10月9日(月) にわか雨予報
休日も何かと気ぜわしい甥っ子たちに代わって僕は施設入居の契約に向けて準備を始めました。連中にも書類を郵送ずみです。
条件の良い部屋の確保なんて先手必勝、早い者勝ち。休日中のケアマネさんにも積極的に契約にご協力くださいとショートメッセージを送りました。
兄がわかってもわからなくても、兄にとって良かれと思う状況の選択肢のひとつを、兄を除くメンバーの別の家族LINEに流し、合意しました。
チームの結束が固まれば後は目標に向かって段取りをこなしていくだけです…ちょっとほっとしました。
僕らだけではなくどこのご家庭でもこのような経過をたどっているのだなぁと頭ではわかっていましたが、それぞれの了解を得るための説得は力仕事だなぁと思いました。
プールへ行って体をほぐし、リラックスを試みるも、昼食の支度をする気が、全く起こらず日本蕎麦屋に寄って天ざるを食べました。
あっちをなだめこっちと調整、言葉の行き違いを家族LINEで修正する…気がつけば午後3時。
あちこちの戸を締め切って、トランペットに弱音器ミュートをつけて適当に吹き鳴らす…そのうち腹式呼吸の効果が出て少し落ち着いてきます。
早いこと、いまやっているドタバタを…思い出に変えたいです(この言い方がいかにも冷たいですね)そして兄のこれからの暮らしが、心安らかな日常になることを願うのみです。
1年近く前に始めたこのコーナーの最終コーナーを、今回ような気が重い、気疲れがするドタバタで迎えるとは思いもしませんでした、、あはは🤣(笑っている場合ではないのですが、かといって深刻に考えて状況がよりよく好転するとも思えません)
今日もいろいろな案件を抱えて忙しいケアマネさんを捕まえてチームとしてのこちらの覚悟をしっかり伝え、ピンポイントでの尽力をお願いし、選択したエリアに着地することを目指します、、なんちゃって…要は兄が気分良く暮らせる新しい環境を確保するという1点に集中します。
雨の中、兄の家に行って…兄が分類し、兄なりのわかりやすさで整えた自宅の環境を、兄を除く家族チームのわかりやすさに変えて、兄が見た時、環境が変わったことを理解してもらうようにもしてこようかなと思います。
もう、ここでは暮らせないという兄の決心を固めてもらうためもあります。
これまた回りくどい言い方になっていますが…兄にとってわかりやすい環境はチームの一人ひとりににとってとても、わかりにくいので、昔取った杵柄で僕が代表して事務分析の手法で整理しに行くわけです、、契約に必要な証憑類、年金の通知書、口座引き落としの確認その他、、差し押さえの赤紙、ならぬ物品や調度品にラベルを貼ってきます。ここに下着、ここに上着、このタンスの中には何々が入っていますなどのラベル貼りです。兄の頭の中を把握するようなものです、、面倒臭いけど、他の連中はこんなことしてる暇はないし、要領を得ないだろうから、僕の出番かなと思います…そう連中にも宣言しました。
他のことをやる気が起きないので僕自身の気分転換も兼ねて遅かれ早かれ誰かがやらなければいけない事を実行してきます、、ふー😮💨
小菊買う荒む心のよりどころ
いちまるさんの場合、何が羨ましいって、ご一族の団結です。(お姉様との関係は正常化していないようですが、お姉様がお兄様のこれからの生活の障害になることはなさそうなので、問題とは言えないでしょう。)
我が家の場合、長男は極端に両親に冷たくいつも権利ばかり主張して義務は全く果たしませんでした。母の手術の場合も妹と私の判断でしたし、介護施設に入れる時も一切タッチせず。それで施設への書類には連絡先を妹の家とし、妹夫婦に、彼女たちだけで処理しかねるときは私に連絡すること、問題の内容によっては帰国するから、と言ってありました。
しばらくたって弟が施設に現れ、名刺を出して長男だと名乗ると施設側は男の子がいたのかと驚き、それからは何かあると勝手に弟に電話するようになりました。彼はトラブルに関与するのは厭なので、何かあっても「そちらの判断で処理してください」という。母の所持金が立て続けに盗まれ(計70万円に達した)、私が調査を迫って最終的に施設職人が犯人と分かったときも、施設は弟にこの件を内密にしてほしい、10万円だけ払うから、と交渉し、弟夫婦は「お世話になっているのだから」と了承しました。施設としては「やっぱりご長男ですよね」とホクホク。
それを少し後になって聞いた母が10万円なんて額じゃないと私に電話でいうので、全部記憶をたどってもらい(驚いたことにこういうことはよく覚えていた)、合計額を算出し、銀行から引き出した証拠もあったため、施設としては70万円を返さないわけにはいかなかったのですが、その時に施設の人間が私への恨みから母を全面的に無視し依頼にも応じないと言う報復手段に出ました。そういうことに鈍い母が「あれもしてくれない、これもほったらかし」とこぼすので、実態が分かり、またもや弁護士の出番に。
結論からいうとお金は戻り、母にも最低限のことだけをしてくれるようになりましたが、前に書いた通りまもなく母が転んで脳内出血になり入院し、その半年後には逝ったので、それ以上施設と争うことはなりしませんでしたが、ここで問題を整理すると、
・長男夫婦の母親への無関心は若いときからよく分かっていたので、長女・次女が相談して連絡先・責任者は次女としてあるのに、施設にとっては息子の無関心がありがたかった。
・入所の際の書類には妹の住所と捺印があって、これを指摘されるとまずいので、施設が新たに書類を作り、連絡先を母本人の意志で長男に変えると書いて、それに署名・捺印するよう母に迫り、わけの分からない母が署名した。
・そのことは法的に違反で、調べれば母の無知を利用したことは明らかなので、そこへ弁護士が出てくるとさすがに施設も長女(私)の主張に応じるほかなく、全額返したが、腹が収まらない施設側が母に陰湿な虐めをした。
どうです、面白いでしょう。16,7年前の介護施設では、ヤクザのような✖✖会やら○○会が仕切っていて、こういうことは普通だったみたいです。このことから、ワタクシ「入ってはいけない介護施設」というのを研究しまして、最晩年の計画を私なりに立てました。(ただでは起きないさ。)
だけど、施設側が100%悪いかというと、母にも大いに問題があり、82歳にしてお金や贈り物がものを言うと分かった母が、知り合いの銀行員に頼んでお金を持ってこさせ、それを職員やら介護士にみせびらかしたのです。いくら私が現金を手元に置かぬよう言い聞かせても、自分は周りの入居者とは違うということを見せたかったのですね。こういう点では絶望的な母でした。一時は、こんな女を妻・母にした父を恨んだくらいです。
因みに、母のお金を簡単に盗めた介護員が、味をしめて他の部屋で窃盗を働いていた現場を見つけられたのが犯人逮捕のきっかけでした。ただし警察には届けず、彼女を首にしただけの処理でしたが、これも弟を丸め込んで「おおやけにはしなくていい」という了解を得たそうで、私ももう、それに異を唱えて帰国する余裕が当時はなかったので、そのままに。
「あんたがいい顔して10万円でいいと言った賠償額を私が鬼のような顔をして70万円という正しい額にしたんだからね」と弟に言うと「くれるものならもらっておけばいいさ」ですって。こんな家族無い方がマシですわ。