8月7日(月) やや曇り予報
孔子伝:白川静著:中央公論新社1991年2月初版発行
孔子の生涯が、歴代の中国の思想家たちの出自を含む系譜と盛衰を背景として、静かに語られていきます。
論語読みの論語知らず、という言葉を知っています。もちろん僕はそれには相当しません。論語、まともに読んでないからです。でも儒教、と聞けばなんとなく「知っている」気になるのは論語の中の有名ないくつかの字句がすぐに思い浮かぶからだと思います。
偉丈夫な苦労人で周公の治世と思想を奉じ、あるときは松下政経塾!?のような教団を構成するばかりの多くの弟子を従え、本人も弟子たちも政治職を得たり亡命を繰り返す。不遇の時にも何人かの優れた弟子に囲まれ、思索を重ね、その思索に殉じた人、、だったのだろうなぁと本を見ながら感じたことでした。
「仁」が根本思想だというのですが僕にはさっぱりその「仁」が分りませんでした。
巧言令色鮮し仁、、仁って何?
不立文字?みたいなもの?僕にはさっぱりわからなくても弟子たちにはそれが何かわかったからこそ、孔子の行住坐臥が、伝説となりいつしか論語として今に残る歴史になった。
論語知らずの分からず屋にはこのぐらいのことしか想像がつきませんでした。
それでも僕は「仁」が「天啓」のようなものではなくたくさんの後世の人たちによって残された在り処(ありか)だけが示されたヒントの字句、例えばキリスト教の「愛」みたいなものかなぁと鈍重な頭をこねくり回してみるのでした。
僕に残された時間は少ないようでまだたっぷりあるような気もするので…ゆっくり考えたいと思います。それが何かわからないまでも分かろうとする意欲だけは失いたくないです…馬鹿な考え休むに似たり、馬鹿は死ななきゃ治らない、あはは🤣
(読書と言えるかどうか分かりませんがとりあえず読書を続けていると自分の馬鹿さ加減が露呈して恥じ入るばかりです)
孔子ってかなり実際的でさばけた人だったみたいですね。それを後世の中国人や輸入した日本人がなんだかえらくコチコチの学問にしたんじゃないか…というのが当方の勝手な推測です。朱子学とか、聞いただけでムシズが走る。学問ったって、これ実証できる分野じゃないでしょう。そんなものを手段に、徳川政府は250年もの間人民を縛って萎縮させて。
孔子といえば、先日(私たちの間で)話題になった中島敦に「弟子」という短編がありますね。すご~くいい話。(ああ、語彙の不足を感じるなあ。)
そうそう、孔子といえばですね。帰国中に訪ねた、知人が経営するガーデンセンターで、ランチを食べながら見た大樹がこちらのトネリコに似ていたので、珍しいなと思って尋ねると、「いや、これは楷の木です、学問の樹」とのこと。あ、これ岡山の閑谷学校の門の前にある!と思い出しました。学問の樹だから学校の前に植えたわけですが(その錦秋は見事です)、どうしてまたこれが学問の樹? と調べると、孔子さまの廟に植えられている樹なんですって。
写真は閑谷学校の楷の木です。