今度住む家は…リフォームは急ぐ必要はないのでゆっくりやります。したがって音楽と小説書きしかやらない(水泳その他はリハビリと気晴らし)と決めた以上時間はさらにたっぷりあることになり(音声入力ができる力をキープしつつ生きながらえればの話です)…引き延ばしていた小説書きもスタートさせるつもりです…新聞見ないテレビ見ないお付き合いする人いない、で、やることといったら食べること、呑むこととクラブの立ち上げ、読書、小説書き、水泳、楽器の爪弾き、爪磨き、くらいしかない。あ、マクラはこのぐらいにして…
で、早速…そのあらすじなのですが、予めお知らせしておきます。何故、あらすじ、かというと、、「魔の山」の帯に、種明かしみたいなあらすじが記されていたからです…あっと驚く僕、読者に失礼じゃないか…推理小説の種明かしを最初にしてしまうようなもの…でも、そんな事は傑作にとって何でもないこと…ということがわかったからです。だから僕の小説は大作でも傑作でもない単なる暇つぶしなのですが、気持ちだけでも世の中の傑作に対抗するために…種明かしをしたところで作品はびくともしない、それは大作の証拠である、と強弁したいと思ったからです😜
あらすじ…
(題名は…多分、「もみじ」になると思います。今住んでいる家のガラス戸というガラス戸すべて、手洗いの小さな窓に至るまで全て紅葉(🍁かえで)の絵柄なのです、それにちなみました)
話は日本が戦争に負ける3年前まで遡る。もうこの時点でこの物語が長い物語になると察しの良い数少ない読者はお気づきになったでしょう(読者って誰?、、いいのいいの、気分は小説家😛)
国立(くにたち)にある結核療養所から物語は始まる(魔の山、からヒントを得たわけじゃない、そもそも魔の山、がサナトリウムを舞台にしたものとは知らなかったし、、)祥太郎の長女で主人公の亜紀はまだ生まれていない。祥太郎は療養所内で知り合った画家〇〇と親しくなるのだが戦争終結直前に〇〇はなくなる。映画スター上原謙似?〇〇は療養者内ではスターであり祥太郎にとっては今で言うメンターでもあり〇〇の死と引き換えの「希い」はその後の祥太郎の生き方を支配する、つまり〇〇はなくなったがその精神と共に生きる決意をする祥太郎であった。
戦後の米軍の進駐軍がまだ闊歩する渋谷の闇市で街娼〇〇と運命的な出会いをし、結婚した祥太郎は古物商でのし上がっていくが最愛の妻〇〇はあっけなく病死する。(大体多くの小説の中では人物はあっさり、あっけなく死ぬ、多分現実感を出すためだと思う)〇〇と知り合った時すでに〇〇は誰の子とも知れぬ子供を妊娠していた。後の主人公亜紀だ。古物商を始めるきっかけになった〇〇の勧めで〇〇を後妻に迎える祥太郎。
20年後。一介の古物商から今や押しも押されぬ国際的にも知られる美術商となった祥太郎の一人娘亜紀は武蔵野にある女子美術大学の2年生。肌こそ浅黒かったが日本人離れした人目を引く容姿体格で姉御肌の亜紀は学友たちのアイドル的存在になっていた。女子大学の隣は〇〇体育大学。あらすじを語るのがめんどくさくなってきたので話を端折ります。この体育大学の男子学生と亜紀が「出来て」しまう、というか結果的には、あろうことか亜紀が男子学生〇〇を強姦してしまうのだ。祥太郎がそれを知ったのはすでに妊娠5ヶ月後。大学は自主退学。相手の男子学生にいい含め、生まれた女の子は祥太郎夫婦の養子という形で世間の目をかわす。
亜紀は祥太郎の後妻の世話で、アメリカボストンに近い大学に留学する。留学先で心理学を専攻した亜紀は、持ち前のバイタリティーで学内でアシスタント講師としてわずかながら収入を得るようになる。その後帰国した亜紀は日本の大学でもアメリカでの実績を買われて日本の大学の講師から持ち前の権謀術策を弄し教授へと順調に歩を進める。その間、大学の同僚で学究の徒、考古学者〇〇と結婚する。
あー、ちょっと疲れてきたのでさらに話を端折ります。マキャベリ顔負けの術策を駆使し大学内での発言力を増し派閥さえ形成しかねない亜紀。目をつけたのは、というか目をつけられたのは、選挙のマドンナが欲しい、やはり政治の世界。しかし岡目八目でその世界を見ていた亜紀はテレビの世界から政治評論家としての役割を与えられ、亜紀も思うところあり政治の世界をあきらめ、メディアの世界に飛び込む、ふう😮💨
話が飛びます…ああだこうだいろいろあって結局、総務省未来局の副局長?のポストを得る亜紀。同じ頃、祥太郎と〇〇の子、実は亜紀の娘〇〇は日本のロボットメーカーに所属する研究所のロボット制作のスタッフとなっていた。
ここから運命の糸はいかにも小説っぽく展開する、というか適当にこじつける。(ストーリー全体が波瀾万丈というわけでもないので、メリハリとテンポを工夫したいところ)…とにかく、いろいろあって…というかいろいろあったことにして…今や引き返せないほどの認知症になった実の父親〇〇と、2040年浅草のポルノショップ?でロボットを介し、遭遇してしまうのだ。ここから2050年までが物語のキモ。総務省未来局局長の座を狙う亜紀。
ところがひょんなところから実の母親の目的に疑いを持ってしまった娘の〇〇、バーチャルセックス?にわずかな安息を見いだしている認知症治療中の実の父親を利用?して母親の権力志向の意図を探り当てた娘は母に真っ向勝負を仕掛ける、母とは違う人類の向かうべき道を模索する娘、、そして、、母、父、娘の3人は…ついに、父に蘇った昔の記憶ともに邂逅してしまう、ここで推理小説にありがちな、お終いのところの長広舌にしなくてもすむように読者に納得してもらえるかどうかが、ぐだぐだ語ってきた問題提起を受け止めてもらえるかどうかの分かれ目だと思う、説明的な物語にしたくないし、ならないと思う、わかるために書くんではない、わからないから書くんです、たぶん。
ま、こんな感じでどうでしょうか?お疲れ様でした、だらだらした予告編をお読みいただきありがとうございました😊
(※蛇足:読者が読むのを途中で投げ出さないように、要所要所でドラマチックに盛り上げるあざとい手法を多用する、そんなチープな方法で目の肥えた読者を納得させられるか、なんて事は問題ではない、僕自身がその物語を楽しめるかどうかが問題だ。物語の完成も問題ではない、途中で終わっても問題ない。問題は自分自身をどう納得させるかだ、、できれば問題を宙に浮かせたい、沈んでしまっては浮かばれない。
てなことに…これから着手するわけです…ゆっくりやりたいので、ゆっくりお付き合い下さいませどうぞよろしくお願いいたします🥺 )
推理小説「もみじ」の予告にあらすじを開陳するのは作者の自信のあらわれであり、読者への宣戦布告だと思いました。もっとも帯の文章は著者に責任はなく、担当編集者が読者の目を引くためのキャッチコピーであるのが普通なので、ネタばらしでもなんでも興味をかきたてられることばを作品のなかからつまみ出しただけかもしれません。推理小説とかSFとかジャンルにこだわらないで、いちまるさんらしく自由にのびのび書いたら面白いものになると思います。期待しています。
これだけの話になると長編小説ということですね。いや、新聞に連載っていうのがいいかもしれない。葛飾新聞に毎日?
「読者が読むのを途中で投げ出さないように、要所要所でドラマチックに盛り上げるあざとい手法を多用する」これ分かりますよ。昨日までたまたま宮本輝の「花の降る午後」を読んでいました(孝子蔵書から)。これも三つの地方新聞の連載だったそうで、昭和の最末期です。
もともと30代から小説は読まなくなり、思いがけず手に入った数百冊(孝子蔵書)の中でも読むのは専ら短編でした。長編はしんどくて持久力もないから避けていたのですが、人に会うことが多く待ち時間もあったので時間つぶしの読みやすいものが必要でしたので。
あ~、もうやめよう、と思う頃に新しい展開があり、結局読み終えました。引っ張る力があったってことですね。あれは誰だったか英国人の評論家が、小説を1.意識の流れ(バージニア・ウルフなど)で話を勧めるものと、2.筋書の面白さで、つまりwhat will happen next?という興味で読ませるものとに二分していますが、もちろんその二つが統合されていれば申し分ないのでしょう。いちまるさんの作品もそうなることを期待しております。