分かった気になりました、畳み込むようなリズムの良さ雄弁ですねー、いやはや本来のびすこさん、面目躍如、恐れ入りました、オリンピック中止しろ🇯🇵
びすこさんのメールを抜粋して、本文の補足として、コメント欄に引用します。
…添付の写真は、インスブルックの名所の一つ「黄金の小屋根」です。自分が撮ったもので、一月でしたので前年からのクリスマスツリーがそばに残っていました。金の屋根も半分雪で覆われています。
日本のコロナ新規感染者はだいぶ減って、ときには千人を切ることもあるようですね。こちらは7,8千人台で推移しており、フランスなどは3万人という日もあります。
スイスは業を煮やして間もなくレストランの再開を許可するようです。「法と秩序」を重んじる国であるにもかかわらず、10万人当たりの感染者の数はドイツより遥かに多くて大丈夫かと心配ですが、これ以上の経済の落ち込みは容認できないとのことです。
先日のエコノミスト誌に、コロナウィルスへの耐性はネアンデルタール人の遺伝子をどれだけ持っているかで決まる、という記事がありました。4万年前に消えたはずのネアンデルタール人ですが、それまでに現生人類の祖先と交わっていたため、そのゲノムが人類のDNAに残っているという話。これを発表したのはドイツのマックス・プランク研究所です。ネアンデルタールはNeanderthalと書き、「ネアンデㇽの谷」という意味で、化石が見つかったのはデュッセルドルフの近くのネアンデル谷であることを今回初めて知りました。