8月2日(水) やや曇り予報、
水の中に浮遊していると体が楽。無重力状態。ちょっと長く水の中にいて全身運動していれば適度に疲れてくる。水の中で暴れているようなものですからね。疲れてくると体の力が抜けてきて水との親和性はさらに良くなる。というわけで気が済むまでプールで泳いだ後、午後からは届いたばかりの本を開く。
まなざしの地獄(尽きなく生きることの社会学):見田宗介著:河出書房新社2008年11月初版発行
過酷な思い出しかない故郷を捨てざるを得なかった少年が希望を抱いて都会に職を求めたものの、都会の偏見のまなざしにさらされてついには居場所をなくしさまよった末、連続殺人事件を起こす。
1960年代の高度成長期に入った日本で、金の卵と言われた集団就職者は、使い勝手の良い労働力として組み込まれていく。
途中ため息をつきながら読み進める、、居場所を求めて就職に応じた若者が出自にまつわる偏見にさらされて居場所をなくし、事件を起こすいきさつに肉薄し分析されるのは世間のまなざし。
そこで問われている問が今現在の青少年を取り巻く社会状況をも、指弾しているのではないかと僕には感じられました。
ストレス耐性という言葉が今も流通しているかどうか分かりませんが…無関心や無視に対してストレス耐性がないと苦しいだろうなと思います。
「放っておいてください」と居直っていける僕はただ状況が許すからそうやっていきがっているだけです。
試行錯誤すらままならない…つまり、居場所と自由時間が不足している若者たちは1960年代の集団就職の人たちと何か変わるところがあるのだろうか。
結婚もままならない、就職もままならない、、なら自分自身がままならなくなるのは当たり前。どうしたらいい?
まなざしの地獄は、めぐりめぐって関わりを恐れる無関心につながっている?、、ちょっと強引ですがまなざしの先が気になります。
ままならない、不如意。それがあるのが人生で、何でも意のままの人生なんかあり得ないのだから、不如意に耐えることを学ぶべきだと佐藤愛子さんが書いてた(この人、今秋には百歳になる)。私は十五歳で大病したから、不如意の人生はしっかり経験していますよ。今でも多分不如意なんだろうけど、何が如意だか、自分の望むこともよく分からなくなって、どうでもよくなってしまいました。