6月20日(火) 曇り予報
ざっと800年前の鴨長明:方丈記とざっと700年前の吉田兼好:徒然草を解説付きでまとめた本を読んでいました…岩波新書日本古典文学大系30:方丈記 徒然草:西尾實 校注1957年6月第1刷発行
僕の場合、本文よりも訳注を見る方が多いにしても… 7 、800年前に書かれた本の内容にいちいちうなずけるのはなんとも不思議な感じがします。
最後に移り住んだ方丈の庵で子供と遊んだり徒歩で近くを散策してつましく暮らした鴨長明と、その100年後に徒然草を書いた兼好法師、ともに貴族出身であるにもかかわらず上の暮らしにも下の暮らしにも通じていたリアリスト。共にこの世は一時の宿り、とした上でニヒリズムに陥らず人間を愛した人たち、だからこそ書いたものが残ったと思いたいです。
賢人ニ人の心境には程遠い凡人の僕はせめて身の回りのものを少なくして賢人振りを模倣する、ところから始めようかと思います。
賢そうに振るまう人を見て嘲笑する人を指し、吉田兼好は、、徒然草八五段、、狂人のまねとて大路を走らば、すなわち狂人なり。悪人のまねとて人を殺さば、悪人なり。…中略…偽りても賢を学ばんを賢と言ふべし。
と言っています。
これを僕なりに解釈すれば、、賢い人の爪の垢を煎じて飲むべし、、。
(昨日表通りを歩いていて知り合いに会いました。ちょっと前に自転車で元気に走り回っていた方です。自分で注意していてもぶつけられることもある。松葉杖をついてゆっくり歩いていました。僕は自転車を放棄してよかったです。鴨長明も牛や馬を持たず移動はもっぱら徒歩だった、、わーい僕と同じだ、あはは🤣
昨日、家の周り床下の通気口を塞いでいたブロックを全て取り払いました、夏の間の蒸し暑さをいくらかでも解消するためです)
徒然草だったか方丈記だったか忘れましたけど昨日読んでいた本の中に…豪放磊落な友人がいて、その人の家に立ち寄ったおり酒の肴がない…何か探してきてと言われて、、台所に行ったら、しゃもじの先に味噌がこびりついていたので、それを持っていったところ…結構結構と喜んだそうです、、で、僕の最近凝っているのは…前にも言ったかもしれませんけど…納豆に卵の黄身を落とすのです…それが酒の肴です、もう3回やりましたおいしいでーす♪)
純粋な人間とは、純粋な状態にある人というよりは、常に純粋でありたいと願っている人、という説を見たことがありますが、いつも才人になりたいと願っているからといって、才人になれるわけではありませんからね。むずかしいところです。美人になろうとて、美人のふりをすれば美人…ならば今頃私もかなりの美人バアサンになっているはずなんだけど。
吉田兼好さんの話として、高い樹の上って仕事している庭師が一番危ないのは、天辺当たりにいるときでなく、少し下りて「もう大丈夫」と思ったときだと言っていますが、これは人生の処世訓ですね。好事魔多し。油断大敵。慢心は転落のもと。