8月21日(月) やや曇り予報
人類の記憶(先史時代の人間像):アンリドサン=ブランカ:大谷尚文 訳:法政大学出版局2005年12月初版第1刷
地層の記憶…を調べていくと人間が何をしていたかかなり詳しくわかるというのが少しわかって面白かったです。
183〜185ページ
土壌は今日では、絶えず拡大していく調査の対象である。それは容れ物でしかなかった。ところが、現在、土壌はますますそれ自体が考古学的対象となりつつある。土壌は1つの時代を、1つの文明を、人間のさまざまな働きかけを表現している。気候だけではないのだ。今日、土壌のサンプルを薄片の形にして顕微鏡で調べることによって、この土壌が人間からいかなる扱いを受けたのかを明らかにすることが可能になっている。もちろん、最初は土壌のサンプルのコレクションを作り上げ、つぎにこれを参考にしなければならない。時間のかかる仕事である。英国の土壌学者たちはすでに自分たちの参考資料のコレクションを所有している。フランス人はまだこれを作成している段階である。ほかの問題。しかるべく土壌を見出すこと……。これはそう容易なことではない。新石器時代、青銅器時代、または鉄器時代の住居を発掘する原史時代の専門家たちがこれらの住居の土壌に出会うことは、例外的なことでしかない。彼らが手にするのは、たいていの場合、柱の穴でしかない。土壌そのものは侵食されて消失している。渓谷の遺跡においてすらそうである。この土壌の不在は、すでにそれだけできわめて雄弁である。「もう一度、言っておかなければならない」とニコラ・フェドロフとマリ・アニュス・クルティ(国立農学院)は述べている。「今日、私たちが見ているすべての土壌は、変質の結果、生じたものである。パリ盆地で見られる赤い土壌は、古い森林の土壌が露出したものである。この上を覆っていた土壌は侵食されてしまったのである。」そして、元の場所の土壌の断片が見出されるときには、たとえば墳丘の下に残されているときには、多くの場合、人間によって、手ひどい扱いを受けたことを観察によって確認することができる。…中略…
「私たちは森林を食べた。」ぺトルカン夫妻は、これらの語でもってジュラ山脈の新石器時代にかんするその書物をはじめている。この文は勝ち誇った初期の農民の時代の、これらの忘却され、ふたたび見出された世界の大半に適応することができるだろう。私たちは森林を殺しただけではない……結局は、そうしなければならなかったのだ……、多くの自然のバランスを根底から混乱させた。そうするためには石斧、木製の幅広鍬と無論鋤で十分であった。つまり、研究が盛んにおこなわれ、そこから導き出されるもろもろの結果、さらに、いまだ公表されていない種々の結果だけをもってしても、人間はそれが可能になるや否や環境を損壊させたと主張することができるのである。バランス、すなわち古代社会の英知?こんな見解は、当の社会を真剣に研究している者たちを苦笑させはじめているのである。
引用以上
たった1冊の本を通読しただけで土壌を深く掘り下げたような気がするのは僕の勘違いだと思います…あはは。
(このところ、びすこさんが2、3ヶ月ぐらい前の僕のこの日記にコメントを再開して下さるようになったのですが…それがとても面白いです。2、3ヶ月前はすでにちゃんとした「過去」で、2、3ヶ月後の今は、「過去」に上書きした現在なので、「過去」が微妙に歪んできている、、あっ、とてもわかりにくい言い方ですいません。どうもこの本を読んだおかげで自分の過去がそれほどしっかりした記憶の上に成り立っているものではないという感じを持ってしまいました。それでも何とか自分自身の首尾一貫性が保たれている(と思える)のはひとえに「意識」がそれを作っているからだと思います、夢の中の無意識もその「意識」をキープするのにひと役買っているのだと思います。
↑こんな。ゴタク並べた日記、誰も読まないわけだな…あはは🤣