7月25日(火) 晴れ予報
日本売春史:小谷野敦著:新潮選書2007年9月発行
通読して…この著者の考え方は性産業は必要悪、と言って語弊があれば需給関係の合意が産業を成立させている、、という意見に賛成です。下記の引用部分の意見にももちろん賛成です。
194ページ
売春を非合法だが存在する状態にしておくのは、現実的政策とはいえないだろう。ヨーロッパ並みに合法化し、性病予防を徹底すべきであろう。
引用以上
とはいうものの、裸と裸の人間が絡むのにそんなすっきり割り切れるわけがない。セックスを楽しむのにふんだんなお金が必要、そんなお金用意できない人はどうするの?
誰も生まれてきたことに責任は無いわけで、それにしては出生の状況が人それぞれあまりに違うので不公平感が出てくる。ここのところをいくらかでも社会が補完する、という社会が人の心に安定感をもたらす良い社会だと思う。きたるべき社会はその実現を目指すべきだと僕は思う。思うのは勝手で、簡単。
イモルームで肩に濡れタオル、扇風機にあたりながらこの本を読んでいました。性風俗のリアルを概観する…などという事は土台無理。フィールドワークにお金を使いたくない。取材によって成り立っている力作の本に当たるのが関の山。
僕が知っているのは昔のトルコ風呂、後のソープランドだけだ。通うためにはお金がいる。サラリーマンの分際でよくお金があったと思う。お金はすぐなくなってしまうのでお酒は立ち飲みか、あるいは友人と公園で飲んでました。周りの呑平は妻帯者であるか独身者であるかを問わず貧乏でしたね。後に金をつかんだ連中が派手な遊びをしていましたがうらやましいとはこれっぽっちも思いませんでした。友人が気前よく仲間に誘ってくれて、人のお金で遊んでいる時も「今「遊び」を遊んでいる」という感覚でした。面白いことは面白いんですがやがて当然のごとく「白ける」。恋愛不適格者は疑似恋愛も不得意、あはは🤣
性について深く考えたことはありません。性産業に従事している人と、一般の人の区別がつかないのは今もです。こちらの都合でお願いするのですから金銭が絡むのも当たり前。そこまではわかります。もてない男でも金にものを言わせれば多少の望みは叶う。金がなかったら?そこが問題だ。
恋愛については幸いなことに?若い頃憧れめいた幻想が少なかったせいかもしれませんが、ときめきを放置する性格が幸いして大事に至りませんでした?!その態度は今も変わらないままです。こんな僕にお相手がときめくわけもなし、あはは🤣
時間があれば小説のネタになる本を読んでいる…正確にいうと…小説に自分自身をどのぐらい投影できるかどうかに興味があるために、その前提条件として自分自身が実はどう考えているのかを知るために本を読んでいます。たった1冊の本を書くために場合によっては何万冊も読む必要があると思う、自分自身がどういう人間であるかわからないからです。凡人にとっては本を読むことが1番頭を使わずに人生のトライ&エラーができる。本は本から作られる、至言。
性産業とヨーロッパ。それについてしみじみと〔?〕想いをめぐらす機会が最近ありました。毎年八月の初めにオ―ストリアとスイスとドイツの国境地帯(ボーデン湖の東端)で音楽会があって行くのですが、私たちが招かれている演奏会は山の上のバロック教会で行われます。近くのシンプル素朴なホテルで泊まることにして、前日からゆっくり出かける。
今年行ってみたら、七,八年前に出来たばかりの別のモダンなホテルが改修中?なんでまた、今改築する必要があるのかと周りの人に訊いたら、何とオーナーが代わって今のオーナーはスイス人で、その人がホテルをオトナの娯楽施設(早く言えば売春宿)にすることに決めたのですって。道路を隔ててその前がバロック教会。そのホテルの並びにはきれいな墓地。
教会と売春宿と墓地って、すごい組み合わせだと思いませんか。それが許されるヨーロッパって・・・と私は絶句してしまいました。教会の清らかな鐘の音を聞きながら売春に精出す女や、礼拝に行く紳士淑女を横目に若い女を買いに入っていく男。これ、ウィーンの世紀末のデカダンスに通じるものがあるような。