7月2日(日) 雨のち晴れ予報
昨日はプールがとても空いていたのでいつもの倍以上水の中にいました。
きっと体の動かし方が足りないと思っていたのだと思います。
平泳ぎは下半身をたっぷり使うので運動した気になります。
水に乗ることだけを考えて練習しました。
家に戻って平家物語の続きを読みました。
物語の面白さもさることながら…あとがきのなぜこの物語ができてきたのかという考察が面白かったです。
武家政治と皇室政治を目の当たりにして日本の民衆がはっきりと「国」を意識しだした時代背景の中で、平家の滅亡の物語の中に国の安寧を願う意図が見出されるのではないかと推論しています。誰の意図かと言えばもちろん為政者の意図です。
琵琶法師などの語り手を通じて、物語は洗練されていったのではないかと言う説明も納得できます。
今に通じる漢字かな混じり文の走りでもあったということを聞けば、語り口のなめらかさ、訴求力、説得力、緩急のメリハリを増すためになされた工夫かなと、素人判断もしたくなります。
戦国時代の血で血を争う戦乱の悲惨さに対する厭世観は何らかの形で現在の僕らも引き継いでいると思ってみるのも面白いな。
(昨日は曇りがちで時々お湿りもあり過ごしやすかったですね)
(今は夜中の3時…昨日は8時ごろ寝ているので寝、は十分、今外は雨らしいけど日中は晴れて暑くなりそう、、食事もお酒も美味しいのでありがたいです、水泳のおかげかなと思っています)
厭世観、なんて洒落たものではなく、「どうせこの世は」という開き直りみたいなのは自分にもありますね。平家物語の中には、小督のエピソードとか、敦盛の最期とか、美しい話がたくさんあって、日本の古典として誇るに足りると思う。
その中に、清盛の長男で人間的も大変よく出来た重盛も登場するでしょう。父親も彼には一目置いていて、長男にこんこんと諭されることがよくあり、清盛の言動に問題があるとおそばの者も重盛を頼りにしていたとか。この人、小松殿と呼ばれていたそうですが、とにかく言うことはすべて正しいので、だれも異論をはさむことはできない。黙って、ははあ、ごもっともと聞いているほかない。
それを揶揄った川柳があって
・小松殿去ってみんなで伸びをする
これ、あるある、でとても気に入っています。