top of page
執筆者の写真クレマチス

Correspondence(2022/3/25-7/4)あるいはウクライナと西欧、コロナについて

ブログ―ウクライナ情勢と難民受け入れ

2022/03/25 金 00:22

Cさま

弥生三月も残りあと一週間、今年は移動祝日の復活祭が来月半ばですので、いつにもまして四月が待たれます。その前に、次の日曜日にはサマータイムに変わります。このサマータイム、EUで 2017 〜 18 年頃に廃止の動きが出て 20 年には無くなると思っていたら、コロナでそれどころではなくなり、まだしばらく続きそうです。今の世界情勢から見てEUで喫緊の課題とは言えないので仕方ありません。夏時間と冬時間があるのは切り替え時に馴染めなくて面倒ですし、夏にやけに日が長くて 8 時・9 時でも昼間のように明るいのは何とも不自然な気がしますが、欧州にいるとこれも日本のお彼岸のように歳時記の一部です。

・ふらここの埃払ってサマータイム

・午後の陽に猫も眩しげサマータイム

復活祭はキリスト教の暦で毎年変わるのですが、たいてい 3 月末から 4 月半ばの時期になります。少し寒いとはいえ 3 月末に桜が咲き始める頃のお祭りもいいものです。復活祭の花といえばこちらでは黄水仙、今年はもう 10 日も前から咲いており、4 月には散ってしまっていそうです。復活祭休暇は例年通りアルザスで過ごす予定で、桜も散っているかもしれませんが林檎や梨の花は満開でしょう。

桜といえば、ブルターニュ在住の日本女性のブログに見たことのない可愛らしい桜の写真があったので著者に尋ねると、アーコレードといい紅山桜と小彼岸桜の交配種とのことでした。イギリスで作出されたのだそうです。ピンクの色がまさに桜色。我が家の辺りの桜はサクランボ用ですので白一色です。その前に、目下近くの野山には今シュレーエという白い花が咲いています。日本語でスピノサスモモというそうで、酸っぱくて生食はできませんがジャムやリキュールに使われます。

さて、ウクライナの情勢は、これ、膠着状態と言っていいのでしょうか、ロシア軍は兵站に苦労していると聞きますがそれで後退するわけではなく逆にじりじりと入り込んでいるように見えます。ウクライナ軍がいつまで耐えられるか。報道陣も正確なところを伝えているかどうかちょっと疑問です。ジャーナリズムではどうしても一般の人が聞きたがっている話にしてしまうという通弊は免れないでしょう。

日本の国会でのセレンスキー大統領の演説はいかがでしたか。新聞では予想したほど大々的には報道されていませんでしたね。日本に感謝とか核兵器の脅威とか制裁の継続とか、まあ、その程度のことしか言えませんわね。私は彼がその前に真珠湾を譬えに出したことに不快感を覚えました。他にもホロコーストとか(これはロシアが言い出したことですが)、歴史をきちんと把握せずポピュラーなエピソードを手軽に持ちだすことに抵抗を感じます。ドイツにも多いですが、クリシェ(常套句)を多用することは政治家の知性を疑わせます。

例のひょこむでろれちゃんが「もう、勝手にやれば」というブログを投稿していて、そのときに「ロシア国民がプーチンのひどさを理解していないのが不思議」と書いていましたので、次のようにコメントしました。


<情報のコントロールが為されていて、パソコンもスマホもなく国営放送にしかアクセスできなできない貧民層や高齢者や田舎のロシア人は、プーチンを信じるほかない、とのことです。勝っても負けても戦いの後に何が来るか、なんて想像力はない。

KGBの役人としてかつて東独で(東)ドイツ人を下僕のように扱っていたプーチンだから、あの大国ソ連の栄光を再び、という悲願があるのでしょう。「世が世なら」「一昔前なら」・・・終わった人の台詞ですね。

ここ欧州での難民受け入れは順調のようです。2015 年以降の中東・アフリカからの自称難民に対する姿勢とは全く違います。東ドイツのある町で、早速小学校に通い始めた子どもたちもいます(アルファベットが違うので苦労するかもしれないけど、50 歳以上の東ドイツ人ならベルリンの壁崩壊前に強制的に習わされたロシア語で、子どもたちの手伝いができるかも)。

ベルリンでは、ウクライナでパン屋をしていた女性がすぐに雇われてパンを焼き始めたそうです。こちらは言葉の壁は余りありませんから。英国はブレクジットで東欧の移民がいなくなり、そこへコロナで、ひどい労働力不足に苦しんでいましたので、ウクライナからの移民は歓迎されるでしょう。戦争を逃れて来たのは女性が多いですが、英国の各都市では店員・売り子の不足がネックになっていました。ウクライナでも英語教育はそこそこ施されていますので、難民の人たちもスムースに溶け込めそう。

どの国でもトラック運転手がいなくて物流に支障をきたしているので、若いウクライナ男性が来てくれればいいのですが、彼らは今国防に必死だから・・・60 歳以上の男性なら国を出られるそうなので、ちょっとくらい年とっていても頑張ってくれないかしら。>


わが町でも受け入れが始まりました。学校では先生も生徒もちょっとショックを受けている様子です。ウクライナ人の子供たちの学力レベルがドイツ人のそれより高いのだそうです。その理由として、西ウクライナの都市部(今回のブログでも取りあげた地域)からの難民だからではないかとの声あり。数学はドイツ人の学童より良くできるし、英語のレベルもずっと高い。そしてみんな問題なくタブレットを使えるとか。ドイツ語の習得も早いでしょう。何不自由ない平和な暮らしに慣れて軟弱なドイツの学童へのよい刺激になってくれればと思います。


もう一つ気になっているのは、世界の多国籍企業のロシア撤退についてです。当初躊躇していた企業はどの国にもありましたが、それらが世論の攻撃や、さらにアメリカなどでは不買運動にも遭って(コカ・コーラなど)消費者相手の商売はほぼ全て撤退、昨日はこちらでネスレ社もついに同じ措置をとったと言う話が報道されていました。

スイスのネスレといえば、この世界最大の食品企業の製品を私は買いません。自分一人の不買運動です。あれは 2005 年のことですが、ムハマッドのカリカチュアを新聞に載せたというのでデンマークがイスラム教徒からの暴力的な非難と攻撃にあい、さらに記者や政治家が脅されるという事件がありました。政府が「表現の自由の固守」を掲げる一方でイスラム教徒におかしな妥協をしたりして事態がこんがらがってしまい、騒ぎが欧州全体に広がっていったのですが、そのときネスレ社がカタールの新聞に「ネスレはデンマークの牛乳は一切使っておりません」という広告を出したのです。

このとき、何と厭な企業だろうと頭に血がのぼりました。デンマークのジャーナリズムにも問題はあるかもしれない。日本人なら相手が何教であれ、人の信じるものを侮蔑するようなことは控えるだろう。しかし欧米ではそれよりも「自由」を重んじる。それが西洋の共通の価値・原則になっている。それなのに、いくら商売のためとはいえ、またスイスは EU 加盟国ではないとはいえ、同じ欧州仲間を裏切るような言動はいかがなものか。まさに「武士道」とは対極にある卑怯な真似だと思いました。これには私だけでなく他にも怒った人が周りにいましたので、別に日本人独特の反応ではないはずです。

自分一人の不買運動ならともかく、これがアメリカのように国を挙げての非難となると、これまた首をかしげずにはいられません。集団ヒステリーは文化的に未熟な米国に顕著な特徴だと思っていましたが、それが今や世界中に広がっていることは嘆かわしい。ファシズムやコミュニズムが全体主義であることを弾劾しながら、何かというと数を頼んで皆が一斉に同じことをする。しないと虐める。それこそが全体主義ではありませんか。


そんなわけで、プーチンには全く同情の余地はないと思いつつも、ウクライナが 100 %正しいという議論には乗れません。

この騒ぎを機に、このところ地政学なるものへの関心が高まりました。初めて地理的条件と政治の関係に興味を覚えたのは、5 年前にルーマニアのトランシルヴァニア地方でカルパチア山脈を眺めたときでした。日本のような島嶼国には想像しにくい地形・地域特性・気候、さらには異民族衝突の歴史による国際政治への影響を身近に感じました。

それがブログになるかどうか分かりませんが、葛飾文芸クラブで拙いながら何らかの発言をしていることが物事を真剣に考える動機となることをありがたく思っています。

B



ブログと近況―大学町テュービンゲンなど

2022/04/11 月 03:24

Cさま

お送りしているブログ、今回で 35 回目になりますね。このところ 2 週間に一度のペースで(勝手に)落ちついています。

この週末は夫の 82 回目の誕生日でしたので、わが家から 1 時間半のテュ—ビンゲンと言う町に一泊で出かけていました。テュ—ビンゲンというのは日本ではあまり耳にすることはないでしょうが、大変古い大学町です。ドイツには有名な大学がいくつかあり、ベルリンのフンボルト自由大学とかゲッティンゲン大学などはかなり知られていると思います。後者はガウスが学びまた教鞭をとった大学で、戦前はノーベル賞受賞者が多いことで有名でした。

しかしテュ—ビンゲン大学出身の文人・学者もまさに綺羅星のごとくで、古くは詩人のヘルダーリン(この人は 30 代で精神を病んで塔に籠って暮らし、今もネッカー河畔に「ヘルダーリンの塔」が残っています)、近年と言ってもだいぶ前ですがアルツハイマーなど。

私たちが好んで食事する高台のレストランからは、このアルツハイマーが研究に従事した古風な建物がよく見えます。彼がここで研究の成果を発表したのは 1906 年でした。

ドイツでは科学分野よりもむしろ神学でこの大学は知られており、町そのものはプロテスタントですが、カトリック、プロテスタント双方の学者を多く輩出しています。正直なところ、私は神学を重要な学問と見なすドイツ学界の風潮が未だに理解できません。神学って、証明できるような分野ではありませんよね。もっとも、それを言うなら哲学や文学だって証明は難しいですが。しかしドイツでは神父や牧師が公務員であるためか、神学生と言うのはかなり多いのです。そこから政治家になる人もいて、なんとも不可解です。ある面では、この国は中世で時が止まっているような錯覚を覚えることがあります。

ここが大学町になったのは 15 世紀後半と非常に古く、それだけに歴史を感じさせる建物が多く残っていて、町を流れるネッカー川とその河畔に並ぶ木組みの家は絵ハガキのようにきれいです。実際ここは画材としても好ましく、数年前に同じホテルに 20 人近い日本人がいたので何事かと思ったら、どこかの絵画クラブの人達でテュ—ビンゲンの街角や古い家並みのスケッチにやってきたとのことでした。

そういう歴史や文化の側面だけでも一つのブログが書けるほどですが、今回はその点は割愛して、ちょっと面白い発見をしましたので報告申し上げます。

大学のキャンパスは市内のあちこちに散らばっていて、丘の上の古いお城跡は博物館になっています。また、古い天文台も残っており、そのためか町の高校はケプラー・ギムナジウムと呼ばれています。私たちは城跡からの眺めを楽しむべくよくそこまで足を延ばすのですが、今回建物の壁に「ここで Nukleus を発見」とあったので、私は原子核のことかと思い、「入ってみるか」と訊く夫に「物理学の話なんか分からないわ」と言いながら覗くと、それが細胞核のことでした。

フリードリッヒ・ミーシャー(Friedrich Miescher)という学者が白血球の細胞から発見した化学物質をヌクレイン(核酸)と名付けたそうで、その成果をベースに最近コロナ用にRNAワクチンが開発されたとありました。その開発に貢献した Igmar Hoerr に関する本「Der Man der das Impfen neu erfand(接種を再発見した男)」がミュージアム・ショップで売られていましたので買ってきました。


さて、今回もブログのテーマとして取り上げたウクライナ問題ですが、こちらでは目下多くの政治学者や哲学者の見解が横溢しており、感心する記事、啓蒙される小論文などもありますが、読解の速度が遅くてのろのろ読んでいるといつまでも纏まったものは書けず、今回は一応の「かんそう」を述べるにとどめました。明後日辺りフライブルクに行って、Foreign Affairs や The Economist 等の英語の資料を手に入れようと思っています。

ブログでは触れませんでしたが、最近の報道で、スイスに住むトルストイの曾孫で 84 歳の女性がウクライナからの母娘にその住まいを提供したというニュースが地方新聞(シュトットガルト新聞)に掲載されていました。それを最初に知ったのは、実はル・モンド紙の見出しだったのですが。

ブログ用のと合わせて、大学の博物館入口の写真を添付しておきます。

それでは今回はこの辺で。

B


追伸:国立博物館の庭に桜の花を見に行ったという話をろれちゃんが「ひょこむ」に載せていたので、Nikkei の「国立博物館の知られざる名庭園(美の窓)2022/4/3 5:00」というビデオを見た旨コメントしました。小堀遠州の庭、是非いつか見たいと思っています。




ブログと近況―ドイツのロシア人、アルザスのコウノトリ

2022/04/26 火 21:18


Cさま

今回のブログは、今年漸く旅行が解禁になったこともあり留守がちだったため、ぎりぎり気がついて書きあげたもので、いつもにもましていい加減になっています。別に嘘八百は書いていませんけれど。ウクライナの情勢も毎日気になっていますが、今日はこちらでロシアが発表したロシア人兵士の死者数は実際の 10 分の 1 という報道もあり、いつの時代にも国家というのは同じことをするのだなあ、という情けない感懐があります。

何だか怖いと思うのは、最初戦争というものに衝撃を受けていた欧州人がだんだんそれに慣れてきているように見えることです。「コロナと共に」が今や「戦争と共に」になりつつある。それも他国のことだから。

ドイツにはロシア人が結構多くて、夫の会社にもロシア帰りの従業員が多いことは昨年初めのブログでもお話した通りで、この人達の大部分にとっては、ロシア、当時のソ連にひどい目にあわされていながらも、やはり故国という思いがあるようです。

長くドイツに住んでもロシア人(というかロシア生まれ)であることの結束は固いので、ましてロシアのロシア人はプーチンがどうあれ自国の勝利を念じずにはいられないのでしょう。情報の貧しさによる偏りや愛国心を責めることもできません。

ベルリンその他の大都会のロシア人は、「ウクライナに平和を」、「ロシア人は手を引け」という市民デモへの反デモを繰り広げています。


さて私は 4 月 15 日から 4 連休のイースター休暇を久しぶりにアルザスで過ごしました。コルマーなどはもうコロナ前と全く変わらず、町を歩いてもマスクの人は滅多にいませんでした。

あるインテリア雑貨のお店でマスクをしているアジア人女性を見かけ、私が夫に「きっと日本人よ」と囁いたら、聞こえたようで「いいえ、私は日本人じゃないわ」とドイツ語で言われました。夫が「じゃあどこから?」と訊いたら中国人とのこと。

北京出身で物腰も穏やか、と思ったらドイツには約 20 年住んでると言い、そばのご主人らしいドイツ人男性と頷き合っていました。夫が「それじゃ国に帰りたいとは思わないだろうね」と言い、彼女が「あら、なぜ?」と訊き返すので、「だってそれだけ長く自由なヨーロッパにいたら」と夫は言うのですが、これ、暗に「あんたの国は不自由だよね」と言っているわけだから、思わず袖を引っぱって店を出ました。悪気はないのですが、この夫の発言にもヨーロッパ人の傲慢さの片鱗が見えます。民主主義で自由で人道的で、ヨーロッパほど良いところは世界に他にない、という自信。多少不自由でも貧しくても、故郷に勝るところはない、という非ヨーロッパ人の気持ちが分からない。

この辺りの心の機微、というか欧州人の鈍感さについては、紙幅の関係もあり今回のブログで触れることができませんでしたが。

もう一つ最近、ほんのこの数日のことですが、気になるのは知床遊覧船の事故です。日経などは事故発生を報道した後ほとんど取り上げていなくて、他の新聞も多分進展がないからでしょうが、小さな扱いに見えます。海水の温度や地形からして絶望に近い状況ですが、家族はどんな思いで、と想像するとやり切れません。ウクライナの戦場の人のことも思いやられますが、自分がそこで戦う可能性は限りなく低い反面、自分や親戚・友人が観光地でこのような事故に遭う確率は高いので、他人事とは思えない。


アルザスに話を戻して、そこにはたくさんの八重桜が咲いており、これも数年前とは大違いで、夫はそれが桜の一種と初めて知って工場の周辺に植えたいと言っています。またホテルの庭に南天があったのに驚きました。しかも赤い実をつけているのです。ということは、通常日本ではこの時期に咲き始める南天の花が年末・年始に咲くということでしょうか。師走に咲いて5月に実の生る枇杷みたいですね。以前と変わらぬものに、コウノトリがいました。白鳥は卵が孵って野原ではなく運河や水路にいましたが、コウノトリは高い所に巣を作ってまだ雛を養っている風でした。村の人の話では 3 月初めにやって来て 9 月には北アフリカや小アジアに帰って行くそうです。

いや、子どもを生んで育てる場所が故郷だとすれば、アルザスにはやって来るのでなく帰って来るのですね。以前にろれちゃんたちと俳句遊びをしていたとき、あれは 9 月でしたが「こうのとりアラブの秋へ旅支度」という句を作ったことを思い出しました。そのコウノトリの写真をついでに添付します。

あ、そうそう、添付と言えば今回のブログ用の地図、これ、こちらでは神聖ローマ帝国の領土の 10 世紀から 19 世紀までの変化が示されているのですが、ブログでそれを再現できるでしょうか。もし難しければ、その辺は適当によろしくお願いします。

それでは次は 5 月 10 日前後に。

B




ブログとドイツの近況―コロナと政治家について

2022/05/13 金 02:35

Cさま

今日はさきほどMちゃんからメールがあって、NSさんの投稿記事を知りました。牧野富太郎が次回の朝ドラの主人公ということは聞いていましたが、やはり嬉しいですね。高知といえば竜馬一辺倒で、これはあまり面白くないので。だって、あれは司馬遼太郎の竜馬であって実像は分からない。あの程度の人なら当時は他にもいたのではないかとさえ思う。自由は土佐の山の中から(でしたっけ?)と言われて久しく、一人の有名人、それも作家に創りあげてもらった人物にいつまでも頼っている今の高知県を常々腹立たしく思っています。

早速文句から始まりましたが、今日ひょこむでろれちゃんに書いたように、このところはフォーラムでのいちまるさんとのやりとりが刺激になっています。あんなにたくさん、それも結構複雑な著作を次々に読めるのがすごい、速読の名人なんですね。最近は、以前にMちゃんからもらった吉村昭の「海の祭礼」をちょっとだけ話題にしました。


こちらはウクライナの問題もあってコロナは脇にどけられた感があります。感染者は多いのにもうインフルエンザに似た扱いで、不安がないわけではないけれど、いつまでもマスクや接種に縛られるのはご免という気持ちの方が強い。私も正直なところマスクは大嫌いです。

また、コロナに関する限り、既往症や生活習慣病もないことから自分はリスクグループには入っておらず、だのに十羽一絡げの面倒な措置に順じなければならないのが業腹です。自分の連れ合いとその姉兄たちは、年齢と遺伝とでみんな高血圧やら心臓疾患やら脳血管の問題を抱えており何をするにもびくびくで、もう煩いったらない。それなのに親戚なんだから(儀礼的に)ときどき顔を出せという。冷たい人間と思われることを覚悟で言わせてもらうと、一握りのコロナ弱者のために大多数の人の普通の行動を妨げる必要があるのでしょうか。

欧州にはそう感じている人がほとんどで、ドイツも同様ですが、それでも、日本ほどではないにせよ欧州では例外的にマスクの人をまだ結構見かけます。

目下の庶民の問題はインフレで、食品の値上げは老人夫婦なら小食でなんとか対処するとして、金利が上がったため以前にお話した家屋の新築や改修が急減しているそうです。レストランやホテルの中にはコロナの最中に改築したところも多くて、あれは正解でした。今からではとても無理と、どの宿泊・飲食関係者も言っています。木材も値上げしていますしね。


さて、今回のブログ、政治家について話すなんて退屈なことはしたくなかったのですが、目下の状況からしてどうもこれからドイツの政治・社会について触れる必要が出てきそうで、その場合に政党や目ぼしい政治家に関してある程度知っていていただきたいのでテーマにしました。新政権がスタートしてから半年足らずですが、まあ、前政権から受け継いだ問題が山積している上に、閣僚たちのミスが続いて一人は辞職し、もう一人(それも防衛大臣、女性)が視察のヘリに息子を載せ、そのあと休暇地に向かったというので、新聞で袋叩きにされています。

大臣曰く、離婚して母子家庭なので、できるだけ一緒の時間を作りたかった、ですってさ。息子は 21 歳ですよ! そもそも、その息子がこれまで母親の出張にファーストクラスで便乗したりして、その時の様子を得意げにインスタグラムでばらまいたのが今回の騒ぎの発端。この親にしてこの子ありの典型です。

彼女もちろん社会民主党(SPD)議員です。ついでの離婚した相手も SPD。息子は SPD 青年部のメンバー。この種のスキャンダルは圧倒的に SPD が多い。その実態と理由については、折があればまた。日本では政治家の公私混同が起きるたびに記者が「他の先進国ではあり得ない」などとウソッパチばかり書いて、それも腹立たしいので、余りに問題が大きくなったら別途また報告いたします。

次回は多分月末になります。テーマはもう決まっているのですけれど、翻訳・抄訳の必要があってちょっと時間がかかりそう。

それではまた。

B



ブログ(今回と予定)― NYT と Foreign Affairs の記事

2022/05/26 木 19:06

Cさま

日本では大気に含まれる水分が増してくる昨今、ご自宅で梅酒・梅干作りに精を出しておられるかもしれません。ライントークに紫蘇ジュースの話などが出てきて、いと懐かし、というところでした。その中で言及されていた吉村昭の作品「海の祭礼」、これは一昨年に日本にいた時期にMちゃんが送ってくれて読み、それをいちまるさんがフォーラムで取り挙げておられたのを嬉しく拝見しました。


ライントークでプーチンとロシアに関する記事を紹介して下さったのですが、そのうち「ルッソフォビア」の話題の方は読めましたけれど、ロシア正教についての記事が見当たらなかったので、あちこち探しているうちにニューヨークタイムズの The Russian Orthodox Leader at the Core of Putin's Ambitionsという新着情報に出くわしました。Jason Horowitz(ユダヤ人名ですね)という記者がかなり深く追究しており、「ロシアの闇」を垣間見た感じです。

今回のブログはそのニューヨークタイムズ(NYT)の記事をベースにしています。同紙は民主党への肩入れが余りに顕著なので好きではないのですが、さすがアメリカの大新聞、他の新聞であればシュレーダーもハナから相手にしなかったと思われるインタビューに成功しています。

実は今回のブログを書いていたとき、ふと、だいぶ前に Foreign Affairs にロシアに関する小論文が掲載されていたことを思い出しました。探してみると、随分古く 2014 年の 7 月/8 月号にそれがあって、What the Kremlin Is Thinking と題した寄稿文が。当時はざっと斜め読みしただけでしたが今回しっかり目を通したら、感じるところが多々ありました。2014 年といえば、ロシアのクリミア侵略の年ですね。

この記事が記憶に残っていた大きな理由は、それがロシア人によって書かれたものだったためでしょう。筆者のアレキサンダー・ルーキン氏は当時 Vice President of Moscow's elite Diplomatic Academy(モスクワ高等外交学院副学長?)とあり、当然ロシアの、それもプーチン陣営からの視点で書かれていて、それが目新しかったようです(ちゃんとは覚えていませんが)。

Foreign Affairs はエコノミストやワシントンポストなどと違って国際情勢を時事的に扱うのでなく、その道の専門家にしっかりしたものを書かせて発表しているので、面白みに欠けるところはありますが、それだけに安心して読めます。と言っても、そこに書かれたことは全面的に信用できるというわけではなく、主義主張も立場も異なる専門家に意見を述べる機会を公平に提供しているということで、違った角度から事態を眺められるので大いに参考になります。

再読してみたら、ルーキン氏の論文は 8 年後の現状にぴったり当てはまるものでした。ロシア人がロシアを弁護しているので贔屓の引き倒しという感は否めず、「突っ込みどころ満載」でちょっと苦笑してしまう箇所もあり、特に宗教が絡んでくると、どうしても時代錯誤の匂いが芬々です。

しかしこれは、単にロシア対 EU/米国という対立ではなく、今の世界で置き去りにされている人々(ロシアの農民など)の代弁をしていて、同じ欧州にあっても今なお市場経済の波に乗れずにいる旧東独の人々や日本の地方の高齢者が都会で成功した若い世代に抱くに似た感情が吐露されているようにも思いました。

さらに中央アジアに目を向けた「ユーラシア主義」という構想も面白そう。実現はなかなか難しいと思いますが。

これはこれで、また別のブログのテーマになりそうだと考えているところです。ただ、翻訳を掲載してその中のいくつかのポイントに反論をしていると非常に長くなりますので、ブログにするならいくつかの部分を簡単に紹介してコメントするつもりです。

それでもCさんには論文に目を通していただければと思ったのですが、ネットでは読めず、コピーしにくいので、私が別途タイプしたものをお送りしています。英語のままで申し訳ありません。* でもこの雑誌の文章は教科書的・標準的で凝った表現はなく PC の翻訳機能でかなり正確に訳せるでしょうから、試してご覧になって下さい。


こちらは今日からまた 4 連休で出かけ、日曜日に帰宅しますのでそのあとで送信してもと思ったのですが、一両日中にアップして下されば、帰宅して追加の記載をするなり、コメントを頂ければそれに返事を差し上げることもできますので、早めにお送りしておきます。別に何日かあとでも全く支障はありません。

気圧の変化で体調を崩されることがありませんように。

B



Re: ブログ(今回と予定)

2022/05/27 金 11:00

B様

お忙しい中、今回も読みごたえのあるブログをありがとうございました。シュレーダーについてはかねてこのたびのウクライナ侵攻のキーパーソンとしてマークしていた人物で、私も情報収集に努めていたのですが、さすがに核心を突く記事を突き止め、わかりやすく、米・EU側に偏らない独自の視点から読み解いてくださいました。


ウクライナ情勢については恐ろしいスピードで進行しているので、目についた記事やネット情報などそのつど kbc のライントークに投稿しているのですが、ラインに参加されていないびすこさんならこの記事をどう受け止められるだろうかと考えることがおおくあります。ライントークは時間が経つと読めなくなるので、はじめはバックアップのつもりでホームページにアップし始めたのですが、びすこさんや、春硯さんにもご覧いただけているようで、ライン会員とのコミュニケーションギャップをいくらかでも補えているようでよかったです。ただラインからコピペできるのはテキストだけで、画像やスタンプやハイパーリンクは消えてしまいます。そこで今年から一部の画像やハイパーリンクはセレクトして別途貼り込んでその場でウェブサイトにジャンプできるようにしました。今回も寺島実郎のロシア正教についての動画がわからなかったということでしたのであらためて以下にURLを貼り付けておきます。

また2014年の記事を添付いただきました。これはまさに2月から始まったマイダン革命のまっただなかの記事で興味深いと思われますが、今日はこれから大荒れの悪天候の中、スマホの講習に新小岩まで出かけなければなりません。また明日は kbc の例会がありますので、そのあとで拝見します。

ヤフーメールが色々仕様変更で調子が悪く今日はここまでで取り急ぎ送信します。

C



動画の感想その他―王道と覇道、宗教的権威について

2022/05/30 月 14:13

Cさま


早速アップして下さってありがとうございます。

昨日の午後アルザスから帰って、頂いたメールとブログのコメントを拝見しました。春硯さんの新ブログも。


また、寺島実郎の「世界を知る力」大変面白い動画でした。感想はありすぎて、何から話していいのやら。大部分は次回のブログに回しますが、初めにイスラエルの墳墓教会の写真が出てきてちょっとびっくり。あそこは 35 年も昔に父との旅行で訪ねた先で、あの中の見取り図にある教会は全部見て廻りました。アルメニア教会やコプト教会、ギリシア教会など、何とも密教的な雰囲気で、父が「ワシ、こういうおどろおどろしいの、嫌い」と言うので笑ったことを思い出します。

寺島さんが、旅行と、その土地で暮らしたり仕事をしたりするのでは、全然違う、と言っていたのはその通りです。私は中近東に「友達以上・恋人未満」の人が何人かいたこともあり、滞在は長くて 3 カ月程度でしたが、若いときにその空気を吸ったことは今思うと有用な経験でした。(一昨年に日本にいたとき、放送大学で中東の政情に詳しい国際政治学者高橋和夫さんの講義を楽しみにしていました。)

また、社会、特に国際社会の変化や技術進歩が急速なので、10 年昔・20 年昔の話はもう当て嵌まらない、というのも全面的に納得できます。しっかり勉強したからそれで「お終い」には決してならない。一方で、70 年前から(つまり物心がついて後)の日本と世界の変化をおぼろげながら辿ってみると、今日の事象を見る上で参考になります。何より、現在も来年には過去になっていることを思えば、現時点での判断が全てではないと認識できて無意味なパニックや馬鹿らしい騒ぎは避けられるのではないでしょうか。


ウクライナの背後のユダヤ人の存在も、その通りだと思います。これは、イスラエルがロシアへの制裁に同調しないと言ったときに、ああ、そういうことか、と思いました。相手は一筋縄ではいかないユダヤ人です。おそらくウクライナを支援しているのはアメリカの秘密軍事顧問だろうと、これはロシアによる侵攻が4日過ぎても勝負を決することがなかったとき(私の周りの人たちは3日内に降伏と言っていましたが)確信しました。軍事顧問の大半はユダヤ系乃至ユダヤシンパのはずです。武器・兵器も秘密裡に調達できたのでしょう。英国についても、ジョンソンの馬鹿面に騙されてはいけない。MI 6 は不滅に近いから。

ロシア正教との関連で、国民の精神面を支える神社神道と国家神道の話も興味深いですね。そのことで考えたのが、王道と覇道のちがいでした。覇道という人間の実力勝負では納得させられないもの、運命で決まる何か特別の存在への憧れがどの国民にもあって、そのために神に代わる存在として皇室を崇めたり高貴なプリンスの存在を求めたりという、一見なんとも未熟で幼稚な大衆感情が顔を出すことになります。しかしこれを全面否定することは特にロシアのような国では難しいでしょうし、近代化の強制・現実無視につながるように思えます。

注目すべきは、そのため政府の長である首相の存在では物足りなくて、と言って今はもう法王とか司教を持ち出す時代ではないので、代わりに「大統領」を象徴として国家元首の地位に置くという「連邦制」が欧州で広がった点です。啓蒙思想の柱である民主主義や平等思想と、神に代わる世俗の最高存在への憧れとを妥協させたのが「大統領」だとすれば、その上にさらに宗教的権威を求めるのは、神聖ローマ帝国が啓蒙思想に目覚める前の時代、領主がいて皇帝がいて、それでも不満で法王を仰いでいた近代以前に戻るような気がします。ドイツ/オーストリアなど中欧にその名残がある点も見逃せません。やはり東方の要素と西方のそれを併せ持つ地域なのですね。(いちまるさんがフォーラムで取り挙げていた啓蒙思想について、このところずっと考えています。)


またまた長くなりました。今日はこれから夫の出張について、久しぶり( 4 年ぶり?)にウィーンに飛びます。2 泊 3 日の慌ただしい旅程ですが、オーストリアのコロナによる影響も見てみたくて同行することにしました。(ストラスブールはものすごい人手だったそうで、私たちはそこを避けてコルマールと、中世の名残のあるセレスタットに行きました。)

では行ってまいります。

B



中間報告―欧州のマスク事情、ライントーク

2022/06/04 土 18:01

Cさま

次のブログまでまだ大部間がありますが、最近のライントークを拝見しての感想を、忘れる前に綴っておきたいと思います。

その前に、5 月 26 日からの 4 連休を過ごしたアルザスから日曜日に帰宅し、月曜日には夫の出張に同行してチューリッヒからウィーンに飛んだのですが、その 2 日間で経験した 4 カ国の状況が面白かったのでちょっとご報告しておきます。

アルザスではマスク着用義務など一切なく、コルマールというわりと大きな町などでもマスクしている人は僅かでした。レストラン・カフェでも、ワクチン 3 回接種証明書を提示する必要はなくなり、私としてはとても楽な気持ちになれました。(念のために携帯のアプリで証明書を持ち歩いていましたが。)お茶は外で飲む人が大半で、また広場の蚤の市なども賑わっていました。(私はフランス語の薬草の本を買いました。)


ドイツに戻った翌日、昼頃にチューリッヒ空港に着くと、ここでもマスクしている旅行者はほとんどなく、フランス・ドイツ・スイスは歩調を合わせているなと思っていたら、搭乗した途端に乗務員から「マスクをして下さい」と言われました。夫は持って無かったのですが、ひょっとしてと私が FFP 2 を数枚バッグに入れていたので問題なし。

ウィーンに着いたら、まあ、空港では全員がマスクしているではありませんか。ここではまだまだ厳しいのだな、なぜだろう、と訝しく思いつつ、その夜に夫の同業者たちとレストランのテラスで食事をすると(結構寒くて、頭上の大きな傘に赤外線ヒーターが付いていました。フランスではこの種の暖房はマクロンの鶴の一言で 4 月から禁止になったそうです)、彼らが言うには明後日の水曜日つまり 6 月 1 日から各種の措置・制限は全て廃止ということでした。従って帰りの飛行機でも、その前に手続きしたウィーン空港でもマスクは不要でした。

ある日突然に安全になるわけではないのに、変なの、と思いつつ、このままの状況がしばらく欧州で続いて欲しいと願っています。これからバカンス・シーズンですし、その時期に政府がまたいろいろ煩く言うと国民はヒステリーを起こすので、少々感染者が増えても特に対策が取られることはなさそうです。

ウィーンと書きましたが、夫の顧客企業はその郊外にあり宿泊はバーデン・バイ・ウィーンというかつての保養地で(かのフランツ・ヨーゼフのお気に入りでもあったらしい)、ウィーン空港から 40 キロほどなのでレンタカーで行ったのですが、それがダイムラーの最新のSクラス。幸い夫ではなく 50 代の営業部長が運転してくれ、新車の燃費の良さに驚いていました。環境問題への取り組みもありますが、ディーゼルが 1 リットル 2 ユーロを越えたので燃料消費効率の高さは最大の魅力です。もっとも、普段からSクラスを運転している人たちにとっては数セントの値上がりなどどうでもよいのかもしれません。

ダイムラー社は庶民向けのA・Bクラスの生産は止めて、高級車に注力するそうです。アウディなどもそれに追随しようとしています。ということは、燃費がよくて安価なトヨタ、ホンダ、スバル(ドイツとスイスで人気があります)、マツダなどにとっては商機でしょう。今の欧州では、車の分野ですら、市民の間での格差がどんどん広がっていきます。


さて、ライントークからの感想ですが、卯の花談義に花が咲いていましたね。この花は目下こちらでも満開です。でも薔薇が咲き誇っている中でどうも影が薄く、派手さのない楚々とした風情には余り注意が払われません。

皆さんが「夏は来ぬ」に言及しておられるのが面白く、多分年代がほとんど変わらないせいであの小学唱歌を思い出しておられるのだろうと感じました。佐々木信綱の歌詞ですものね。私も 1 、2 、5 番はすぐ歌えますが 3 ・4 番は思い出すのにちょっと時間がかかります。橘が軒場に薫る家なんて、今でもあるかしら。楝散る、これはありますね。私は栴檀の木を植えたいと植木屋さんに話したことがありますが、伸びすぎて始末に負えなくなるので止せと言われました。

雨上がりに見る卯の花は、手垢にまみれた表現と言われそうですが「心を洗われる」おもいがします。昔仕事で高尾の鵜飼亭で食事した時庭にこの花が咲いているのを見て、英国人の社長夫人が「英語では mock orange というのよ」と教えてくれました。ニセオレンジ?  それこそ橘の香りがするからでしょうか。一般にはフィラデルフスという名で知られていますね。フィルとあるからにはギリシア語由来でしょうが、意味はよく分かりません。

私はこの花を見ると、清少納言の枕草子「五月御精進のほど職におはしますころ」の段をいつも思い出します。長雨に暇を持て余した清少納言が、雨あがりに仲間数人とホトトギスを聞きに出かける。そこで定子中宮の親戚の爺さんなんかに会ってワラビをご馳走になり、帰りは牛車を卯の花で飾り立てて「まるで卯の花の山が動いているようだ」などと言われる有様。(私の知る限りでは、この時代に食べ物に言及した読み物は稀で、これはどういうわけなのだろうとよく思います。)

もう一つ懐かしかったのはヴィスコンティの「家族の肖像」。これは岩波ホールで。バート・ランカスターが良かったですね。あんなカーボーイ役で人気のアメリカ人をインテリの大学教授に変身させたヴィスコンティの慧眼には脱帽です。もちろん「山猫」もよかった。「家族の肖像」の原題が Conversation Piece と知ってなるほどと思いました。

「キューポラのある町」で北朝鮮に帰る人達が出て来たそうですが、これには私も胸が詰まりました。やはり私の田舎の知り合いで家族のほとんどが北朝鮮に帰り、(残った末っ子の話では)その後大変な苦労をしている金さん一家がいて、いつかこれもブログに書きたいと思っている話題の一つです。

最近見始めて長いので中断しているのは「ライアンの娘」です。これは70年代半ばに同僚が私にぜひ見るよう勧めてくれたのですが観る機会を逸していて、こちらで見つけて出だしを見ると、主演の一人がなんとロバート・ミッチャムというのに口あんぐり。だって「帰らざる河」の西部男でしょう。それがアイルランドを舞台にしたこんな暗い映画に。そしたら監督がかのデヴィッド・リーンということで、なるほどヴィスコンティとランカスターの出会いみたいなものだと納得しました。


今日からはまた 3 連休(五旬節)で、今回は義務で夫の郷里に義姉・義兄を訪ねます。結婚したとき、この年では「仕える舅・姑」も無し、気楽だと思ったのですが、そうは問屋が卸しません。義姉の意地悪と自己顕示欲にはこの 20 年余り悩まされ・・・でも軽い脳梗塞発作を二度経験してちょっと体が不自由なので気の毒に思って見舞いに行くと、舌鋒の方は衰えてなくてがっかりしました。義兄の方は、人柄は義姉よりずっといいのですが 84 歳で持病があるためかコロナに関して異常なほど神経質で、会うといろいろ鬱陶しい。

あ、そうだ、これも忘れる前に。ひょこむでもウクライナ戦争が話題になることがありますが、ちょっと違うよ、と言いたくなるブログがあったので、そこで次のようにコメントしました。

〈ベッガさん(びすこ)〉

いや、これは実際はロシアとアメリカの代理戦争だから。ベトナム戦争やアフガニスタン侵攻と同じ。

ベトナムのときはロシアが北ベトナムにどんどん武器を供給し、アメリカは地理的にも不利でとうとう撤退。で、その仇はアフガニスタンで。今度はアフガニスタンのタリバンやイスラム兵にアメリカがふんだんに兵器をプレゼントして、砂漠の国の戦闘に慣れていないソ連軍は敗退。

よその国に侵攻して、こんなのちょろい、と思っても、その国を密かに軍事的に支援する第三国がいたら、もう勝つのは大変ですよ〜。

〈あいBさん〉

え、そうしますと、今回はウクライナが勝つってことですか?

私は結局、ロシアが勝つと予想してるのですけどねえ、、、。

ロシアは勝っても、国力は衰退、欧米はそれを狙ってる。

欧米は兵隊を一人も派兵してませんからね。

とおもってるのですけど。

〈ベッガさん〉

欧米は兵士の派遣はしていませんが、超優秀な顧問団を送っていますよ、特に英と米。彼らが新兵器の使用に関してウクライナ将校クラスの指揮・訓練を行っており、訓練場所はドイツの西部・北西部です。ドイツには米軍基地がたくさんありますから。(ドイツはこれに口出しできません、敗戦国だから。)

できれば勝ち負けの決着は付けたくない。とにかくロシアはへとへとになり、再建の道は遠い。ウクライナの復興には欧州が総出で手を貸す。

ドイツ内の米軍基地、英軍基地、NATO基地の地図を添付しておきます。西部に集中しているのはロシアからの距離が重要だからです。こういう事情を日本のメディアは報道しませんね。


これを今ここに紹介しているのは、夫の郷里がこれらの軍事基地に近いからで、2 週間ほど前に義兄から「何かが起きているぞ」という情報があったためです。

なんとも生々しい話になりましたので、最後は私のへたっぴい短歌で笑っていただきましょう。

・刺すごとく麦穂の光る野に立ちぬ ゴッホをとらえし魔物を見むと

・やまぼうし列なして咲く公園の花の後ろに着信メロデイー

B



Fw: Re: 同窓の集い 船橋 写真

2022/06/22 水 17:15

B 様

すでに M さんから伝わっているかもしれませんが、昨夜は、コロナになってからはじめての同窓会が、学芸高校同窓会関東支部 8 期の世話役の O さんの招集で、船橋駅北口の蝦夷うさぎというお店でありました。関東支部といっても以前から千葉県だけのグループでときどき集まっていたものですが、今回は 5 月に亡くなった TY さんの訃報がきっかけで O さんが急遽招集したもののようでした。最後に撮ってもらった添付写真を添付し、別便で関連のGメールを転送しておきます。


ウクライナ情勢も刻々と進化してようやく戦争の長期化と、フランスの選挙の結果に表れたように西側の支援疲れと結束のほころびが見え隠れして容易にプーチンの独裁体制が崩れないことが見えてきました。中間選挙を控えて一向に支持率の上がらないバイデンもどのタイミングで有効打を放つべきかしか念頭にないかのようでゼレンスキーのいらいらはつのっているようです。はっきりしているのは、西側の経済制裁は資源価格の高騰という副作用のほうが大きくて期待したほどの効果はあげてないことと、中国がインドとともにロシアの化石燃料の受け皿としてはっきりロシアの側にたったということで、プーチンもゼレンスキーも半端な和平策は権力の失墜を意味するのでのめないはずということでしょう。その結果はウクライナ国民の犠牲と発展途上国の食糧不足、世界的な物価高騰で皺寄せは弱者にというお決まりのパターンです。

コロナのほうは米欧はもうインフルエンザなみの扱いになっているようですが、ゼロコロナの中国や北朝鮮は何が起こっているのかよくわかりません。


相変わらず目隠しサッカーのような対応を続けている日本政府もインバウンド需要を期待して行動制限を徐々に緩和していますが、感染者数はこのところ底這いからリバウンドの気配も感じられます。私自身は3度のワクチン接種を経て、4 回目の接種券が届いたところですが、2 回目までのファイザーで全く副反応はなかったのですが、3 回目のモデルナのあと腹部に発疹が出てなかなか痒みがとれなかったので、とくに基礎疾患もないので 4 回目は見合わせようかどうしようか迷っているところです。

C



川崎病のことなど

2022/06/23 木 00:32

Cさま

N君の受勲、M君の活動などお知らせ下さってありがとうございました。

川崎病については、私の身内・親戚には患者はいませんでしたが、仲の良い友人で子どもさんが川崎病になったケースが二つありました。一人は大学時代の同級生で、彼女とは 80 年代半ばを最後に連絡が途絶えていたところ、6 ,7 年前に送られてきた同窓会誌に詩人として花椿賞を受賞したと言うニュースがあったので、同窓会本部に住所とメールアドレスを問い合わせ、以来年に一度か二度メールを交換しています。

詩作に関してはカルチャー教室でイタリア文学の講座に参加したのがきっかけでイタリアの詩人に関心を持つようになり、何度か一人で、たまにはご主人とともに、その詩人の故郷を訪ねたとのことでした。そして詩集と共にエッセイ集を送ってくれたのですが、その中に娘さんの川崎病のことが書かれていました。

そのずっと以前、1985 年の新春に相模原の彼女のマンションを訪ねた時、お嬢さんは小学 1 年生か 2 年生、お母さん似のやさしさを感じさせる明るい女の子で、そのときに川崎病で治療を受けて今はほぼ大丈夫ということを聞かされ、川崎病なるものについて初めてある程度の知識を得ました。彼女自身が病弱な体質で、学生結婚に近かったご主人(女子大の近所の一橋卒です)も大病をされているので、どうか一家が無事で暮らせますように、と祈るような気持ちでした。

エッセイに書かれていたことは、M君の報告〔?〕にもちょっと関係していますので、長くなりますが引用させて下さい。


『・・・しかし六月三十日、日本脳炎予防接種の二回目を受けて帰宅途中、娘はいきなりしゃがみこみ、気持ちの悪さをうったえた。接種してから十分後ほどだった。すぐ医院に抱いて行った。様子を見るようにとのことで帰宅。翌日はさらに熱が上がり、頸部リンパ腺が腫れてきたので・・・大きな病院に連れて行った、先生はあと一つ症状が加わったら必ず連れてきてください、入院ですと言った・・・七月六日受診。即入院となった。病名はまだはっきりしないが、ともかく心臓です、心臓に炎症が起きているので、大きなことが起きたときは、どんなに手を尽くしても救えない場合がありますと告げられた。大きなこととは心臓梗塞のようだった。何人かの先生がみえて、先生方は川崎氏病と考えているようだった。私も夫もその病気について何も知識がなかった。お母さんからお子さんにひとりで入院することをよく説明してあげてくださいと言われた。

一人で入院しなければならないことを静かに言い聞かせたら、娘は「じゃあ、これからはパパとママ二人だけでご飯を食べるのね。かわいそうに」と言って、うつむいて涙を少し流した。四歳。子供というものは、なんて遠くを経巡るようにして自分の悲しみを伝えるものかとおもった。

(中略))

娘の病名は東京の病院から専門の医師がみえて、川崎病と認められた。症状からスコアを数えていっての判断だった。後遺症はおそらくないだろうとのことだった。主治医は日本脳炎の予防接種は原因というより引きがねだろうと言った。しかし川崎氏病との判断に異を唱える医師がいた。その先生は私に「僕には川崎病とは思えない、ではなにかということはわからないのです。ただこのお子さんをこれから注意深く育ててください。風邪をひかせないように、そして初潮を迎えるあたりでの身体の変化にも気をつけて下さい。二十歳(はたち)になれば、普通と考えていいです」と言った。「ということは、先生は娘が二十歳まで生きる可能性があると思われていらっしゃるのですか」先生はやさしく微笑まれた。「もちろんですよ。危険な時期は脱したのです」

私は飛び上がりたいほどうれしかった。私さえ気を付ければいいのだ。仕事を抜けだして面会にきていた夫に早速報告した。夫は深く思いにとらわれたようだった。「二十歳まであの子は病気を背負うのか」と言った。私は、背負うのは私であって、子どもは気にせずやって行けばよいと思っていた。子供が病気になったとき、父親と母親では受け止め方にずれがあるのではないか。その時は気づかなかったが、少しずつそう思うようになった。』


娘さんの病歴を友人の自宅で聞いてから十年余り後に、私のエージェントで活躍してくれていた通訳の女性がある夜電話して来て、二歳になるかならないかの息子さんが急病でそれも川崎病らしいのでしばらく仕事ができないと言ってきました。普段は冷静な人なのにかなり動転しているようでしたが、そのとき大学時代の同級生の娘さんのケースを思い出し、今から悲観する必要はないと慰めたことでした。

実際数か月後には「ひとまず安心」と言われ、彼女も仕事に復帰しました。彼女の配偶者は私がさる製薬会社(ファイザーじゃなくて現在のGSK)で仕事をしていたとき知り合った日系カナダ人で、意図せずに私が二人の仲人になってしまったという経緯がありましたが、私の結婚直後にご主人の方はアメリカの本社に戻り、彼女も米国で通訳として活躍、そして息子さんは今二十代後半で大学院を出て就職したとのことでした。後遺症は全くないそうです。

また、上記の友達の娘さん(現在四十代前半)は、その後フランス人かフランス系カナダ人と結婚し、二人の子供さんが生まれて友人夫婦がときどき預かっているとのことです。

この経験から、川崎病は危険ではあるものの死に至るケースはさほどないと思っていましたので、M君の息子さんがそれで命を落としたと聞いて驚いています。そしてその息子さんの供養(おそらく)もあって現在のような活動を続けておられることに感服です。


いちまるさんと「余生」について話すことがありますが、実のところは「余り」とは決して言えない人生、私もこの頃、少し粗忽さを改めてもっと丁寧に生きねばと自分に言い聞かせています。ワクチン接種 4 度目は、無責任な言い方になりますが不要ではないでしょうか。私の場合も何一つ副作用はないと思っていたところ、アルコールがダメになりました。60過ぎて弱くなっていたのが 70近くなって一旦昔通りになったのに、この 1 年ほど(2021年の初夏の第一回接種以来)はアルコールを摂取すると猛烈に首筋や肩が痛み、頭痛・吐き気に襲われます。やはり異物を体に入れるのは最小限にした方がよさそうです。

今回もまたあれこれ書き連ねてしまいました。朝PCを開いてこのメールをご覧になって「おやおや、またか」と思われるのでなければいいのですが。

B



ブログ送信

2022/6/28 火 3:16

Cさま

今月後半のブログをお送りしています。

目下の日本は既に梅雨が明けて猛暑に見舞われているとのこと。じとじとの梅雨も不快ですが、降雨が例年より少ないと聞いて、私もだいぶ前に経験した渇水の夏になるのではないかと少し心配しています。

こちらは中旬に 35 度という暑さを記録した後はまた 20 度台でそこそこ快適ですし、夕立もありますので水不足にはならないと思われます。

T 君の訃報、N 君の叙勲、M 君の活動などで既に何度かメールを交わしましたので、今回は簡略にして、ブログ(+写真)送信だけに留めます。

よろしくお願いいたします。

B



Re: ブログ送信

2022/07/04 月 02:15

B 様

とうとう 2022 年も折り返しの半期を経過して 7月に入るとともに気候も世界情勢もますます激変する兆しをみせております。

ためていた Correspondance もきりのよいところでアップしようと準備をしておりましたが、また別便のように O さんから高知新聞の記事が送られてきたこともあり、また今朝の日曜報道でタイミングよくカリーニングラードの近況が伝えられてきたので、その動画を早速ラインに投稿したので、あなたにもお見せしたいと思って一筆しました。

このメールに特段の返信は不要です。

C

閲覧数:19回0件のコメント

Yorumlar


bottom of page