9月16日(土) 曇り予報
美文字の会の入会希望者が5名ありました。葛飾区の広報に広告が出たばかりなのであと2、3名は入ってくれないかなぁと思っています。今回の会は水曜日の午後におこないます。土曜日曜を外したクラブにしたかったので、とりあえずメンバーが集まってやれやれです。
四つ木御殿も少しずつ賑やかになって行く気配がうれしいです。交通の便がイマイチなのですがそれでも利用してくださる方が増えれば少しずつ認知度も上がって人の交流も増えます。
美文字研究会の入会希望者のおひとりが、、近くにこんな場所があったのですねとぽろっとおっしゃいました。
見えているのに見てない。人も建物も外からでは何もわからない、と思いました。そして、何事も知り合わなければ始まらない。
今日は11時からノーポイさぽーたー倶楽部の集まりが白鳥であります。集まる場所は水戸街道沿いなので僕は例によってタバコの吸い殻を拾い集めながら会場に向かいます。
(ところで…今回ほったらかしになっていた我が家の登記面の名義変更がなされたのをおそらくはネットからダウンロードし調査して、その登記簿の住所を頼りに毎日のように色々な不動産会社から、売買の可能性についてのダイレクトメールが僕のところまで届く。
代替わり、世代交代の時期なのですね。親の残した家に住まない結果としての世代交代。
不動産会社は多分ウケに入っていると思います。あちこちで新築の家やビルが立ち上がっているのも不動産会社が鵜の目鷹の目で暗躍した?その証しだと僕は思っています)
昨日読み始めた本の中に1968年のフランスの学生運動について哲学者の見解が散見できる記述がありまして、それをきっかけとして何とか読み進める気になりました。
ジャン・ボードリヤール:リチャード・J・レイン著::塚原史 訳:青土社2006年4月第1刷発行
僕の友人たちが思い出語りに…ぼくらって大学紛争で学校行っても「あんな調子」でまともな勉強にならずだったので、、と語る日本の事情はさて置いて、フランスの「そんな調子」の事情もこの本から知れるのかなと興味を惹かれます。
フランスの大学も制度疲労を起こしていたのだなぁとこの1冊の本で決めつけるのは間違いだとしても当たらずとも遠からず、と思いました。
それはそれとしてもフランスでも大学の旧態依然としたシステムと革命とは連動に無理がある。実際のところどうだったのか。
労働者との共闘も名ばかりは、日本でもフランスでも同じことかな。何が革命だ、と白けていたノンポリ学生も多かったと思われるのは、日本の特殊事情だったかどうかはこの本を読んだ後で感想を述べます。
当時僕も会社が終わった後あちこちの学生集会に出てみました、、
集会の途中とか中盤にカンパの箱が回ってくるのです、、隣りはと見ると、中年のいかにも真面目そうなサラリーマンがお札を入れているのが見えます、僕はどこの集会に顔出しても募金はスルー。
精密機械メーカーにいた当時、防衛産業の製品にも仕事で関わっていた僕としては自分なりに防衛産業の何たるかを少しは勉強してもいたのでぼくと同年代の学生が行う、終始、絶叫調のスピーチを聞いていて途中で白ける部分が多すぎて、結局最後の会場を後にして二度と足を運ぶ事はありませんでした。時々スピーチに反応してナンセーーンス!!と唱和する声だけが耳に残っています。
友人たちの大学における僕が聞いたエピソードの1つ↓
…学園騒動の当時の学内事情、つまりバリケードの中では…闘争そっちのけのお祭り騒ぎ、男女もつれての乱痴気騒ぎだったと、自嘲を込めてその情痴ぶりをJ大卒の軟派のワルがバラしてくれました。
騒動の後しばらくして学生運動家たちがそれぞれ企業に吸収されていった事情をだいぶ経ってから自社の週刊誌などで冷ややかに報道していたメディアの一部は、連中と一緒になって大騒ぎしていたことには頬被り、これは今もって続いている日本のお家事情のような気がいたします…マッチポンプ、は言い過ぎかな。
もう一つエピソード、、
僕の最初の相棒がM大学のノンポリだったのですが、当時度々あった路上の騒動の際、スト破り(後のプロ野球選手の高〇繁)の仲間?に間違えられて急進派の学生に棍棒を持って、おいかけ回された時、近くの交番に逃げ込んでかくまってもらったと言っていました…いやー怖かったよー、、、ですって。
言っておきますか、以上は僕の知人、友人たちの尾鰭付きの単なる感想かもしれませんので(僕は全部、真に受けけましたけど)さらっと聞き流してくださいませ。
でもまたいつかこんな騒動が世界中のあちこちで起きるんでしょうか、全く違った形で。その時こそ、その国の(下※に続く↓)
(ここでいう、その国、とは未来永劫「国」という概念があっての話ですが(世界連邦とかじゃなく)…個人的には長く長く「国」概念は存続すると思います、そのほうがいいと思っています、生活のどこの場面を切り取ってみてもその国の歴史が感じられるような継続性は国という単位があってこそのものだと思います)
上※より続く→「世間力」(僕が作った造語)が試される時だと思います。
今日もいつもの、知ったかぶりで失礼しました。
学生運動家の大部分は大企業に吸収されていきましたけど、一部、かなり危険とされた闘士たちは行き場がなく、のちに90年代のことですが、塾の講師をしたり、誰かの原稿の下書きをしたりして糊口を凌いでいる人たちに出会いました。私もフリーランスとして彼らと似たような不安定な状況にあったのですが、「今の世で女の立場はそんなもの」という諦観めいた人生観のあった私と違い、人もうらやむエリート大に入学した人たちの当時の姿は少々気の毒でした。(馬鹿にして同情しているわけじゃありません。多分フリーランスとしては私の方が収入はあったので、結婚でもして彼らを支えたいとすら思いました。)