今週の木曜日 2 月 22 日で、ウクライナ戦争勃発からちょうど二年になる。当初は欧州市民の多くがウクライナの劣勢に危機感を抱いたが、その後はほとんどの EU 加盟国がロシアを激しく非難し、アメリカをはじめとし武器供与などの支援を惜しまなかったことから逆転もあると希望的観測に傾いた。
その間、ドイツでは当時のおかしな女性防衛相が言を左右にして支援を渋り(まもなく辞職に追い込まれたが)、フランスでは雄弁をもって知られるマクロンが美しく「連帯」を強調しながらカネのかかることはご免被るという態度で、EU が一枚岩でないことがたちまち露呈して行く末が危ぶまれたものの、大方の世論は数か月内で片が付くとみていた。
だがロシアもダテに「大国」の看板を掲げているわけではなく、ドイツにとってまだ命綱であったガスのパイプラインを早々に破壊し(ロシアの仕業であることが確定したわけではないが限りなく疑わしい)、経済制裁なんかと鼻であしらってエネルギー資源の輸出には中国・インドなどの協力を取り付け、外貨稼ぎにも怠りない。
米欧・露では軍事力の差は歴然とみられていたのに、欧州各国が平和ボケでどこも軍事を縮小していたため最初は装甲車もヘリコプターも錆びて使えず、四苦八苦して漸く動き出したと思ったら、弾薬が足りない。弾薬の材料も不足して、またもやその調達に駆け回る事態となった。一方ロシアは、もともと好戦的な中国あるいは北朝鮮(中国経由)から兵器を次々に輸入するなど、なかなかの戦争巧者ぶりである。
正義の EU/米国にとって多少救われる事態は、かつて NATO と距離を置いていたスウェーデンとフィンランドが正式に加盟してこの北太平洋条約機構が強化されたことだが、それも EU の西欧優先に不満を持つ東欧のハンガリーなどが反対したため、全加盟国の賛成を条件とする新規加盟は難航した。最終的にハンガリーが了承したのは、きっとどこかの国がこのビンボー国に鼻薬をきかせたためだろう。
ウクライナの NATO 加盟の課題に加え、EU 加盟についても、仮に戦争が終わったところでそうすんなりとは行きそうもない。これは主にウクライナ国民の民度に問題があるためだが、現在の状況下でウクライナに国政を正せ、民主化を促進せよ、などと助言している余裕はない。何しろ EU・米国ともに、ロシアの侵攻が始まってから、国際機関への加盟やら軍の増強、民間経済に必要なエネルギー資源の確保など、一朝一夕には処理不可能な課題に慌てふためいて手を付けようとしているのだから、まさに泥縄式である。縄を綯う間、泥棒がじっとしていてくれるはずがないではないか。
そして情勢はだんだん西側に不利になってきた。これは当然と言えば当然で、ロシアにせよ、そこにしがみついて恩恵に預かろうとしているベラルーシにせよ、さらにその背後の中国・北朝鮮などはもちろんのこと、まず民主主義・人道主義などハナから完全に無視する体質であり、国際条約遵守などという言葉は彼らの辞書にはないのである。勝つためには何でもする。国際世論がナンボのもんじゃ。
それに比べると、EU はとにかくフェアに戦おうとか人権がどうのこうのと騒ぎ立て、これでは本来なら勝てる側もなかなか決戦には持ち込めない。この点は目下のイスラエル対ハマスの戦争に明らかで、兵力や軍事技術ではイスラエルの方が勝っているのに、欧米や特に国連が「弱者」のパレスチナ人の被害を最小限にと煩く口を出すので、こっちは国際世論をいくらかは気にしてあざとい勝ち方はできずオタオタしている。パレスチナ人を犠牲にしているのはハマスの方で、彼らにとってはガザの住民は「人間の盾」に過ぎないのだが。
また、厳しい野戦や欠乏状態に慣れたロシア軍の方が、へたに西欧から甘やかされて隣国の支援に期待するウクライナ軍にくらべて本気度が高い。早く言えば、戦争に駆り出されるロシア人兵士たちは捨て石か棄民のようなものだが、平和時でも暮らしは相当厳しいからそれも運命と諦めている。これは第二次世界大戦中のスターリングラード攻防戦に見る通りで、結果としてソ連軍の死傷者は 120 万人、ドイツとハンガリーやイタリア(当時はまだ寝返っていなかった)等の枢軸国の死者は 80 数万人とされるが、有利なはずの自国内の闘いでソ連軍がこれほどの被害を出したということは、ソ連赤軍にとって人命というものがどれほど意味を持っていたか(いなかったか)を示している。その冷血無情の策が功を奏したことは、その後のロシアを力づけた。
人命軽視・蔑視ではかつてのドイツも負けておらず、これはドイツ帝国の母体となったプロイセンの伝統という人もいて、実際プロイセン王国はずいぶん近隣諸国と喧嘩したが、いずれの戦いでも兵士が恐れたのは敵軍より自軍の側だった。ちょっとでも怖気づいて引き返そうとすると後ろから来た仲間(のはず)の兵士に槍で突き刺され、上官がそれを命じていることを知っているので、兵卒としてはもうやみくもに突き進むしかなかったという。こうして連戦連勝を誇ったプロイセン軍を見て明治日本はいたく感心し、それまでフランスに倣おうとしていた日本陸軍を突然プロイセン式に換えたというのだから、この歴史は日本にとって無縁ではない。
ロシア人の耐久力については、もうだいぶ前 80 年代末にある人の話を聞いてなるほどと思ったことがある。彼は信越地方で力のあった百貨店のオーナーで、あるとき視察を兼ねて何か目ぼしい商品を探しにソ連まで出かけた。
なかなかさばけた人で、たまたま出会った私のような人間にも親しくみやげ話をしてくれたのだが、その彼がロシアで出される連日の食事の粗末さに唖然としたという。食後に出される林檎一つにしても蜜柑より小さく味も悪くそれが萎びていて、こんなものを食べてよくあの体格が維持できるものだと感心する一方で、戦争が起きたら栄養状態の悪い彼らはすぐ参るだろうと思った。「けど持久戦になったらソ連の勝ちやな。あれだけひどいもん食って生きながらえる力をもってるんだから、豊かな国の兵隊は到底敵わんわ」という意見で、私は最近その発言をよく思い出す。
まあ、そんなやこんなでロシア対ウクライナの紛争は一向に解決に向かう兆しはなく、どの国でも、そして特にウクライナ人への支援額が最大のドイツにおいては、ウクライナの話はもう聞き飽きた、みたいな雰囲気が出て来ている。これを「支援疲れ」と人は言うが、私は少し違うように感じている。善意の、というより善意を見せびらかしたがるドイツ人の間でも、もう堪忍してほしい、という雰囲気なのである。それはウクライナ人の無遠慮・無作法に原因があると私は見ている。
二年ほど前にウクライナ人の女・子ども・老人がドイツに押し寄せた時、私の住む自治体のような田舎でさえ、使っていない上階のスペースを提供したり、留学中の息子の部屋を貸したりする人がかなりいて、ドイツ中が善い人であふれている印象だった。実際、中東からくる粗野な男性に比べて彼女らはドイツの暮らしにすぐ馴染み、窃盗や暴行という犯罪に走ることもないのは、宗派は違うけれど何と言っても根は同じのキリスト教徒だから、という評もあった。
しかし一般市民が呆れたのは、彼女たちの図々しさである。知り合いの一人は、お茶に誘ったら「美容院に行くから明日にして」と言い、翌日誘うと「○○カフェでケーキを食べたから要らない」と応じ、ありがとうの一言もない。そして美容院の費用もカフェ代もドイツの納税者のお金である。
2015 年の難民流入以来いろいろあって国中が上へ下への騒動になり、それは今でもほとんど片付いておらず、しかも政府の責任になるというので犯罪数などは隠ぺいされて、実態が国民に伝わらない、という先進国にあるまじき事態となっている。(婦女子への暴行は「軽傷」として扱われ、警察も相手にしない。殺人に至ったケースも少なくないが、国営放送は報道しない。)
そのためもあって、新たな難民申請ではハードルが少し高くなり、4, 5 年経っても難民の認定を受けられない中東・アフリカからの若者も少なくない。最近の統計では、(一応信用するとして)ドイツ国内の難民数は 310 万人、ただしこれは 2022 年末の数字なので、現在は350 万人を超えているだろう。
そしてその内訳を見ると、昨年末の数字ではウクライナからの戦争難民が 110 万に上り、一国からの難民としては無論最大である。というのも、ウクライナから来た人々は戦争地域だからと一切の検査なしに、パスポートさえあれば無条件で難民と認定されるためだ。
そして政府から難民手当が支払われ、その額はドイツ人への生活保護の額と同じである。公平を期して??税金を一度も払ったことのない人たちに??しかも子供手当などは別途に支給されるので、子供がいると親子二人でも年金生活の夫婦より多い額をもらえる。これで年金暮らしの人たちが怒らないわけがないが、そういう声は完全に無視されて新聞にも(一部の右派系を除き)まったく掲載されない。
そこへ市民の神経を逆なでするような事象が生じた。難民の多くは、もらった手当の約半分を国に送金しているというのである。難民には粗末でも何でも住宅は無料で与えられ、またアラブ・アフリカの若者たちの場合は個々の住まいを嫌って集団で暮らしたがるので、ドイツの低額年金の夫婦と違って家賃の負担はない(なお、近年はやや変化しているが、ドイツ人の大半は伝統的に借家住まいである)。
難民ならその申請中でも携帯は無料で与えられ、高熱費も払ってもらえる。必要なのは食費と衣料費ぐらいのもので、これをうまくやりくりすると約 16, 7 万円の手当の半分以上は余る。いや、余るように暮らすので、月額 7, 8 万円は母国に送ることができる。イラクやモロッコやエリトリアで 7, 8 万円といえば大金である。
それに対する国民の憤りがさすがに抑えられなくなって、政府は目下キャッシュカードの発行を審議している。このカードである限度額までの物品を買うことはできるが、送金はできない、というシステムにしようというのである。これに対して、現在与党の緑の党が反対しているので(理由が全く理解できないが)、すんなりとは国会を通過しないであろう。
この母国への送金には何ら制限がないので、ウクライナ人も「しめた!」とばかりに励んでおり、ウクライナの国内でも西側は安全なため、そこに残っている家族、あるいは東部からそこに移って来た人たちが、ドイツからの送金を待っているという状況である。ウクライナ人も最初は真面目に職を探したりして、今も働いている人がいないわけではないが、働かなくても難民手当で十分に暮らせる、いや母国で働いていたときより多い額を働かずにもらえる、と知った時点から、彼らの就労意欲は見事に萎んだ。
これが別の国の人間だったら違うかと言えば、それは私にも分からないのだが、ここ 10 年近くの難民やら移民やら貧民やらの動きを見ていて、西欧の福祉制度の弊害を痛感せずにはいられない。皮肉にも、その悪しき傾向をいち早く認識したのは社会福祉先進国の北欧で、今やデンマークでもスウェーデン、ノルウェーでも、難民の数には厳しい制限を設けるようになっている。国が持たないのである。
いずれにしても、このように支援に慣れ切った人々に対し、一般市民が暖かい手を差し伸べようなどと思わなくなっているのは当然であろう。大国の支援疲れというより、弱小国の支援慣れの方が問題なのである。
先日も「ウクライナが敗れる可能性が高まっている」という新聞のニュースに、私が「もう負けちゃえばいいわ。こんな図々しい国民じゃあ、EU に加盟してもお荷物になるだけじゃないの」と言い放つと、夫がびっくりしたように「じゃあ、今ドイツに入る 100 万人だか 120 万人だかのウクライナ人をどうする? ロシアに負けたら彼らは帰国しないぞ。ドイツがずっと面倒を見ることになるんだぞ」と言った。
いや、女子供が帰国しないだけでなく、戦争から帰って来た男たちもすぐドイツにやって来るだろう。既に妻子が住んでいる、という理由で彼らもすんなり受け入れられるであろう。
もうこうなったら、ドイツ経済が壊滅的な損害を被るまで、無謀な大判振る舞いを続けるほかないのであろうか。欧米のすることは何でも模範だと信じるお人好しの日本の人たちにも、軽々しい善意というものの怖さを知っていてほしい。
最近の私たち夫婦の会話。「まあドイツがニッチもサッチも行かなくなるまでにはまだ 7,8 年あるだろう。その頃には自分ももうこの世にいないだろうし。」「ええ、私はもしまだ生きていたら日本に帰らせてもらうわ。」
さて今回のブログはお見せするような写真がないのだが、ずっと前から気になっていて取り上げたいと思っていた映像があるので、この機会に、やや長くなるが説明を添えて紹介させていただく。
ブエノスアイレスのスラムとゲーテッドコミュニティ
もうだいぶ前のこと、どの新聞だったか忘れたが世界中で貧富の格差が広がっているという記事があって、そこにゲーテッドコミュニティなるものの写真が掲載されていた。ゲーテッドコミュニティというのは、ウィキでは
「ゲート(門)を設け周囲を塀で囲むなどして、住民以外の敷地内への出入りを制限することで通過交通の流入を防ぎ、防犯性を向上させたまちづくりの手法。ゲーテッドコミュニティという概念自体は目新しいものではなく、以前から租界や米軍ハウス等があり、再定義したに過ぎない。」
と記されている。つまり、ゲートと塀で遮ったから悪いというのではないのだが、問題はこれが象徴的に示す貧富差、階級差、社会格差で、このブエノスアイレスのコミュニティの後ろにはちょうど記事向きに誂えたようにスラムがあり、手前のプール付き邸宅と背後の陋屋とのコントラストを見せて、南米社会の不公平と正義の欠如を責めているのである。
それ自体は当たっているだろう。しかし、これを見たときの私の反応は、よその国の問題や恥部をよくも平気で弾劾できるものだ、恥を知れ、であった。
というのは、ブエノスアイレスの悲惨に劣らぬ光景(の写真)をドイツで目にしていたからである。
二枚目の写真は、2021 年にドイツ西部のライン川河畔を襲った洪水のあとの様子を示している。日本での津波の被害を思わせるすさまじい荒廃ぶりである。しかし私がもっと驚いたのは、その背後に燦然と輝く修道院の威容だった。被害を受けた地区からほんの数百メートル離れた高台にある修道院は、無事どころか民の苦難などまったく関係ないといった風情で堂々と佇んでいる。
これは格差ではないのか。これは社会不正義ではないのか。
ドイツには教会税というのがあって、強制ではないが教会のメンバーでないと埋葬にも支障があるというので、一定以上の年齢の人の多くはこの税を払っている。近年のスキャンダル頻発で、死んだあとの埋葬など知るものかと信徒であることを止め税も払わない若い人が増えているが、国全体での教会税収入は今も馬鹿にならない。
それが聖職者の給料と年金の原資になり、また大小教会の建物や修道院の維持管理の費用として使われる。10 年ほど前にドイツ北西の町で神父の館の改築が行われたとき、その浴室だけに数千万円が費やされ浴槽は金メッキと報道されたため、さすがにローマ教皇から「反省のため休暇を取るように」という指示がその神父に出されたこともあった。日本風にいうと「蟄居」であろうか。
そしてドイツ全土のカトリック教会に対しては、私もこれには仰天したのだが、16 世紀初めの宗教改革の際にプロテスタント派が没収してその所有物とした建物と敷地に対する「賠償」として、未だに、つまり 500 年余り経った現在でも、相当の額が毎年支払われているというのである。
政教分離など、ドイツでは夢のまた夢、教会の力と富の前には、声を挙げる国民もない。当然政府も手を付けない。これは一体どういうことであろう。21 世紀の現代において、人も知るこの先進国で。
さして苦難の表情も見せずに淡々と洪水被害の後始末に取り掛かる庶民の後ろに、恥知らずにも立ちはだかるこの修道院の写真を見たとき、アルゼンチンのスラムとゲーテッドコミュニテイの格差について云々する資格がドイツのメディアにあるのか、と怒りがこみ上げた。エリートと呼ばれる層がそれを自覚していないことも腹立たしいし、一般国民がこの現実を黙って受け入れていることが私には信じられないのである。
知れば知るほど、私はこの国の偽善が厭わしくなる。
ウチの亭主はタフなので、毎晩のニュースやトークショーは半分眠りながらも欠かさず、朝は食事しながらラジオのニュースと主要新聞の報道の要約を聞いています。私はもっぱらインターネットでいろんなニュースをサーフし、亭主が読んだ後の新聞で自分に興味がある欄に目を通しますが、もし亭主並みにTVやラジオに頼っていたら、ほぼ確実に胃痛を起こすでしょう。御用メディアである国営放送が報道する内容は決まっているのに、それを毎日聞く心理が分からない。
そもそもここ10数年の難民問題は、欧米のインテリ/エリートの途上国への無知・無謀な介入にその原因があります。
まずイラク戦争ですが、大量殺りく兵器をこの国が持っているというのが、米英豪の侵攻の口実だった。フセイン大統領は否定しますが、アメリカはそれを疑い英国のブレアも「所有している」という報告を信じました。(そして後日、ブレアは国民に謝罪します。)実際所有していなかったからサダム・フセインが「そんなものはない」と言ったのではなく、そう答えれば相手が必ず「いや持っているはずだ」と考えることは分かっていて、そう思ってほしかったのですね。だって大量殺りく兵器があるということは、欧米のみならず近隣諸国に対しての重要な抑止力になりますから。そこまでお金はかけられないので持てなかったのですが、「持っている」と思われたことは実にありがたかったに相違ありません。しかも真実を述べて否定すればするほど、相手は懐疑的になる。これって、真実で相手をだます、という奇策ですよね。
でも抑止力になる程度では済まず、それを理由に侵攻されて掴まえられて絞首刑になった。さて、それでイラクは幸せになりましたか。サダム・フセイン亡き後のイランの混乱ぶりは米国などの手には負えず、結局「ワシャ、もう知らん」で、その後にISISだのタリバンがのさばることになりました。
私はオーストリアやスイスでイラク出身のタクシー運転手さんの何人かと話したことがありますが、誰もが「確かにフセインは暴君だった。でも俺たちはちゃんとイラクで暮らせた。今のイラクは人間の住むところじゃない」と言っていました。
フセインの次はエジプトのムバラク追放。欧米はこぞって「アラブの春」と称賛したけれど、ムバラクの後のエジプトもまた「人間の住むところ」ではなくなって、最終的に軍人のシシが権力を握り小康状態を保っています。
リビアのカダフィは世界の憎まれ者でどの先進国もずいぶん悩まされましたが、あの程度の男がリビアにはぴったりだったのです。開明的な首長なんか、あの地域ではありえない。それが証拠に今のリビアは国家の体を成していません。
シリアのアサドも同じこと、今のシリア人には彼のような無茶苦茶な暴君が「ちょうど」なのです。もちろん不満を持つ人も多く、その人数が一定のレベルにまで増えた時点でアサドに反旗を翻す人が出てシリア戦争が起きました。しかしその人たちには、アサド無き後の構想などゼロでした。
中東、アラブ諸国、というのは、もう根本的に西洋とも東アジアとも異なるのです。それは生活環境や家族制度や教育の差の故でもありますが、その後ろには何百年もの歴史や慣習があって、教育制度を整えたから国民が啓蒙されるというわけではありません。そもそも、世界のこの地域を何とかまとめることができるのはClanすなわち氏族、部族、党派なのです。(社会保障など無い後進国は、基本的に血族や同郷の士以外は信用しません。)
西洋諸国はその現実を見ようともせず、人間はみな同じなどと幻想を並べ立てて、無邪気なアラブ人たちに「革命を起こせ、そして民主主義を広めよ」などと使嗾する。
こうして次々に多くの人々が国を失い、彼らは「けしかけたのはそっちだから、面倒みてもらおうじゃないか」とヨーロッパにやって来る。犯罪がウィルスのように増え、国庫の負担は限度を超えてしまう。でもそれは西洋諸国の、特に脅迫概念のように民主主義・人道主義を唱えるエリートや政治家に責任があるので、今そのツケを払っているとも言えますが、実際にもっとも迷惑を被るのは一般国民です。
嘗ての植民地主義とは様相が異なるものの、しかし根底は同じである西洋の優越主義が中東やアフリカを危機に追い込んだと私は思っています。
なるほどなぁ、、流入する難民にそこまで生活保障しているとは知りませんでした。そりゃあ難民家族でドイツで暮らしたくなりますね。 その一方で歴史的なキリスト教優遇策に反発する若者もいる。EUを引っ張っているドイツがこの先どういう政策に出るか、EU加盟諸国もおちおちしていられませんね。ウクライナとロシアの戦況の行方はウクライナが負けたら負けたで、ドイツに残留する難民問題が残るわけですか。 ロシア、中国、北朝鮮、いずれ劣らぬ内患外憂で、ネットを駆使してハ方にらみのアンテナを張っていても落としどころが見えてこない。 日本もかつてのロシア軍の人命軽視の流れを汲むと聞けば、死者や犠牲者の数、が世論を動かすまで、それすらも作戦の1つとして既に策謀者たちの想定内だとすればその構図そのものを狂っているといって済ませるわけにはいかない。 鍵を握るのは…どうしたって国民。 革命の本家本元ロシアや中国の歴史、毛沢東やスターリン、何千万単位の圧殺の国土に置かれ、翻弄され続けている国民の複雑な思い…想像もつきませんね。でも同じ地球上に存在している。豊かさとは何かがわかりやすく目の前に展開される世界の一方で… 平和時における人間の良識とか常識が通用しない世界があるということを少しは知らないと僕ら自身が危ないと思います。 これほどピンポイントでコメントが聞けるメディアがないことがメディアを育ててない日本人自身ががピンボケである証左だと思います、貴重なコメントありがとうございました。