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執筆者の写真クレマチス

ウニモクの雄姿――ドイツの黒い森から 11(びすこ)

また(ドイツの黒い森から8で触れた)故エジンバラ(フィリップ)公に関係した話になるが、その葬儀のニュースの中に「ランドローバーを霊柩車として使用、これは故人の遺言による」とあって、おや、霊柩車までご指定だったのか、とちょっと驚いた。もっともエジンバラ公爵はドイツ系だけあって、自動車にはかなりご執心だったという。ついでに優れた騎手でもあった、ということは「乗り物」がお好きだったらしい。


自動車のことをドイツ人はマシーンといい、これは英語でも同じだが普通の会話でマシーンという言葉はドイツ人の間ほどには聞かれない。どうやらマシーンというからにはそれ相応のパワーと機能を備えているべきで、その辺をちょろちょろ走る主婦/主夫の買物用の車などはマシーンとは呼ばないらしい。ランドローバーなら立派なマシーンで、これは王室御用達の英国車でもあった。

英国車でもあった、と過去形なのは、今も英国車と呼べるかどうかはちと怪しいからである。オーナーが英国人でなくなって久しい。いや、現在のオーナーのインド人は英国籍をもっているかもしれないが(爵位だってカネで買えるし)、何しろタタ自動車という純粋にインドの会社に属するので、胸を張って「由緒ある英国の車」とは言うにはやや無理がある。ちがいます?


ここで告白しておくと、私は霊柩車を意味する英語を知らず、hearseと言う単語を英国の新聞記事に見て、なんのこっちゃ、と辞書を引いた。英語を習い始めて 60 年余り経つのに、こんな簡単な単語も知らないとは情けない。もっとも弁解させていただくと、私の仕事で使われるような言葉じゃないし、小説なら霊柩車が出てくることもあると思うがまるで記憶にない。(探したらThe Zebra-Striped Hearse「縞模様の霊柩車」という古い探偵小説があった。面白そう。)

ドイツ語ではLeichenwagenライヘンヴァ―ゲンと言う。英語より長い単語だが、死体を意味するライヘンは事件などでよく聞かれるし、車を意味するヴァ―ゲンはワーゲン、ワゴンでもう国際語になっているから、ドイツ語の入門者でも分かる。


で、霊柩車としてのランドローバー、これはフィリップ公が 82 歳のとき 2003 年にランドローバー社との協力で自らの葬儀用にテイラーメイド車として設計・制作に着手したという。当時のランドローバー社はドイツの BMW の子会社だった(ちょっとウッフな感じ)。英国の自動車はロールスロイスにせよアストンマーチンにせよ何度も身売りを繰り返しているから、別に恥じる必要はないけれど。

いや、恥じる必要はまるでないのだが、葬儀の様子を伝える放送番組では「フィリップ殿下は今、英国の誇りである英国車ランドローバーで・・・」と重々しい調子で中継していて、まあね、インド企業の子会社が作った車とは言いにくいしね、と同情しつつも、何だかなあ、と首をかしげてしまったのであった。


と、私がいささか偉そうな口調になるのも、ランドローバーに匹敵するドイツの霊柩車は紛うことなき正真正銘のドイツ車、ドイツの会社がドイツで作ったマシーンだからで、英国のサッカー選手ゲーリー・リネカーの「・・・そして最後はドイツが勝つ」という有名な台詞を思い出してしまう。もっとも、それでいい気になったドイツは先の世界選手権でぼろ負けしてしまったけれど。奢れるドイツは久しからず。分かっとるんかいな。

ドイツの霊柩車と聞いても、ドイツ人でも首をかしげるかもしれない。そもそも国葬級の葬儀となるとドイツに王族はいないし貴族はそこまで尊くないから、過去に大きな功績のあった元首相の埋葬ということになるが、東西ドイツ再統一の立役者(とされる)ヘルムート・コールの場合、2017 年にライン川沿いの故郷の町まで遺体は船で運ばれた。


著名なドイツ人の遺体の運送に使われた車として私が知っているのはダイムラー社のウニモクで、何を隠そう私はこの車のファンなのである。自動車の運転どころか自転車乗りだっておっかなびっくり(実はここ 50 年ほど乗っていない)の私がオフロード車の話をするなど、分不相応もいいところだが、どうせ不相応ならうんとでっかく出た方がいいでせう。ウニモクなんて聞いたことない、という方には、日本語のウィキもあるのでそちらをご覧いただきたいが、この名称はウィキにある通り「Universal-Motor-Gerät」(直訳すると「多目的動力装置」)の太字部分を読んだものであります。(従ってUNIMOGと綴るが、語尾のGはドイツ語ではクと発音する。)

この車の名を初めて聞いたのは、我が州にあるホーエンツォラーン家(学校ではホーエンツォレルンと習った)の「天空の城」を見に行き、そこがかのプロイセン王国の故郷でもあることから、お勉強のためにお城で買ったプロイセン史の CD の中であった。


ドイツ西南からドイツ東北のプロイセンが誕生した経緯は長くなるので省略して、日本人の多くは多分フリードリッヒ大王という名なら聞いたことがあるだろう。ヴォルテールとも親交のあった啓蒙君主で、マリア・テレジアとは犬猿の仲、ただし彼女の息子(皇太子)はフリードリッヒのファン、という困った状況にあった。フリードリッヒの略称はフリッツで、この君主、今でも親しみを込めて「フリッツ爺さん」と呼ばれる。

フリッツ爺さんの青年時代は波乱万丈で、音楽・文学・哲学を愛する多感な息子を「軍人王」と呼ばれた武人の父親は全く気にいらず、徹底的に、折々はサディスティックなほどに、しごいた。おかげで父親を凌いで「大王」と呼ばれるまでになったが、彼の同性愛癖ばかりはどうにも変えられず、フリッツ爺さんは甥を後継者に指定して1786 年に世を去る。


その数十年前、彼がまだ 32 歳の時、フリッツは既に自分の墓所を指定し、葬儀の次第についても遺言を残す。場所はポツダムのサンスーシ宮殿の地所内で、衆人の好奇の眼に触れぬよう死後 3 日目の夜に提灯の明かりのもとで埋葬すること、などと書かれていた。甥は見事に遺言を無視し、その生涯の大半を軍服姿で送ったフリッツの父親フリードリッヒ・ヴィルヘルム一世の眠る駐屯地の教会に伯父を葬った。


それから茫々157 年、次第に戦局が厳しくなる第三帝国でヒットラーの部下ゲーリングは父子の遺体を本部近くの防空壕に避難させる。敗戦の気配が濃くなって赤軍の足音が近づく中、遺体はドイツ西方の山中に運ばれ、戦後にそれをアメリカ軍が見つけて掘り出しヘッセン州の教会内に埋葬させた。父と子はつかの間、6、7 年ほどそこに眠っていた。

ドイツの戦後の混乱もやや落ちついてきた 1952 年、ホーエンツォラーン家の当主ルイス・フェルディナンド公が、二つの棺を引き取りフリッツたちの父祖の地である上記の「天空の城」で保管したいと申し出た。ポツダムは当時ドイツ民主共和国(旧東独)の支配下、ということは実質ソ連の領地であったから、例えフリッツの甥が遺言を守っていても遺骸がそこに留まることはなかっただろう。

こうして親子の金属製の棺は、うちの近所のへヒンゲンというところにあるお城で彼らにふさわしい待遇を受けて大切に保管されることになった。だが亡骸の旅はそれで終わりではなかった。


1990 年に東西ドイツが統一され、ベルリンも、ポツダムをその州都とするブランデンブルクも、旧共産主義政権から解放されてドイツ連邦共和国の一部となり、誰が言い出したのか知らないが、親子の棺をフリードリッヒが生前に望んだ場所に埋葬しようということになった。

もちろんこれには大きな抵抗もあった。特に左翼にとってプロイセンはドイツが経験した悲劇の根源であり、その名前すらも悪魔の如く忌み嫌って、二基の棺の移設に反対するデモを繰り広げた。

しかしフリッツ爺さんは多くのドイツ人にとってアイドルみたいなところもあるから、とにかく父親とともに安らかに永眠させてあげようではないかと、1991 年 8 月ドイツ再統一から 10 カ月後に棺桶が城から運び出されることになった。


私が見た CD はまずそのシーンからで、城でのカノン砲の礼砲射撃に続き、棺は兵士たちによって車に載せられた。それから最寄りの鉄道駅に運ばれ、フェルディナンド公に伴われて特別列車でドイツ西南から東北まで田野を突っ切りポツダムに向かう。

その際に山上の城からの搬送で使われた車がウニモクだった。粗相のないよう予め厳格な訓練・演習が繰り返され、その場面を見てこういう車が軍隊で使われていることを知ったのだが、これはまさに多目的な車だから、災害時の救済・復旧や警察の警備用、鉄道線路の改修などにも大きく貢献している。



そして重要なのは、これが農業用に今も広く使われていることである。戦後、連合国により重工業がドイツで厳しい規制下にあったとき、これを農業用として開発することは大目に見られた。あ、繰り返しますがこれを製造しているのは一貫してダイムラー社で、車体にはほら、高級車ベンツと同じマークがばっちり。

どうです、こうしてランドローバーと比べてみると、スピットファイアーに挑むメッサーシュミット機の風格でしょう。

さて、ポツダムに運ばれた棺はフリードリッヒの死から 205 年の歳月を経て漸く彼の望んだ場所に落ちついた。国民の一部の反感を考慮して、そのセレモニーにはコール首相が「私人」として参列、この辺りはどこかの国と似たような・・・


かつてのプロイセン王国に絡むウニモクの話はこれまでにして、おしまいはその農業分野での用途について。

ダカール・ラリーにも登場するこの重厚で頑丈そのものの車が田園風景の中で活躍している姿は、かつてドイツの産業を消滅させようとした連合国をとっくに抜き、最後にはやっぱり勝つドイツに警戒感を抱く国々をも破顔せしめるのではないか。

もちろんウニモクにもいくつかのランクがあって、農業用には大小さまざま、価格帯も広い。プロイセン史の CD でウニモクを知ってから、畑でこの車を見ると私が歓声をあげるので、夫が一度トラクターなどの農業機械の野外展示会に連れて行ってくれたこともある。

南ドイツでは牧畜業が盛んなので、家畜のための干し草作りは日本の稲刈りさながら重要な行事である。初夏に丘陵地の草を刈り取って車に積む作業は一家が総出で行い、老若男女みんなよく働く。


今年もそのシーズンが来たと思っていたら、夫の仕事着の洗濯・アイロン掛けを一手に引き受けてくれているマリアさんが、こんな古い写真を見つけました、と何枚かの白黒写真を持って来て夫にみせた。

マリアさんは農家の出身で、弟さんがそれを継ぎ現在は 70 代も半ばを過ぎているのでご隠居の身だが、80 歳を越えたマリアさんが今なお至極丈夫でパワーがあるのは若い頃の農作業で鍛えられているためだ。

写真を見て夫が「おお、これはウニモクだね!」と目を細めた。見ると、私がいつも写したいと思っていた風景である。車のそばにいるのは彼女のお父さん。後ろ向いているのがまだ10 代の彼女で、そばに弟妹がいる。


写真は小さかったので、私がスキャンしてパソコンに入れた。以前に山腹の草刈作業を見てふと 5・7・5 に纏めてみたことがある。

 ウニモクで刈り草運ぶ三世代

この古い写真がそのヘボ句を再現してくれた。



写真 1.エジンバラ公の霊柩車としてのランドローバー 写真 2.プロイセン王国の本家「天空の城」 写真 3.ウニモクの雄姿? 写真 4.農家の草刈―1956、7 年当時



閲覧数:52回8件のコメント

8 Comments


karen1434
karen1434
Jun 04, 2021

ウニモク、見ただけで頼もしいですね、あの太くてでっかいタイヤを見ただけで馬力が想像できます。干し草の写真良い眺めですね。

あれは二つの荷台をつなげて引っ張ってるのかな?

(何トンだろう?)

天空の城の写真も凄く素敵!美しいです。

ドイツ人と日本人は気質が似てると昔から聞いてますが、ビスコさんもそう思われますか?

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hmdhonau
Jun 04, 2021
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真面目できちんとしている所は似ていると思っていました。でも残念なことに、若いドイツ人はそれを美徳とは思わなくなっており、不真面目でちゃらんぽらんで、というのが自由でファッショナブルと見なすようになっています。イタリア人の生き方に憧れる、なんて人もいて、訳が分からない。欧州で経済も一番だし、政治も比較的安定しているし、スポーツもできるし、でもそのために周囲からいろいろ言われ、何かというとナチの過去を持ちだされ、「新しい世代は違うんだ!」と必死で非ドイツ化しようとしているのが、何とも痛ましい感じ

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繁 大村
繁 大村
Jun 02, 2021

へぇー、鋳鉄銑鉄チタン!そんな話する女の人初めて、新鮮!硬いチタンも悪口に使われるとは! お勤め人やってた時、僕はひたすら耳に心地よいおべっかの方をブラッシュアップして心に揺さぶりをかけてました、と白状いたします。脅しとおべっかはサラリーマンのサバイバルに欠かせません、あはは🤣 卒業したのでもう無関係と思っていましたけど相変わらず人数合わせに御用のお口がかかります、世の中頭数が揃わないと何の力もふるえませんね、気が小さいのと、この期に及んでもまだ欲あるのでつい付き合ってしまいます😎😓

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hmdhonau
Jun 02, 2021
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いやいや、それでこそ生涯現役!老兵(失礼)は死なず、去りもせず、ですよ。欲はやはり持たないと。別に金銭欲とか物欲とか名誉欲でなくても、面白いこと探す欲とか、ちょっと意地悪してやろうの欲とか。でなかったら、ただの枯れ木ですもんね。枯れ木も山の賑わい、ったって、やっぱり紅葉・黄葉の一つもつけていないと。

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繁 大村
繁 大村
Jun 01, 2021

ウニモク、覚えました。何百年も乗り物として使ってきた馬を駆逐した自動車の歴史を感じますね。経営者が変わっても中身の精神までは変えられない、というか変えたくない「何か」。車の素性にいかなる変遷が刻まれようと関わった精神までは…それを守ろう、残そうとする人がいる限り代えられないし、生き残るわけか。人の歴史もしかり。うーん、ベンツ❣️ 技術者魂…そこに惚れたか。歴史の流れの中に生きている実感を持つことの意味がなんとなくつかめて読み応えのある特派員便りでした…ありがとうございました。最近では新聞も読まなくなった僕でも、こんな読み応えのある特派員便りが載ってる新聞だったら購読してもいいかなと思いました。干し草と一緒におさまっている車の写真で盛り上がったなごやかに談笑しているもう一つの風景も素敵だなぁと思いました。 (Hearse聞き覚えのある単語だなと思ったらHearth、、溶鉱炉の床、、工業高校生にはなじみのある単語、埋葬じゃなく0葬(ゼロそう、骨も残さず全部燃やすやり方)なら霊柩車Hearse の中身は焼却炉Hearth行きと言うことになりいくらか関係しますね😘あはは🤣)

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hmdhonau
Jun 02, 2021
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そうです、鉄って結構柔らかいんですよ。どうにもならんのはチタン。鋳鉄を作るの材料は銑鉄や鋼のスクラップ、その他にケイ素とかニッケルなどですが、この場合に高いカネ出して買った産業スクラップに微量のチタンが含まれているともう大変。固くて切削加工ができないんです。鋳造品ができあがって切削してみてから分かることがあって、ツーレイト。わが家で私が頑固な亭主を罵るときは、このチタン頭!っていいます。


仕事柄いろんな現場を見せてもらいましたが、鉄の男と並んで私が気に入ったのは「鉱山の男」、これは南アフリカで。土木関係も好きですが、この業界は迷信が今でも幅を利かせていてそれが厄介。ダムや渓谷を渡る橋など危険な作業が多いので、カミサマを大切にするんですね。そしてこのカミサマは女。だから嫉妬深いそうで、トンネル工事などには入れてもらえませんでした。青函トンネルの工事も見に行ったんですが、「山のカミサマが怒るから外にいてね」と言われてしまった。


でもね、最近亭主が付き合い始めた顧客がトンネルなどの掘削機を製造する会社なんですよ。欧州で(いや、世界で)一番長くてすごいのはスイスのゴッタルド・トンネルなんですが、それもこの会社の機械が掘った。それでいつかトンネル補修工事を見に連れて行ってもらおうと思っています。青森の仇をスイスのアルプス山中で。

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