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執筆者の写真クレマチス

Correspondence(2021/9/13-9/30)あるいはファン・ゴッホの手紙、総裁選など


AW:AW:ブログ  元社員の急死と墓参

2021/9/13, Mon 16:45


Cさま


その後、体調はいかがですか。日本の猛暑は過ぎてちょうど夏の疲れが出てくる時期と思われますので、どうぞお大事になさって下さい。私も初秋に病むことがありました。

長月もはや中旬になり、こちらは気温も下がって時には寒いほどで、木の葉も色づき始めています。昨日の日曜は終日晴れという予報でしたので、ドライブを兼ねて墓参りをしました。眠っているのはちょうど 3 か月前に心臓麻痺のためほぼ急死だった元社員です。社員食堂で昼食中に突然倒れ、人命救助の心得のある二人のマッサージで息は吹き返したのですが意識は戻らず、運ばれて5日目に医師が希望はないと告げ、1 週間目に生命維持装置を外して翌 6 月 12 日に亡くなりました。59 歳でした。


翌週の葬儀の日は今年初めての夏日で 30 度を軽く超え、会社を閉めて殆どの社員が参列した式では奥さんの悲しみように誰もが涙しました。子供は無く会社では最も有能で従って高給だったので、夫妻は夏にはアフリカや北米でバカンスを過ごしていたそうです。退職後はカナダに移住したいと言っていた由。

こちらの人は墓参りというのはほとんどせず命日にも注意を払いませんが、私はもう一度彼の墓前に立ちたいと思っていたので、墓参にふさわしい秋の日を選んで、自宅の花を摘み広くきれいな墓地にでかけました。

大学生になったばかりの頃に読んだ八木重吉の詩を思わせる明るく澄んだ日でした。


この明るさのなかへ

ひとつの素朴な琴をおけば

秋の美しさに耐へかね

琴はしづかに鳴りいだすだろう (「素朴な琴」)


死者への思いと悼みは、昨年やはり同じように急死した妹のことがなければこれほどではなく、「生者必滅」という諦観で済ませていたでしょう。夫は私の意向に驚いたようですが連れて行ってくれて、そのあと秋のシュバルツバルト一帯をドライブしました。


ドライブといえば先回頂いたメールの中に記されていた隈研吾の作品「雲の上の図書館」、ここは車がないと行けませんので、次回の帰国時に義弟の運転で夫も一緒に訪ねたいと思っていました。これもメールで言及されていた通りホテルもできていて、木と森と山の好きな夫には最高の場所です。

梼原村とは反対の方向の高知東部には、柚子で知られる馬路村の近くに杉で知られる魚梁瀬という山村があります。何とかここを再び活性化したいものだと願っていますが、木材は東南アジアやアメリカ大陸から輸入、照葉樹から産する上質の炭も消費が限られる状況では厳しいものがあります。乱伐がないのが幸いと言えるでしょうか。


さて今回のブログですが、10 日ほど前にお送りして以来ちょっと静かになったと思っていたところへ Correspondence に続く春硯さんの投稿で再び賑わっており、ならば私のはもっと後にしようかと思いましたが、内容はともかく書く種はいろいろあるので取敢えず出来た分を送付しておきます。ドメスティックな話題であるばかりか時代もかなり前で、空間の横軸、時間の縦軸もギュウっと絞られていますが、たまにはこんなお喋りもさせて下さい。

添付した写真はどちらもばっちりきれいに撮れているのですが、あまりくっきりだと先祖も恥ずかしがると思って意図的にぼかしました。墓参りといい、先祖の話といい、「思いいづることのみしげき」昨今です。


次回はやはり10日ほどあとの予定です。お手数をおかけします。


B



Re: AW: AW: ブログ

2021/9/21, Tue 11:42


B様


その後たちまち 1 週間が過ぎました。相変わらず曇天が続き、東シナ海でうろうろしていた台風 14 号のせいで西日本からまたずっと豪雨の危機にさらされていましたが、偏西風に動きがあり、なんと福岡県に最初に上陸してから日本列島を横断するという異例のコースをたどり、比較的影響の少なかった関東地方もずっと晴れの日がなく、太平洋上で温帯低気圧に変わったあと今日 19 日になってようやく快晴となりました。南風がずっと吹き込んでいたため、台風一過のさわやかさはなく、梅雨時の鬱陶しさが自民党総裁選挙の鬱陶しさと重なって、すっきりしない日々が続いています。


さて、還暦を前に急死された元社員の方の墓参のご報告、拝読して、親しい方、ご親族をなくされたお気持ち、お察しします。私は、両親を送ってすでに年月を経過しておりますので、ここ何年も身近な人を失うという喪失感を経験することなく過ごしております。俳優や文化人などの著名人の訃報もコロナ禍では月遅れで報道されるということが多く、死者を悼むというもっとも人間的な精神の営みから遠ざかっていたようにおもいます。あなたの引用された八木重吉の詩を久しぶりに繙いて、常に死と向き合って故人へのおもいを短いことばに凝縮した詩人の面影をしのびました。生前刊行の唯一の詩集「秋の瞳」から一篇だけ引用します。


ことさら

かつぜんとして 秋がゆふぐれをひろげるころ

たましいは 街を ひたはしりにはしりぬいて

西へ 西へと うちひびいてゆく (ひびく たましい)


私はクリスチャンではありませんが、町田に生まれ、御影と柏で英語教師をしながら、詩作に打ち込んで結核のために夭折した八木の詩は琴線に触れるものがあります。


隈研吾との30年にわたるコラボレーションによって、町の伝統保存と再開発に成功した梼原町をお訪ねになる計画はきっと森林資源の豊富な高知県東部の再開発にも多くのヒントをもたらされると思います。隈研吾のデザインコンセプトは徹底的な現場主義でその土地の人々の生活や伝統を実地調査し、長所を最大限活用して、過去と未来をつなぐ最適な構築物を形にするというものです。農家の中土間にヒントを得た交流型市役所「アオーレ長岡」や里山と街をつなぐ「孔」としてのミュージアム「那珂川町馬頭広重美術館」など考え抜かれた新しい公共性を具現化した建築作品です。

ついでに、隈研吾建築都市設計事務所のニュースをご紹介します。「福島県の浪江再開発にデザインの力 隈研吾さんら 4 者、まちづくりへ協定」(福島民友 9/6 (月) 11:26 配信)


ところで、菅首相の総裁選不出馬でマスコミは自民党総裁選挙一色ですが、新型コロナの感染者数も死亡者数も減衰して、東京はいまだ緊急事態宣言下ですが、シルバーウィークの人出はコロナ前のゴールデンウィーク並みのところもあるようです。

ワクチン接種率もほぼアメリカやイギリス並みに近づいてきました。先行した国々が 70 %の壁をなかなか超えられないで局所的にリバウンドが起きて苦労しているのに比較すると、日本はワクチンの供給遅れで若い人の接種率が低く、デルタ株の感染で重症化するケースが増えていましたが、予約なし接種なども行われるようになって、おおむね沈静化してきた感があります。次の波に備えてブースター接種の計画もあるようですが、深刻な経済の落ち込みをどうカバーするかということと合わせて新しい内閣の取り組みが注目されます。


総裁選は 4 人の立候補者が立っていますが、野田氏の立候補によって(20人の推薦人の確保では二階氏が裏で糸をひいているようです)、一回目で過半数をとることが難しくなり、上位 2 名の決選投票になることが予想されます。おそらく岸田・河野両氏の争いとなるでしょうが、国会議員票の比重が高くなる決選投票では派閥の力学が強くなるので、現在のところ混沌というのが妥当でしょう。ネットではプライマリーバランスの凍結を明言した高市氏が人気のようです。いずれにしても、キングメーカーとしての安部・麻生氏と二階氏との綱引きが背景にあって、総選挙を控えて党の顔としての河野氏を推す小泉進次郎氏などの派閥横断的若手有志のグループがからんで複雑な様相を呈しています。野党は残念なことに存在感が希薄です。


C



ブログ+ 三人のムーア人

2021/9/23, Thu 20:55

Cさま


昨日アウグスブルクから帰って、約束のブログをお送りしています。軽めの内容でも、ドイツの年金受給者の事情など参考にしていただけるのではないでしょうか。

そのアウグスブルクに関しては、ちょっと面白い話を耳にしそれで夫と社員の商用について出かけたのですが、その前に先日更新されたラインの中の会話についての感想です。


ファン・ゴッホのことでずいぶん盛り上がっていましたが、絵を(本格的な)趣味となさる方でなくても皆さんゴッホにはお詳しいですね。日本人には殊に愛される画家なのだと改めて思いました。

私は16年前にアムステルダムでゴッホ美術館を訪ねたことがあります。それよりずっと以前に司馬遼太郎のオランダ紀行みたいなのを読み、そこでゴッホ兄弟が交わした書簡のことが熱く語られていましたので、オランダ旅行を機に私も読んでみたいと注文しました。もちろんドイツ語ですがドイツ語とオランダ語は似ていますので、英語より原文の雰囲気は伝わるはずと思ったのです。それはそうなのですが・・・ところが、入手した 3 巻(全 2300 ページ!)の字がもう小さ過ぎるのです。それでも我慢して読んでひどい頭痛と吐き気に襲われたので、中断したままになっています。


ただ、初めの方を読んだだけでも驚いたのは、ゴッホがマルチリンガルということでした。英詩が出てきたり、パリ/ブリュッセルという仏語圏に住むテオにフランス語を使ってみたり。多言語能力はオランダ人の特徴であることを再認識しました。実はそれより強い印象を受けたのは、これは数年前ですがドイツ国境に近いマーストリヒトの町で教会を改築した有名な書店に行ってみたら、オランダ語の書籍がいっぱいに積まれていることでした。

もちろん住民の母国語ですし、人口 1700 万ですから欧州では特に少ないというわけではなく北欧三国などより多いとはいえ、これで出版業は商売になるのかとの疑問が湧きました。いや、少数だからこそ自国語を大切にし、同時に実際的な理由から周囲の国の言葉も学ぶ、という方針がもう数百年来徹底しているのでしょう。

一方で、先ほど見たエコノミストのネット版によると、4 億 7 千万人もの話者を持つアラビア語の教育に中東・北アフリカは苦闘しているそうです。10 歳児の 6 割が読めない・書けない。教育制度の問題というより、教える側がどう教えていいのか分からないというのが実情とのこと。


ラインの中の話で面白くて笑ったのは、花の話になったときクレマチスさんがご自宅のお庭の花の名前を思い出すのに苦労され、あとでヤマブキと分かったときです。何か複雑な名前、アストロメリアみたいなのかと思っていたので、あら、ヤマブキだったの、と拍子抜けしたのですが、簡単な名称でも確かに出てこないことはよくありますね。

ヤマブキは近年欧州でとても人気があるのですよ。こちらでは Japanische-kerrie(学名Kerria japonica ) と言います。通常は Kerrie(英語でも) とだけ呼ばれても、この花が東アジアの原産であることはみんな知っていて、その学名はこれを欧州にもたらしたのが Kerrというスコットランド人だったことに由ります。Kerrはカーと読みます。そう、デボラ・カーのカーです。

彼女主演の名画の中では「めぐりあい」も良かったけれど、何たって「黒水仙」、それから「クオ・ヴァディス」のリギア役も。英国人は彼女のことを「イングランドの薔薇」と呼んで誇りにしていたそうですが、実はスコットランド人なのです。それでも同じ UK であればまだしも、現在進んでいるスコットランド独立運動が成功したら、この美女をイングランドの薔薇と呼ぶことはできなくなります。


EU は「統合」をモットーとしているので分離運動などとんでもない話なのですが、英国がEU を離脱したのを恨んでいること、スコットランドが EU に加盟したがっていることなどから、事態はちょっと複雑です。ただ、スコットランド側に英国から離れても EU が支援してくれるという思惑があるなら、少々甘いですね。今の EU にはあまり余裕がなくなっており、拠出金がドイツに次いで二番目だった英国を失った後で、たぶん逆に助成金を与えねばならないスコットランドが戻ってきても、あまり喜べないというのが本心だと思います。

スコットランドの国花はアザミなので、美女でなくても女性の形容には使いにくいでしょう。(棘だらけなので家庭内での私のあだ名はアザミです。)もっともウェールズの「韮」よりはマシかもしれませんが。だけどまたどうしてニラなんか選んだのかしらん。

ヤマブキに限らず東アジア、特に日本から欧州に伝来した植物は数多あって、先日の秋明菊もですが、春のボケ、マンサク、生垣に使うカナメモチなども。面白いのはこれらが東アジア原産となるとほとんどどれにも「ヤパーニッシュ-日本の」という形容詞がつき、韓国の、とか、中国の、などとは言わないことです。日本の庭園が有名なこと、華道という芸道があること、牧野富太郎のような植物学の権威を輩出していることも、その理由かもしれませんが、美的センスにおいては日本が断トツに高く評価されているためもあると思います。あら、私って国粋主義者?


さてここで話はアウグスブルクのことに移って、ドイツでも二番目か三番目に古いこの町の名がローマ帝国の最初の皇帝アウグストゥスに因むことは知られている通りで(最古の町は西のトリア、次がケルンかここか)、トリアのようなローマ時代の遺跡はありませんしケルンのように大聖堂があるわけでもない代わり、ハプスブルク家や法王を相手の金貸しで巨大な富を築き「北のメディチ」と言われたフッガー家のお陰で、かつてはミュンヘンなど足元のも及ばぬ豊かな町でした。金銀宝石の細工師も多く、ドイツの博物館や宝物庫に残る王冠や装飾品の大半はアウグスブルクで作られたものです。

因みにトリアはカール・マルクスの出身地で、一時はその生家に詣でる中国人旅行者で賑わっていました。マルクス家はワイン商人で結構豊かだったんですけどね。中国の皆さん、ローマ時代の浴場や劇場などまるで興味なし。


数日前に夫から出張について来るかと訊かれ、ちょっと迷って「宿泊はドライ・モーレンよね」と確認すると、それはそうだがホテルの名前は変わったと言う。え、どこかに売られたの、とびっくりしていると、いや、名前が人種差別に当たるかららしい、と苦々しそうに言います。

ドライ・モーレンというのは「三人のムーア人」という意味で、それを示すべくファサードには三人のムーア人の頭像が取り付けられていました。最後にここに泊まったのは 3 年ほど前で、そのときは相変わらず「ムーア人」のホテルだったのに、近年のアイデンティティ議論やポリコレ(political correctness)、そして昨年来の BLM(Black Lives Matter) の運動などで、ムーア人をホテルの名称に使うのはまずいということになったようです。

ムーア人と聞いても私などは全く負のイメージはなく、むしろあのオセロがベニスでムーア人将軍として敬われていたこと、さらに現在ベルベル人と呼ばれる北アフリカ出身者の中にイブン・バトゥータ(彼の旅行記は面白かった)なども含まれることを考えると、なぜモーレンというドイツ語が差別に当たるのか全く理解できません。

ネットで調べると、この言葉には人種差別的な意味があると「専門家」が言ったそうで、そんなことまで専門家にご意見を伺わねばならないのであれば、普通の人の感覚ではどうということはないはずです。

私のような意見は多いらしく、もともとは 15 世紀にここの旅宿にムーア人が立ち寄ったことに始まる名称でホテルとしても二百数十年の歴史を持つにもかかわらず、BLM で変更するなど愚の骨頂という声が、とくにこの町のあるバイエルン州の人々から聞かれます。


もっとも重要なのは、そのムーア人なりベルベル人なりがムーアという言葉に不快感を覚えるかどうかでしょうが、彼らは「別に」というところだと思います。むしろ歴史を知る人々の間では誇りとされているのではないでしょうか。エチオピア人に「アビシニア人」と呼ばれたら侮辱だと感じますか、と尋ねてみたい。私のミーハー的感覚では、ベルベル人というよりムーア人という方がかっこいいような気もするのですが。

何かというと専門家(何の?)とやらを引っ張り出して、何も気にしていない人々に「あんたたちは差別されているんだよ、ほら怒りなさいよ」とけしかけているようで、この傾向に何とか歯止めはかからぬものかと苛立つ昨今です。

ホテルを飾っていたムーア人の頭像は、別の方面から例の「文化の盗用」に当たると責められるのかもしれません。でも、例えば西洋のホテルに日本髪を結って簪を挿した女性の像があったとして、日本人はそれに憤慨するでしょうか。


この話を聞いて、名前を変えたというホテルの今の様子を見たかったので夫に同行したのですが、頭像は取り払われてホテルの名称は「マクシミリアン」となっていました。これはハプスブルク家やバイエルンの王侯貴族に多い名前で、それだけに当たり障りのない詰まらぬ名称になってしまったことにがっかりです。あ、マクシミリアン・シェルという俳優もいましたね。「ニュールンベルク裁判」でアカデミー主演賞をもらった人、彼はオーストリア人ですけど。

やはり「モーレン」を惜しむ声は大きいと見えて、三人のモーレンの像は入口を入った右手に飾られており、それで元の名を示そうというのがホテル側の小さな意地かもしれません。

おかしいのは、ドイツ人がモーレンの定義をほとんど知らずなんとなくエキゾチックな存在程度に思っていることで、馬鹿にするも何も「今モーレンっているの?」と夫やその同僚が言うのにはちょっと呆れました。

そしたら偶然にレストランで前菜にクスクスが出たので「ほら、これがモーレンの食べ物よ、クスクスはモロッコ料理でモロッコはモーレンの地だから」と言うと、ちょうどそばに来たコックさんが「そうそう、そうなんですよ」と嬉しそうでした。


世の中をかき混ぜるのが趣味、いや今や職業になっている人達が増えていますね。「まあ、ええやないか」というおっとり構えた大人の対応はこちらではマイナス評価です。しばらく前から若い人が「生きづらい」と嘆くのが流行っているらしいけど、年寄りにも生きづらい世の中になっています。というわけで、今日の締めは年寄りの託言になりました。


B



Re: ブログ+

2021/9/30, Thu 07:36


B様


また、たちまちのうちに時は巡り、ドイツでも日本でも大きな選挙の結果が出ました。

ドイツ総選挙の結果は日本のマスコミが持ち上げるメルケルの CDU・CSU が大敗しました。先の Correspondence の 9 月 11 日のあなたのコメントにあったように、確かに専門家の指摘するところでは、メルケルは自分を引き上げてくれたコールをバッサリ切って、シュレーダーが汗をかいた改革の成果のおかげで 16 年もの長きにわたって首相を務めてきたわりにはこれという業績はみあたらないようです。次期首相は SPD のショルツ財務相が有力とのことですが、このあとも連立交渉が延々とつづく間は首相として存在感を発揮するのでしょうね。


日本では、予想以上に大差をつけて岸田文雄氏が次期総裁に選ばれて焦点は党や新内閣の人事に移ってきました。長い選挙期間中に 4 人の候補が政策論争を交わしてフルコースの自民党総裁選挙が行われたのはよかったのですが、結果は相も変わらず派閥の力学が働いて、安部、麻生、二階のオールドパワーが裏で糸を引いて国民的人気のある改革派の河野氏を惨敗させました。もっとも河野氏も政治家としての未熟さを露呈する場面もあったので、よい経験にはなったでしょう。

宏池会の首相は宮沢内閣以来ですが、自民党の中でも本人が繰り返し語っているようにいくらかは国民に目を向けた方向に変わっていけるかが注目されます。


さて、日本ではワクチン接種が進み、コロナも明らかに沈静化してきて、緊急事態宣言がすべて9月末で解除されることになりました。

なぜコロナが沈静化してきたかは、相変わらず検査に消極的で、旧態依然のコロナシフトによる統計数字しか発表されないので、確かなデータとは言えませんが、死亡者数や重症者数が日を追って減少し、医療機関の逼迫がひところほど叫ばれなくなっているので間違いなく落ち着いてきているようです。

ところで K 高校同窓会の関東支部の 岡本さんから、オンライン同窓会の案内がきまして、いつかお知らせした、シンガポールの井上雅文さんの特別授業がコロナの感染拡大で中止になったという連絡がありましたので、岡本さんへの返信メールの BCC にあなたのアカウントも入れておきました。BCC なので岡本さんに返信しなくてもかまいません。


ラインでゴッホ展についての投稿をご覧いただいたようですが、9 月 28 日にオンラインチケットを取って G さんと行く予定でしたが、G さんがかねてから予定していた親知らずの撤去手術を板橋の豊島病院で受ける入院日と重なってしまって、10 月 5 日に延期しました。今回のゴッホ展はクレラー=ミュラー美術館からファン・ゴッホの絵画 28 点と素描・版画20点、ファン・ゴッホ美術館から《黄色い家(通り)》を含む4点を集めたというもので、東京都美術館の力の入れ方がわかります。


司馬遼太郎の「街道をゆく」のオランダ紀行に触発されてゴッホの書簡をドイツ語版で読まれた由、私もこれを機に区立の図書館から岩波文庫の3巻本(「ゴッホの手紙」硲伊之助訳)と、みすず書房の「ファン・ゴッホ書簡全集」全6巻の第1巻を借り出して拾い読みをしてみましたが、ベルナール宛、テオ宛、心を許した同じ相手にこまごまと身辺雑記から絵の話、様々な画家について、ときに詩や小説について、思いのたけを文字に定着している。どちらの翻訳も刊行されてから随分時間が経過しているにもかかわらず、大変な労作だとおもいました。毀誉褒貶あったようですが、兄の死後病に倒れて後を追うように亡くなったテオの妻ヨーの執念がいくらかでも伝播しているように感じました。


ヤマブキがデボラ・カーの縁語だったとは、さすがにマルチリンガルの博覧強記びすこさんならではのご指摘でした。この八重の山吹はまだ母が西宮の実家で健在だったころに大事にしていたもので、玄関わきの槙の下草に植えられていました。母の没後、最後に車で帰省した時に枝を切り取って保水しながら葛飾に持ち帰って挿し木で増やしたものです。


「三人のムーア人」というホテル名が人種差別にあたるという話。人種差別は難しいテーマですが、多人種が日常的に行き交うドイツとまだまだムラのなかで単一民族の虚構にしがみついている日本との肌感覚の差をかんじます。ムーア人というのでふとムーア人の多いスリランカのウィシュマさんの事件を想起しました。スリランカ人のウィシュマ・サンダマリさんが名古屋出入国在留管理局の施設で死亡した事件ですが、再三体調不良を訴えるウィシュマさんを医師にみせることなく放置して死に至らしめた入管の非人道性が、ドイツとはレベルの違う公権力の問題ですが、ずっと問題になっています。


さて、話はとびますが、アフガンの失策で支持率急降下のバイデン大統領、すでに退任の決まった菅首相を呼びつけて日米豪印で「クアッド」 4か国の首脳会合を行いました。また米英豪の軍事的な枠組み「AUKUS」で中国包囲網を矢継ぎ早に強化しています。これに絡んでオーストラリアがフランスとの共同開発をすすめていた潜水艦隊の計画を反故にして米英が原子力潜水艦の建造に協力するということでフランスを激怒させました。

一方ではファーウェイの孟晩舟副会長を司法取引で帰国させました。これにはオバマ政権の国務長官だったジョン・F・ケリー気候変動問題大統領特使が動いているらしいが、この硬軟使い分けての対中国戦略は明らかに、アメリカの世界戦略の新展開の予兆を感じさせます。岸田新首相はどこまでキャッチアップできるのでしょうか。


C


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