12月3日(土)曇り
今朝は寒い、6度とか。旧宅の狭い台所でご飯を炊き汁を温めると途端に5、6度上がる。
昨日は延べ8人のお片付けクラブのメンバーが集まりました。会の名前は「すっきり」に決定、散会後、食事をとる人が集まって蕎麦屋に向かった。蕎麦屋の前の通りをまっすぐ行けば新宅に近い。2人の方に別々に新宅の場所をお教えしたが、後でうかがいと、いずれの方も横長の細い道を見逃したらしくお2人とも見つからなかったとか。それでよし。我が意を得たり、まさに陋屋たる所以だ。
夕方、新宅用のクイックルワイパーなど求め、置いてきた。台所のプリント紙張り合板(昔はこんなのが新規なものとしてもてはやされた)の壁がいかにもチープなので、上からオイルステイン(今は水性もある)代わりのウッドデッキ塗装用の水性ペイントを塗ってみたら、なんとか上塗りが効くようなのでこれであっさり仕上げることにする。
今日も11時からスープ研究会の食事会が始まる。古い狭い台所でやるから面白がってくれるところもあるのかな…。
(昨日の集まりで、庭にかりんや大きな柿の木のある知人が、大きな渋柿とカリン酒を 2本、洒落た洋酒の空き瓶に入れて持ってきてくださった、後で誰かと飲もうと思っていたら…後からさりげなく1年ぐらいするとおいしいですよと言われました、あっ、🤭と、せっかちな僕がばれてしまいました、アハハ。
すっきり。人生において、とにかくすっきり・あっさりが理想。これは日本独特かもしれません。アジアの中の東部でも中国や韓国の人がそういう好みとは思えない。(君子の交わりは水のごとし、と言った孔子様の国でも、交わりはゴチャゴチャした感じで、人と人の間の距離が適切とはいいがたい。)
人の暮らし方の彼我の違いは文化の差に起因するのでしょうが、その文化の違いはどこから来るのか。生まれ住む場所の地理的条件、気象・天候などの環境、社会構造、主たる産業の相違・・・なのかな、などと考えていたら、先日どこかで「生理的な違い」という説明を目にして、あ、これ言えてる!と思いました。
体格・体質の違い。肌の色の相違がよく取り上げられますが、そもそもそれ以前に細胞が違うのですね。もちろん同じ人類だから共通部分の方が大きいけれど、ちょっとした差、微妙な違いが文化には大きく影響する。視聴覚的な好みも異なるし、舌も違うから味の好みも。コーカサス系白人は多分細胞も大きめで(敢えて言うと「雑」で)、素材の本来の味の微妙さなんてか分からないと思う。
異議ある白人の所見をお待ちしております。