親子ってなんだろう:なだいなだ著:ちくま文庫1993年8月刊
この本は昨日岡島書店の店頭棚で100円で買った。一瞬迷った買うか買わないか、買った、気になるものは買う主義、ただし1000円以下のもの、借金はしない主義😉
こないだ兄に 300万円借金を申し込んで断られた、真面目な兄をからかって悪かった、でも人間関係に刺激は必要、あはは🤣さ、本題に戻り早速引用します
19〜20ページ
私は、あるキタキツネ親子の観察者の記録を読んだ。母ギツネは痩せほそりながら、子ギツネたちにえさを運ぶ。それをむさぼりくうと、子ギツネは母ギツネにじゃれる。親子で咬みあいのあそびをするのだ。だが、子ギツネが成長するにしたがって、それはあそびのふんいきを失い、次第に、ほんものの咬みあいのようになる。秋が来てまったく成獣になった子ギツネと母ギツネの咬みあいは、まるで真剣な、敵同士の激しい闘争としか見えない。そのあとで、子ギツネたちは巣から消える。一人だちになったのだ。
母ぎつねは、えさを巣まで持ちかえって子ギツネたちをよぶが、そこには空虚さしか残されていない。彼女にはもう、その子らは永遠に子ではなくなるのだ。もちろん、人間がそこに感情を移入して、母ギツネのさびしさを感じることは、さしひかえねばならないだろうが、それでも、なんとなく同情してしまいたいような気持ちになる。それほど、親子のつながりは、一方的なのである。しかし人間の場合はちがう。引用以上。
(ぼくは今まで、割と好きに暮らしてきたけど、やってみたことがないものがある…親だ、他の動物だったら多分その辺の適当な相棒を見つけて子供を作ったりしたろうが、、ま、子供ではあったので、そこから親を類推することで気持ちを落ち着かせる。劇的なのは、子供ができた途端、親になる…準備があろうとなかろうといきなり親になる人の気持ちはどんなものだろう、と、思う。人間の場合キタキツネと違って、子供を作って子供が独り立ちしたらそれで終わりというわけにはいかない。そこが問題なので、めんどくさがり屋の僕は手をださなかったのかもしれない…冗談です)
子供の反抗期についてうまい説明だなと思った、、41ページ
前略、、親は、この子供の反抗のもとになっているものが何かを知っていれば、子供の行動を自由にかじとりすることができる。自分で動いている船だったら、かじをとることはやさしい。しかし自分では動かず、流れに押しながされているだけの船は、かじをとろうにもとれない。それと同じことである。この、自分で自分を動かすのだという意識が子供のなかに生まれている。第一次の反抗期とは、そうしたことの結果として現れているのだ。
49ページ
この親子の憎しみあいは、ある意味で、不可避だ、それは通りぬけられねばならぬものだ。通りぬけてこそ、親子のあいだに、親子の愛を、ぬけだした、人間と人間の愛が見つけられるのである。
この憎しみのとき、私は、エラスムスの愛と憎しみについての、次の格言を思いだしてもらいたいと思う。
いつかはまた憎むようになるものとして愛し、いつかはまた愛するようになるものとして憎め(宮崎信彦訳)。引用以上。
(つながりを意識させられることがある…普段忘れているのだが…このようなことがあった、、2年前生まれて初めてボロ家を人に貸すことになり…不動産屋さんから言われたこと、、、もしいちまるさんが死んだら私(不動産屋さん)は誰に連絡したらよろしいのでしょうか…あ、そ、それは、、僕は甥っ子の1人の電話番号を教えた、不動産屋さんのそのご質問ごもっとも😅)
この本が書かれたのは(文庫本になる前)1973年なので半世紀前!であることに留意していただきながら…当時、女性の自立について言及してます、、
60ページ
現在でも女性の場合には、自我の確立は、男性の場合よりも、それほど問題にならない。それは、女性にとって、現在がまだ過渡期だからだ。現在でも、もし女性が、親をたよりにせず、また男性をたよりにせずに生きたい、自分の人生を自分一人で生きたいと思うのなら、親との別れの血みどろの衝突は、どうしても避けられなくなる。
そして、未来に、女性の自立が前提になる社会がやって来たら、今は一部の女性にしか問題でない、別れの咬みあいの儀式は、きっと女性全体に必要なものとなるだろう。
自由というのは、天から降って来るものではない。個人の自由は、そうした代償を支払って、はじめてえられるものなのだ。
90ページに、、子の自立に必要なのは親の自立、、と項が立ててあり…我が子の借金を肩代わりし困り果てて相談に来た母親、その後…母親は心を鬼にして息子の無心も断り、夫婦の仲も決着に口を出さずにいた、、世間からは冷たい親だと言われつつ…結果、その息子は大酒のみだったのだが酒を断ち、嫁さんと別れ、勤め人の道に活路を見いだし、、相談者の母親のその後の何とか収まったとの報告を兼ねた手紙を読んだ後の話… その90ページ
私はその長い手紙を見て、他の人たちの母親のイメージからぬけ出し、自分の息子の自立に必要な母になることが、この母親にとってどれだけむずかしかったかを、感じたのであった。おそらく、この母親を、冷たい母親だとか、母の愛情を持っているのかしらとうわさをした人たちは、自分がどれだけ、この母親を傷つけ、苦しませていたかを知るまい。
子供が自立するためには、まず親が自立することが必要なことを、私は、この母親の手紙を読んで、しみじみと感じたのであった。引用以上。
117ページ
人間は、しばしば、住む土地に愛着を感じる。隣人に愛着を感じる。これまで続けて来た生活にも、愛着を感じる。そうしたものをすて、都会の団地住まいの子供のところで、いっしょに生活しろといわれても、あるいは、その近所に、いわゆるスープの冷めない場所に住めといわれても、受けいれられないことがある。かといって、サラリーマンの子供に、自分の近所に来て住め、と無理をいうわけにいかない。会社で転勤を命じられることもある。そうしたとき、老人が一人暮らしを選択することは、やむをえないことだろう。引用以上。
(これを読むと老人の一人暮らしは半世紀も前から始まっていたと言うことがわかる。それに関連して思い出した、、あれは今から3年位前のことだろうか、ぼくは近所の介護付きの新しい老人施設で早朝、2時間ばかりアルバイトをしていたことがある…本当に勉強になった、未来社会を見ているような気持ちだった、ざっくり言っちまえば、、世間から離れた清潔な施設…と言う印象。その時ぼくは浦島太郎状態、無理もない…今までのぼくの仕事といえば…社会との接触が少なく、つまりマンション等のオーナー達と顔を合わせる事はなく窓口は、少ない一般客を除けばもっぱら不動産屋さんだったので仕事は日中でも夜中でも大きな音を出さなければできるし、人と顔を合わせることもまぁ少ない商売)浦島太郎にならざるを得なかった状況でしたから)
ちょっとほっとできる言葉を見つけました…
親子関係の常識がもたらす不幸…125〜126ページ
ボーボワールは、さまざまな文化のなかでの、子供と老人のおかれた状況を比較して、こんな結論を出している。
例外がないとはいえないが、子供を大切にする社会は、同時に老人が大切にされる社会である。
私は、親孝行をしないと、年をとってから養老院に入れられるぞといった、あの大臣(※かつてこういうことを言った大臣がいた:註)の常識と、この結論を、どうしても比較せずにはいられない。むしろ、現代社会では、親孝行をいい出すよりは、社会がだまって子供を大切にすればいいのだ。そして、そのように大切にされた子供たちが大きくなってから、老人となった自分たちを、どのように遇してくれるかを、楽しみに待つがいいのである。
ともかく、みなし子や老人の問題を考えるとき、私たちは、私たちの文化をもたらしている親子関係の常識から、解放されなければならない。引用以上。
131〜132ページ
私には娘が四人にいる。四人は、全部私の子供であるが、それぞれ私に似ていながら、それぞれにちがっている。私自身、子供を見ていて、自分に似たところがあるわい、と思う。しかし、私が似ていると思うところは、他人が、私たち親子は見て似ていると思うところよりはずっと少ない。というのは私自身が、あるがままの自分から出発して、なるべくちがった自分になりたいと努力して来たからだ。
私にとっては、どうしても、出発点の自分は自分でなく、これからたどりつこうとする自分の姿こそ、自分であるような気がしてしまう。だから自分の出発点に似ている子供たちを、自分に似ているとは思えないのだ。…(と著者は言いながら…)、、、中略、、
むかしの私を知っている私の親から見れば、私の娘たちは、私の子供の時とそっくりだ。その点では、親は、他人よりも、一番見にくい視角から自分の子供を見ていることになる。引用以上。
141ページ
私は自分が医者だが、子供の病気のときには、なるべく他人の医者に見せることにしている。自分の子供を冷静に診断することが、どれだけむずかしいか知っているからだ。もし悪い病気の疑いがあっても、自分の子供だと、どうしてもよい期待を持ちたくなる。まさか、そんなことはあるまいと希望を持ち、それに目をくもらされてしまう。大した病気でないときには、その逆だ。もしかして、自分に大きな見落としがあるのではないかと言う気がしてしまう。どうしても、中庸の判断ができない。他人の子供だったら充分に正確に診断できるような場合であっても、自分の子供となるとむずかしい。引用以上。
(ここまで読んできて…いやはや親子は難しい、肉親血縁、ぼくは自分で淡白な方だと思っていましたが意外とこだわりが多かったりするのかもしれません、鈍いから気がつかなかっただけの話かも、、ま、謎のまま…触らぬ神に祟りなし、としておきます)
わお、「火の用心」の拍子木、なんとなつかしい。私の住んでいたのは村ですが、それでも師走の夜に周っている人がいましたよ。
・拍子木もチャルメラもなき令和の夜
なんちゃって。