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執筆者の写真クレマチス

「四君子風信」第 2 号 令和五年長月 磯目春硯

今回は、びすこさんのブログコメントや大村さんのフォーラムの川口ちょこっと吟まで、広く目配りのきいた楽しい「詩歌交遊録」です。「四君子通信」から「四君子風信」と題号が変わっていますが気にしないで、これだけの葉書の紙面に凝縮された内容豊かな日本語の表現の世界を行く夏とともに味わわせていただきたいとおもいます。今回からタイトルに春硯さんの名前を出させていただきました。


閲覧数:60回5件のコメント

5 Comments


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Sep 19, 2023

松本たかしの「羅」の句で何年か前に自分が作った句を思い出しました。

・暦みて羅仕舞う母の汗

着物は季節(感)が極めて重要なので、月が替わると着物も袷から単衣(ひとえ)、単衣から羅へと変わります。9月初めなどまだまだ暑いのに、もう羅は着られないと母は汗だくになって仕舞っていました。

母はよく着物を着る人でまた和裁がプロ級でしたので、日常生活は着物と縁がありましたが、私は好きではなくむしろ批判的でした。まず値段がべらぼうに高いし、女同士が競い合うのも見ていて不愉快で。でも母が逝ってのちに作る句や短歌には着物を詠んだものが多く、やはり記憶の中に根付いているようです。

・白緑(びゃくろく)の単衣を母は縫いあげて水無月までの日を数えゐる

単衣は6月と9月のものなので、5月中に仕上げねばと焦っていたことを思い出します。


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Unknown member
Sep 19, 2023
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着物…季節ごとにタンスから出して身に付ける、またTPOに合わせ柄を選んだり、丁寧に大事に扱って親から娘、または他の人に引き継がれる。身につける人の背丈にも調節が効く重宝。浴衣なら肩揚げして着てみたりもできる。


織、染め、柄付、仕立て、解いて洗い張りなんてのもありますね、たくさんの職人の手を経て、出来上がる着物の数々、袖を通す人の気持ちを整え、引き立てる。物語も始まる。


着付け工程そのものがもう身につける人を造ってゆくとも思えます そうそう、そんな窮屈知っているからこそ浴衣の気楽さが楽しめる よくまぁ今の世の中まで伝わりましたね、そのセンスは洋装にも活かされているんじゃないですか。


伝統って、ある意味贅沢。贅沢が文化を作りますね。 着物は脇が甘いから、、あ、やめ、やめ、、びしっと決める、襟を抜く、だらしない人はお引きずり、男だって銀流し、、粋だ、派手だ、競い合うことも、見せびらかしあうこともこれまた文化なんでしょうね、その塩梅が難しいと、びすこさんはおっしゃってるわけか…。 伝わって欲しい伝統ではありますね。


袖通す腕の長さや浴衣丈

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Sep 16, 2023

先回は日傘が話題になっていて、これは懐かしいような気がしたので(欧州では全く見かけません)その後私も記憶をたどって一句詠んでみました。


・日傘より覗く顔(かんばせ)十年(ととせ)のち


これは幼馴染みの男の子が三十歳くらいのときに言っていたことですが、昔なんとなく好きだった女性にしばらく会わずにいたら、久しぶりに帰省したらしく日傘をさして歩いていた。最初は彼女と気づかず行き過ぎようとすると、「あら」と声を掛けられ、傘の下から覗く彼女を見るとずいぶん垢ぬけた大人の女性になっていた、というものです。夜目遠目笠の内、と言いますが、日傘も女性を美しく見せますね。

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Unknown member
Sep 16, 2023
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幼な顔日傘の中の女かな を上品に表現するとびすこさんの  日傘より覗く顔十年後 の句に上品におさまるわけだな、上品って色っぽい、僕ってスケベかな🤪

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Unknown member
Sep 15, 2023

いやあ、恐れ入りました…これはもうありがたく、ただただ楽しませていただくのが作法、先程から何度も読み返させていただいています、ありがとうございます❣️

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