8月24日(木) やや曇り予報
「年寄り宣言」
(今マルクスに関する本を読んでいるので共産党宣言…に倣いました)
この半年間「躁」状態が続いていたのですが「鬱」の周期に入ったようなので「減速」します。
時々歳を感じる。年寄りは弱いと感じる。その連鎖反応を起こすと一気に老けて、身も心も一人前の年寄りになる。
そんなのつまんねー、といっても歳には勝てないのでそういう気持ちになる事はこれからもいっぱいあるだろう。
好きなように暮らしているのに、たまにそれっぽい「仕事」が入ってくるともういけません。もう現役じゃないんだなぁとがっくりくる。
こんなことを繰り返していっぱしの年寄りになっていくんだな。
僕はなるべくスルーしていこう。僕の父みたいにたまに若い人から説教されたりしながら。
気持ちだけは若くいる(若く「いる」ことは若ぶることとは全く違う)、もうこれしかない。そう思ったら少しだけ気が楽になった、つまり普通にしていていいんだという気持ち。気持ちだけは若く保つためにしっかり現状を認識する…そのために、まだ残っていたこだわりを少なくしていくこと。
そーゆーわけで数少ない読者のみなさん「減速」の時間です。
小説を書くことにしてよかったなぁと思っています。書きたいというよりは…書くことを張り合いにしようと思っていたのだとしみじみわかりました。
世間との関わりもこの10年間で無理して作ろうと思って作ったわけではありませんが「結果」として残ってきている(それでも離合集散は世の常)のでそれも張り合いになっているようです。
もう若振る必要も年寄振る必要もない。
必要があることといえば…せいぜい肩の力を抜くために「年相応の年寄りになろう」かな、です。
年相応に「あきらめる」のでは断じてない。「あきらめ」は押し付けだ。拒否するに限る。
やっと人並みにここまでたどり着きました、ふ〜。
以上「年寄り宣言」その1、終わり
私も鬱っぽくなることはあります。軽いものならしょっちゅうです。でも、それで自殺なんかする人の気持ちは分かりません。だって、ほっといてもいつか死ぬのに、自分で手を下す必要なんかないじゃありませんか。体が動かなくなって、食事も排出もひとさまの世話にならねばできない事態に陥ったら、食べることを拒否すればわりとすぐに衰弱して死ねるのではないかしら。元々備蓄のない身体だし。そうだ、管だらけにして生かすのは止めてね、とそれはどこかにしっかり書いとかないと。