10月1日(日) 曇り予報
朝から四つ木御殿で仕事です。1坪にも満たない風呂場を図書館と言い張るからにはそれなりの雰囲気を出さないといけません。
小さな机と椅子も置いて100ワット相当のLED照明に帰ったらすっかり明るくなりました。あと南面の下にカフェカーテンの白いレースのものをつけることにしました…アマゾンに発注。
おにぎりで腹を満たし昼からは、外の掲示板の屋根作りから始めました。今まで風呂場で使っていたすのこを適当に切り刻み、への字型に組み立てたものをブロックにかぶせれば立派な屋根の出来上がりです。
今日も四つ木御殿に行って掲示板を取り付け周りに葉っぱの模様を描いて仕上がりです。
(昨日の午後兄から…月曜日退院だって…あ、そうなの?と電話を切って兄が世話になっている医療センターに電話する。
担当の看護師さんにきちんとした話を聞く。もう少ししたらコロナが完治したかどうか検査をしてそれから面接という運び。
つまり月曜退院と言うのは兄のまったくの勘違い。
その他にもあれが心配、これが心配、支払いが心配、みんな大丈夫、それもだいじょぶ、あれも大丈夫、こっちで何とかするから大丈夫となだめています。
こっちも受け答えがだいぶ慣れてきたので、ここ当分の間兄の発言に振り回されないようにします。ついつい中にはもしかしたらホントかなぁという話も混ざってくるので、振り回されてしまいます。
四つ木御殿でちょこまか仕事をしてしっかり疲れたのでプールへ行って汗を流し家に帰ってから、海鮮丼を買いに行ってお酒を飲みながら食べました、10日20日30日の日は割引で普段540円のものが500円です。今回はマグロがやけにおいしい。1500円と言われても…そうかなぁと言う位、ネタがいい。頼んで3分位でさっと出てくる。電話注文の客が次々に取りに来る。
薄利多売は商売の基本中の基本。儲かってる店は基本に忠実…余計なことを考えない。
(兄が無意識のうちにスマホの音声入力が使える位までにここ1年位でやっと覚えてくれたのでそれがまさに命のLINEです。
隔離された病棟でも何とか兄が安心感を保っているのはスマホのこのLINEです。
心配事があったら何でも伝えてきてねと、何度も何度も兄には伝えています
電話なんかじゃんじゃんかかってきたところでどうってことない。心配事にはすぐに対応するのが1番。
とは言う物の久しぶりに工作をしていると…途中で電話に出られないこともあり、そういう時はちょっと待ってもらって、キレの良いところですぐに折り返し電話して何とか対応します。
今日は10月1日…何か特別な日って感じ。ちょこっとした工作が煮詰まってしまった頭を少しはすっきりさせてくれる。
(やっと兄の終の棲家の話題に…甥っ子たちが乗り気になってきた。ここまでくるとスマホで集まる情報はガセネタが混じってくるので、彼らの業界の「線」が頼り。
兄の好みと環境の相性が最優先であることを再確認しながらじっくりと進めていきたいと思います。
細々した事は別として…おじさんの役目はここまで、という感じもします)
夜半に覚め天井見上ぐ秋のしん
うーむ、何たっていちまるさんは優しい、忍耐強い、そして合理的。この組み合わせって結構むずかしいのですよ。理を優先すれば冷淡になるし、優しくするにも限度がある。
このところこのフォーラムは私の愚痴の吐き所みたいになって申し訳ないんですけど、義姉のわがままにずっと引っ掻きまわされているのです。夫が姉の退屈を慰めるのに、彼女とその介護士と、雑用・運転をしてくれる優しいルーマニア人とを旅に誘ったんですね。すると彼女はその話を広げて夫の大嫌いなハトコ夫妻と例の「洒落のめした画家」夫婦まで誘った。さすがに今回はその人たちの費用は自分が出す、と義姉はいうのですが、私たち夫婦にすればカネはたっぷりあるのに人の懐を当てにする親戚・知人連中など、同じ宿で泊まるのも、同じテーブルに就くのも「けたくそわるい」。それで計画を立てるのを辞めました。義姉はとにかく大勢の人に囲まれていたいんです。
さらに、私の夫と喧嘩別れして10数年絶交状態の夫の娘とその娘(夫の孫)も一緒に会いたいから、近所の夫の家に泊めてやってくれという。(喧嘩別れの原因の一端は、中で両方に告げ口ばかりしていた彼女なんですが。)昔、その私たちの家を使わせたら、そこにあるめぼしいもの、銀器や磁器などをごっそり持っていかれ、窓飾りやカーテンなどは「こんな襤褸をいつまで下げているの」と捨ててしまった経緯があるので、夫は頑として「彼女たちを泊めることはしない」と答えた。義姉の家は大きいからそちらに泊めればいいじゃないか、というと、お手伝いさんと介護士さんが抗議し始めた。今だって我儘な義姉に振り回されているのに、そこへ彼女の姪だの大姪だのが泊まったら、食事も部屋の掃除も負担が増えるだけだという。当然ですよね。それでどうなったのかあとは知りません。
自分の母の晩年を思い出すのですが、体力がなくなり、半病人になり、どこかへでかけたり、買い物したり、みんなで食事をしたりという楽しみも、自力ではできない。周囲の助けを借りねばならない。それだけでも気を遣って「すまない」と思ってもいいはずなのに、他人の迷惑も考えず次々と勝手に要望を膨らませていく。
周りへの迷惑とか気づかいとか、そういうものがほとんどなくなる症状こそが「老い」の証拠だと思います。自分もあと何年かしたら、他人さまの迷惑にまったく無頓着な人間になってしまうかもしれない。それを思うと、いやあ、人間は適当なところで人生に終止符を打つべきかもしれない、などと考えてしまいます。母が86歳で逝ったとき、もう2,3年生きさせたかったと思いましたが、もし生きていたらその被害に悲鳴を上げていたと思う。
私の友人は、やはり最晩年に我儘が頂点に達した元学者のお父さんに何度も激怒して、「こんな父親、死んでもちっとも悲しくない」と言っていました。でも死んだらやっぱり悲しかったんだって。そして悲しいと思う自分にほっとしたんだって。こういうの、酷ですよね。
いや、お兄様のことじゃありませんよ。お兄様は少し混乱しておられるだけで、もともと配慮はしっかりあって、ご自分の家族への迷惑など「知ったことか」と思うような方じゃなさそうだから。それにしても考えさせられますねえ。