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執筆者の写真クレマチス

りんご随想――ドイツの黒い森から 57(びすこ)

先月末の週末に夫が大きな正方形の包みを持って自宅に上がってきた。包みをほどくと、中から出て来たのは、グスタフ・クリムトの絵画「りんごの樹」であった。そういえばその少し前に何かの雑誌にその絵の複製画の広告宣伝が出ていて、私が「あ、これベルベデーレで見たわね」と言ったことがあったが、まさかそれを注文しているとは思わなかった。

クリムトはウィーンで極めて人気のある画家で、その絵の中でも特に「接吻」とか貴婦人っぽい女性の肖像などは、土産物のマグカップやランチョンマット等のデザインに使われている。私はクリムトのことは特に好きでも嫌いでもなかったが、こんな風に頻繁に用いられては通俗化しすぎて元の絵の価値が損なわれるような気がしていた。


それがあるとき、6, 7 年前だったか、丸谷才一のエッセイを読んでいると、そこにこの作家が好きだったという「クリムト論」が載っていて、脇に「解題  完成しなかったクリムト論」とある。その箇所の筆者は丸谷氏でなく、美術の分野に造詣の深い編集者らしかった。

それによると丸谷氏はしばらく前からクリムトについて書こうとしていたのだが病気で延期され、それが 2011 年の半ばになってようやく実現しそうになったという。そこで知ったのは、この作家が関心を持っていたのはクリムトの風景画だということだった。<「ぼくはクリムトの風景画が好きなんだけど、そのほとんどが正方形で、なぜそうなのか、大きなナゾなんです」と楽しそうに語ったのを何度か聞いている。風景画からクリムトを論じようとするのは、いかにも丸谷さんらしい斬新な発想だったが十分な時間が遺されていなかった。>とある。そのあと心臓の大きな手術を受け 2012 年の 10 月に逝去したため、結局丸谷氏のクリムト論が世に出ることはなかった。

この経緯を読んでから 1 年後にウィーンに行く機会があって、夫の仕事が珍しく早く終わったので私がエラソウに「じゃあ、今日は観光案内をしてあげるわ」と出かけ、彼が全く知らなかった観光バスに乗ってあちこちをまわったあと、「あなたが行ったことのないベルベデーレ宮殿に行ってみましょう」と提案した。実は私の方も、いつも外の庭を歩いてばかりで宮殿内に入ったことはなかったので、この機会に覗いてみたかったのである。


あとで知ったのだが、この宮殿内の「オ―ストリア・ギャラリー」はクリムトやエゴン・シーレの絵画で有名なのだそうだ。私たちが訪れたときには幸いなことに常設展ではなくクリムトの特別展になっていて(栄養満点で健全がウリの夫は、エゴン・シーレの絵を気持ち悪がる)、それも風景画がたっぷりと展示されていた。私は早速その前年に仕入れたにわか知識を披露して「ほら、全部正方形でしょう。そして空がほとんどないでしょう。これ全部、アタゼー(アタ湖)の湖畔で描かれたんですって」などと説明した。ザルツブルクに近いアタゼーの辺りは当時よくバカンスで出かけていたので、その点でも親しみを覚えたのだった。

夫がそれらの一群の絵を気に入っていたことは、彼が「りんごの樹」の複製の広告を見てすぐ注文したことから明らかで、私も好ましく思ったが、問題はそれを掛ける場所がないことで、私の部屋や居間や寝室の絵はいずれもそれなりに思い出や思い入れがあるので、いくら「きれいで楽しげ」でもクリムトの絵と取り換えるつもりはなかった。

結局それは階下の入り口の近く、階段の下に掛けられることになって、従業員が頻繁に出入りする場所なので趣きも何もあったものではないが、肝心の夫がそれをしょっちゅう目にすることができるのは、まあ、悪くないだろう。(写真 1 )


さてそれで、この林檎の樹の絵から私はドイツとその周辺国における林檎についてあれこれ考えるようになった。南国生まれの私はドイツに来るまで林檎の樹など見たことはなく、もちろん子供の頃から実はよく食べてはいるものの、蜜柑や柿と違って木に生る姿を目にする由もなし。児童文学や少年少女文学には林檎の樹への言及があるので、まだ見ぬこの樹は憧れでもあった。「若草物語」で主人公のジョーが本を持って木に上り、そこの枝に腰を下ろして心ゆくまで読書にふけるシーンなど、ああ、どうしてこの田舎には林檎の樹がないんだろう、と恨めしくさえ感じたものだ。

しかしドイツで林檎といえば、大抵の人の場合すぐに頭に浮かぶのは「白雪姫」であろう。魔女が白雪姫に与えた林檎は、子供の頃に読んだ絵本の中でも紅く艶々と美しい。後に何かの解説で読んだところによると、白雪姫は名の通り真っ白な肌をしているが、髪の毛はカラスの濡れ羽色で、これはドイツ人女性の典型ではなく、つまり異国的要素を含んでいるのだという。白い肌、黒い髪、そして真っ赤な林檎・・・というのがミソなんですって。


ドイツとその周辺にはかつては果物といえば林檎しかなく、小さなサクランボを除けば、桃さえもない。それで後にこの地域に新たにやって来た果物には全部「○○リンゴ」という名称が付けられた。たとえば、石榴は「グラナタアプフェル」というが、これは(スペインの)グラナタのリンゴという意味だし、オレンジの場合は今ではオレンジともいうが以前は専らアプフェルジネ、つまり中国のリンゴと呼ばれていた。日本でいろんなマイナーな花に何でもサクラという言葉を付けるのに似ているかもしれない。桜草とか、芝桜とか、秋桜など。

そんなお国柄なので、林檎の樹は至るところに豊富に自生しており林檎並木なども珍しくない。しかし自生・野生のリンゴはやはりまずく、売り物にしようとするとちゃんと手入れをせねばならないし、収穫の手間も考えて樹を伸びっぱなしにしておくわけにはいかない。日本のリンゴ畑を私は見たことがないのだが、写真などではまっとうな樹の姿をしているのに対し、こちらでは売るための林檎の樹はかなり丈が低く、商業用のリンゴ畑の風景は詩情に欠ける。

詩情豊かな野生の林檎の方は、これはもう、まずいのなんのって。だいたい樹が古くてほったらかしなのでいやいや実をつけているという風で、秋もたけなわの頃には、姿かたちだけいかにも林檎らしい実をぽんぽん落とす(写真 2 )。私はこちらの田舎で野原に転がる赤い実を見て「野林檎の紅(くれない)馬に喰われけり」という句を作ったことがある。芭蕉は「道の辺の槿は馬に喰われけり」と詠んだが、一説にはこの大俳人は見もしない光景を句にすることが結構あったそうで、道端のムクゲを馬がぱくっとやる場面も彼の想像の所産なのかもしれないが(それもポエティカル・ライセンスということで構いはしないが)、林檎は本当に馬の餌になるのである。


ところで私は 80 年代半ばのことだが、西洋絵画に出て来るいろんなオブジェ(植物、動物、鳥など)の象徴性に興味を持って調べていた時期がある。よく知られているのは、受胎告知の絵に必ず描かれている白百合で、これはマリアの純潔の印。また紅薔薇は血の色だから、イエスの殉教を表す・・・など。

その流れで林檎の象徴性にも興味を持ったのは、ギリシア神話の「パリスの審判」の物語からだった。これは人口に膾炙したお話だから説明の必要もないと思うが、ギリシアの三人の女神が集まっているところへ争いの女神が「最も美しい女神に」と黄金の林檎を投げ込む。三人が「いちばんきれいなのは私に決まっているでしょ」と、争いの神の思惑通りに争い始め、決着がつかないので、地上の世界で最も美しい男とされたパリスの審判を仰ぐこととなり。

ヘラ(ゼウスの妻)は、私を選んでくれたらあなたに地上界で最強の権力をあげる、と言い、アテーナイ(知恵の神)は美女コンテストで私が優勝したらあなたに最大の富を与えようと誘い、そしてアフロディテ(ローマ神話ではビーナス)はあなたにこの世で最も美しい女を贈ろう、という。パリスは美人をもらうのが一番いいといい、アフロディテを「(天上界で)一番きれいな女神」とする。こうしてパリスはトロイのヘレネを手に入れるが、そこからの話は面倒なので省略。


この話で私がずっと気になっていたのは、ギリシアに林檎なんかあるのか、という点だった。高知だって暖かすぎて林檎の栽培はできないのに、なんで南欧のギリシアで? ほぼ一年を通じて半裸半袖で過ごせるような地方ですよ。

そう不思議に思っていたころ、偶然に私に「土居光知全集」の中の二巻だか三巻だか、古代から中世にかけての世界の神話・伝説について解説した巻をくれた人がいた。私としては珍しいことにその名前も忘れたが(私は人に何かをもらった場合、くれた人ももらったものもかなり良く覚えている。これは一つには、私が親兄弟から物をもらったことがほとんどないせいかもしれない)、とにかく思いがけない人で、古本屋で買ったのだがどうたらこうたら―その理由も思い出せない―と渡され、ちょうど比較文学の特に神話に興味を持っていた時期だったから(相手がそれを知っていたらしいのも不思議だ)喜んでもらって読んだ。

土居光知と聞いて分かる人は今ではほとんどいないと思うが、5, 60 年前にはよく知られた英文学者・古典学者で、実はこの人は私の母校で教えていた時期もあるのだが、私が入学した頃には既に 80 歳を超える老齢で、教授陣が怖れ多くもという感じでこの学者の名を口にするのを聞いた程度であった。


さて、そのもらった本を夏休みの帰省中に実家で読んでいると、父親がそれを覗き見てなぜかえらく関心を持ち、神保町の古書店に電話して入手可能な分から揃え、最終的に全 5 巻取り寄せたので、実家には今もそれが残っている。

ということは現在手元にその本がないわけだから確かなことは言えないのだが、土居先生のおっしゃるには、どこかよその国で後日誰かが「リンゴ」と訳したこの果物は、われわれの知っている林檎ではないそうである。リンゴに当たるその言葉は、ギリシアでは果物一般を示すそうで、だから神話に出て来るのも何か丸くてきれいな果物だったらしい。メロンかもしれないというが、メロンが 3 人の目前に投げ込まれた、というのも変だ。一昔前まで西洋社会の高校では必須科目だったというギリシア語を私は全く読めないので(アラビア語のアルファベットなら読めますよ)、メロン、林檎、果物などの単語を比較することもできないのだが、「パリスの審判」に出て来る林檎がリンゴではない、という説にはすぐ納得した。(因みに、これもだいぶあとで知ったことだが、土居光知先生は高知県のご出身でした。それで光知ってつけたのかしら。)


さて、ギリシア語・ギリシア文学といえば、過日、少し前のことになるがいちまるさんのフォーラムで話題になったことがあり、そのとき私はギリシア語の訳者としては松平千秋という人が有名なことなどコメントしたのだったが、その後で、ギリシア文学と言えば高校の世界史でかの有名な哲学者たちなどと並んで「サッフォー」「アナクレオン」などの詩人の名を覚えさせられたことを思い出した。

こんなもの覚えてどうする、と思わぬではなかった一方で、まだ比較的記憶力の良い頃だったので頭の中に入れておいた。それで、サッフォーって詩人は確か女性だが、はてどんな詩を書いたのだろうとこのたびネットで調べると、あっという間に彼女の詩が出て来たのには一驚した。それも、代表的な詩の題が、またもや「りんご」である。もっともこれは英語でApple なので、ということは、書いた本人は「果物」という題のつもりだったのかもしれない。

これがもう素晴らしい詩なので、是非ご紹介させていただきたい。もっとも、それは訳した英国人の力量によるのかもしれないが。


Like the sweet apple which ripens

At the top of the bough,

On the topmost point of the bough,

Forgotten by the gatherers-

No,

Not quite forgotten,

But beyond their reach”.


ドイツ語の訳もあって、こちらも秀逸。

しかし何といっても素晴らしいのは日本語訳である。どうかお聞き下され。


たかき樹の枝にかかり

梢にかかり、

果実(このみ)とる人が忘れてゆきたる

いな、

忘れたるにはあらねども、

えがたくて、

残したる紅き林檎の果(み)のように


訳者は誰あろう、かの上田敏様、そして題は「忘れたるにはあらねども」となっていて、これもいい。だって「林檎」では「忘れてゆきたる」になり兼ねないもの。「えがたくて」の英語は beyond their reach、高嶺の花ということだが、上田敏の日本語のゆかしさにはサッフォー女史も大満足であろう。

この詩から、私は一生を独身で過ごした優れた女性たちのことを思い出し、今は亡き彼女たちにこれを聞かせたかったと思った。その多くは、終戦後に結婚適齢期の男性が極端に少なかった時期、戦死した父親や兄に代わって一家を背負って生き、他家に嫁ぐことの叶わなかった人たちだった。一部個人的に親しくまた世話になったその女性たちに、私はずっと特別な思いを抱いている。


もう一つこの詩で連想したのは、ギリシアとも林檎ともかけ離れるが、日本にある「木守り」の慣習である。おかしなことに、この習わしを知ったのは、四半世紀余り前、出張先の高松で立ち寄った和菓子屋さんでの買物がきっかけだった。店頭に並べられた「木守(きまもり)」という菓子について尋ねると、それは干柿を羊羹のようにしてそれを餡として使った、最中に似た菓子だという(写真 3 )。干柿を挟んだ麩焼き煎餅の色も感触も優しげで、「お茶席でよく使われます」というので、母宛に送ってもらうとすぐ電話がきて礼を言われ(珍しい)、柿の実を全部取らずに翌年の実りを願って一つだけ木の上に残しておく、それを木守というのだと教えてくれた(母から何かを教わるなどさらに珍しい)。

「えがたくて、残したる」実という言葉から、高い梢に残った夕暮れの中の木守柿を思い浮かべ、

沈む陽の前にはだかる木守柿

と詠んでみた。



閲覧数:41回3件のコメント

3 Comments


Unknown member
Oct 27, 2023

木守きまもり、名前も姿もそして多分味もよろしいんでしょうねぇ 食した気分。 その時代を表現し得たアーティストが必ずしもその時代に理解されるわけではありませんよね。むしろ不遇であることの方が多い。エゴン・シーレの晩年もそのように記憶してますが確認する気ゼロです、今ちょっと落ち込んでますので😞 クリムトとエゴン・シーレ…近いようで近くない、先生と弟子と簡単に言ってしまえないものもありますよね、職人だったら技巧的な面でクリムトに興味を示すかもしれませんね 気分が上向かない時は小説のシーンを書くに限ります、午前中、祥太郎がニューヨークで拾った?靴磨きの少年の出世物語を書いていたら少し気分が晴れました あ、ごめんなさいここは、びすこさんのブログでしたね でももう書いちゃったので今回だけご勘弁、ついでにと言っては厚かましいですがよそのお庭で四方山話 (兄の施設入所に関してファミリーの温度差が多く僕にしてみれば胸突き八丁の場面、本来ならばここまでくればすーっと通れるところなのですがいろいろ難しいです。 とりあえずぼくの視点から見た図を示し、後はそれについて思案しつ結論が出たら僕がお手伝いしましょうと言う場面、まあ何とかなると思いますが兄の変化についていくのが辛いところです) さて今回のびすこさんのりんごにまつわる話、楽しく読ませていただきました、僕の知らないことばかり、ありがとうございました…おかげさまで高校の修学旅行で行った青森のりんご園のりんごの香りに包まれました。

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Oct 27, 2023
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叔父さんが引退しておられてまだ体力もあるとはいえ、親御さんのお世話は本来子供さんたちの義務ですから、そのことを忘れてはいけませんね。私のような小うるさい婆さんが身近にいて、言ってきかせられるといいのですが。


クリムトは若いときはまだしも、年とると太って禿げて、髪の毛の不足を髭でごまかしたりして。その点は偶然ながらダンテ・ガブリエル・ロセッティも同じ。美人を追いかけてばかりいないで、自身の外見にも多少は気を遣わないと。


エゴン・シーレの末路は悲惨ながら、世紀末(世紀の変わり目)のウィーンの芸術家としての面目躍如と言えるかもしれません。


ニューヨークの靴磨き少年と言えば、思い出すのは「小公子」の中で将来の伯爵さまと仲良しだった靴磨きのディックです。

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Oct 26, 2023

ブログに書き忘れたのですが、サッフォーの詩を英訳したのはダンテ・ガブリエル・ロセッティという英国の詩人・画家で、名前が示すようにイタリア系英国人で特にラファエル前派の画家として有名です。絵画の方は結構多作なので幾つか知っていますが、翻訳を含めて詩作に触れたのは初めて。ただ、この人の妹にあたるクリスティーナ・ロセッティの詩は学生時代に好んで読んでいました。短いものですが、Songという詩などは泣かせます。


クリスティーナ・ロゼッティ?知らな~い。いえ、多分彼女の詩とは知らずに知っていると思いますよ。


誰が風を見たでしょう。

僕もあなたも見やしない

けれど木の葉を振るわせて

風は通り抜けてゆく


この歌、学校で習いませんでした?訳詩は西条八十です。

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