文化五年戊申[1808]の秋八月、下総佐倉の洪水は、風聞こゝにも聞えしころ、その月十三日の事なりき。予はたまたま著述のつかれを保養せんとて、ひとりそゞろに立ち出でゝあちこちとなく逍遥しつゝ、真菰が淵と呼びなせるおん塹端〔ホリハタ〕の出茶屋なる牀几に尻をうちかけて、しばしやすらひたりし折、下総の旅人等に〔そのもの同行三人なり。そのうちに老人あり、その名を問へば、与五佐衛門といへり。〕かり初にものいはれにけり。よりてかの水の虚実をとひしに、その人答へて聞かせ給ふが如く。こたみ佐倉の事は、近来稀なる大水なり。つやつやそらごとには候はず。しかるにかの城下なる田地どもの、或は十間ばかり、或は二十間四方づゝに皆きれて、水の上に浮みたり。それを又並木の松の大きなる、伐らば臼にもしつべき幹に、藁の縄もて繋ぎ置きたり。
top of page
bottom of page
Comments