8月29日(火) 快晴予報(快晴だ、今、夜中、星がよく見える)
昨日の朝川口駅に着いて市役所の始業時刻に合わせて時間つぶし、マックに入ってコーヒーを飲む。
その後てくてくと市役所に向かう。通勤者とすれ違う。明らかに葛飾区の僕の周りの住人とは違う、ずっと都会的。都会ずれ、と言っては失礼かな。
人間の方で服装をビルの多い街に合わせて補色のように、あるいは保護色のように硬質なもの、コンクリート、ガラス、鉄骨に合わせている。
まぁそれで辻褄も合うので、、ひと頃は寝巻きでウロウロしていたところでびっくりされないような下町ぐらしに抵抗がない僕としては何をかいわんや
プラプラ歩いていたら反対側から僕の右腕にぶつかり、横断歩道を走りぬける若者がいた…僕の方が手を大きく振りすぎていたせいだ。
(どうして、いちまるはそうやって偉そうに歩くの?高校の同級生に言われてました。きっと痩せて体も大きくないのでそうやって無理しているのかな?
いちまるさんて大きな人かと思っていたら小さな人だったんですね、かつて東京都主催のアメリカ福祉事情の視察旅行に参加(僕は友達の付き添いで参加)した女性に、後日再会した時しみじみ眺め回されて、そう言われたこともありましたっけ。
態度が大きい…これって結構、外国人ウケする体質?)
満員の電車から吐き出されてそのままスムーズにエスカレーターに吸い込まれるようにたくさんの人がたいして混乱もせずに適当に間合いを調節しながら乗って通り過ぎてゆく、みんな微妙に調整している。
ストレスをそのようにしてスルーしていく。密集した中でいかにストレスを少なく暮らしていくか、そんな日常的に積み重なる対応は社会に馴染んでいく基本中の基本。そんな日常は心にまで微妙に作用する、まぁ必要悪。
人間の住まう所どこにでも微妙だけれど確かな、言わず語らずの規則ができあがる。都会の風習。これが曲者だ。この曲者は利用価値がある。悪い奴らはこの風習を利用する。紛れ込む底意地の悪さ、くそ、小説の中で存分に暴露してやる😤
ばかじゃ都会で苦労する、でも馬鹿やってなきゃ都会は耐えられない、なんちゃって。
ついでに兄の所へ足を伸ばし和風弁当を買っていって2人で食べた。預かっていた印鑑登録証を兄に返却し、ダスキンの家事代行サービスの庭の草取りを兄に代わって再度、先方へ催促の電話を入れる。
兄に、兄が切り取っておいてくれた補聴器の記事で同じものを発注したと告げると、金を払おうとするので…気持ちだけもらっておくよ、と、気持ちだけもらっておいた。
足の爪の皮膚科受診をしつこく兄に勧めるも、本人は子供のようにいやいやの態度、、いやはや困ったものだ。聞けば通っている近くの病院に皮膚科はあるというのに、、まぁ折を見てまたプッシュしてみようと思います、、まぁ本人はほっときゃいいや、という気分なんでしょう、その気持ちも少しわかる。
近くの買い物などを代行し、洗剤、ビール、トイレットペーパー!をリュックに入れて引き上げる。兄の満足僕の幸せ、ありがた迷惑と言えるほど気が強くない😜ま、助かる事は助かる、体に負担をかけて良い運動にもなるし。
帰宅して荷物を置いて近くのジムへ汗を流すために風呂に入りに行く。
帰りにでんと構えている葛飾郵便局の外の御影石?の椅子に座り、来月から多分始まるパステル教室の申込者に案内の確認電話を入れる。
もうこれだけでくたくた。労働の後のビールはうまい😋
洗濯物を洗濯機にぶちこみぐるぐる回す、干す、飲んで寝るぞ。
昔勤めていた会社の系列会社のビールがうまい、キリン一番搾り、そういえば兄もいまだに勤めていた会社の株を持ち、牛乳は森永牛乳しか飲まない、一途なのもいい加減にしてほしい。
母校を愛するように社会教育を受けた最初の会社が後を引いているのかもしれない、ある意味幸せな僕たち。
僕の若き季節の貴重な4年間と、兄の勤め上げた50年間、、多分、総括は始めなければ終わらない、宙に浮く。
それで良しと思えばそれでよし。だめと思うなら死ぬまで悩んでそれもよし、とりあえずかつての幸運な人生のスタートに乾杯の意味で珍しくもう1本、缶ビールを開けました。
ここにいては僕は堕落すると思って脱落(退社)したあの日、春一番が吹く2月20日のあの日あの時22歳🍻 いちまる君、大学へ行くの?はい社会労働大学へ。
一方、若干15歳で金を稼ぎ出した兄、その日に還ってその時の志を聞いてみたいが、それしかなかった、と言うに決まっている、聞くだけ野暮。
覚悟を決めて、あるいはとりあえず歩み始めたそれぞれの人生、愛さずにはいられない…あはは。
昨日生まれて初めてそれぞれの人の人生の「かけがえのなさ」の一途さに気が付きました。ふざけてる奴は誰もいない、と僕は思いました。
もちろん精神的な瑕疵を生まれつき持ってしまった人間もいるかもしれない、、それを含めてもふざけてる奴は誰もいない、だからこそ許せないと言うことも成り立つかもしれないけれど。
巡り合わせの拡散と収束つまり遭遇、僕らはきっと出会うべく人に出会わなければいけないし、出会う確率を高めなければいけない。
でもどうしたら?未来社会は凶と出るか吉と出るか?そこが問題だ。大きな家族か小さな家族かそこも問題だ。
大きく見れば未来を信じるかどうかそここそが問題だ。
そんなことどうでもよくてノンシャランと暮らせれば、後はケセラセラの人たちも包摂(なんちゅう言葉だ😕)していく世の中がいいのか?
多分それでも今の世の中よりずっとずっといいのだ。
それから先は、はいそれまでよ、と何かを結論して、明日に先送り、、もう一寝入りします。
これはもちろん着る人の中身を強調するための色ですよね、秘すれば花、薄暗さ、灯にも馴染むし明るいところでみれば、隠れていた色味が表に出て多分はっとする自然さで環境に馴染む色、なっちゃって、好い色味ですね。 姿勢に関しては人に言われて気がついただけです…前にも言ったかもしれませんが…お得意さんに、どうして他の人はいちまるさんみたいにまっすぐ歩かないのかしら?はあ?褒められたのかな、と気が付きました。 面白いものですね、僕は道路の端っこを歩くようにして人様の邪魔にないようにして歩いているつもりなんですが、、母が言うには…お前ちゃんと税金払ってんだろ…天下の往来堂々と歩けばいいんだよ、、ですって、あはは🤣
「人間の方で服装をビルの多い街に合わせて補色のように、あるいは保護色のように硬質なもの、コンクリート、ガラス、鉄骨に合わせている」
これはとても面白い、そして正鵠を得た説だと思います。人の服装と物理的環境とは切っても切れない関係があるというのが私自身の説で、特に色彩の調和・不調和は興味ある課題でした。
谷崎潤一郎が、日本人は宝石にしてもきれいに澄んだエメラルドやルビーでなく、とろん・どろりとした瑪瑙、翡翠などを好むと言っていますが、庇の長い家の障子の影の部屋でサファイアなんかで身を飾っても滑稽なだけでしょう。
私のかつての同僚で東大出の女性がいて(昭和20年代生まれで東大卒の女性は非常に稀)、彼女は趣味がものすごく悪く周りの人に「あんたの服を見ていると気持ちが悪くなる」とまで言われ、多少悩んだあげく、カラー何とかのコースに通うことにして、そこで自分には暖色より寒色が似合うことや口紅の色についての指示をもらい、それを実行し始めていました。まあ、全く無駄というのではなかったものの、そんなことにお金を払って時間使って・・・と私は呆れましたが。だって、センスというものは一瞬の勘でしょ。人間の頭脳と、勘というか感性とは全く別物、という証拠です。
今そのことを思い出し、色の研究というなら「色彩論」なんてものもあるのでは、と探すと、何とわがゲーテさまが「色彩論」という本を著しています。ちくま学芸文庫から2001年に訳本が出ているのも、ほう、という感じ。ドイツ人らしく、センスとか感性には触れてないみたいですけど。
いちまるさんって、エラソウに歩くのですか。実は私もそう言われたことが何度かあるんですよ。姿勢がいい、という褒め言葉をもらったこともありますが、鉛筆みたいに真っすぐだね、というのは褒めているのか貶しているのか分かりません。子供の頃から無意識に背筋を伸ばしているのは、私もチビだからで、これで猫背で歩いたらinvisibleになると思ったから。この年では、人目には見えない方がむしろいいんですけど。
また色の話に戻りますが、昨日たまたま、日本でも虫干しの土用の日はとっくに終わってしまったなあ、もう何年の母の着物に風を当ててないなあ、と思い出して、一句作りました。
・母が愛し海松色並ぶ土用干し
この海松色を私はあまり好きでなく、そもそも母は着物でも食器でも濁った藻の色や土色を好むので、どうしてスカッとした色を着ないの、と文句を言っていましたが、純日本式の家では確かにパステルカラーなんか似合わない。かく言う私も、好きなのは「鈍色」です。それもできれば、上に示したような青味を帯びた「青鈍」。鈍感の鈍だろ、なんて分かり切ったことは言いっこなし。