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風信 沼のほとりから 第66号 令和七年八月 葉月

「八月も下旬、立秋も過ぎて残暑のはずですが海温上昇で九州近辺で台風が突如発生にはビックリしました。熱中症怖さでクーラーが唯一の救い神に毎日篭居しています。・・・」


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2件のコメント


大村繁
8月30日

※青空へ燃え立つ色や百日紅


そうかぁ、、春硯さんは青空に燃え立つ火を感じたんだ、、百日紅、、ダテにこの名前をつけてもらったわけじゃないんだな、、いいぞ百日紅


※卒寿も親の賜物魂祭り


ご両親と祝うそつじゅう、賜物、たま祭、、卒の字の十/じゅう、賜/たま、たま祭りと、今何度も口の端に乗せて楽しい気分味わいました、ご両親からの勲章ですね、こうありたいです。


※浮世絵の女の気分花火の夜


男の中の女性性…と言ってしまうと、味もそっけもなくなってしまいますが、僕もこの年になって少しわかるような気がします。花火を上げて喜ぶなんて児戯に等しいその行為の優しさ、こんなふうに表現できるなんて本当に春硯さんかっこいいです。


※涼み宿鮎焼く煙河原まで


お宿で、たまには朝から焼きたての鮎でいっぱいやりたい気分、雑踏から離れて気分さわやか。


※沼遠く見渡す丘の夏木立


カ行の硬音でたたみ込むリズムは、まさに夏木立の迷いのない描線が際立ちます、、なんちゃって、でも正直な気持ちです。


※車窓より手をかざし見る遠花火


遠花火に軽く敬礼してるみたい…僕もその場にご一緒した気分、、びすこさんもこの句に触れていらっしゃいましたね。そう…一緒に花火を見ている気分。こんな俳句を詠んでみたい。


昨日の夜、久しぶりにお会いする友人1人と途中から共通の友人を呼び寄せて軽くいっぱいやりました。悪くない気分で朝起きて春硯さんの俳句を味わえる幸せ…ありがとうございます😊


編集済み
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hm221002
8月23日

いちまるさんとよく話しているように、私は団体行動が苦手なので、当然団体スポーツはまったくやったことがありませんし、そもそも運動神経ゼロでスポーツとは無縁の娘でした(一つだけ、長距離・マラソンはまあ得意な方でしたけど)。それでスポーツ合宿など聞くだに恐ろしいというところで、このたびの広陵高校の報道で選手たちが寮住まいと聞いて恐怖を新たにしたほどです。


団体スポーツが軍隊に似ているということは、なんとなく感じていました。団体で「勝つ」ことが目的である以上、その類似は不可避なのかもしれません。軍隊のことなどに知識があるはずはなく、映画や文学の世界で知っている程度ですけれど。


戦争文学と言えば、私が知っているのは五味川純平や大岡昇平で、と言ってもちゃんと読んだことはないのですが、映画は見ました。あれは60年代でしたか、「人間の条件」という映画がヒットして私の母は仲代達也のファンで観に行ったのですが、そのストーリーを彼女が得意げに語るのを聞いて(母は本当に鈍感な女でした)怖気をふるって逃げ出したことがあります。そのあと70年ごろに同じ作家の「戦争と人間」という映画は観たものの、何の感動もなくて今も記憶に残っているシーンは全くありません。


戦争映画というジャンルではないと思いますが、戦争を扱った映画に「まぼろしの市街戦(原題:Le roi de coeur=ハートの王)」という傑作があり、これを私は二十歳のとき吉祥寺のぼろっちい映画館で見て、何だか訳の分からない、感想を述べようのない、衝撃を受けました。


実際にはほとんど話題にならなかったようで、先ほどウィキで見てみると、制作国のフランスでも注目されることはなかったのが、数年後に米国のマサチュセッツ州で上映されて大評判になり5年間のロングランになったとありました。今でもカルト映画とされているそうな。こういう話を聞くと、さすがアメリカ、腐ってもアメリカ、という感を深くします。本当にいい映画なので、クレマチスさんKBCで葛飾でも上映なさってはいかがですか。


ところで今回ご披露頂いた俳句の「車窓より手をかざし見る遠花火」いいですね。なるほどこういう花火の見方もあって、それも興趣に富んでいると思います。


私が好きな花火の句は酒井抱一の「星一つ残して落つる花火かな」です。なかなかモダンなセンス、と思っていたら、最近知ったのですがこの人は江戸時代の俳人・絵師だったとのこと。絵画をよくする俳人というのも結構いるみたい。でもこういうのを聞くと、天は二物を与えるじゃないか、と拗ねたくもなります。それと、この句は秋に分類されていたので、夏ではないのかと不思議に思ったのですが、一つには旧暦と新暦の違いもあるらしい、ということは酒井抱一は江戸時代の人だから、花火の打ち上げは立秋を過ぎてからだったのでしょう。

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