8月3日(木) やや曇り予報
「生きている兵隊」石川達三著:中央公論新社1999年7月初版発行
読み始めてまもなく中国の民間人が放火の疑いで通訳を介して尋問される…やり取りから犯人であることが明らかになると斬首。近くの川に投げ込まれて両足が川の上から突き出ている。
朝から読む本ではない。
昭和13年中央公論3月号に発表される、すぐに当局から発禁処分。
戦後まもなく伏せ字(時局上、出版社及び当局が差し障りのある文言を読めなくする工夫)を全て明らかにして出版された曰く付き本です。
南京陥落に向かう日本兵の突撃状況も生々しく陥落後の街の状況も極端な誇張もなく、さりとて故意による省略も少ない新聞記事として僕には読めました。
肉弾戦の圧倒的な暴力、血を浴び、血を浴びせる殺戮がこれでもか、これでもかと記載されているわけではありませんが人間の平常心などというものが、どんだけ当てにならないか、または平常心でいられる異常な感覚が淡々と描かれているように思いました、著者がこの作品を取り憑かれたように短時日で書き上げた気持ちが、少しだけわかるような気がしました。そう思うこと自体が不遜なことであることは承知していますが、野間宏の著作「真空地帯」に描かれた人間を兵器に改造して行く、そしていとも簡単に改造されていく人間群像の事実が書き留められていると僕には思えました、こんな経験は誰もしたくない、させてもだめだ、だから戦争はダメなのだ。経験は思考を短絡させる、それが間違った方法とも言えないと思いました。
読書とは言え貴重な体験でした。
(戦争の記述において…塹壕の中の事は書くなという言葉があるそうです、、そこに地獄があるからでしょうか…意味は分かりません)
(最近起床して身の回りのものを少し整えた後…椅子に座ってしばらくじっとしていることが多くなりました、、夢から覚めてこの世に帰ってきた感じ、、人間は人生のうち3分の1と言う膨大な時間寝ているんですよね…だれでもが当たり前のこととして受け止めている不思議)
先ほどKBCグループLINEに投稿した句
カーテンが風揺らしてる夏の朝
カーテンがまるで呼吸しているようにゆったりと風を揺らしているように僕には見えました。
平和は戦争と戦争の間のつかの間の休息のような20世紀はもうたくさんですよね。
朝から読む本ではない。朝から聞く曲ではない、って音楽もありますよね。朝から見る絵じゃない、という場合も。ピカソのゲルニカとか一部のゴヤの絵なんか、眼が覚めてすぐ、っていうのはちょっと耐えられない。と言って、一日中ふくよかな薔薇色の頬のルノアールの女たちを眺めて過ごすのも、何だか。
カーテンって考えてみると、庶民には戦後の話なんですね。もっぱら障子で、商店でもなければガラス戸も余りなかった。あ、そういえば、日本の我が家にはカーテンが一つもない。今の時代にそちらの方が珍しいかもしれません。
離れの嵌め殺しの窓から西日が入るので、葭簀を考えたのですが、ろれちゃんの好きなゴーヤを植えてカーテン代わりにすることもできる。